ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

「多くの政治家が憲法から第九条を消し去ろうと躍起になっています。断じてそれを許してはなりません」

2015年05月08日 | 日本とわたし
冒頭の、体をブルブルと震わせている子どもを観て、字起こししようと決めました。
戦争で傷つき、ひとり残された子どもはみな、どの国の子も同じく、この子のように途方にくれた目をして、体を震わせているにちがいない。
もう本当に、こんな愚かなことをしでかすような国になってはいけない。

ネルソン氏の遺志を、心で受け、全身で感じてください。

九条を抱きしめて
元米軍海兵隊員が語る戦争と平和

【NNNドキュメント’15】


http://www.dailymotion.com/video/x2p1r37_9条を抱きしめて-元米海兵隊員が語る戦争と平和_news?utm_source=notification&utm_medium=direct&utm_campaign=subscriptiondigestusers


ナレーション:藤田千代美



アレン・ネルソン氏:
教官が私たちに聞きます。
「お前たちの仕事はなんだ!?」
私たちは答えます。
「殺しだ!」

「そんな声で聞こえるか!」
さらに声を張り上げ、
「殺しだ!」と答えます。

アメリカや日本など、多くの政府は、兵士が平和を守っていると主張します。
しかし訓練では、平和のことなど一切教わりません。
日々、殺し方を仕込まれるだけです。



2000年7月20日
嘉手納基地を囲む人間の鎖


ナレーション:
周囲17.4キロメートル。
極東最大の基地を手と手で包囲する。
国を超え、世代を超え、平和への思いがひとつにつながります。

アレン・ネルソン氏:
人を殺すということは、自分自信の精神や魂の、最も大切な部分をなくすことです。
私にはもう、この大切な部分はありません。
人を殺さなければどんなに良かったでしょう。



石川県加賀市にあるお寺、光闡坊。


この下に、ひとりの元アメリカ海兵隊員が眠っています。



ナレーション:
アレン・ネルソンさん、1947年、アメリカニューヨークのブルックリンで生まれました。
ベトナム戦争の最前線で戦った、元海兵隊員です。


過酷な戦場を生き延びたネルソンさんは、真の戦争とは、平和とは何かを、語り続けました。

ネルソン氏:
みなさんは高校生です。
もう子どもとは言えないわけです。
まもなく大人になっていく年代にあるわけです。
教育の中で、本当の戦争とは何かを知ってもらうのは、大事なことです。
本当の戦争とは、あなた方が観ている戦争映画と違うものだからです。

ナレーション:
ネルソンさんは、1996年から日本での講演活動を始めます。
北は北海道から南は沖縄まで、その数は13年間で述べ1200回を超え、多い時は一年の半分以上を日本で過ごすこともありました。
中でも最も力を入れたのが、学校での講演です。

ネルソン氏:
平和な世界を築くのは、私たち一人一人の力です。
次の世代を生きる子どもたちのために、暴力や力に頼らない道が必ずあることを伝えたい。

ナレーション:
ネルソンさんのベトナム戦争での体験や、帰還後の苦しみは、日本の漫画にも描かれています。


『私、アレン・ネルソンは、1947年、ニューヨークのブルックリンで生まれた。
母はいわゆる未婚の母で、実の父が誰なのか、私は知らない。
母と3人の姉妹とともに、薄汚れたアパートを転々とし、その日食べる食事にも困る、そんなみじめな生活だった。
子どもの頃は、喧嘩に明け暮れる毎日。
この街では強くなければ生きていけなかった。
高校も中退し、仕事を転々とする日々。
貧しい黒人の私は、将来に何の夢も希望も持つことができなかった。


そんな私の運命を変えたのは、18才になっていたある日のことだった。

「なあ君、ちょっとそこの事務所で、ドーナッツでも食べながらしゃべっていかないか?」
「ドーナッツ?」

「ここは…」
「ようこそ海兵隊へ」
「海兵隊?!」

彼は、海兵隊採用事務所の職員で、私に「海兵隊にならないか」と勧めてきたのだ。

「見たところ体も丈夫そうだし強そうだな。君なら勇敢な海兵隊員になれるぞ」
「見たまえ、海兵隊員になれば、こんな立派な制服を着ることもできるし、おいしい食事もたらふく味わえて、しかも金と名誉も手に入る」


「もちろん、黒人の君でも、周りの人から尊敬される立派なアメリカ人になれるぞ」

当時のアメリカでは、黒人差別が根強く残っていた。
南北戦争後、奴隷制度は廃止されたものの、その後も学校やレストラン、ホテルなどの施設やバスの座席も、白人と黒人で明確に分けられていた。

「俺も求めていたものはこれだ!ましな服とましな食事、母さんにも楽をさせてやれる!
そして、黒人というだけで得られなかった自信が持てるんだ!」』


ナレーション:
ネルソンさんは、1965年、18才で海兵隊に入隊します。



おまえらは男になるんだ!
ここサウスキャロライナのパリス島に来て、最強の精鋭部隊、アメリカ海兵隊の一員として、第一歩を踏み出す!


命令されたら何も考えるな!
何の疑問も抱かず、ただちに実行しろ!
わかったか!


ナレーション:
深夜0時過ぎ、海兵隊に志願した若者が、バスで到着します。


アメリカ南部、サウスキャロライナのパリス島にある、海兵隊新兵の訓練施設です。
この瞬間から、彼らを取り巻く環境は一変します。


私語さえ許されない厳しい規律のもとでの生活の始まりです。

夜明けと共に始まる訓練。
13週間の間、一人前の海兵隊員になるための、過酷なトレーニングが繰り返されます。





ネルソン氏:
教官が私たちに聞きます。
「お前たちの仕事はなんだ!?」
私たちは答えます。
「殺しだ!」

「そんな声で聞こえるか!」
さらに声を張り上げ、
「殺しだ!」と答えます。
「まだ聞こえない!」
だから皆、ありったけの声で「殺しだ!」と叫ぶのです。
そしてライオンのように唸るのです。

口をきくな!
お前たちはしゃべったり考える必要はない。





これから質問するわけですけれども、向こうの的はまあ、真ん中を狙えと、これはすぐ想像がつくわけですけれども、
こっちの的(人型の図)は、どこを狙えと教わったと思いますか?

そこで皆さんにお聞きします。
人間を撃つ時は、まず頭を狙えと、こう教わるだろうと思われる方は手を上げてください。
ちょっと数えてみます。
15人。

足ー1人。

心臓ー11人。

では、これからいよいよ、本当の戦争とは何かという本題に入っていくわけです。

本当の戦争では、相手を狙い撃って、撃ち損じることは許されません。
もし撃ち損じたら、逆にこちらがやられることを意味するからです。

頭と答えられた方、もう一度手を上げていただけますか?
残念ながら、皆さんは殺られてしまいます。
軍隊では、頭を狙えとは絶対に教えないわけです。
頭は体全体でいうと、一番小さいところ、ということになるわけで、撃ち損じになるんですね。

心臓と答えられた方、お願いします。
映画の見過ぎです。

軍隊では、男性のあそこ、急所を狙えと教えるわけです。
そうすると、あの辺り(心臓と急所の間、腹の真ん中)に当たるわけです。


戦争に参加する兵隊たちが一番恐れるのは、この種の負傷なんです。
即死できないわけです。
泣き喚きながら、なかなか死ねないわけであります。



ナレーション:
沖縄での訓練を経て、ネルソンさんは1966年、ベトナム戦争の最前線に派遣されます。
当時のベトナムは、南ベトナムを支援するアメリカ軍と北ベトナムが、ジャングルで激しいゲリラ戦を繰り広げていました。


「状況はどうなっている?」
「敵はどのくらいだ?」

(あれは、別の部隊の味方…)

大きな爆撃音。

その時、私は反射的に、兵士が倒れた場所に向かって走り出していた。
誰かが倒れたらすぐ駆け寄って助けるという訓練を、繰り返し受けていたからだ。

「おい、大丈夫か?」

顔が潰れた屍体を見て叫ぶネルソン氏。
「うるさいだろ馬鹿野郎!死にたいのか!」

「殺された…仲間のアメリカ兵が殺された…くそぉ、ベトコンどもめ、殺してやる。
自分がこんな目に遭う前に殺してやる!みんな殺してやる!殺される前に皆殺しにしてやる!」

生き残りたけりゃ、もう何があっても考えたり感じたりするな。
敵のベトナム人に愛着を持つな。
奴らはグークスなのだから。

グークス…。

グークスとは、東洋人を差別する時に使う呼び名だ。
我々はベトナム人をそう呼び、人間として見ていなかった。
彼らは魂も持たず、名前も無い野蛮人なのだと。

それからの私は変わった。
強くあろうと、危険な任務にも進んで志願した。
そして、二度めに遭遇した戦闘で、私は初めて人を殺すことになる。

「いいか、あの村にベトコンが潜んでいる。少しの動きも見逃すな」

いた!
バーン!
やった!なんてあっけないんだ。こんな簡単に…。
でも俺はやった。俺は敵を殺したんだ!

