ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

死を迎えようとしている家族

2014年06月19日 | 家族とわたし
先週の土曜日。
サッカーのワールドカップで、日本の試合があった夜。
ロンドンから、松尾久美ちゃんが来てくれるというので、空港まで迎えに行った夜。

数日前から食がみるみる細っていた家猫ショーティに、少しでも食べてもらいたいと思った旦那が、
晩ご飯に使おうとしていたあさりの水煮の缶詰から、ちっちゃな身を一切れ、彼女にあげた。
珍しく、彼女はそれをパクパクと食べた。

それからしばらくして、突如、ショーティが吐き始めた。
1度、とても酷い下痢をした。
5回ほど吐いた。
もう迎えに行かなければならない時が来て、旦那とわたしが出かけた後も、吐き続けていた。
2度めの下痢は、次男くんが処理してくれた。

わたしたちが戻ってからも、もうドロリとした液体だけを吐き続けていた。
あさりに当たったのか……。
とにかく様子を見ることにした。

翌日、下痢と嘔吐は止まっていたけれど、一切何も口にしなくなった。
水を飲もうとしても、すぐに吐き気に襲われるのか、何も飲まずにへたりこんだ。
水分を消耗しているはずだし、それは多分、糖尿にとても悪い影響を与えるだろうから、とにかく水を与えようとあれこれ試したけれどもダメだった。

月曜日。
彼女の一挙一動が気になって、まともに眠れないままの夜が続いた。
朝、それでも眠ってしまって起きた瞬間、まだ生きてくれてるだろうかと、ビクビクしながら彼女のお腹の辺りを見つめる。

月曜日の夕方。
食べない、飲まない、おしっこも出ない。
この最悪の状態が、少しだけ改善した。
ひと口ふた口と、自分から飲み始めた。
おしっこが一回だけ出た。
歩こうとするけれども、数歩よろよろと歩いてはペタンと横になる。
細かく砕いたドライフードに白湯を混ぜ、スプーンで口元に運ぶと、初めてひと口だけ食べてくれた。
大喜びしたのも束の間、ふた口めを運ぶと、ウゥ~ッと、久しぶりの怒りの声。
でも、そんな声も、三日ぶりに聞けて超~嬉しかった。

火曜日の朝、いつも行っている動物病院の、けれどもいつもとは違う獣医に診てもらう。
彼女はショーティを見るなり、開口一番、
「安楽死させますか」と言った。
旦那もわたしも、その残された時間がどれだけ短くても、できるだけ苦しまずに、そして暮らしてきた家で最期を迎えさせたいと思っていたので、
その言葉には面食らってしまった。

状態はかなり深刻。
血糖値も、食中毒の後からずっとインシュリン注射をしていないので、生きているのが不思議というほどにまで上がってしまっている。
かといって、食べもしないのに、インシュリンを投与すると、こんどはそのショックで死に至ることも多分に予想できる。
我々はもう彼女の思うままに、思うというか、体の変化のままに従いながら、少しでも楽に、苦しみが減るようにできるだけの工夫をしながら寄り添っていくしかない。

水曜日のコンサートはだから、旦那はわたしのために断念して、ショーティを看護してくれた。

抱っこをすると、彼女の体に、死が刻々と近づいてきていることがよくわかる。
今朝は、彼女を抱っこして、いつも遊んでいた所を回りながら、昔話をした。
彼女は、1年半だけ大津で暮らし、それからはずっとアメリカの東海岸。
激動の移民暮らしを共に生きてくれた。
鳴き声が変わっていて、初めて聞いた人を必ず、混乱させたり笑わせたりした。
文句ったれで、寂しがりで、マイペースで、安いカリカリが好きで、刺身や高級ネコ缶が嫌いで、病気知らずで、
視神経に障害があるから、よく怪我をして帰ってきたショーティ。
わたしがスカイプで誰かと話してると、必ずまだぁ~と文句を言いにきたショーティ。
お気に入りの丸いツールを、パソコンをしてる時は机の横に、テレビを観ている時は我々の椅子の間に置くよう命令したショーティ。
まだまだ時間はあると思い込んでいたけれど、それはもう叶いそうにない願い事になってしまった。

最近になって、わたしたちが飲んでいるコップの水を飲みたがっては叱られていたショーティ。
なので今は、どこで寝ていても飲めるよう、水をたっぷり入れたコップを、部屋のあちこちに置いている。
そのお水を、時々思い出したように舐めては眠る。
そのくり返しをしながら生きる彼女の姿には、我々に有無を言わせないような、断固とした意志がにじみ出ている。
どんなふうに工夫しても、元固形物であった食べ物を口元に持っていくと、渾身の力を振り絞って威嚇する。

我が家の大切な家族ショーティが、死のうとしている。
どうしても書けないまま、日が経ってしまったけれど、少しずつこの状況にも慣れてくると思う。
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ピアニスト『松尾久美』

2014年06月19日 | 音楽とわたし
木曜日の朝に、伴奏バイトの最後の大仕事であるコンサートが終わり、
これであとは、バイト代の請求を残すのみ♪と、ヘロヘロになりつつも浮かれていたら、
「いやあ、今年ほど響きの整ったコーラスはなかなかないよね。やっぱ録音しときたいかも♪」とダリル。
え……ということは……。
「月曜にさ、6曲録音っつうことで」
どど~ん……。


さて、先週の土曜日の夜から、うちに来てくださっている松尾久美さん。
彼女はイギリス在住の、それはそれはすばらしいピアニスト。
家猫が、丁度その、彼女が空港に到着した夜から、一気に体調を崩してしまい、それでいろいろと気持ちの波はあるものの、
わたしはもう、音楽の天国にいるような気分で、彼女の練習を台所で聞かせてもらっている。

彼女は、昨年のルイジアナ国際ピアノコンクールの優勝者。
どうして彼女が、うちなんかに滞在してくれることになったかというと、彼女が卒業した、英国王立音楽大学大学院で一緒に学んだ谷本綾香ちゃん(彼女もぶっとびで魅力的なすばらしいメゾソプラノ歌手)、そして彼女のご両親と我々家族はとっても親しい仲で、
そんなこんなでこのニュースを教えてくれたので、なにがなんでもうちで!と申し出たことがきっかけ。

