国会事故調の報告書は、大人が読んでも難しい内容のものです。
それを、高校生たちが、自分たちで読み解く、という勉強会を開き、自分たちで解説のビデオまでつくってくれました。
それを今朝、観させてもらい、とても感心しましたし、非常に分かりやすかったので、ぜひみなさんにも!と思い、文字起こししました。
文字の強調はわたしの考えで行いました。
わかりやすいプロジェクト
国会事故調編
国会事故調ってなに?
技術大国の日本で、深刻な原発事故が起こってしまったことに、世界中の人々がショックを受けた。
福島の原発事故は、世界の歴史に残る、大変な事故だった。
大きな犠牲を払った事故だったからこそ、しっかりした調査をして、これからに生かさないと。
でも、これがとても難しい。
東京電力も政府も、それぞれ事故の報告書を出した。
でも、東京電力も政府も、原発の運営、事故の対応、という形で、原発事故の当事者だった。
これでは、国民の信頼を得られないよね。
そこで、国民の代表であり、法律を作る力を持っている国会が、憲法に則って、調査する強い権限を持ち、独立した調査委員会を設置した。
海外では、重大な問題があれば、こういうことはよくするんだ。
でも、日本では、歴史上初めてだった。
10人の委員、サポートをしたスタッフは、政府や東京電力とは関係の無い人たちだった。
原子力についても、いろいろな意見の人が入っていた。
独立性という意味で東電や政府より、調査権限という意味で民間より、国会事故調はより理想的な形だったんだね。
委員長を務めた黒川さんは、三つの柱を掲げた。
・国民の視点を大切にすること。
・世界に向けて発信すること。
そして、
・未来を向いたものであること。
述べ1167人、900時間に渡るヒヤリングをし、2000件を超えて資料請求をした。
そして完成したのが『国会事故調 報告書』。
わかりやすいプロジェクト『国会事故調』編では、592ページにも及ぶこの報告書から、大切な所をまとめて、その概要を説明するよ。
事故は防げなかったの?
東京電力は最初、「事故は想定外の津波によるもの」って言ったんだ。
つまり、津波のせいで事故になった。
こんなリスクがあるなんて知らなかった。
ということだね。
言い換えると、この事故は、天災だったって。
でも、これって、本当だろうか。
津波のせいだけで事故になったかは、よくわからない。
地震の揺れで、原発が傷ついた可能性も、否定できない。
800億円の耐震補強工事が必要とされていたが、1号機、2号機、3号機では、全く実施されていなかったんだ。
さらに今回の地震は、工事が必要と考えられていた基準よりも、激しかったんだ。
原発が危険だって、知らなかったんだろうか。
原発を造った1974年は、福島の辺りは、地震や津波の危険が少ない、と思われていた。
でも、新しい調査(2000年)で、福島も安全ではない、とわかっていた。
じゃあ、東電も、見張り役の規制当局も、どうして充分な安全対策をしてこなかったんだろうか。
原発は安全、事故は起こらないっていう思い込みを、東電も規制当局もしてきた。
止める、冷やす、閉じ込める、という三つの安全システムで、どんな時も大丈夫だって信じてきた。
それで、本当の安全を確保することよりも、今ある原子炉を止めないことを、優先するようになってしまった。
万が一に備えて、漏れる放射能を食い止める、周辺住民の安全を確保する、の視点も足して、
五つの防護で考えるのが世界の常識だったのに……。
震災が起こるまでに、対策のチャンスはあった。
でも、2009年までに地震対策をさせる予定を、2016年まで延期するのを認めてしまった。
2006年には、大きな津波で大変な事故になる可能性を知っていたのに、何もしなかった。
世界の他の国々や国際機関に比べても、日本は対策を後回しにしてきた。
東電は、事故を振り返ると、問題は、事前の備えができていなかったこと、と言い直している。
つまり、事故は、対策をしていれば防げた、人災だったんだ。
事故の時、原発の中で、なにが起こっていたの?