そこには、黒い野良着を着た40代ぐらいの男が、赤茶色の水たまりとなった血の中に倒れていた。
30年以上経った今も、その男の苦しげに歪んだ口から覗いた茶色の歯を覚えている。


激しく嘔吐するネルソンさん。
「はははは、お前も吐いたか」
「すみません」
「気にするな、初めて人を殺した時は、誰もがそうなる。すぐに慣れるから心配するな」
「はあ…」

しかし、それは間違いだった。
わたしはその後も、優秀な兵士であることを証明し、自分が役に立つ存在であるためにベトコンを殺し続けたが、
そのたびに、あの名付けることのできない奇妙な感情にとらわれ、めまいのようなものを感じるのだった。

「いいか貴様ら、これから行く村は、ベトコンしかいない村だ。だから村ごとぶっ潰せ」
「 俺たちは海兵隊だ!俺たちは勇士だ!」
「俺たちは不死身だ!俺たちは歴史に残るんだ!ベトコン野郎を皆殺しにしろ!」

我々にとって戦争は、スポーツハンティングのようなものだった。
ひとたび戦闘が始まれば、兵士たちは感情のコントロールを失う。
村で激しい戦闘が始まれば、どれがベトコンで、どれが女性や子どもかなどと見分けている余裕はなく、動くもの、抵抗するものすべて撃ち殺した。

しかし、相手はグークスなのだ。
女や子どもだろうが、老人だろうが、みんな魂を持たないグークスなのだ。
放っておけば、私たちを殺しに襲ってくる、野蛮な小動物の群れなのだ。
だから、何度でも殺せた。

「殺せー!」
「皆殺しだー!」

こうして毎日のように、残虐非道な行為が、何のためらいもなく繰り返される。


それが戦場、それが戦争だった。


ネルソン氏:
13ヶ月間、ベトナムのジャングルで過ごしました。
私は多くのベトナム兵を殺害し、多くの人が死ぬのを見ました。
ジャングルで最初に学んだことは、本当の戦争は映画とは全く別のものだということです。
格好の良い英雄(主人公)など、存在のしようがありません。


ナレーション:
アメリカではどこの町にも、兵士を採用するセンターがあります。
貧しい若者たちにとって、兵士になることは、貧困から抜け出す方法のひとつです。
まるで求人広告のようにポスターが貼ってあります。


ネルソン氏:
見てください。
大学の奨学金として6万5千ドル。
登録した人には、1万2千ドルのボーナスがもらえる、と書いてあります。


この目を見てごらんよ。
これが平和を守る兵士だってさ。




ここベトナムの戦場では、危険な最前線に、黒人の兵士が多く送り込まれていた。
アメリカ国内だけでなく、ここ戦場でも、人種差別は当然のごとく行われていたのだ。

ベトナム人:
私たちは自由のために戦っています。
あなたたち黒人も、自分の国では自由すら無いではありませんか。
なぜあなたたちはわたしの国に来て、わたしたちを殺しているのですか?


俺はなぜ…。


この日以来、私は、戦争とは何なのかを考えるようになった。
そしてそれから間もなくして、ついに私は戦争への考えを変える、決定的な体験をする。
それは、部隊がある村の近くで、敵の奇襲攻撃に遭った時のことだった。

「ちくしょー、待ち伏せ攻撃だ!各自身を隠せる場所を探せー!」

私はとっさに農家の裏庭にある防空壕に飛び込んだ。
「だ、誰だ!」
そこにいたのは少女だった。
苦しみに呻いている。
まだ16、7才の少女が、重症でも負っているのか、とても苦しそうにしている。
股の間から血が滴り落ちている。
そして彼女は私の目の前で赤ん坊を産み落とし、抱き上げたネルソン氏から取り返すと、自分の服で赤ん坊の体を拭き、へその緒を歯で噛み切った。

5分、それとも10分はそこに居ただろうか。
私はその光景を、ただ呆然と見つめていた。
私が壕を出ると、戦闘はすでに終わっていた。

燃えさかる村の家々を前に立つネルソン氏。
「俺は幻でも見ていたのか。
いや、幻でも夢でもない。俺は確かにこの手で、柔らかい赤ん坊を抱いた。
母さん、俺もあんなふうにして生まれてきたんだな。母さんもあの壕の中の女性のように、苦しんで俺に命を与えてくれたんだ。
変わらない、何も変わらない。ベトナム人もアメリカ人も、同じ人間なんだ。
魂を持たないグークスなんかじゃない。
彼らにだって名前があり、家族があり、かけがえのない人生がある。
そんな人たちを、俺はたくさん殺したんだ。
俺は、俺はいったい、どうしたらいいんだ」

それは、人間であることを忘れていた私が、もう一度人間であることを思い出した瞬間だった。


ネルソン氏:
ベトナムで学んだことは、戦争と暴力は、決して平和も幸福ももたらさない、ということです。
18才で戦争に行くため家を出た時とは、私はまるで別人になっていました。
ベトナムでの暴力と殺人が、私を永遠に変えてしまったのです。

「ネルソン、死ね!」
「うわあー、ベトコンめ、殺れるもんなら殺ってみろ!」
け、また寝ぼけちまったか…。
ここはもうベトナムじゃあないんだよな。

ベトナムから戻った私は23才で、ホームレスになっていた。
原因は、ベトナム帰還後、毎晩見るようになった悪夢だった。
金色の炎に包まれて燃え上がるベトナムの村、断末魔の叫び、割れた頭から飛び出す脳みそ、ちぎれた腕、子どもたちの恐怖に満ちた顔、顔、顔、


そして、死んでも死んでも生き返って私を追うベトコン兵。

私は悲鳴を上げ、脂汗を浮かべて、ケダモノのように狭い家を歩き回る。
神経が異常に過敏になってイライラしやすく、家族を怒鳴りつけることも何度もあった。
別人のようになってしまった私に、母や姉たちは怯え、「もう一緒に住むのは耐えられない」と言った。
だから私は家を出た。

ホームレスとしてみじめな毎日を過ごしていたそんなある日、私は昔馴染みに声をかけられた。
彼女の名前はダイアン・ウィルソン。
彼女は、私が中退した高校のクラスメイトだった。
小学校の教師をやっている彼女は、ベトナムに行っていたネルソンに、「私の生徒たちに、ベトナムでの体験を話してもらえないか?」と尋ねた。

同級生からの講演の依頼…。
今思えば彼女は、あきらかにお金に困っている私の様子を見て、直接お金を恵む代わりに、講演という仕事を頼んでくれたのかもしれない。

「1965年、私は海兵隊に入り、翌年にベトナムに行きました。
ベトナムはとても蒸し暑い所で、広いジャングルの中には、見たこともないような虫がたくさんいます。
そのジャングルの中で、アメリカの兵隊とベトナムの兵隊が戦い、たくさんの人が怪我をして、たくさんの人が死にました」

私は評論家のように、きれいごとばかりを語り続けた。
自分が戦場で何をしてきたかなど、話す気にもなれなかった。

「ということで、ベトナムの話はこれでおしまいです」
と締めくくるネルソン氏に、子どもたちからの質問が投げかけられた。

「ベトナムの子どもたちは、学校に行っていますか?」
「ベトナムの家はどんな家なの?」
そして…、
「ミスター・ネルソン、あなたは人を殺しましたか?」


ナレーション:
ベトナムでの体験を子どもたちに話してほしい。
小学校での講演を終えたネルソンさんに、ひとりの少女が問いかけます。

「ミスター・ネルソン、あなたは人を殺しましたか?」


俺は、俺は人を殺した。
それも数え切れないほどのたくさんの人を。
子どもたちに嘘はつけない。
正直に本当のことを。
いや、だめだ、もしここで殺したと言ったら、子どもたちにとって、俺はもはやミスター・ネルソンではなくなる。
ただの残虐な殺人者となり、子どもたちは俺を恐れ、軽蔑するにちがいない。
しかし、本当にそれでいいのか。
俺は学校で、本当の戦争のことを誰からも教わらなかった。
戦争で活躍した英雄の話は聞かされても、戦争の悲惨な現実は教えてもらわなかった。
だから俺もヒーローになれると信じて、ベトナムへ行った。
だからこそ、子どもたちには真実を知らせるべきじゃないのか?

どのくらい沈黙が続いただろう。
あっという間だったような気もするし、5分6分も続いたような気もする。
しかし、気がつくと、私はつぶやくように答えていた。

「殺した」

俺はここに来るべきではなかった。
みんな俺を恐れ、憎しみに満ちた目で見ているだろう。

うなだれて立つネルソン氏の手を、小さな手が握りしめた。
「かわいそうなミスター・ネルソン…」
教室の子どもたちがネルソン氏に寄り集まり泣き出した。

こんな俺のために、子どもたちは泣いてくれた…こんな俺のために!