『気品とパワーを併せ持った独特の演奏スタイルを持つクラシックピアニスト』という評価を得ている彼女のピアノの音を聞くのが、とぉっても楽しみだった。


東京都出身の彼女は、桐朋女子高等学校と桐朋学園大学を卒業した後、
ロンドンの英国王立音楽大学で、ジョン・ブレイクリー、アシュリー・ワス両氏に師事、
2010年に同大学のアーティストディプロマを、2012年に修士課程を修了しました。

また第75回日本音楽コンクール第2位、スペインの第22回フェロール国際ピアノコンクール第3位、セルビアの第6回イスィドル・バイッチメモリアルピアノコンクールで第1位を受賞しています。


なんていう、輝かしい履歴の持ち主なのだけれども、ピアノを弾いてない時の久美ちゃんはもう、超~ざっくばらんな女の子。
しゃべり始めるとついつい長くなってしまうので、ニワカマネージャーのわたしとしては、そのついついを自制しなければならない。
彼女はとっても素直で、カジュアルで、それでいて世の中で起こっている物事に対しては、きちんとした考え方を持っている。
ピアノを練習するにあたり、騒音になりはしないかとずいぶん気にするので、
「うちは、こんなわたしの練習でさえ、わざわざ外に出てきて聞いてくれるような人たちだから大丈夫」と言うと、
彼女が経験した、壮絶とも言える、ピアノの音にまつわるご近所との確執話をしてくれた。
どんなに防音の工夫を施してみても、しまいにはピアノを布団でグルグル巻きにしても、それでも解決に至らなかったその騒動はきっと、
彼女はもちろんのこと、同じくピアノを学ぶ妹さんたち、それからご両親の精神を、ことごとく苛めていったのだと思う。
在住しているイギリスでも、日本ほどではないにしろ、やはり音についてはゴチャゴチャ文句を言われたようなので、
せめてここに居る1週間だけでも、好きなように好きなだけ弾いてってもらおうと思う。
ピアノもきっと、心の奥深くから、快感を感じていることだろうし。


昨夜は、彼女が優勝したルイジアナ国際ピアノコンクールが主催する受賞者コンサートが、カーネギーのウェイルホールで行われた。
こちらには何の伝手も無い彼女。
ならばわたしがと、いろいろな所や人にメールなどでお知らせしておいたのだけども、
チケットの売れ具合を確認してみたら……えぇ~!!60席ぐらいしか売れてないし!!
えらいこっちゃとばかりに、二度目三度目のメールを送り、まだ送ってなかった人に送り、旦那にも応援を頼みして、
結局は、1階席がとりあえずほぼ埋まる、というところにまでこぎ着けた。
いやもう、なんでもええからまあ来て聞いてみんしゃい!!というわたしの言葉を信じて来てくれた人たちが、
「こんなすばらしいピアニストに出会えて、ほんっとに幸せだった。ありがとう!」と、満面の笑顔で言ってくれたのを見て、
これも久美ちゃんのおかげだと、わたしこそ感謝感激!

日本でもし、彼女が演奏するコンサートを見つけたら、ぜひぜひ聞きに行ってください!
絶対に幸せになれますから!

では最後に、彼女のフェイスブックに、今朝書き込んだコメントをそのまんま。

『みなそれぞれに個性のある、すばらしいピアニストでした。
ただ、先のふたりが弾いて、久美ちゃんがベートーヴェンのソナタを弾き終わった時、見ず知らずの聴衆同士が顔を見合わせて、同時にこう言ったのです。
「同じピアノだよね、あれ……」って。

それほど違った。それほど音の温かみと広がりと深さが違った。
ピアノ弾きの友人は、あんなベートーヴェンを初めて聞いた……と一言言って、後に言葉が続かなくて、苦笑いしてました。
ベートーヴェンが柔らかに微笑みながら、久美ちゃんの演奏に耳を傾けていたような気がしました。
ラベルの、本当は途方も無く難しいパッセージや表現が、久美ちゃんの指に、思うままに操られていると感じられるほどに、それはもう、どんなところも心地良く聞かせてもらえる天国のような時間を過ごすことができて、会場の聴衆は誰も彼も、本当に満足した顔で拍手を送っていました。

本当にありがとう!忘れられない夜になりました』
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「安倍さん、もう国民をだますのはよそうではないか」by深草徹弁護士

2014年06月11日 | 日本とわたし
集団的自衛権 協議前に閣議決定案 「今国会中」首相が指示
【東京新聞・朝刊】2014年6月11日



安倍晋三首相は10日、官邸に自民党の高村正彦副総裁を呼び、
武力で他国を守る集団的自衛権の行使を容認する、解釈改憲の閣議決定を、22日までの今国会中に行うため、
公明党との協議をまとめるように指示
した。

与党は、10日の協議で、集団的自衛権の実質的な議論に入ったばかりなのに、
9日には政府が、自民、公明両党幹部に、閣議決定案の非公式な提示もしていた。 
 
高村氏は会談後、記者団に、
今国会中に、集団的自衛権という言葉も入れて、自公の合意をできるよう、一層努力してほしいということだった。
時間をかけずに結論を出してほしい、というのが首相の強い希望
」と述べた。
 
自民、公明両党は10日、5回目の与党協議を行った。
政府が、集団的自衛権の行使事例に分類する自衛隊の米艦防護に関し、
公明党は、「集団的自衛権ではなく、個別的自衛権などでおおむね対応できる」と主張し、
行使を認めたい自民党との溝は埋まらなかった。
 
政府が9日、与党に示した閣議決定案は、集団的自衛権は、現憲法でも、限定的なら行使は容認されると読める内容
閣議決定後、必要な法整備を進める方針も示していたため、公明党側は、受け入れを拒否した。
 
首相は、閣議決定に関し、「時期ありきではない」と、協議を見守る考えを示してきたが、自ら、早期の閣議決定に言及した。
本格協議の前に閣議決定案を示す政権の姿勢に、公明党幹部は「論外だ」と反発した。
 
首相は10日夜、公明党の太田昭宏国土交通相らと、都内の料理店で会食した。


上記の東京新聞の記事を読んで、いよいよあからさまなゴリ押しをまた始めたな、と思いながら、他の方々の見解を読ませていただきました。
中でもこの、深草弁護士の見解が、非常に分かりやすかったので、ここで紹介させていただきます。

