先週の土曜日。
サッカーのワールドカップで、日本の試合があった夜。
ロンドンから、松尾久美ちゃんが来てくれるというので、空港まで迎えに行った夜。
数日前から食がみるみる細っていた家猫ショーティに、少しでも食べてもらいたいと思った旦那が、
晩ご飯に使おうとしていたあさりの水煮の缶詰から、ちっちゃな身を一切れ、彼女にあげた。
珍しく、彼女はそれをパクパクと食べた。
それからしばらくして、突如、ショーティが吐き始めた。
1度、とても酷い下痢をした。
5回ほど吐いた。
もう迎えに行かなければならない時が来て、旦那とわたしが出かけた後も、吐き続けていた。
2度めの下痢は、次男くんが処理してくれた。
わたしたちが戻ってからも、もうドロリとした液体だけを吐き続けていた。
あさりに当たったのか……。
とにかく様子を見ることにした。
翌日、下痢と嘔吐は止まっていたけれど、一切何も口にしなくなった。
水を飲もうとしても、すぐに吐き気に襲われるのか、何も飲まずにへたりこんだ。
水分を消耗しているはずだし、それは多分、糖尿にとても悪い影響を与えるだろうから、とにかく水を与えようとあれこれ試したけれどもダメだった。
月曜日。
彼女の一挙一動が気になって、まともに眠れないままの夜が続いた。
朝、それでも眠ってしまって起きた瞬間、まだ生きてくれてるだろうかと、ビクビクしながら彼女のお腹の辺りを見つめる。
月曜日の夕方。
食べない、飲まない、おしっこも出ない。
この最悪の状態が、少しだけ改善した。
ひと口ふた口と、自分から飲み始めた。
おしっこが一回だけ出た。
歩こうとするけれども、数歩よろよろと歩いてはペタンと横になる。
細かく砕いたドライフードに白湯を混ぜ、スプーンで口元に運ぶと、初めてひと口だけ食べてくれた。
大喜びしたのも束の間、ふた口めを運ぶと、ウゥ~ッと、久しぶりの怒りの声。
でも、そんな声も、三日ぶりに聞けて超~嬉しかった。
火曜日の朝、いつも行っている動物病院の、けれどもいつもとは違う獣医に診てもらう。
彼女はショーティを見るなり、開口一番、
「安楽死させますか」と言った。
旦那もわたしも、その残された時間がどれだけ短くても、できるだけ苦しまずに、そして暮らしてきた家で最期を迎えさせたいと思っていたので、
その言葉には面食らってしまった。
状態はかなり深刻。
血糖値も、食中毒の後からずっとインシュリン注射をしていないので、生きているのが不思議というほどにまで上がってしまっている。
かといって、食べもしないのに、インシュリンを投与すると、こんどはそのショックで死に至ることも多分に予想できる。
我々はもう彼女の思うままに、思うというか、体の変化のままに従いながら、少しでも楽に、苦しみが減るようにできるだけの工夫をしながら寄り添っていくしかない。
水曜日のコンサートはだから、旦那はわたしのために断念して、ショーティを看護してくれた。
抱っこをすると、彼女の体に、死が刻々と近づいてきていることがよくわかる。
今朝は、彼女を抱っこして、いつも遊んでいた所を回りながら、昔話をした。
彼女は、1年半だけ大津で暮らし、それからはずっとアメリカの東海岸。
激動の移民暮らしを共に生きてくれた。
鳴き声が変わっていて、初めて聞いた人を必ず、混乱させたり笑わせたりした。
文句ったれで、寂しがりで、マイペースで、安いカリカリが好きで、刺身や高級ネコ缶が嫌いで、病気知らずで、
視神経に障害があるから、よく怪我をして帰ってきたショーティ。
わたしがスカイプで誰かと話してると、必ずまだぁ~と文句を言いにきたショーティ。
お気に入りの丸いツールを、パソコンをしてる時は机の横に、テレビを観ている時は我々の椅子の間に置くよう命令したショーティ。
まだまだ時間はあると思い込んでいたけれど、それはもう叶いそうにない願い事になってしまった。
最近になって、わたしたちが飲んでいるコップの水を飲みたがっては叱られていたショーティ。
なので今は、どこで寝ていても飲めるよう、水をたっぷり入れたコップを、部屋のあちこちに置いている。
そのお水を、時々思い出したように舐めては眠る。
そのくり返しをしながら生きる彼女の姿には、我々に有無を言わせないような、断固とした意志がにじみ出ている。
どんなふうに工夫しても、元固形物であった食べ物を口元に持っていくと、渾身の力を振り絞って威嚇する。
我が家の大切な家族ショーティが、死のうとしている。
どうしても書けないまま、日が経ってしまったけれど、少しずつこの状況にも慣れてくると思う。