ナレーション:
ベトナム戦争で亡くなったアメリカ兵は5万8千人。
ネルソンさんのように帰還できた兵士の多くも、PTSD、心的外傷後ストレス障害という後遺症に苦しめられました。

「あなたの友人の名前も刻まれていますか?」



ネルソンさんが治療の末、立ち直るまで実に18年の歳月を要しました。
回復のきっかけは、戦場での殺人という、自らの罪を認めることでした。

ネルソン氏:
アメリカ人は、ベトナム戦争が大きな過ちだったと思っています。
しかし、悲しいことに、戦争そのものが間違いとは思っていません。
私はここを訪れる人が、戦争自体間違いであることに気づいてほしい。
戦争は決して平和をもたらさない。
すべての戦争が悪いことなのです。
ベトナム戦争だけのことではありません。


1995年沖縄 
少女暴行事件に抗議する県民大会


ナレーション:
ネルソンさんが日本での講演活動をスタートさせるきっかけは、1995年、沖縄で起きた海兵隊員による少女暴行事件でした。
当時、このニュースを聞いた彼は、沖縄にまだ広大な米軍基地があることさえ知りませんでした。

沖縄県宜野湾市の普天間基地。
住宅が密集する市街地の真ん中にあり、世界一危険な基地と呼ばれています。


上空を飛び交う輸送機や戦闘機の爆音。


過去に、ヘリコプターの墜落事故も起きています。
2012年には、オスプレイと呼ばれる新たな軍用機が配備。
基地の機能はさらに強化されています。


ベトナム戦争が続く1972年、沖縄は日本に返還されましたが、今なお広大な基地が置かれ続け、沖縄本島の18%を占めています。
湾岸戦争やアフガニスタン、イラク戦争でも、沖縄の基地は米軍の重要拠点として活用されました。
さらに、普天間基地を返還する代わりに、同じ沖縄県の北部、名護市の辺野古沖合に、新たな海上ヘリ基地を建設する計画も進んでいます。




沖縄は、常に基地と隣り合わせの生活を強いられてきました。


ダグラス・ラミス(元津田塾大学教授・政治学者)さん、彼も元海兵隊員です。


津田塾大学で教鞭をとった後、沖縄に移り、政治学者・平和運動家として活動しています。
ネルソンさんとは、沖縄での講演活動を通して知り合いました。


佐喜眞美術館にて(2006年10月)

ネルソン氏:
1996年に、友人に案内されて再び沖縄に来たんですが、非常にショックを受けました。
基地は今も存在し、機能しているのです。
私には衝撃でした。

ラミス氏:
米軍基地はアメリカという帝国の単なる手段ではなく、基地そのものがアメリカ帝国なのです。
米軍基地は植民地です。
アメリカの占領する縄張りなのです。


ナレーション:
ネルソンさんが、日本での活動に力を入れた最大の理由は、憲法九条との出会いでした。


日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。


ネルソン氏:
1996年に来日した時、ある人が、日本国憲法の英文冊子をくれました。
ホテルで九条を読んだ時、立ち上がるほどのショックを受けました。
信じられませんでした。
キング牧師の有名な演説「私には夢がある」のような、力強い衝撃を与えられました。


アレンさんに憲法九条を紹介した、大畑豊氏:
アレンさんにまだ、九条のことを言ってなかったなと思って、あの時は、ホテルで寝る前に、
これ、日本の憲法だけど読んでみて、っていうふうに渡して、
そしたらもう、翌朝、起きてすぐに、「大畑さん、これはすごい」って。
「神から与えられたものじゃないかって思うぐらいびっくりした」っていうようなことを言っていて、
ただ僕は知ってもらえばいい、ぐらいに思ってたんですけども、評価がとても高かったのには驚きました。
特に憲法九条っていうのは、どんな武器よりも強いものなんだっていうことをアレンさんに言われて、改めてああそうだったのか、というふうに感じたぐらいでしたね。



佐喜眞美術館にて(2006年10月)

ネルソン氏:
平和憲法は、日本人が考え出したものではないとか、アメリカ人に与えられたものだと言う人がいます。
しかし、誰にもらったかは問題ではありません。
平和憲法は、私たちが進むべき未来を示しています。
たとえ宇宙人がくれたものだとしても、これは全人類にとって大切なものです。
問題は今、当初の平和の理念が置き去りにされようとしていることなのです。


ラミス氏:
私たちは平和憲法のもと、平和な日本で暮らしています。
日本は、世界一の平和国家と言われています。
でも同時に、沖縄には米軍基地がある。
これは幻想ですね。

ネルソン氏:
確かにそこは大きな問題です。
日本人は、間接的に、戦争に関与してきました。
しかし、九条のおかげで、直接的に戦争には関わっていません。
言い換えると、第二次世界大戦後、日本は新たな戦没者慰霊碑を建ててはいない。
そこが私には、素晴らしいと思えるのです。



ナレーション:
京都にある同志社中学も、ネルソンさんと深いつながりがあります。
平和、人権教育の一環として、1999年から毎年講演を行いました。


元同志社中学教諭・山口良子さん:
同志社中学校へ来られた時には、必ずこの中(礼拝堂)で、中学三年生を対象に講演していました。

同志社中学校礼拝堂での講演 2007年11月


ネルソン氏:
村の真ん中に死体の山をつくるんですけれども、三つ死体の山をつくります。
死んだ男の人たちの山、死んだ女の人たちの山、全部殺されてですね、殺された子どもたちの山、この三つの山を⚪︎⚪︎の中央につくります。

山口氏:
実際に戦場に行った、しかも日本の人じゃなくて、アメリカ人が戦場に行って、そういう経験を話されるっていうのは、全く初めてのことだったし、
それからアレン自身が高校をドロップアウトして、自分の居場所がないっていう、そういう辛い思いから軍隊に入っていくっていう、そういうこともあったりしたので、
ほとんどの生徒がもちろん感動しましたし、アレンさんの講演が終わった後、駆け寄っていって飛びついて、ハグしてもらうっていう、
そういうことが必ず毎年あったので、子どもたちの心に届くお話だし、アレンさんの存在だったんじゃないかなと思います。
やはり、与えられた命、生かされている命を、毎日大切にして、精一杯生きていってほしいっていうことを、生徒たちに感じ取ってほしい、伝えたいと思ってはったと思います。


ラミス氏:
今の状況に危機感を感じながら、でもまだ希望があると、彼は思ってた。
ただ、だんだんと憲法九条の支持が減ってきて、彼にとって(それは)非常に悲しいことでした。
非常に悲しんでた。
自分の愛している日本はもう、消えていきそうだと、いう感じでしたね。


ナレーション:
ネルソンさんは2009年、枯葉剤が原因とみられる血液のガンで亡くなります。
61才でした。


戦争に苦しめられた彼は、最後も戦争が原因で命を落とします。

石川県にある光闡坊。
何度も講演で訪れたこのお寺に、ネルソンさんは眠っています。


今年3月には、七回忌法要が営まれ、彼の活動を支援した人々が参列しました。


住職の佐野明弘さん。


ネルソンさんが、日本での心の師と慕っていました。


佐野住職:
彼は、たくさんの人を殺したこと、自分も死ぬほど苦しんだこと、そういう彼にして初めて、本当のこの九条の重みというものを知ってるんではないかなと。
むしろ私たちは、それを知らないんだ、日本の私たちは、私も含めて。
それぐらい深い、彼の願いが、この九条というものを、非常に希望をもったという、
九条によって平和になるという希望、というよりも、九条そのものが存在することに希望を持てたんですね。


ナレーション:
本尊の裏手、ネルソンさんが独りになりたい時、好んで座っていたところです。


佐野住職:
この下になります。
ちょうど、ご本尊の足の下です。


一番心が安らいだ場所の地下に、遺骨が埋葬されています。



佐野住職:
九条というものも、そういう正義から生まれてきたというよりも、たくさんの悲しみを通して生まれてきたもので、
そこにもう二度と、こんなことは繰り返したくない、こんなことはもう二度と嫌だということで、
そこに願い、それが誓いとなって、九条というものはそういう内容を持っていると思うんですね。
平和への道は無いんだと、平和こそが道なんだと、常々おっしゃっていた。
やはり真理を突いていますね。



ナレーション:
ネルソンさんが亡くなった後も、彼の遺志を継ぐ活動は続いています。

沖縄キリスト教学院大学


アレン・ネルソン基金沖縄の会・代表宣野座映子さん:
アレン・ネルソン奨学金という名前を、アレンがごめんなさいと言ってくれたが故に、ベトナムの人たちは、ほんとに心から受け入れてくれて…、


ネルソンさんの闘病生活を支えるために、全国から集まった募金。
今は、彼が戦ったベトナムで、貧しい子どもたちへの奨学金として活用されています。




身を以て、暴力と戦争の恐ろしさを訴え、憲法九条の大切さを呼びかけたネルソンさん。
彼は、命が尽きるまで、心を込めて私たちに語り続けました。

ネルソン氏:
1996年に来日した時、ある人が日本国憲法の冊子をくれました。
第九条を読んだ時、自分の目を疑いました。
あまりに力強く、あまりに素晴らしかったからです。
日本国憲法第九条は、いかなる核兵器よりも強力であり、