↓以下、転載はじめ
文字の強調などは、わたしの考えで行いました。

これはおかしな話だ

「安全保障法制整備に関する与党協議会」に関する話だが、おかしなことがある。

本日(2014年6月10日付)「朝日」紙朝刊で、大要、次のように報じられた。

「政府は、『自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な、自衛の措置を認める』という、閣議決定案を準備している。
これは、1972年に、田中内閣が示した見解の一部を、採用したものだ」


「これについて、安倍首相は、9日の参院決算委員会で、
『この中に、個別的自衛権は入るが、集団的自衛権は丸ごと入らない、ということだった。
しかし、果たしてそれがすべて入らないのかについて、研究している』と語った」



これを読むと、もともと反対の人は「けしからんな」、もともと賛成の人は「そうか」で終わってしまうだろうし、
さらにもともとよくわからない人はますますわからなくなってしまうのではなかろうか。

「いや、私はよくわかったよ」という人、あなたはよほどの精通者だ。


その後、共同通信が、14時59分に、次のニュースをネット上で配信した。

内閣法制局が、集団的自衛権行使を限定的に認めて、憲法解釈の変更を提起する閣議決定の原案を、了承していたことが10日、分かった。

安倍晋三首相が、今国会中の解釈変更を目指していることを踏まえ、
『憲法の番人』として政府内で歯止め役を担ってきた法制局が、行使容認への方針転換に踏み出す
政府関係者が明らかにした。
 
閣議決定原案は、集団的自衛権行使を『わが国の存立を全うするために必要な自衛の措置』として容認する内容
9日に、政府側が、自公両党幹部に非公式提示した」



これを読んで、ようやくもやもやが解消した。
どうやら、
礒崎陽輔安全保障問題担当首相補佐官をはじめとする官邸サイドと、内閣法制局との間で協議して、
「自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置を認める」ことにより、
集団的自衛権行使にも踏み込むことができるようにする、との閣議決定案を練り上げ、
自民、公明両党に非公式に提示した、
安倍首相は、これに手ごたえを感じている、こういうことのようだ。


そういうことがわかると、
安倍首相が、今国会中に閣議決定をする、と突然表明し、与党協議会を急がせたこと
及び、
集団的自衛権行使8事例について、かたや、集団的自衛権行使を認めなければ対応できないから、集団的自衛権行使を認めるべしとしたこと(これはトートロジーで結論だけしか述べていない)
こなた、
いや、個別自衛権の範疇で対応できる余地がないか検討するべきだなどと、世にも不可思議な議論をしている(これの正しい答えは、集団的自衛権行使は認められない、である)こと
これらの裏も読めてくるようだ。

「安全保障法制整備に関する与党協議会与党協議会は、猿芝居、茶番だ


さて、伝えられる閣議決定案、1972年の、田中内閣の示した見解の一部をパクッてきたとのことだが、
参考までに、田中内閣見解の全文を引用してみよう。

憲法は、第9条において、同条に、いわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、
前文において、『全世界の国民が・・・・平和のうちに生存する権利を有する』ことを確認し、
また、第13条において、『生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については・・・・国政の上で、最大の尊重を必要とする』旨を定めていることからも、
わが国みずからの存立を全うし、国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、
自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な、自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない

しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を、無制限に認めているとは解されないのであって、
それは、あくまで外国の武力攻撃によって、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が、根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、
国民の、これらの権利を守るための止むを得ない措置として、はじめて容認されるのであるから、
その措置は、右の事態を排除するためとられるべき、必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。
そうだとすれば、わが憲法の下で、武力行使をすることが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、
したがって、
他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とする集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない

(1972年10月14日参議院決算委員会提出資料)
 

伝えられる閣議決定案なるものを作成した人たちは、アンダーラインの箇所にいたく感動したようだが、これは単なる枕詞、
重要な部分は、太字で示した部分だ。
これこそまさしく確立し、定着している「自衛権行使三要件」、つまり自衛権の定義と要件なのだ。

安倍さん、もう国民をだますのはよそうではないか
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わたくし安倍晋三、首相という権力がある限り、まだまだ好き放題やりまっせ~!

2014年06月10日 | 日本とわたし


ツィッターやこちらのコメント欄に、まだまだあるぞ~と、怒りのご意見が寄せられました。
それらを紹介させていただきます。
↓↓↓
原発は再稼働します
憲法解釈は変更します
福島は見捨てて、東京でオリンピックします
でも、中小企業の負担は増やします
介護士の待遇も改善しません
移民制度は導入します
TPP参加して、国民皆保険制度破壊します
同じくTPPで、遺伝子組み換え食品増やします
秘密保護法で、集会や言論、知る権利などを奪います
私の判断で国民を戦地に送ります。私は行きません。
美しい自然を破壊して、戦争のための基地を作ります。
武器を輸出する死の商人となって儲けます。
戦後の歴史教育は間違っているので修正します。


まだまだありますよね。

お気づきの方はぜひ、コメント欄に書き込んでください。
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市民の力の見せ所は数!攻めるのではなく、やめる、買わない、使わない!家に居ながらにして闘える!

2014年06月10日 | 日本とわたし
三鷹市市民協働センター、第2会議室で行われた、樋口健二さんの講演会のことを、幸雄さんのフェイスブックで知りました。







なんとも力強い笑顔を拝見しているうちに、いったいどんなことを話されたのだろうかと、知りたくなりました。

『黒木町日記』というブログを書かれている光さんが、その講演会の内容を、光さんご自身が聞き漏らしたくないと感じられた部分を、書き取ってくださっていました。

↓以下、転載はじめ

樋口健二さん講演会 於 三鷹市民協働センター 2014.6.7

―――
樋口さんを知ったのは、DAYS JAPANの紙面および、その企画ボランティアに携わって、彼の写真に出会ったことがきっかけである。
50年以上もの長い間、公害被害者、原発従事者の写真を撮り続けた氏の言葉は、様々な弱い人々の代弁者としても、非常に貴重なものである。
―――

(以下は、講演内容のメモです。私が聞き漏らしたくないと思った部分だけの書き取りですので、抜け多数です。)