これを理解するために、発電所や原子力エネルギーの仕組みを見てみよう。
発電所っていうのは、大きな薬缶。
水を熱して、水蒸気でタービンを回して、電気を起こしているんだ。
これを原発では、火ではなく、原子力で熱しているんだね。
原子力は、もっのすごぉ~いエネルギーで、700個もの薬缶の水を、わずか1秒で、カラカラに蒸発させてしまうほどなんだ。
原子力エネルギーは、ウランを分裂させることによって、95%の運動エネルギーと、5%の放射性エネルギーを生んでいる。
運動エネルギーはタービンを回して、すぐに電気となるとなるから、緊急停止ですぐに止めることができる。
でも、放射性エネルギーは、化学反応を止めても発熱をやめない。
だから、これまたものすごい量の水で、常に冷やし続けておかなければいけないんだ。
原子炉の中でもし、冷やすことに失敗したら、放射性エネルギーが制御できない状態になる。
高温になった水蒸気と燃料の入れ物が、化学反応を起こして、水素が発生する。
そして、水素が発生しても、爆発しないようにするためにするのが、原子炉を開けて空気を逃がす『ベント』と呼ばれる換気の作業だ。
でも、この作業が万が一失敗すると、激しい水素爆発を起こしてしまうんだ。
放射能はずうっと出続け、1トンの使用済み燃料に含まれる放射性物質は、1000年後に琵琶湖の水で薄めても、飲めないほどなんだ。
このような事故が起きないように、止める、冷やす、閉じ込める、の機能があるから、原発は安全だって主張されてきた。
でも、ベントの機能を動かすための電源が失われてしまって、原子炉の事故になってしまった。
安全と信じるのではなく、事故は起きるかもしれないと考えて、徹底した危難訓練をしていれば、被害を小さくできたかもしれないのに……。
女川や東海第二などの原発では、電源が失われなかったけれども、
もし満潮であったり、悪天候であったりして、事故発生のタイミングが悪かったら、もっと深刻な事故になっていた可能性もある。
ものすごいエネルギーを生み出す原子炉は、その仕組みが壊れると、それだけ大きな被害を生み出してしまうんだね。
事故の後の対応をどうしたらよかったの?
本当に良い危機管理とは、それぞれが自分の役割に集中することで、被害を出来る限り小さくすることだよね。
理想としては、原発の専門家である東京電力が、事故を収めることに集中し、政府は、住民の安全確保するために全力を尽くすことだった。
でも、このような役割決めさえ、もとからされていなかった。
だから、総理たち、政府、東電の、事故対応への力の注ぎ方は、めちゃくちゃだった。
同時に、住民の方々の避難も、大混乱した。
3月11日、事故発生の夜、総理たちは、東電の本社や原子力に関する規制当局の政府スタッフと、緊急ミーティングをした。
だけど、東電の責任者である会長も社長も居なくて、満足な説明を得られなかった。
総理たちは 深夜にベントの指令を出したのに、東電本社から実施報告が無いことに苛立ちを覚え、原発訪問を決意した。
この時、安全のルールと設定し助言する組織、原子力安全委員会のトップから、爆発の心配は無い、という説明を受けていた。
それでも総理は、原発を訪問した時、東電の現地スタッフに、ベントを確実にやるように、と念を押した。
それから、原発では、必死の努力が続けられ、ベントに成功したものの、1号機で水素爆発が起こってしまった。
それで、東電本社も、政府スタッフも、総理の信頼を一気に失ってしまった。
13日に入って、現地では、3号機の水素爆発を避けるための、必死の努力が為されるが、14日に爆発。
同時に、水のつながりが壊れてしまったため、注水をしなければいけなくなった。
そしてついには、2号機の燃料も、剥き出しになってしまった。
夕方、この深刻な事態を受け、東京電力は、原子炉に対するコントロールを維持しながら、一時的に安全な場所に避難することを考え始めた。
東京電力は、あいまいな説明しかせず、総理たちはこれを、全員撤退だと受け取ってしまった。
総理は、15日朝、東京電力に直接赴き、撤退拒否の激しい演説をした。
このような対応は、現場の指揮命令系統の混乱も起こした。
また、表面的な訓練だけしか為されていなかったため、避難区域の設定や伝達も、住民の方々の健康と安全を守るものではなかった。
汚水の処理も、何度もくり返し指摘されたのに、後回しになってしまった。
昼夜かまわず取り組んだ関係者には、深い敬意を払わなければいけない。
しかし、事前から、もっと真摯に事故対策を考え、役割分担をできなかったのか、という悔いは止まない。
被害を小さくとどめられなかったの?