いかなる国のいかなる軍隊よりも強力なのです。

日本各地で多くの学校を訪れますが、子どもたちの顔に、とても素晴らしく美しくかけがえのないものが私には見えます。
子どもたちの表情から、戦争を知らないことがわかるのです。



それこそが第九条の持つ力です。

日本のみなさんは、憲法に九条があることの幸せに、気づくべきだと思います。



ほとんどの国の子どもたちが、戦争を知っています。
アメリカの私の子どもたちは、戦争を知っています。
イギリス、イタリア、フランス、オーストラリア、中国、韓国の子どもたち、みんな戦争を知っています。
しかし、ここ日本では、戦争を知りません。
憲法第九条が、戦争の悲惨さ、恐怖や苦しみから、みなさんを救ってきたからです。


ご存知のように、多くの政治家が、憲法から第九条を消し去ろうと躍起になっています。
断じてそれを許してはなりません。

みなさんと、みなさんの子どもたちは、これまで憲法第九条に守られてきました。
今度はみなさんが、第九条を守るために立ち上がり、声を上げなくてはなりません。

第九条は、日本人にのみ大切なのではありません。
地球に住むすべての人間にとって、大切なものなのです。
アメリカにも九条があって欲しい。
地球上のすべての国に、九条があって欲しい。
世界平和はアメリカから始まるのではありません。
国連から始まるのでもありません。
ヨーロッパから始まるのでもありません。
世界平和はここから、この部屋から、わたしたち一人一人から始まるのです。



アレンの愛した歌、ダウン・バイ・ザ・リバーサイド。
暴力も憎しみも、河のほとりに置いておこう
戦争はもうごめんだ






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『積極的平和主義』=アメリカの破壊・殺人行為に協力すべく、自衛隊を米軍の下請けに差し出す政策

2015年05月04日 | 日本とわたし


夫は英文が意味する白々しさに、
わたしはこの→(顔上げ、拍手促す、収まるのを待ち、)注意書きに、

苦笑の連続だったのですが、
なにやら日本では、というか日本の大手報道社では、非常に高い評価を与えていたそうですね。

ああいう演説で、聴衆の議員たちが立ち上がって拍手をするのはいつものことで、だいたいどういうタイミングでするかも決まっています。
そんなことも知ってか知らないでか、スタンディングオベーションを受けた首相などと賞賛するマスコミって、仕事をちゃんとしてないことの証明ですね。

そんなつまらないことよりも、
・まだ日本の国会で議論が始まってもいない安保法制をこの夏までに必ず実現すると、アメリカの国会議員を前に約束した。
・日米首脳が“歴史的な転換”と自賛する日米防衛協力のための新しいガイドラインが、(これまた日本の国民には何の説明もなく)勝手に合意されてしまった。


ことを、ガンガン伝えるべきなのではないでしょうか?

特にこの新しいガイドラインというのは、
・『戦闘や武力行使に一体化しない活動=『後方地域支援』に限定されていたのに、その限定が解除されてしまっていて、
・原則『日本周辺』とされていた活動範囲が、地理的な制約なく米軍に協力すると明記され、
・さらには日本が攻撃された場合に限らずできるようになっている
のです。

なので、
停戦前のペルシャ湾での機雷掃海や南シナ海での監視活動など、日本に肩代わりさせたい“任務”が山ほどある米軍は、
これまで憲法などの制約があってできなかったことでも、首相がすべてお引き受けしましょうと約束してしまったので、
地球の裏側でも、いつでもどこでも、自衛隊を差し向けさせることができるようになります。

「日本海域を越えた偵察活動をよりしやすくなる」by米国防総省高官。
「日本の後方支援をあてこんだ戦略が練れる」by米軍関係者。

まさに、アメリカのアメリカによるアメリカのための新ガイドラインを、安倍氏はわざわざ合意しに渡米したわけです。
税金から約1億円も使って…。

というわけで、日本の自衛隊(安倍氏にとっては我が軍なのでしょうが)は、
積極的平和主義とのお題目のもとに、アメリカの覇権に協力するため、米軍の下請けに差し出される集団と化してしまったのです。

さらに、東アジアの情勢について、米太平洋軍の元最高責任者でかつ、米CIAをも指揮するアメリカ情報機関の総元締めだったデニス・ブレア氏は、 

「東アジアの領有権問題は一部例外を除けば、ほとんどが島に関するものだ。
島の領有権を変えるには大規模な軍事作戦が必要で、侵略国は空と海の支配を長期間、続けなければならない。
しかも、東アジアは東欧や中東のように地続きでないため、国境線を巡る地上戦は起きないし、宗派間、民族間の対立や代理戦争の危険もない」
「中国が尖閣諸島を軍事的に支配できる可能性は極めて少ない。
そのようなことを試みれば失敗するし、すごい政治的リスクを冒すことになる」


だから、

「東アジアを見渡した場合、紛争が起きる可能性があるところは見当たらない」と断言しています。

ここまであからさまにアメリカに媚びを売る丁稚政権が、今後も権力を持ち続けることは、日本の国益にはならないと思います。

↓以下、転載はじめ

安倍首相の演説が笑いモノに「8割の米議員わからず」の声も
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/159518/1
【日刊ゲンダイ】2015年5月1日

米上下両院合同会議で演説した安倍首相。
日本のメディアは安倍首相の訪米を“大成功”と絶賛しているが、残念ながら、米メディアは、ほとんど関心を示していない。

日米首脳会談が行われたのに、米主要紙の1面は、警察に拘束された黒人男性が死亡したボルティモア問題に充てられた。
オバマ大統領との共同会見も、記者の質問はボルティモア情勢に集中。
会見の約4分の1の時間が割かれ、オバマ大統領が「重要な問題なので」と安倍首相に釈明する場面もあった。

日本メディアが「10回以上のスタンディングオベーションが起きた」と持ち上げている米上下両院での演説も、失笑の対象になっている。

米メディアが安倍首相を笑いモノにしているのは、安倍首相が英語で書かれた原稿をひたすら棒読みしただけでなく、
原稿に日本語で「顔を上げ、拍手促す」「次を強く」などと、あんちょこが書かれていたからだ。
「ウォールストリート・ジャーナル」などが、あんちょこペーパーを大きく報じている。
アメリカ人記者たちは、「まるで中学生の英語スピーチ大会だ」と笑い合っているそうだ。
素直に日本語でやればよかったのだ。

国際ジャーナリストの堀田佳男氏は言う。

「テレビで見ていましたが、リズムが悪すぎて意味がわかりませんでした。
米議員の半分以上がスピーチを聞かずに、紙を見ていた。
文節の切り方がおかしいし、リズムもない。
単語ひとつひとつを明確にしようということなんでしょうが、8割の議員がわからなかったでしょう。
安倍首相は演説で、自らの留学のエピソードも入れていましたが、ただ恥ずかしいだけです」

議員の中には、途中退席する者もいたという。
米議会では、スタンディングオベーションは習慣で、タイミングもあらかじめ決まっている。
ありがたがっているのは、何も知らない日本のメディアと、おめでたい安倍首相だけだ。

税金約1億円も使って、一体何をしに行ったのか。
まだ、日本でおとなしくしてくれていたほうが、よっぽど国益のためになったのではないか。


↑以上、転載おわり


さらに南千希さんが、下記の見解をリテラに載せておられます。

元米軍司令官も証言! 安倍政権が煽る「東アジアの危機」は嘘 
新ガイドラインはすべて米国のため…安倍首相は自衛隊を米軍の下請けに差し出した


今回の安倍晋三首相の訪米をひとことで言い表わせば、ネギを背負ったカモが言葉の限りを尽くしてご主人様に忠誠を誓い、すべてを捧げますと約束するための旅だった。
ポスト冷戦でかつての西側諸国が新たな国益をかけた駆け引きを演じるなか、安倍首相はいまさらのように、
「米国と組み、西側世界の一員」になったことを喜び、「いまも、この道しかありません」とブチ上げた
そして、アジア太平洋地域を重視するアメリカのリバランス(再均衡)戦略を、
「徹頭徹尾支持するということを、ここに明言します」とまで媚びたのだ。

日本のマスコミは、上下両院合同会議での演説で「侵略」や「おわび」の言葉があるとか、ないとかで騒々しかったが、アメリカがこだわっていたのはそこではない。

演説で安倍首相は、まだ日本の国会で議論が始まってもいない安保法制をこの夏までに必ず実現すると、アメリカの国会議員を前に約束した
また、演説の2日前の27日には、日米首脳が“歴史的な転換”と自賛する日米防衛協力のための新しいガイドラインが、(これまた日本の国民には何の説明もなく)勝手に合意されてしまった。
アメリカが期待したのは、まさにこの1点だったと言ってもいい。
そして安倍首相は、ご主人様の期待通りのパフォーマンスをして見せたのだ。