売れない写真家がこれまで生き延びたのは、出版社、新聞社のおかげである。
70年代、80年代は、すべての原発推進体制・メディア側との、対峙の歴史であった。
しかし、人間には良識がある
311後、現在は、多くの人々が賛同してくれるようになった。

日本のトップリーダーは、財界の番頭になって、原発を全世界に売り込んでいる
一つのプロジェクトで3000億4000億という規模は、原発のほかにはない
40年間に渡り、これまで誰も取らなかったことを撮り続けたことで、様々な日本の暗部が見えてきた。
駄目になっていく過程が、そこにある

四日市コンビナートは、石油化学の最先端であった。
ここが国家最先端になることで、全国の犠牲になり、多数の公害被害者が出た
東京はこの結果、巨大な墓標が立ち並んだ結果となった。
日本には、決して先はないと思っている。
なぜ、
原発があるからである。

真実を追究したから、現在は注目されるようになったきた。

現在のジャーナリストは、ただ事実を流すだけで、真実を追究しようとしない
本来は、国民に奉仕する仕事であり、真実を追究することが本旨である。
単なるサラリーマンであるのをおだて上げたから、そういった存在にのぼせ上がった
写真家は嘘がつけない
嘘を撮っていたらひっくり返される。

取材拒否の病院の空気清浄室に足を運び、罵声を浴びせられながら、隔離されている撮影協力者を撮り続けた。
6年間撮り続けた。
彼に言われた。

「これから写真を撮るならば、我慢するしかないんだ。」

40年後に、「始まりの場所」という本を出したが、そのときには何も変わっていなかった。
一酸化炭素は、40年前から 吐き出されるものにレベルの差はなかった。
亜硫酸ガスは減っていたけども、それは一種のまやかしに過ぎなかった。

私がこのように、みなさんにかたり掛け続け、期待するのは、
どんなに絶望的なことがあっても未来がある、ということである。

好きこのんで、悲しい写真を撮り続けたわけではない。
ほかのどの写真家も、ジャーナリストも、撮らなかった。
自分は頭が悪く、儲かる仕事だけをやる計算ができなかった。

四日市の、汚水水垂れ流しを告発した田尻さんは、ばかにされ、徹底的に勉強した。
その結果、勝訴を勝ち取った。
美濃部都政でも、公害改善の責任者として抜擢された。


3.11以後、マスコミに火をつけたのは、ニューヨークタイムズである。
彼らは、原発現場に、発電機修復のための労働者を、大量に突っ込んだことを報じた
それをきっかけに、私のところにも、マスコミが駆けつけた。
ほとんどが、週刊誌の連中だった。
原発労働者を知る第一人者として。
3.12の朝、広瀬隆氏から、原発労働者をみんな逃がせ、と電話が入った


◎日本のエネルギー産業
石炭→石油→原子力(ウラン)→プルトニューム
明治維新→1960年代~1966.7.25(東海村稼働)

原発は、エネルギーから入っていったからこそ、抜け出せなくなってしまっている

政、財、官学、マスコミ、司法、暴力団が、原発七族
エネルギーと言っていれば、簡単にだませる
原発は、一基作ると、5000億から6000億の金が動く

◎原発輸入経路
ゼネラルエレクトリック(沸騰水型)→三井物産→東芝・日立
ウエスチングハウス(加圧水型)→三菱商事→三菱重工


◎世界的に再編された原発メーカーの系列
東芝→(買収)→ウエスチングハウス
日立→(提携)→ゼネラルエレクトリック
三菱重工→(提携)→アレバ(フランス)


◎原発労働形態
原発(電力メーカー)→元請け(三井、三菱、日立)つまり「連合」→下請け→孫請け→ひ孫請け→人出業(親方)→
様々な末端労働者・・・未組織労働者群


原発は、差別の上に成り立っている。(現代資本主義社会の構図)
原発メーカーから(5万円)→人出業時点(3万円)→労働者手元(8千円程度)……40年前から変わっていない

◎下請け労働者の作業内容
放射能除染作業、ランドリー(洗濯)、パイプ補修、パイプ掃除、スラッジ(ヘドロ)出し、核廃棄物処理・運搬、機械類運搬、サンダー掛け、溶接作業他300種以上の雑役
現在、原発総労働者数は、200万人
そのうち、40万人から50万人の被爆者が、登録されている


日本の報道写真家は、絶滅危惧種であるが、世界報道写真家ギルドなど、世界からの評価は全く別である。

「日本は、広島長崎があって、核の問題にはアレルギーを持っているのではないか?」

アイルランドで、写真展の際に、現地の人々に質問された。
政府やマスコミを挙げて、原発安全神話を煽った国であるので、
国民も知らないで、原発間近で平然と泳いでいる
、と答えた。

日本では、外部被曝を問題にしているが、内部被曝は全く問題にしていない
これが計算されないでいるのが、2014年の日本である。

広島長崎でも、放射能汚染された被爆者は、差別され続けた。
原発労働者も、同じように被爆することによって、差別されることを免れ得ない。

出稼ぎをしなくて済む、原発行けば倍の金をくれる
という言葉を、浪江町の農民から聞いたときには、本当にがっかりした

しかし、彼らは現在、どうしているのだろうか。

底辺労働者の無知を利用して、「倍のお金をもらえる」
そうやって、原発労働者に仕立て上げられた


石井さんは、常磐炭坑の労働者だった。
閉山に伴い、原発労働者となった。
沢山の人々が、放射能の害によって、身体を壊した。

労働者の写真を撮るために、福井まで、東京から何度も足を運んだ。
断れ続けた。
そのうちに、もう何でも撮っていい、と声をかけてもらった。
家族からも。
真実を報道することが、どれだけ大切なことか、それをわかってほしい
ただ一枚の写真を世に出すことが、どれだけ大切なことなのか

マスクを外して働いた、原発労働者の多くが、長年に渡って、放射能によって受けた害によって、苦しんで死んでいった
自衛隊に属していた父親が、子供に辛抱を迫った結果の、白血病による死だった

欧米に、原発労働者を追った取材者がいなかったのは、全世界で原発が推進された時期が、同じだったからである。
だから、あまり問題視しなかった。
その結果、私が、世界でも注目を集めた。
現在も、原発内部に入った写真は皆無だから、世界中のメディアが私のところを訪れる。