福島の原発事故で、最も大きな被害を受けたのが、地元の住民の方々だった。
避難の時の負担を、もっと小さくできなかったんだろうか。
国会事故調では、タウンミーティングで、400人を超える被災者の声を聞き、1万人を超える被災地の住民に、様々な調査を行った。
つまり、様々な立場の人から話を聞いて、問題を振り返ったんだね。
三つ、大切な問題点がわかった。
一つめは、
原発事故や放射能についての情報を、住民の方に伝えるのが遅れてしまった、ということ。
避難指示が出てから、事故発生そのものについて初めて知った方々や、避難期間を知らされず、数日で戻れると思って、大切な物を持たずに避難された方も多かった。
事故発生後、みんなが速やかに避難できれば良かったけれど、多くの村で避難に遅れが出てしまった。
二つめは、
避難区域が何度も変わったことが、大きな負担になってしまったこと。
このせいで、5回、6回も避難し直さなければならなかった方も多かった。
例えば、避難した病院の患者や、介護施設の高齢者、計60人の方々が、避難の途中や直後に亡くなってしまった。
屋内避難を指示された地域でも、食べ物や交通などの不便から、生活が立ち行かなくなってしまった。
30キロ圏内は、みなさん自身で判断して避難してくださいね、ということだったけれど、判断するための、健康や安全に関する情報には、デマや噂が混ざり、判断できるような状況ではなかった。
三つめは、
今までの避難計画や訓練が、全く役に立たなかった、ということ。
地震、津波、そして原発事故が、同時に起こると想定していなかったことや、例え事故があっても、これほどひどいものになるとは、考えていなかったことが原因だ。
そもそも以前から、危険かもしれないとわかっていたけれど、対策の負担が重過ぎるからと、保安院が、厳重な訓練をすることに反対してきたんだ。
SPEEDIという、放射能の広がりを予測するシステムは、分散されたたくさんの監視測定ポイントや、原子炉のデータが不可欠だった。
でも、政府や自治体は、その設備を怠り、必要なデータも取れなかった。
事故の進展が急だった今回のような事故では、役に立たなかった。
事故の発生後、避難の過程で、住民は大切なものを失い、心の元気まで失ってしまった人が、とても多かった。
もともと、最悪の場合に備えて計画を立てていれば、被害を小さく止められたかもしれない。
原発をめぐる社会の仕組みの課題ってなに?
原子力発電所は、経済や産業を活発にするエネルギーを作ってくれるけれど、事故が起きると、地元の地域を台無しにしてしまう。
難しいのは、事故を起こさないための安全対策は、時間もお金も手間もかかるということ。
だから、独立した人たちが、見張りをしていなければいけない。
そして、見張りをしている人が、本当に独立している、ということを社会が確認できれば、納得できるよね。
つまり、独立性と公開制が大切なんだね。
そのためには、規制委員会に、国際的な見知や最先端の知識を取り入れ、地域の方々の意見も反映し、そして、見張り役が、原発を運営する時のルールを設定しなければいけない。
その上で、事業者と実効性を話し合って、安全確保のために必要な対策を、とっていけばいいんだね。
そして、なるべく早い段階から、社会の目が届くようにできればいい。
でも、実態は全然違った。
どのようなルールを作るか、という段階から、安全対策なんてめんどくさい、と思っている事業者が、規制当局にも学者にも、働きかけを行っていた。
だから、国際的な知識にも目を向けず、住民の不安も、原発は安全、と抑え込まれ、今ある原子炉を止めない範囲のみでしか、規制がかけられなくなってしまった。
つまり、本当は独立しているべき規制当局が、事業者の虜になってしまったんだ。
法律も、事故が起こってしまった場合の、事業者と政府の、それぞれの役割を明記し、原発の推進よりも、国民の安全や健康を、第一にしなければいけないよね。
でも、法律も、そのようにはできていなかった。
事故を起こしてしまった福島原発はあるし、日本全国にある原発には、使い終わった核燃料がたくさんある。
日本の安全のためには、この使用済み核燃料を、きちんと冷やし続けないといけない。
日本は、原発と、それに伴うリスクから、逃げられないんだ。
原子力発電所がいいかどうか、意見が分かれるところだけど、どちらにせよ、そのリスクを直視すること。
民主主義の仕組みをちゃんと動かし、国民の声が、政策や政治に反映されるような仕組みを作っていかなければと、
国会事故調は、今回の反省を結論づけているんだ。
それを、高校生たちが、自分たちで読み解く、という勉強会を開き、自分たちで解説のビデオまでつくってくれました。
それを今朝、観させてもらい、とても感心しましたし、非常に分かりやすかったので、ぜひみなさんにも!と思い、文字起こししました。
文字の強調はわたしの考えで行いました。
わかりやすいプロジェクト
国会事故調編
国会事故調ってなに?