この訪米でハッキリわかったのは、安倍政権が進める安全保障政策は、日本の国益のためというよりは、アメリカの要請というほうがより強い要因だったということだ。
なにしろ、合意された新ガイドラインは、アメリカに都合のいいことばかりなのだ。
例えば、日米協力における自衛隊の活動は、これまでは戦闘がなく米軍の武力行使とも一体化しない「後方地域支援」に限定されていたが、新ガイドラインでは限定が解除された。
さらに、原則「日本周辺」とされていた活動範囲も、今後は地理的な制約なく米軍に協力することが明記された。
そしてそのいずれもが、集団的自衛権によって、日本が攻撃された場合に限らずできるようになる。

これにはアメリカも大喜びだ。
防衛費の大幅削減を迫られているアメリカでは、停戦前のペルシャ湾での機雷掃海や南シナ海での監視活動など、日本に肩代わりさせたい“任務”が山ほどある。
これまで憲法などの制約があってできなかったことだ。
それを、日本の国民には何の相談もなく、すべてお引き受けしましょうと約束してきてしまったわけだ。
アメリカ様に言われれば、地球の裏側でも、いつでもどこでも、自衛隊を差し向けますというわけだ。
29日付の朝日新聞には、
「日本海域を越えた偵察活動をよりしやすくなる」といった米国防総省高官のコメントや、
「日本の後方支援をあてこんだ戦略が練れる」という米軍関係者のコメントが紹介されている。
まさに、アメリカのアメリカによるアメリカのための新ガイドラインなのである。

……なんてことを書くと、必ず「いや、そんなことはない」という反論が聞こえてくる。
東アジアの国際情勢はますます厳しさを増し、米軍の協力なしに日本の安全保障は確保できない。
27日の外務・防衛担当閣僚会合(2プラス2)では「尖閣諸島が日米安保条約の範囲に含まれる」ことが再確認され、
新ガイドラインでも、尖閣を念頭に置いた新たな「離島防衛」が盛り込まれたではないか、と。

だが、これこそが日本国民をあざむくペテンなのだ。
確かに、新ガイドラインに「離島防衛」が書き込まれたのは事実だが、米軍の役割はあくまでも自衛隊の作戦の「支援」「補完」とされ、改定前と変わっていない

日本を取り巻く国際環境が厳しさを増し、いかにも有事が迫っているかのような言い方自体が、実は真っ赤なウソなのだ。

この話を暴露したのは他でもない、元米太平洋軍司令官で米国家情報長官も歴任したデニス・ブレア氏だ。
先日、日本外国特派員協会で講演し、次のように明言した。

「日中戦争が起きる危険性があるとする報道が多いが、私はそうは思わない。
東アジアの軍事情勢は非常に安定しており、そうした状態がずっと続くと私は見ている」

これは、そんじょそこらの左翼政治家の言葉ではない。
れっきとした米太平洋軍の元最高責任者でかつ、米CIAをも指揮するアメリカ情報機関の総元締めだった人物の言葉なのだ。
したがって、根拠も実に明快だ。

「東アジアの領有権問題は一部例外を除けば、ほとんどが島に関するものだ。
島の領有権を変えるには大規模な軍事作戦が必要で、侵略国は空と海の支配を長期間、続けなければならない。
しかも、東アジアは東欧や中東のように地続きでないため、国境線を巡る地上戦は起きないし、宗派間、民族間の対立や代理戦争の危険もない」
「中国が尖閣諸島を軍事的に支配できる可能性は極めて少ない。
そのようなことを試みれば失敗するし、すごい政治的リスクを冒すことになる」


そうして、こう断言する。

「東アジアを見渡した場合、紛争が起きる可能性があるところは見当たらない」

中国の漁船が大挙して押しかけてきたり、公船が出没したりといったニュースを連日見せつけられていると、明日にでも中国が攻めてきそうな気になるが、
冷静に考えれば、ブレア氏のような専門家でなくてもわかる話だ。
日本と日本の周辺国とは、政治的にどれだけ冷え込んでも、経済的には極めて強い相互依存の関係にあり、戦争を起こすことはそれぞれの国の経済破綻につながりかねない
さらに、日本には大きな米軍基地があり、日本を攻撃するということは(世界の軍事の常識では)アメリカに宣戦布告するのと同じだからだ。
そんな“危ない”ことをする国が、いったいどこにあるというのだろうか

北朝鮮がときどき思い出したように日本海に向けてミサイルを発射するのも、単にアメリカの気を引きたいだけの話で、日本の領土に対する野心があるわけではない(もちろん政治体制の崩壊や暴走の危険はあるが)。
そう考えると、いったい誰が何の目的で、途方もないコストとリスクをかけて日本を侵略するのか、ということになる。
「東アジアを見渡した場合、紛争が起きる可能性があるところは見当たらない」というブレア氏の見解は、あまりに当然のことなのだ。

前出「2プラス2」の共同発表は、安倍政権が掲げる「積極的平和主義」を最大限にもち上げた。
〈米国は(集団的自衛権行使を認めた)
昨年7月1日の閣議決定、防衛装備移転三原則、特定秘密保護法など、日本の最近の重要な成果を歓迎し、支持する〉とまで書いている。
要するに、これらの決定は、すべてアメリカに言われてやったことだった。
積極的平和主義とはつまり、アメリカの覇権に協力するため、自衛隊を米軍の下請けに差し出す政策と言ってもいいだろう。

かつて日本の保守派の政治家が自主憲法制定を求めた背景には、対米自立と自主外交を求める姿勢があった。
いま保守を自称する安倍首相は、それとは真逆なことをやっているように見える。
日本の憲法は本来、唯一日本の主権者である日本国民の意思によってしか改正できない
にもかかわらず安倍政権は、アメリカの要求にしたがって憲法改正を経ることなく、専守防衛を謳った現行憲法を、海外派兵を可能にする解釈に変え、
しかも、国権の最高機関である国会での議論もないまま、外国人(アメリカ人)との約束を先行させてしまった


日本人としてこの行いをどう評価するか。
憲法記念の日に際し、じっくり考えてほしいテーマである。
(南 千希)




もうひとつ、非常に驚くべき報道がありました。

NHKが同時通訳で誤訳 オバマ大統領の発言で

NHKは29日、日米首脳会談の共同記者会見を伝える同日未明の中継で、オバマ米大統領の発言の同時通訳に誤りがあったとして、朝のニュースで謝罪した。

NHKによると、同時通訳では、
「沖縄の普天間基地の移転について、より柔軟に対応したいと思います」としたが、正しくは、
「沖縄に駐留する海兵隊のグアムへの移転を前進させることを再確認した」だったという。


↑転載おわり

これって、誤りだったで済ませることができることですか?
どうしたら、グアムへの移転の前進という案件が、普天間基地の移転についての柔軟な対応、ということになるのでしょうか?
みなさんはお聞きになりましたか?

NHK…末期的症状が出てきていますね。良い報道番組もあるのに…。
コメント (2)
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真夏日の黄色い真ん丸お月さま

2015年05月04日 | ひとりごと
ついこの間まで、最高気温でも12℃ちょっと、みたいな日ばっかりだったのに、今日は最高気温が30℃?!
大陸の気温の変化はジェットコースターみたいな感じが多いので、慣れるまではたんすの前で右往左往していました。

空気の中には花粉が充満していて、やってくる生徒や親御さんたちの間では、鼻をグスグス言わせている人や目が真っ赤な人が少なくありません。
日本に居る間、毎年春の到来が恐ろしかったわたしなのに、こちらに来てからというもの、アレルギーがスウッと消えてしまいました。
掃除機をかけている時なんか、水っ鼻がポトポト落ちるので、丸めたティッシュを両方の鼻の穴に突っ込み、ボトボトになったら取り替えるという、鼻たれオババだったのに…ああありがたやありがたや!

出るものも落ち着き、そろりそろりと健康を取り戻してきた空ちゃんと海ちゃん。


お、仲良ししてるぞ~と、こっそり写真を撮ろうとしたら、二匹揃ってとぉりゃ~!




一昨日の土曜日は、朝からかなり緊張していました。
今回のオーディションの相棒ポーレットが、彼女の歌の先生を連れてうちにやって来ることになっていたからです。
先生は、つい最近まで現役で歌っておられたテナー歌手。
どんな注文が飛んでくるか、ワクワクドキドキでした。
オーディションの持ち時間はたったの1分半。
その間に、わたしたちの演奏価値、能力、そして合気密度の高さを、可能な限り見せなければなりません。
その1分半の部分を、何回も何回も演奏しました。
「まうみは、指に白いテープを巻いたりしてまるで体操選手みたいだけど、歌手に寄り添える良い伴奏者だ。きっとうまくいくよ」
「でもたまに、音が大き過ぎると言われたりするんですけども」
「そのことなら大丈夫、ポーレットのオブリガードは、フルオーケストラがフォルテッシモで束でかかってきて埋もれたりしないから」

オーディションは来週の土曜日。
5月なんてまだまだだ、などと思っていたのに、気がついたらもうすっかり5月?!
コツコツ頑張るぞ~!