私は、ただ自らの見てきた現実を、写真や言葉によって伝えることしかできない。
実際に、その現実を変化させるのは、反対運動を行ったりする皆様たちでしかない
餅は餅屋でやっていくしかない。

↑以上、転載おわり


そしてこの記事に対し、弓場さんとおっしゃる、元柏崎刈羽原発で働いておられた方が、このようなコメントを書かれていました。

↓以下、転載はじめ

ご丁寧な講演の内容の説明、ありがとうございます。
私は元、柏崎刈羽原発で働いていた作業員ですが、「樋口健二」さんの講演会には、今回(三鷹)で7回参加させていただいております。内容的には、ほぼ、どの講演も同じですが、新鮮差があります。

そこで、原発労働者の労働形態と作業内容について、少し補足させていただきますが、
原発においては、管理区域、保全区域、周辺監視区域と、三つの区域に分かれていて、それぞれの区域で、作業形態と内容が違ってきます。
樋口さんの場合は、最も重要な区域である管理区域での、末端労働者の内容を示されておりますので、これで良いと思いますが、作業内容は、少し広範囲になります。

さて、他の保全区域と周辺監視区域ですが、労働形態は、管理区域とほぼ同様ですが、これも、広範囲の作業内容があります。
建設(建築)、設備、電工、土木、環境、雑工事などに分かれるわけですが、おのおのに下請け構造があります
また、働く環境も違ってきます。
例えば、周辺監視区域などには、公園と同じような、樹木や草花を管理するための作業もあります
これには、同じく、末端で働く作業員もいるわけですが、女性もいます。

さて、私の場合ですが、私は、管理区域という場所ではなく、保全区域と周辺監視区域で働いていたわけですが、
放射線防護教育も、管理区域で作業する人と、少し違ってきます。
私が主に作業をしていたのは、福島第一でも取り上げられている、トレンチ(地下洞道)と呼ばれるところで、
職種としては、電工(地中)の下請け作業員でした。
作業内容は、タービン建屋で発電された電気を、敷地内にある変圧所まで送電する高圧ケーブルの新敷設や、古いケーブルの引き抜きなどで、トレンチ内で従事していました。
これらのことは、東京新聞が数回に渡り、私が投稿したものを取り上げて書いてくれていますので、参考にされてみてください。

余談として、コメントの最後になりますが、現在私は、心不全の治療を行っています。
これは、原発での作業環境で、放射性物質を含んだホコリ(ホットパーティクル)を多量に吸い込んだためと、最近になって分かってきました。
私が、最初に心疾患の指摘を受けたのは、原発の仕事が終わり、派遣会社に戻ってからの健康診断によってですが、それにより、解雇されてもいます

↑以上、転載おわり


そして、弓場さんの『疲労困憊したおじさんのブログ』から、
まさに日本の未来をぶち壊す可能性を持つ原発を、なにがなんでも再稼働させようとしている人間どもへの怒りを込めて書かれた記事を、紹介させていただきます。

↓以下、転載はじめ

原発日誌(200)核爆弾80発分の隠蔽工作



原発再稼動のために「核爆弾80発分 680キロ」を隠蔽した、と考えざるを得ないこの報告漏れは、どのように言い訳するのか。

原子力委員会は、「炉内にある燃料は使用中と見なし、以前から報告対象外」と言うが、
どこが使用中なんだ?

隠蔽工作のため、あるいは欺くため、騙すために、使ってないから燃料プールに移動貯蔵したんだろう。

誰が考えたって、とんでもない屁理屈だ。
次はまたもや、IAEAとつるんで、世界の人々を騙すのか……。

「日本の原子力技術は、福島事故を経験したから最高水準……云々」

どこがだ?
国民を死に晒すつもりか……。
滅ぼすつもりか……。



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大失敗

2014年06月10日 | ひとりごと
まあ、野生ったって、みんなチビちゃんなんですけれども……。

去年はでも、鹿さんとキツネさん、七面鳥さんなど、ちょっと珍しめの方々も遊びに来てくれました。

さて、100年以上もの間、この家の庭として存在していたこの原っぱ。


庭として存在していた時は、どことなく日本庭園的な風情がある、とてもすてきな空間だったんですが、
我々の前の持ち主が亡くなり、その子どもたちによって、家と空き地に分けて売りに出されてしまったのです。
この地域の固定資産税は、年平均100万円。
5年前まで暮らしていた隣町で、もし同じサイズの家と庭を持っていたら、多分200万円。
オバマケアという、国保もどきの健康保険が、月に12万円、だから年150万円。

この、税金と医療保険の高さには、ほんっとに辟易しているのですが、マンハッタンへの交通の便がとても良いのに、森の中のような静けさがあり、
旦那やわたしにとっても、患者や生徒にとっても、とても便利な所というので、この支払いは仕方がないと腹を括って、踏ん張るしかありません。


郊外の住宅街では、前後の庭と歩道の芝がボウボウに伸びていると、町から注意を受けます。
いわゆる、通りの景観が悪くなるというので、ちゃんと刈りなさい!という注意書きが、玄関のドアに貼られるのです。

隣の空き地の持ち主は不動産屋さんで、だからついつい放ったらかしになりがちです。
で、その警告チケットが、うちの玄関のドアに貼られていました。
おいおい、係の人よ、あんたも役所で働いてるんやから、この土地が誰の持ち物かぐらい、きちんと調べてから貼ってえな!


そのボウボウの原っぱには、やっぱりこの方が一番似合います。


カメラのピントが合わな~い!けど、野うさぎさんってことがわかるでしょうか?


嬉しがってパチパチ撮っていると、やって来ました、撮られ好きのこの方が。


今回は、草むらの中だったので、み~んなピンぼけです!



さて、いよいよコンサートが明後日となり、朝早くから、高校に入り浸りの毎日が続いています。
本番間近になると必ず、「あ、まうみ、これもちょっと弾いてくれないかな~」と、ハンドベルの子たちと一緒にとか、ギターの演奏と一緒にとか、いきなり新譜を数曲渡されます。
リハーサルをしてると、いろいろと見えてくるのですね、普段だと気がつかないことが。
そんなこんなで、しっちゃかめっちゃかなリハーサルをやってる間、正面にある大きな時計を見ていたのですが……。

なんとその時計、故障していて、止まってはいないのだけども、めちゃくちゃゆっくり針が動くという、
そんなん、時計として一番あかんやろ!という状態になっていたのでした……。

で、本番近くになってくると、今までずっと続いてきた練習の疲れと飽きが出てきて、高校生たちの集中力が散漫になり、前にできてた所を間違えたり、すっ飛ばしたり、
パート練習をしてると、歌ってない子たちが、しゃべったり、途中で抜け出したりと、やりたい放題。
そんな彼らを前にして、指揮者のダリルはカンカン!