技術大国の日本で、深刻な原発事故が起こってしまったことに、世界中の人々がショックを受けた。
福島の原発事故は、世界の歴史に残る、大変な事故だった。
大きな犠牲を払った事故だったからこそ、しっかりした調査をして、これからに生かさないと。
でも、これがとても難しい。
東京電力も政府も、それぞれ事故の報告書を出した。
でも、東京電力も政府も、原発の運営、事故の対応、という形で、原発事故の当事者だった。
これでは、国民の信頼を得られないよね。
そこで、国民の代表であり、法律を作る力を持っている国会が、憲法に則って、調査する強い権限を持ち、独立した調査委員会を設置した。
海外では、重大な問題があれば、こういうことはよくするんだ。
でも、日本では、歴史上初めてだった。
10人の委員、サポートをしたスタッフは、政府や東京電力とは関係の無い人たちだった。
原子力についても、いろいろな意見の人が入っていた。
独立性という意味で東電や政府より、調査権限という意味で民間より、国会事故調はより理想的な形だったんだね。
委員長を務めた黒川さんは、三つの柱を掲げた。
・国民の視点を大切にすること。
・世界に向けて発信すること。
そして、
・未来を向いたものであること。
述べ1167人、900時間に渡るヒヤリングをし、2000件を超えて資料請求をした。
そして完成したのが『国会事故調 報告書』。
わかりやすいプロジェクト『国会事故調』編では、592ページにも及ぶこの報告書から、大切な所をまとめて、その概要を説明するよ。
事故は防げなかったの?
東京電力は最初、「事故は想定外の津波によるもの」って言ったんだ。
つまり、津波のせいで事故になった。
こんなリスクがあるなんて知らなかった。
ということだね。
言い換えると、この事故は、天災だったって。
でも、これって、本当だろうか。
津波のせいだけで事故になったかは、よくわからない。
地震の揺れで、原発が傷ついた可能性も、否定できない。
800億円の耐震補強工事が必要とされていたが、1号機、2号機、3号機では、全く実施されていなかったんだ。
さらに今回の地震は、工事が必要と考えられていた基準よりも、激しかったんだ。
原発が危険だって、知らなかったんだろうか。
原発を造った1974年は、福島の辺りは、地震や津波の危険が少ない、と思われていた。
でも、新しい調査(2000年)で、福島も安全ではない、とわかっていた。
じゃあ、東電も、見張り役の規制当局も、どうして充分な安全対策をしてこなかったんだろうか。
原発は安全、事故は起こらないっていう思い込みを、東電も規制当局もしてきた。
止める、冷やす、閉じ込める、という三つの安全システムで、どんな時も大丈夫だって信じてきた。
それで、本当の安全を確保することよりも、今ある原子炉を止めないことを、優先するようになってしまった。
万が一に備えて、漏れる放射能を食い止める、周辺住民の安全を確保する、の視点も足して、
五つの防護で考えるのが世界の常識だったのに……。
震災が起こるまでに、対策のチャンスはあった。
でも、2009年までに地震対策をさせる予定を、2016年まで延期するのを認めてしまった。
2006年には、大きな津波で大変な事故になる可能性を知っていたのに、何もしなかった。
世界の他の国々や国際機関に比べても、日本は対策を後回しにしてきた。
東電は、事故を振り返ると、問題は、事前の備えができていなかったこと、と言い直している。
つまり、事故は、対策をしていれば防げた、人災だったんだ。
事故の時、原発の中で、なにが起こっていたの?