そして昨日の日曜日は、ブルックリンから友人一家が遊びに来てくれました。
大好きなかおりちゃん&ジョージ、そして6才の海くん、うちの海ちゃんとおんなじ名前です。
芸術のこと、仕事のこと、子育てのこと、日本のこと、アメリカのこと、そして世界のこと、話が尽きません。
夫が作ってくれたビーツのサラダと、庭から引っこ抜いてきたタンポポの葉っぱサラダ、そして近所のバーベキュー屋さんから調達してきたスモークチキンと豚肉のスペアリブ、
そしてそして、彼らがお土産に持ってきてくれたおまんじゅうと柏餅を美味しくいただきながら、とっても楽しい時間を過ごしました。
また来てね~!



裏庭続きのカーラの庭で、今や満開の真っ最中のボタンちゃん。





夕方の散歩に出かけた夫から電話がかかってきました。
「5分以内に外に出て、お月さんを観てみて!」

焦りまくりながらカメラを手に外に出てみましたが、なんにも見えません。
どこだどこだと、さらに焦って探していたら、夫が通りの向こうから戻ってきました。

「よっしゃ、見えるとこまで車に乗っけてってやろう」
え?!なんとお優しい、というかお珍しい。

車から降りてパチリ。


なるほど、なんともきれいな黄色いお月さま。


そしてうちに戻るとなんと、東の空にポッカリと浮かんでおりました。
コメント (4)
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『悪夢の超特急リニア』…日本の未来に影を差す悪夢の産物は、廃炉原発だけで十分ではないですか?

2015年05月01日 | 日本とわたし
リニアについては、ここでも何度も取り上げてきました。
不必要なものにどうしてここまで固執するのか。
不必要なもの同士、根っこでつながっているからです。
不必要だけでなく、環境を著しく破壊し、人や生き物の健康を害し、膨大なエネルギーを消費します。
もう誤魔化されるのはうんざりです。

このビデオをIWJから送っていただいているメールで知り、ぜひ文字起こししたいと思っていましたが、先日来のゴタゴタで未だに手をつけることもできずにいました。
ありがたいことに、きーこさんが、文字起こしをし、記事を書いてくださっていましたので、ここに転載させていただきます。

↓転載はじめ

<リニア新幹線>「もしトンネル内で止まったら?」「その場合はお客様同士で助け合っていただきます」~河川の水枯れ~4/13樫田秀樹氏 岩上安身単独インタビュー(文字起こし)

「世界で初めて時速600kmを超えた」ということで、また最近チラチラッとニュースになっているリニア新幹線。
だけど、なぜか、リニアに関しては、いいことしか言わない。
日本のメディアはどこでも、その速さだけを「すごいすごい」と報じ、マイナス面に関しては一切何も言わない。
日本の中心である南アルプスを掘ってしまうというのに、そのことに関して全く何も言わない。
とても不思議だ。







2015年4月13日(月)19時 
樫田秀樹氏 岩上安身単独インタビュー


岩上:
トンネルをとにかくやるっていう話なんですけれどもね。
これは山梨県の上野原市の、これは非常口。
非常口というのはこれはどうなんでしょう?
リニアが通って、それを通すトンネルが通って、
そしてそこから、何か問題があったときに脱出する為の出口というような意味ですか?

樫田:
そうです。
工事中は資材をここから入れて。

岩上:
なるほど、搬入する。
営業開始後は脱出口になると。
しかし、「86%もがトンネルのリニア」と。
車両が緊急停止したらどう脱出するんだろうか?と。
JR東海は「お客様同士で助け合っていただきます」と。

樫田:
そうです。
これは、ある住民説明会で私が質問したことなんですね。
つまり、「最悪の場合を趣味レーションしているんですか?」って質問したんですね。
例えば、私が考える最悪っていうのは、「真冬の南アルプス」豪雪地ですね。
その地下のトンネルでもし緊急停止して、どうやって1000人の乗客を誘導するんですか?と。

岩上:
車両の事故とかということがあって、

樫田:
そうです。

岩上:
リニアといえば、僕らは鉄道のイメージがあるんですけど、あれは浮いているわけですよね

樫田:
そうです10cm。

岩上:
10cm浮いているわけですよね。
仮に、これが緊急停止ということになると、もしかするとある種の低空飛行、飛んでいるようなものですよね。
高速で飛んでいる飛行機が、わずか10cmですよ。
それが着陸するようなもんじゃないですか!
摩擦も起きるでしょうし。
イメージとしては摩擦も起きるしね、火事とかが起きるんじゃないかとか、いろいろ僕はイメージしちゃいますけどね。

樫田:
イメージは大事ですね。結局JR東海は、

岩上:
なんていうか、鉄道というときちんと着地しているわけですから、脱線というのは問題ですけど、
緊急停止という場合はギューって止まって、決して落ちるわけじゃないですよね。
ちょっと、恐いなと。

樫田:
もちろん、リニアが走る時と止まる時は、一応タイアが出し入れはあるみたいなんですけど、
それにしても、なんらかの電気系統の事故があって、途中で、

岩上:
出なかったらどうするんだとかね。

樫田:
それで「もし、トンネルのど真ん中で止まったらどうするのか?」と。
そういうことを私は質問したんですよ。
そうしたら彼らの答えがこうですね。
「その場合は、お客様同士で助け合っていただきます」と。
それは人間ですから、

岩上:
助け合いますけどね。

樫田:
助け合いますけど、それを前提にしちゃあ、ちょっと違うなと。

岩上:
しかも、86%がトンネルで、しかも山岳地帯
”ものすごく深い”じゃないですか。
この深いトンネルから、いつでもどこの地点においても、事故が起こっても、
「すぐ近くに脱出口がある」っていうぐらいの数が用意されていると言えるんでしょうか?
例えばエレベーターがあるとかね。

そういうものはあるんでしょうか?

樫田:
エレベーターに関しては、都市部はある。
都市部については、地下40mぐらいのところで掘っていきますから、エレベーターなんかは設置されるようです。

岩上:
駅ですよね。

樫田:
でも、こういった山岳部なんかには、そういったものは作りませんから、

岩上:
深いんでしょ?山頂から。

樫田:
一番深いところで1400m
ま、そんなエレベーターは作れっこありませんから、
そういったところは横に非常口を掘って、横に斜めに

岩上:
山腹みたいなところに出られるようにすると。

樫田:
そうです。これはまさしくそうですね。

岩上:
どの位の距離を歩かなければいけないんですか?

樫田:
非常口はですね、

岩上:
場所によってでしょうけどね、

樫田:
違いますね。
JR東海は5kmおき、と説明していますけど、よくよく地図を見ると、5kmのところもあれば、短い2kmのところもあるんですけど、
長いところは15kmとか20kmというところもあるんです。
ただ、そのど真ん中だったら10kmですね。
10km歩くと。

岩上:
それは地中を歩いていくわけですね。

樫田:
そう。
歩いてもまだここには着かないと。
トンネルとの分岐点に着くまでが5kmですね。
そこからさらに、この非常口用のトンネルを歩くということです。

岩上:
ここまで上がっていかなければいけないわけですね。

樫田:
上がる、斜めに行けば、階段かなんかがあるんでしょうね。

岩上:
それはどの位なんですか?

樫田:
ここの場合で、本線まで5~600mと言われていました。
ただ、他の場合はまた違います。
建設の、地理の状況で、500mのところもあれば1kmのところもある
ま、まちまちです。

岩上:
やっぱり一番の不安は、このトンネルの中での火災の事故ですよね。
その時には、先ほどね、落ちるようなものじゃないかと言いました。
いろいろ技術的なリカバリーがあるのかもしれませんけれど、
車両の火災というのは、これは従来型の鉄道であろうと、車のトンネルであろうと、起こってますよね。
そういう場合は、大変な凄惨な事故になる可能性があるわけですよね。

樫田:
あります、はい。

岩上:
トンネルがそんなに長くなければ、脱出もそんなに多くならないし、消火もスムーズにいくわけですけど、
ものすごく長いトンネルだったら、それだけ困難が付きまとうわけですよね。

樫田:
そうです。
だから、そういったシミュレーションを出して欲しいんですよ。
「火災の時はどうするのか」とか。

岩上:
それは答えるんですか?そういった質問に。

樫田:
いいえ、具体的には全然答えませんね。

岩上:
いや、これは怖いですよね、どうやっても。

樫田:
都市部の場合はね、下半分を道路にしますとか、
山岳部の場合は横に道を設定します、ぐらいの説明はしますけど、
どういった体制で、どういった係員が、どう対応するのか、という説明が無いんですね。

岩上:
なるほどね。
これ、直近で起こったものですから、先ほど急遽ちょっと挟んだんですけど、

つのる不安~青函トンネル事故を事例に
・4月3日、青函トンネルで、車両から火花が出て発煙する事故が発生。
・乗客124人はトンネル内2.4キロを歩き、ケーブルカーで地上に逃れた。
・リニア中央新幹線のトンネル対策は十分なのか?