などと、いつものごとく、本番前のカオスな状況を、なんとか整理しようとするダリルのアシスタント役もしなければならなかったりして、
でも、時計は見ていたのです、わたし的には。
で、なんか時間が経つのが妙に遅いなあ……などと、うっすらと感じてもいたのです。
ピアノを弾く時には、腕時計とかも全部外すので、置き忘れのないように家に置いてきたし、携帯はリハーサル中にチェックなどできないし……。
だからチェックもしなかった……。

で、やっと終って、車に戻り、緊急の連絡とかが無かったかなと、携帯をチェックしたら……、
えぇ~~~~!!
なんと、生徒ふたり分の時間が経ってしまっていたではありませんか!!
慌てふためいて電話をかけると、もちろん我が家もパニック状態。
最初の生徒と親御さんが家の中で(幸いにもその時旦那が居た!)待ち、次の生徒と親御さんがまた待ち、その次の生徒と親御さんが家に到着した所という、悲惨なことになっていたのでした。

こちらに引っ越してからは、こういうことは絶対に起こらなかったのに……汗が吹き出しました。

最初と二番目の生徒と親御さんは、ともに45分待ちをさせてしまい、結局レッスンは無し。
なので、お詫びに、出張レッスンをさせてもらおうと思います。

忙しいからって、言い訳になりませんね。
恥ずかしかったし、申し訳なかったです。
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地球規模の核産業に立ち向かう、米国と日本の人々よ、まずはサンオノフレ原発廃炉1周年おめでとう!

2014年06月09日 | 日本とわたし
廃炉
カリフォルニアから福島へ
福島から、原発を抱えて本当は困っているすべての国々へ
廃炉を決断する勇気を!!


「これからは、800万人規模の事故や、避難の想定をしなくてもいいと思うと、一安心です」

ゲイリーさんのこの言葉が、一番心にしみました。
地面が揺れるたびに、台風で風が吹き荒れるたびに、大雨であちこちが浸水し始めるたびに、
びくびくしなければならない暮らしなんか、いったい誰がしたいのですか?

万が一のことが起こった時は、途方もなく大きな被害と絶望が待ち受けています。
政府も企業も、そして軍も、手の打ち様などないのですから。
もともと、そういう事故は起こらないと勝手に決めつけて、適当な言葉を並べて、それを権力を使って宣伝し、思い込ませる術にだけは長けているだけなのですから。

責任も倫理も無く、人を人とも思わず、ただただ原子力発電所というものにしがみつく。

そんな、ほんの一部の人間たちに、わたしたちの暮らしを、健康を、命を、子どもを、自然を、生きものを、未来を壊されてたまるか!

↓文字起こししました。



原子力=最も破壊的な科学技術
私たちに、今なにが出来るのか?


2011年3月11日 東日本大震災
震度9の地震

東北地方は、津波の絶大な被害を受けた

福島第一原発で、三基のメルトダウンと、複数の水素爆発が起きた

16万人を超す避難者(*ジャパン・タイムス発表)
5000億米ドル相当の被害額(*アメリカ機械工学会調べ)


福島の事故から3年。
大気や海水など、生物圏への大規模な放射性物質の放出・拡散が、絶え間なく続き、現在も、地球規模での汚染が起きています

そんな中、
安倍首相は、2020年の東京オリンピックに向けて、安全宣言を発した』(*ブルームバーグジャーナル)

アメリカをはじめとする、原子力推進派の国々や産業が、真実や、汚染による被害リスクを隠蔽する一方で、
カリフォルニアの市民たちが、福島とつながり始めました。

「福島はここだ!」


カリフォルニアの映像作家たちは、原子力産業の嘘と隠蔽に立ち向かう人々を描いた、ドキュメンタリー映画を創りました。

「今朝、南カリフォルニア・エディソン社が、緊急停止中のサンオノフレ原発の、永久廃炉を発表しました」
【チャンネル2・号外】2013年6月7日
 

ゲイリー・へドリック(サンクレメンテ・グリーン代表):
大きなハードルを乗り越えました。
これからは、800万人規模の事故や、避難の想定をしなくてもいいと思うと、一安心です。

アーニー・ガンダーセン(原子力技術者/FOEコンサルタント):
この廃炉がいま、全米の、核産業の根底を揺るがしている。


この映画は、南カルフォルニアの人々が、どのようにして、サンオノフレ原発の廃炉を勝ち取ったのか、
そして、カリフォルニアの脱原発の歴史をひも解きます。


スター・ホーク(作家/活動家):
70年代や80年代の、大規模な反核運動を思い出し、今こそ立ち上がりましょう!


2011年8月 MUSE反核コンサート
MUSE NUKE FREE CONCERT
San Mateo, CA -August, 2011


ポニー・レイット(歌手):
他の国ではすでに、代替エネルギーの利用を始めています。

ハーヴィー・ワッサーマン(活動家/NukeFree.org編集人):
カリフォルニアの原子炉4基は、福島と同じ型で、すべて活断層上にあり、海に面している。
ディアブロ・キャニオン原発2基と、サンオノフレ原発2基を、みんなで廃炉にしよう!


もし福島級の事故が、カリフォルニアで起きたら?
⇒世界第12位の経済の崩壊
⇒産業やインフラの破綻(ハリウッド、ディズニーランド)
⇒農業、貿易の麻痺
⇒米海基地の機能停止
⇒近辺住民800万人の、健康とDNAへの被害


原子力技術の利用は、未来の幾世代にも渡って、その命、安全、経済を脅かします
カリフォルニアでも、人々が、原子力推進派の巨大権力と闘っています


サンオノフレ=アメリカにおける福島

トーゲン・ジョンソン(都市建築家):
電力会社は、蒸気発生機の欠陥を知りながら、導入決定をした。
ちゃんと稼働もできない間に、放射能漏れを起こして停止した
修理や、近隣の除染もせずに再稼働だなんて、とんでもない!