これを理解するために、発電所や原子力エネルギーの仕組みを見てみよう。
発電所っていうのは、大きな薬缶。
水を熱して、水蒸気でタービンを回して、電気を起こしているんだ。
これを原発では、火ではなく、原子力で熱しているんだね。
原子力は、もっのすごぉ~いエネルギーで、700個もの薬缶の水を、わずか1秒で、カラカラに蒸発させてしまうほどなんだ。
原子力エネルギーは、ウランを分裂させることによって、95%の運動エネルギーと、5%の放射性エネルギーを生んでいる。
運動エネルギーはタービンを回して、すぐに電気となるとなるから、緊急停止ですぐに止めることができる。
でも、放射性エネルギーは、化学反応を止めても発熱をやめない。
だから、これまたものすごい量の水で、常に冷やし続けておかなければいけないんだ。
原子炉の中でもし、冷やすことに失敗したら、放射性エネルギーが制御できない状態になる。
高温になった水蒸気と燃料の入れ物が、化学反応を起こして、水素が発生する。
そして、水素が発生しても、爆発しないようにするためにするのが、原子炉を開けて空気を逃がす『ベント』と呼ばれる換気の作業だ。
でも、この作業が万が一失敗すると、激しい水素爆発を起こしてしまうんだ。
放射能はずうっと出続け、1トンの使用済み燃料に含まれる放射性物質は、1000年後に琵琶湖の水で薄めても、飲めないほどなんだ。
このような事故が起きないように、止める、冷やす、閉じ込める、の機能があるから、原発は安全だって主張されてきた。
でも、ベントの機能を動かすための電源が失われてしまって、原子炉の事故になってしまった。
安全と信じるのではなく、事故は起きるかもしれないと考えて、徹底した危難訓練をしていれば、被害を小さくできたかもしれないのに……。
女川や東海第二などの原発では、電源が失われなかったけれども、
もし満潮であったり、悪天候であったりして、事故発生のタイミングが悪かったら、もっと深刻な事故になっていた可能性もある。
ものすごいエネルギーを生み出す原子炉は、その仕組みが壊れると、それだけ大きな被害を生み出してしまうんだね。
事故の後の対応をどうしたらよかったの?
本当に良い危機管理とは、それぞれが自分の役割に集中することで、被害を出来る限り小さくすることだよね。
理想としては、原発の専門家である東京電力が、事故を収めることに集中し、政府は、住民の安全確保するために全力を尽くすことだった。
でも、このような役割決めさえ、もとからされていなかった。
だから、総理たち、政府、東電の、事故対応への力の注ぎ方は、めちゃくちゃだった。
同時に、住民の方々の避難も、大混乱した。
3月11日、事故発生の夜、総理たちは、東電の本社や原子力に関する規制当局の政府スタッフと、緊急ミーティングをした。
だけど、東電の責任者である会長も社長も居なくて、満足な説明を得られなかった。
総理たちは 深夜にベントの指令を出したのに、東電本社から実施報告が無いことに苛立ちを覚え、原発訪問を決意した。
この時、安全のルールと設定し助言する組織、原子力安全委員会のトップから、爆発の心配は無い、という説明を受けていた。
それでも総理は、原発を訪問した時、東電の現地スタッフに、ベントを確実にやるように、と念を押した。
それから、原発では、必死の努力が続けられ、ベントに成功したものの、1号機で水素爆発が起こってしまった。
それで、東電本社も、政府スタッフも、総理の信頼を一気に失ってしまった。
13日に入って、現地では、3号機の水素爆発を避けるための、必死の努力が為されるが、14日に爆発。
同時に、水のつながりが壊れてしまったため、注水をしなければいけなくなった。
そしてついには、2号機の燃料も、剥き出しになってしまった。
夕方、この深刻な事態を受け、東京電力は、原子炉に対するコントロールを維持しながら、一時的に安全な場所に避難することを考え始めた。
東京電力は、あいまいな説明しかせず、総理たちはこれを、全員撤退だと受け取ってしまった。
総理は、15日朝、東京電力に直接赴き、撤退拒否の激しい演説をした。
このような対応は、現場の指揮命令系統の混乱も起こした。
また、表面的な訓練だけしか為されていなかったため、避難区域の設定や伝達も、住民の方々の健康と安全を守るものではなかった。
汚水の処理も、何度もくり返し指摘されたのに、後回しになってしまった。
昼夜かまわず取り組んだ関係者には、深い敬意を払わなければいけない。
しかし、事前から、もっと真摯に事故対策を考え、役割分担をできなかったのか、という悔いは止まない。
被害を小さくとどめられなかったの?