サッカーのワールドカップで、日本の試合があった夜。
ロンドンから、松尾久美ちゃんが来てくれるというので、空港まで迎えに行った夜。
数日前から食がみるみる細っていた家猫ショーティに、少しでも食べてもらいたいと思った旦那が、
晩ご飯に使おうとしていたあさりの水煮の缶詰から、ちっちゃな身を一切れ、彼女にあげた。
珍しく、彼女はそれをパクパクと食べた。
それからしばらくして、突如、ショーティが吐き始めた。
1度、とても酷い下痢をした。
5回ほど吐いた。
もう迎えに行かなければならない時が来て、旦那とわたしが出かけた後も、吐き続けていた。
2度めの下痢は、次男くんが処理してくれた。
わたしたちが戻ってからも、もうドロリとした液体だけを吐き続けていた。
あさりに当たったのか……。
とにかく様子を見ることにした。
翌日、下痢と嘔吐は止まっていたけれど、一切何も口にしなくなった。
水を飲もうとしても、すぐに吐き気に襲われるのか、何も飲まずにへたりこんだ。
水分を消耗しているはずだし、それは多分、糖尿にとても悪い影響を与えるだろうから、とにかく水を与えようとあれこれ試したけれどもダメだった。
月曜日。
彼女の一挙一動が気になって、まともに眠れないままの夜が続いた。
朝、それでも眠ってしまって起きた瞬間、まだ生きてくれてるだろうかと、ビクビクしながら彼女のお腹の辺りを見つめる。
月曜日の夕方。
食べない、飲まない、おしっこも出ない。
この最悪の状態が、少しだけ改善した。
ひと口ふた口と、自分から飲み始めた。
おしっこが一回だけ出た。
歩こうとするけれども、数歩よろよろと歩いてはペタンと横になる。
細かく砕いたドライフードに白湯を混ぜ、スプーンで口元に運ぶと、初めてひと口だけ食べてくれた。
大喜びしたのも束の間、ふた口めを運ぶと、ウゥ~ッと、久しぶりの怒りの声。
でも、そんな声も、三日ぶりに聞けて超~嬉しかった。
火曜日の朝、いつも行っている動物病院の、けれどもいつもとは違う獣医に診てもらう。
彼女はショーティを見るなり、開口一番、
「安楽死させますか」と言った。
旦那もわたしも、その残された時間がどれだけ短くても、できるだけ苦しまずに、そして暮らしてきた家で最期を迎えさせたいと思っていたので、
その言葉には面食らってしまった。
状態はかなり深刻。
血糖値も、食中毒の後からずっとインシュリン注射をしていないので、生きているのが不思議というほどにまで上がってしまっている。
かといって、食べもしないのに、インシュリンを投与すると、こんどはそのショックで死に至ることも多分に予想できる。
我々はもう彼女の思うままに、思うというか、体の変化のままに従いながら、少しでも楽に、苦しみが減るようにできるだけの工夫をしながら寄り添っていくしかない。
水曜日のコンサートはだから、旦那はわたしのために断念して、ショーティを看護してくれた。
抱っこをすると、彼女の体に、死が刻々と近づいてきていることがよくわかる。
今朝は、彼女を抱っこして、いつも遊んでいた所を回りながら、昔話をした。
彼女は、1年半だけ大津で暮らし、それからはずっとアメリカの東海岸。
激動の移民暮らしを共に生きてくれた。
鳴き声が変わっていて、初めて聞いた人を必ず、混乱させたり笑わせたりした。
文句ったれで、寂しがりで、マイペースで、安いカリカリが好きで、刺身や高級ネコ缶が嫌いで、病気知らずで、
視神経に障害があるから、よく怪我をして帰ってきたショーティ。
わたしがスカイプで誰かと話してると、必ずまだぁ~と文句を言いにきたショーティ。
お気に入りの丸いツールを、パソコンをしてる時は机の横に、テレビを観ている時は我々の椅子の間に置くよう命令したショーティ。
まだまだ時間はあると思い込んでいたけれど、それはもう叶いそうにない願い事になってしまった。
最近になって、わたしたちが飲んでいるコップの水を飲みたがっては叱られていたショーティ。
なので今は、どこで寝ていても飲めるよう、水をたっぷり入れたコップを、部屋のあちこちに置いている。
そのお水を、時々思い出したように舐めては眠る。
そのくり返しをしながら生きる彼女の姿には、我々に有無を言わせないような、断固とした意志がにじみ出ている。
どんなふうに工夫しても、元固形物であった食べ物を口元に持っていくと、渾身の力を振り絞って威嚇する。
我が家の大切な家族ショーティが、死のうとしている。
どうしても書けないまま、日が経ってしまったけれど、少しずつこの状況にも慣れてくると思う。