ドナ・ギルモア(サンオノフレ・セーフティ代表):
退職後は、海辺でのんびり暮らそうと思って、家を買ったんです。
買った家の目の前が、原発だった。
事故ったら、すべておじゃんだわ。

バーバラ・ボクサー(カリフォルニア州議):
警察によれば、事故の際の避難路は、『渋滞の多い高速』だけだそうです。


サンオノフレ原発周辺の主要都市は、ロサンジェルスとサンディエゴである。


ドナ・ギルモア:
福島級の事故が起きたら、州の南部は、永久に人が住めなくなります

ケンドラ・ユーリッチ(FOE 米国支部)
南カリフォルニアだけでなく、全米の原発立地地域に、共通の問題です。

ジョーン・バーニー(FOE スコットランド支部):
カリフォルニアが脱原発に成功すれば、世界に先駆けたモデルになります
アメリカだけでなく、世界中の原子力産業に、大打撃を与えられるでしょう。


福島原発事故による汚染問題に直面しながら、カリフォルニアで同様の事故を防ぐために活動する運動家、専門家、政治家、内部告発者、メディア、そして人々の取り組みを伝えます。
今、米国と日本の人々が手を取り合って、地球規模の核産業に立ち向かっています


2013年11月8日 国連本部前にて

ハーヴィー・ワッサーマン(緑の党 エネルギー問題理事):
日本政府や東電が解決できないなら、国連が、福島に介入すべきだ。
世界最高水準の技術や予算を投入して、福島と全世界の原発を止めなければ
今こそ、再生可能なエネルギーへの切り替えを!


サンオノフレ原発には、1631トンの核廃棄物が貯蔵されている

ジーン・ストーン(安全な環境をつくる市民の会代表):
廃炉決定はしたが、今から数年の安全確保が、一番の大勝負だ。
この原発を、このまま核廃棄場にはできない。

ドナ・ギルモア:
ディアブロ・キャニオン原発もやっつけて、カリフォルニア全土の脱原発を実現したい

ディビッド・フリーマン(原子力技術専門家/FOEコンサルタント):
全米104基を根絶やしにしなければ、私たちが殺されるんだ!


廃炉
カリフォルニアからフクシマへ


地球規模の問題に立ち向かう
人々の力強い歩みから
私達は何を学ぶのだろう


サンオノフレが廃炉になった今、残る原発はあとひとつ……。

共同監督
マリベス・ブランガン
ジェームス・へドル

翻訳・ナレーション
萩谷 海
コメント (4)
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悪魔のような人々は考えました⇒除染しても下がらない⇒除染目標値を倍に引き上げて解決!ど~ん!

2014年06月08日 | 日本とわたし
きーこさんがまとめてくださった、とんでもない内容の記事を、ここに転載させていただきます。

↓以下、転載はじめ

<除染しても線量下がらず>
除染目標値 毎時0.23から0.4~0.6マイクロシーベルトに引き上げ 環境省と福島4市


除染の目標値“倍に引き上げ”を協議
日本テレビ系(NNN) 6月6日(金)21時46分配信



原発事故からの復興の前提となる除染で、達成すべき空間放射線量の目標値について、
環境省と地元の自治体が、これまでのほぼ倍に引き上げる、新たな方針を協議していることが分かった。



環境省は、除染の後の空間放射線量を、毎時0.23マイクロシーベルト以下とする目標値を定めている。



ただ、一部の自治体からは、「達成は難しい」と、より現実的に見直すよう要望も出ていた



このため環境省は、
目標値を、これまでのほぼ倍の、毎時0.4~0.6マイクロシーベルト前後に引き上げる方向で、
自治体と協議を進めている
ことが分かった。



環境省などは、毎時0.23マイクロシーベルトを上回っても、年間の追加被ばく線量である1ミリシーベルト以下に抑えられる、として、
今月15日にも、自治体を集め、目標の引き上げについて話し合うことにしている。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
除染の勉強会設立へ 環境省と福島、郡山、相馬、伊達市
福島民報 2014/04/15 09:28



環境省と福島、郡山、相馬、伊達の4市は、
除染を加速するため、放射線量低減の目標や、効果的な手法を検討する勉強会を設ける。
14日、井上信治環境副大臣が、各市の市長に提案し、了承された。
 
井上副大臣は福島市の福島ビューホテルで、

福島市の小林香市長、
郡山市の品川萬里(まさと)市長、
相馬市の立谷秀清市長、
伊達市の仁志田昇司市長、


と意見交換した。

席上、井上副大臣は
「4市には、先進的に除染を進めてもらっている。国と自治体が知恵を出し合うために、勉強会を設けたい」と語った。
 
各市長は、除染に関する要望書を、井上副大臣に対しそれぞれ提出
その上で、各市の除染の現状や要望事項について説明した。
 
小林市長は、
追加被ばく線量の年間1ミリシーベルトと、1時間当たり0.23マイクロシーベルトとの関係性が(住民に)正しく理解されるため、除染作業の目標を、国が明確に示すことが必要」と述べた。

立谷市長は、
東京電力福島第一原発事故後、これまでの相馬市内などでの実際の放射線測定値が、国の推計値の半分程度であったことを挙げ、
(推計)被ばく線量の計算方法を、もう一度考え直してもいいのではないか」と訴えた。
 
意見交換終了後、井上副大臣は勉強会について
「要望事項を(議論の)俎上(そじょう)に上げ、2、3カ月中に政策を打ち出していきたい」との見通しを示した。
( 2014/04/15 09:28 カテゴリー:主要 )
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


ヒトの命や健康を軽視する、悪魔のような人々

井上信治環境副大臣


福島市小林香市長


郡山市品川萬里(まさと)市長


相馬市立谷秀清市長


伊達市仁志田昇司市長


↑以上、転載おわり


そして以下↓は、その記事を読んだ、Facebook友の幸雄さんが入れてくださったコメントです。
その通りだと思いましたので、ここに紹介させてもらいます。

『大体、0.23と言う数字自体が、いい加減な調整がしてあるのに。
さすがに福一事故直後、労働者の被曝限度を、いきなり5倍にした国です。
普通に考えれば、除染不可であるなら避難です。
現状、18歳以下の甲状腺異常以外は、目立ったネット情報の動きがあまり拡散されていないので、全般的に反応も鈍いのでしょうか?
 