福島の原発事故で、最も大きな被害を受けたのが、地元の住民の方々だった。
避難の時の負担を、もっと小さくできなかったんだろうか。
国会事故調では、タウンミーティングで、400人を超える被災者の声を聞き、1万人を超える被災地の住民に、様々な調査を行った。
つまり、様々な立場の人から話を聞いて、問題を振り返ったんだね。
三つ、大切な問題点がわかった。
一つめは、
原発事故や放射能についての情報を、住民の方に伝えるのが遅れてしまった、ということ。
避難指示が出てから、事故発生そのものについて初めて知った方々や、避難期間を知らされず、数日で戻れると思って、大切な物を持たずに避難された方も多かった。
事故発生後、みんなが速やかに避難できれば良かったけれど、多くの村で避難に遅れが出てしまった。
二つめは、
避難区域が何度も変わったことが、大きな負担になってしまったこと。
このせいで、5回、6回も避難し直さなければならなかった方も多かった。
例えば、避難した病院の患者や、介護施設の高齢者、計60人の方々が、避難の途中や直後に亡くなってしまった。
屋内避難を指示された地域でも、食べ物や交通などの不便から、生活が立ち行かなくなってしまった。
30キロ圏内は、みなさん自身で判断して避難してくださいね、ということだったけれど、判断するための、健康や安全に関する情報には、デマや噂が混ざり、判断できるような状況ではなかった。
三つめは、
今までの避難計画や訓練が、全く役に立たなかった、ということ。
地震、津波、そして原発事故が、同時に起こると想定していなかったことや、例え事故があっても、これほどひどいものになるとは、考えていなかったことが原因だ。
そもそも以前から、危険かもしれないとわかっていたけれど、対策の負担が重過ぎるからと、保安院が、厳重な訓練をすることに反対してきたんだ。
SPEEDIという、放射能の広がりを予測するシステムは、分散されたたくさんの監視測定ポイントや、原子炉のデータが不可欠だった。
でも、政府や自治体は、その設備を怠り、必要なデータも取れなかった。
事故の進展が急だった今回のような事故では、役に立たなかった。
事故の発生後、避難の過程で、住民は大切なものを失い、心の元気まで失ってしまった人が、とても多かった。
もともと、最悪の場合に備えて計画を立てていれば、被害を小さく止められたかもしれない。
原発をめぐる社会の仕組みの課題ってなに?
原子力発電所は、経済や産業を活発にするエネルギーを作ってくれるけれど、事故が起きると、地元の地域を台無しにしてしまう。
難しいのは、事故を起こさないための安全対策は、時間もお金も手間もかかるということ。
だから、独立した人たちが、見張りをしていなければいけない。
そして、見張りをしている人が、本当に独立している、ということを社会が確認できれば、納得できるよね。
つまり、独立性と公開制が大切なんだね。
そのためには、規制委員会に、国際的な見知や最先端の知識を取り入れ、地域の方々の意見も反映し、そして、見張り役が、原発を運営する時のルールを設定しなければいけない。
その上で、事業者と実効性を話し合って、安全確保のために必要な対策を、とっていけばいいんだね。
そして、なるべく早い段階から、社会の目が届くようにできればいい。
でも、実態は全然違った。
どのようなルールを作るか、という段階から、安全対策なんてめんどくさい、と思っている事業者が、規制当局にも学者にも、働きかけを行っていた。
だから、国際的な知識にも目を向けず、住民の不安も、原発は安全、と抑え込まれ、今ある原子炉を止めない範囲のみでしか、規制がかけられなくなってしまった。
つまり、本当は独立しているべき規制当局が、事業者の虜になってしまったんだ。
法律も、事故が起こってしまった場合の、事業者と政府の、それぞれの役割を明記し、原発の推進よりも、国民の安全や健康を、第一にしなければいけないよね。
でも、法律も、そのようにはできていなかった。
事故を起こしてしまった福島原発はあるし、日本全国にある原発には、使い終わった核燃料がたくさんある。
日本の安全のためには、この使用済み核燃料を、きちんと冷やし続けないといけない。
日本は、原発と、それに伴うリスクから、逃げられないんだ。
原子力発電所がいいかどうか、意見が分かれるところだけど、どちらにせよ、そのリスクを直視すること。
民主主義の仕組みをちゃんと動かし、国民の声が、政策や政治に反映されるような仕組みを作っていかなければと、
国会事故調は、今回の反省を結論づけているんだ。