青函トンネルでも事故が起きたと、4月3日ですよ。

樫田:
そうですね。

岩上:
つい最近である。
青函トンネルで、車両から火花が出て発煙する事故が発生と。
そして、乗客124人はトンネル内を2.4キロ歩き、ケーブルカーで地上に逃れたと。
リニア中央新幹線のトンネル対策は十分なのか?って、やっぱり思わざるを得ないですよね。


樫田:
この事故で、ここ(リニアのトンネル対策は十分か)をちょっと思っちゃいましたね。
これが幸いだったのは、非常口の近くで止まったからよかったけど、
これが青函トンネルのど真ん中で止まっていただどうなっていたか?ですね。
しかも、これだけの距離で、5時間とか6時間もかかっているわけですよ、脱出まで。

岩上:
これがやっぱり、青函トンネルというのも長いトンネルですけれども、しかし、リニアは空前ですよね。
東京ー名古屋ーしかも関西大阪間の、そのほとんどがトンネル
長大なトンネルを走っているようなもので、ここでしかも、非常に大深道であると。
「どうするんだ」とやっぱり考えざるを得ないですよね。
乗る人もやっぱり不安なんじゃないか、って。

樫田:
そうですね、
だから、100%安全なものって、多分できないと思うんです。
だから、事故が起きることを想定して、
「こうやって皆さんを助けますよ」ってシミュレーションを見せて欲しい
んですよね。
だけど無い!
だからみんな不安なわけですね。


岩上:
JRっていうのはね、世界一安全で、これまでで大きな事故を起こしたことがない。
ま、JR西日本は大きな事故がありましたけれども、
「新幹線はない」っていうことが売り物だったんじゃないかって思うんですけれども、
そういう安全と信頼のブランドを持っているJRが、すくなくとも新幹線の、さらに次世代型の夢の超特急で、
このリスクについての説明、情報公開、アカウンタビリティー(Accountability:説明責任)というものが不十分であるというのは、
これは、日本国内で済む話だからいいだろう、というのでは済まされないですよね。
おかしいですよね。

樫田:
おかしいですね。

岩上:
こういうことがまた報じられないのもおかしい
思わざるを得ないです。


8:17

岩上:
2番目です。
「河川の水枯れ」
これっていうのは、なかなかこれはパッとは思いつかないことなんですけど、
1997年の4月に、山梨県で走行実験。
先ほど写真で紹介しましたけれども、あの実験線がスタートすると、それだけで周辺河川や沢が次々と枯れ始めたと。
これは現地取材もされているようですけど、どんな感じだったんでしょう?

樫田:
最初は住民の方からメールが着まして、私のブログを読んだと。
「僕の家の近くの川も枯れているんで見に来てください」というメールがきたんです。
その時は「水がチョロチョロ状態なのかな」と思っていたら、完璧に流れてない!

岩上:
そうなんですか

樫田:
砂漠になっているわけです。

岩上:
枯れ砂漠

樫田:
本当に、一滴も流れていない
ビックリしました。
つまり、実験線にしろ、ほとんどがトンネルなわけです。
やっぱり、そのトンネルを掘ったことで地下水の

岩上:
「水脈を断つ」ということですか。

樫田:
断ってしまったんですね。

岩上:
99年9月、山梨県大月市朝日小沢地区ですか、簡易水道の水源が枯渇してしまったと。
これは報告されているんですね。
2009年、山梨県笛吹市御坂町では、2008年に実験線の延伸工事が始まると、町の一級河川「天川(てがわ)」が枯れてしまった
トンネル内で異常出水が起こり、これ、一方では枯れておきながら、トンネルの中では異常出水が起こっていると。
JR東海は、それを天川に戻しているんですか?

樫田:
ポンプアップして戻していますね。
つまり、天川というのは、地元の農業者の方々の農業用水でもあったわけですね。
さすがにこれは因果関係を認めて、ポンプアップをして水を戻しています

岩上:
しかも、トンネルの中で異常出水ということは、今後も考えると怖いですね。
さっき火の話をしました。
けれど、水が出る可能性もあるんですね。

樫田:
まあこれはリニアに限らず、トンネル工事をやれば出水は必ずあります。
だからまたね、南アルプスの話になると思いますけど、
出水って、チョロっとと流れているんじゃなくて、本当に人が流されるぐらいのそういった異常出水も、ある

岩上:
南アルプスの天然水って、よくペットボトルで売られているんですけれども、それのイメージで言うと、天然の水瓶。
山全体が天然の水瓶みたいなイメージがありますよね、新鮮な水があって。
今までそうしたトンネルが掘られたり、人の手が入るっていうことが無かった山なんですね?

樫田:
無かったです。
本州の中で、唯一横断する人工の建築物が、鉄道とか道路とか、そういうものが無い、そういった山、山岳地帯なんですね。

岩上:
手付かずで残ってきた
そこに穴を開けると。
そういう意味では、環境問題にもなるわけですよね。

樫田:
なります。

岩上:
2011年夏、上野原市。
無生野地区の簡易水源で、ある「棚の入沢」が枯れた

棚の入沢という川なんですね、沢が枯れてしまったと。
尺サイズのイワナやヤマメが泳いでいた沢だったけれど、これも枯れてしまった。
笛吹市役所によると、リニア工事が始まったことにより井戸が枯れた、という意見が数10件寄せられたと。
これはまだまだ続いていて、これはごく一部だと。

樫田:
ごく一部だと思います。

岩上:
これから、要するに東京から大阪に至るまで、30年かけてこんなことをやっていくわけですから、至る所で起きていくかもしれないと。

樫田:
そうです、そうです。

岩上:
それだけ、やっぱり桁違いな大きなトンネルを掘っているっていうことなんでしょうね。
これも非常に大きな問題ですね。

樫田:
今の笛吹市の三坂町。



岩上:
実験線のトンネル工事。
トンネル内が光っているのは出水しているから。
あ、向こうですか。

樫田:
そうですね。
こっちは道路が走っているんですけど、道路にはですね、ここからの水がダーッと川のように流れてきていました。
暗い中を、水が流れてきていましたね。
こうやって水が流れることによって、どこかが枯れるわけですね。

岩上:
なるほど。
水がただ出てきて、それだけの話じゃないと。
どこかが枯れてくるという。

樫田:
もうプラマイゼロですね。
どこかが出てどこかが枯れる。
いま御説明のあった棚の入沢ですね。
これは、ある自治体の広報誌の表紙を飾った写真なんですけど、2005年に撮影された写真です。



岩上:
これが枯れちゃっているんですか!?

樫田:
そうです。

岩上:
「魚釣りのメッカだった」って。

樫田:
これが枯れたんですね。

岩上:
ほぉ。

樫田:
今もこっち(右)はちょろっとだけ流れているんですけど、もう、枯れましたね。

岩上:
リニア実験線のトンネル工事が始まると、2011年に沢が枯れる。
これはなんか大変な、やっぱり生態系なんかにも大きな影響が出てくるんじゃないですかね。

樫田:
もうね、魚はいなくなる
虫もいなくなる

岩上:
それから、この水を使っている住民の方たちがたくさんいらっしゃるわけですから、影響が出ますよね?

樫田:
そうです。
ここはもともと、地元の方々の簡易水道の水源だったわけです。
ですから、ここへの補償として、井戸を掘っています。
井戸を掘って、井戸から水を汲み上げる電気代の補償もやっています
ただしそれは30年間だけです。
30年間だけ。

岩上:
それは工事の後だけじゃないですか。
営業開始したら止まっちゃうんですか。

樫田:
それは、国土交通省が書いた通達があるんですよ。
こういった「水枯れが起こった場合は補償期間は30年間」
つまり、「31年目からはあなたたち自分でやりなさい」っていうことですね。

岩上:
ほー、しかもその水がずーっと出続ける保証とか、そういうことの見通しとか誰もわからない

樫田:
わからないです。

岩上:
わからない、ですよね。
あーなんか、生活が破壊されていく感じがします



樫田:
これは、今の滝から50m~100mぐらい下流ですね。
これは、元は川だったところです。

岩上:
川だった!

樫田:
ええ。

岩上:
これは道路かなと一瞬思いましたけれども、道路じゃない。

樫田:
川です、川です。

岩上:
尺サイズのヤマメやイワナが泳いだ川が、砂漠化しちゃった!