一昨日、参加した三鷹の講演会 https://www.facebook.com/events/1410778492525504/?ref=22 では、
樋口さんが、福一事故直後の「作業員の年間被曝限度50ミリ⇒250ミリ」引き上げに対し、
浜岡停止とは別に、この判断をした管直人は打ん殴ってやりたい。」と仰っていました。
私も同感です。
選択肢の無い現場の人間には、きっと悪魔だと思えたでしょう。
逆に、そう言う判断をせざるを得なかったのは、それだけの事を起こしてしまった「原発」自体が、諸悪の根源とも言えます。
 
しかし、今回の除染基準値引き上げは、明らかに選択肢があったのです。
「もう、此処には住めません。」と言う宣言を、国や自治体が出来なかった事に尽きます
その尻拭いを、こんな形でする連中は、人間ではない!
コメント (6)
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初夏の夕方に

2014年06月08日 | ひとりごと
初夏はなんてったって網!
わたしにとっては網が、夏の必須アイテムなのです!
毎年この季節になると、わらわらと集ってチュウチュウ血を吸いにくる蚊!

そこで去年は、念願だった蚊帳を日本から送ってもらい、それをウンウン考えて、低価格仕様ではありますがとりあえず吊り、


そこに今年は、次男くんがいつの間にか置いてくれてあったテーブルが増えて、


さらに過ごしやすくなりそうな気配まんまんです!


そして今年の新顔はコレ!


なんじゃこりゃ?
蚊避けの網です。
帽子をかぶり、その上からこの網をかけます。
もうこれで、たったの10分程度、庭仕事をしただけなのに、顔中ボコボコに刺されている……という悲しい事態にならなくて済みます。あ~嬉しい!


つい先日、1000円もしない簡易スプリンクラーを見つけました。
試しに使ってみました。


水が到達する幅や長さを、水が来ないうちに近寄ってチョビチョビ調整しました。
なによりも、垣根を超えて、歩道を濡らさないように気をつけなければなりません。
感想としては……まあやっぱり、自分でホースを持って水やりする方がいいかも……。

今年は、ブラックベリーが元気です。


去年は、木がどんどん大きくなるだけで、花があまり咲かなかったのですが、今年はいっぱい咲いて、実が出てきました。



冬が長過ぎたこと、春らしい日が極端に少なかったこと、そんなこんなが重なって、今年は一気に夏になったような感じがします。
生徒たちの学校も、ぼちぼち夏休みに入り始めた所もあります。
伴奏バイトの最後の大仕事、スプリングコンサートが、今週の木曜日にあります。
その日まで毎日、午前中と午後2時半過ぎまで、リハーサルが続きます。

そしてそのコンサートが終った翌々日に、すばらしいピアニストが日本からやって来て、うちで1週間過ごしてくれます。
彼女(松尾久美さん)は、昨年のルイジアナ国際ピアノコンクール優勝者。
ヘロヘロの上に、もとからろくなおもてなしができない我が家ですが、カーネギーでの受賞者コンサートやレコーディングに支障が出ないよう、
心地良く過ごしていただけるようにしたいな~と、気持ちだけは大いに盛り上がっている、日曜日の夕方でした。
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楽しい時間はあっという間に!

2014年06月08日 | 友達とわたし
どっひぇ~!!


話には聞いてたけど、ここまでとは……。
と、絶句して眺めた、レイチェルの部屋からのマンハッタン島。
いやもう、ほんま、ド真ん前ですから。

ずっと、おいでおいで~と言うてくれてたレイチェル。
ワカちゃんとふたりで、夕飯&おしゃべり会にお邪魔しました。



なにもかもが美味しい!オーガニック!しゃ~わせ!

これは、レイチェル手作りの、ひよこ豆豆腐。


楽しくしゃべっている間に……、


手羽焼き!右上のレモンに注目!


この手羽はまず、野菜と一緒にひたひたのお水で熱し、沸騰寸前で火を止め、そのまま一晩放置。
翌日、手羽を好きなソースでマリネして焼き、スープは他の料理のブイヨンとして使う。というパターンなのだそうで、メモメモ!
そしてレモン。
わたしは最初、え?ポッカレモン?レイチェルのような、超~健康&環境を考えてる人が?……とブツブツ考えていたのですが、
いやいや、これは、今から20年も前に日本で買った優れもので、生レモンに直接ブチュッと差し込むと、レモン汁が出てくるという仕組みです。

いよいよ夜景に。カメラを持参し忘れて、携帯で撮ったのでボケボケ!じゃんねん!



お腹がいっぱいになった後は、レイチェル家の菜園見学。


このシステムは、アメリカのあちこちで実際に、かなり大きな規模で実験が行われているそうで、
まず、魚が暮らすタンクの水を水栽培のポットに汲み上げ、そのポットの土の中で生きる大勢のミミズさんたちによってきれいになった水を、また水槽に戻す。
単純だけども、すべてがつながっている、無駄がひとつもない、電気さえもその還元の中で作ることができる、とても優れた仕組みです。

ポットの中には、土の代わりに、軽石のような細かいツブツブが敷き詰められていました。
アクアポニックスに限りなく近い、画期的な方法だと思いました。

彼女の夢は、このシステムを、廃墟になったビルディングを使って実行し、そこに公民館のような施設を同居させ、
お年寄りから幼児まで、互いに助け合える、役立てるようなグループ作りをし、
何か緊急のことが起こったような時は、そこが大勢の人の避難場所にもなるという、スーパービルディングを実現させたいというもの。
そんなふうに、安心な野菜を食べる、ということから始まる、助け合いの共同体が、町のあちこちにできたら……すてきだなあ……。

彼女は、食べ残しの野菜を、グサグサと差し込んで、それがまた育つかどうかを実験中。
レタスはとっても良い感じ。



そしてバスルームに入ると……うん?


ピアスの保管、網戸活用!


楽し過ぎて、気がつくと12時近くに!
あかんあかん!馬車がカボチャに戻ってしまう!

レイチェル、とっても楽しく、美味しく、ためになる時間をありがとう!
またやろうね~♪♪
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