樫田:
ええ。
彼が、私にメールをくれた地元の若者ですけど、本当に悲しんでいました。

岩上:
JR東海は、トンネル工事との因果関係を認め、代替補償の井戸を掘り、揚水に必要な電気代を負担と。
国交相の通知に従い、30年間だけと。
いや、なんか、ただ非常に機械的な話ですよね。
この、「補償が30年間のみ」という話ですが、工事を担当したのは、独立行政法人「鉄道建設・運輸施設整備支援機構」、そういうところなんですね、JR東海ではないんですね。
現場事務所は、取材に対して、水枯れの原因は水脈を予測できなかったから」と回答
因果関係が認められたなら、JR東海と「鉄道建設・運輸施設整備機構」は、井戸掘削、代替水の補給・水道補給にかかる電気代の、金銭補償をしなければならない。
でも、補償期間は30年。
31年目からは、自前で水を補給しなければいけない
なるほどね~。
静岡県の場合。
この河川水枯れの話がちょっと続きますけれども、大井川。
大井川といえば、大変水量の多い大きな川というイメージですけど。
えっ!?「大井川の流量が最大毎秒2トンも減る」
大井川は細ちゃうんですか?
これは大変なことですよねえ。

樫田:
そうですね。
これは、先ほど説明した環境影響評価準備書、2013年9月に出ました。
こういった環境アセスメントをやりました、という報告書です。
その中にこういった予測があったんです。
これを読んでですね、静岡の人たちはビックリしたんですね。

岩上:
自分たちは関係ないと思ってたんですか?

樫田:
関係ないと思ってたんです
静岡県というのは唯一、駅もできなければ何の施設もできないところなんですね。
わずか11km通るだけですから。

岩上:
一応通りはするけれども、かすめるだけですか

樫田:
かすめるだけです。
だから、ほとんど静岡県は「関係ないよ」と思ってたんです。

岩上:
「山梨を通るよね」、というイメージだったんですね。

樫田:
ところが大いに関係があると。
というのは、

岩上:
上流を通っちゃうんだ。

樫田:
太平洋に近い7市2町の水歴飲料と、全く同じ量なんですね。

岩上:
毎秒2トンというのは、そんなに重大なことなんですね。

樫田:
そうなんです。

岩上:
毎秒2トンだとピンとこないんですけど、「毎秒」ですからね。
秒って、そう考えてみたら、大変な水量ですよね。

樫田:
そこの7市2町の首長たちが、本当に焦ったんですね。
「生活用水はどうなるんだ」と。
「農業用水、工業用水どうなるんだ」と。
で、静岡の場合はお茶が有名ですよね。
お茶というのは私も聞いた話ですけど、「大井川のもや・霧。あれが良い茶葉を作ってくれる」と

岩上:
水量豊かな川が蒸気を作ってくれると。それがうっすらとモヤを作る。
それは要するに湿り気をもたらすわけで、その湿り気がお茶にいい。

樫田:
いい茶葉を作ってくれると。
それがどうなるか?っていうね、それはお茶業界にとっても大変。

岩上:
パサパサになるかもしれない。
潤いがなくなってしまうかもしれない。
あー、なるほど。
静岡県で、リニアは県北部に無人の南アルプスを11km通過するだけと、ほどんどの人がリニア計画に無関心
ところがJR東海が「大井川の流量が毎秒最大2トン減る」と準備書に記載したから、各自治体はビックリした、ということなんですね。
今説明のあった太平洋側の7市2町には、独自の水源が乏しいわけですね。

樫田:
そうです、なかには100%が大井川という自治体もありますから。

岩上:
じゃあ、枯れちゃったら大変なことになりますね。

樫田:
大変なんです。だから冗談じゃないんです。

岩上:
毎秒2トン減るというのも、絶対かどうか?
根拠とかセンサとか、今後どうなるとか全くわからないわけでしょ?

樫田:
そうです。
そもそも、なぜ2トンという数字が出てきたのか?
この計算根拠が書いてない!

岩上:
書いてない。
それは質問しても出てこないんですか?

樫田:
「2トン以上じゃないの?」と疑う人もいます

岩上:
だいたい今の工事だって、ごく一部始めただけで、「イヤイヤ予測と違った」と言っているわけですから、
これから実際に進捗していくと、予測通りじゃなかったことが起きる可能性は、いくらでもありうる

樫田:
あります。
JR東海は「何もしない場合は2トンだ」と。

岩上:
ちょっと待ってください。
JR東海は、リニア沿線に位置しないという理由で、これらの自治体に対して説明を行っていない
ビックリですね、これ。

樫田:
これはですね、さっきの報告書とか準備書とか、JR東海が作るこんなに分厚い報告書ですけど、
それは一応ですね、関係市町村には送るんですよ。

岩上:
通過するところにですね。

樫田:
ところが、この7市2町には、もうリニアのルートから遠く外れているから関係市町村ではないということで、
そういった報告書も準備書も送っていません

だから住民説明会も行っていません
ですからその準備書が出たときにですね、

岩上:
こういう人たちは、伝え聞いてびっくりしたんですね?

樫田:
そうです、伝え聞いたんですよ。
「市長さん、これこれこういうことが載ってるよ」ということで、それでびっくりしたんですよね。

岩上:
いやあこれも、先ほど原発の話もちらっとね、関係あるし、色々と似通った点がありますよと言いましたけれども、ちょっと似通っていますよね。

樫田:
そうです。

岩上:
関係立地自治というのは、非常に狭く取られているんですけど、
いざ事故が起こったり問題が起きたりすると、実は非常に広域に影響すると。
まだ事故が起こったわけではない。
これから作ろうという段階で、やっぱり巨大工事なんですね。
垂に、非常に広域のエリアに影響が出るということがもうわかっている

ーーーーーーーー

JR東海 葛西敬之会長
葛西 敬之(かさい よしゆき、1940年10月20日 - )
日本の実業家、東海旅客鉄道(JR東海)代表取締役名誉会長










 


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“悪夢の超特急”リニア中央新幹線 [ 樫田秀樹 ]

価格:1,728円(税込、送料込)

【内容情報】
総事業費9兆円。
この史上最大の鉄道事業は、その問題点をほとんど報道されることなく、着工目前まで来た。
東京・名古屋間の286キロのうち、86%の246キロがトンネルになることで発生する、水枯れの可能性、
処分方法の決まらない膨大な建設残土、掘り当てるかもしれないウラン鉱床、
1日に1700台ものダンプカーが12年も走る村、10年以上も続く騒音と振動と土ぼこり、
喘息、生活と交通阻害、生態系の劣悪化、立ち退き等々。
今からでも遅くはない。
JR東海は関係者、特に住民を軽視せず、徹底議論を図るべきだ。




2015年4月4日 樫田秀樹さんの講演




<報道自主規制か圧力か>メディアが報じない”リニア新幹線の危険性”
某月刊誌での連載を基に構成、すでに3千部を印刷し、さぁ翌週には書店に並ぶぞというタイミングで、その出版社の上部組織である某大学から「待った」がかかったのだ。

大学曰く、「本校において、研究者や卒業生で鉄道関連の事業に携わる者もいる。(リニアを批判する)この本の内容が大学の意図と思われるのは困る」。

そして出版停止。3千部刷られた本は日の目を見ることなく断裁されてしまった。

せめて、校正段階での出版停止ならわかるが、印刷後の出版停止はどんなベテランジャーナリストに尋ねても「極めて異例」との反応だった。本当に大学側の言い分だけが理由のすべてなのか…あるいはなんらかの圧力があったのか、未だ真相はわからない。

ー略ー

NHKの会長人事が安倍首相やそのブレーンである葛西敬之・JR東海名誉会長に握られていることを把握している。首相の経済ブレーンである財界人の集まりが「四季の会」で、その幹事役を務めるのが葛西名誉会長なのだ。

リニアという超巨大事業は、公共放送にもまるで問題点を報じられることなく、不都合な真実を検証すらされず着々と推進されている。



「リニア新幹線狂気の計画」 文字起こしブログ
動画はこちらにあります↓
<リニア新幹線狂気の計画ー1ー>
「間違いなくこれは浜岡と抱き合わせの計画だ。
これはもう間違いなくね、このままいくと我々はもう殺されますよ」広瀬隆氏(文字起こし)



<リニア新幹線狂気の計画ー2ー>
「97%反対止めます。っていうのが普通でしょ?どんどん決定していくんですよ」
広瀬隆氏(文字起こし)


<リニア新幹線狂気の計画ー3ー>
「一部の利権者が動き出して、これは遊びなんです。最後に失敗するんですから」
広瀬隆氏(文字起こし)


<リニア新幹線狂気の計画ー4ー> リニアの電磁波問題
「これはきちんと理解したらみんな乗りませんよ、怖くって」
広瀬隆氏(文字起こし)


<リニア新幹線狂気の計画ー5ー> 電磁波を浴びる利用者の利便性
「日本人の誰も、高い金を払って、時速500キロで、景色も見えない鉄道が宙に浮いたまま、
目が回るような高速度で目的地に到着したいとは思っていない」 広瀬隆氏(文字起こし)


<リニア新幹線狂気の計画ー6完ー> 「運転手がいないんですって」
リニアは乗客の命を考えない、とてつもなく危険な鉄道である 広瀬隆氏(文字起こし)


広瀬隆さん長野県富士見町2011年9月20日講演(内容書き出し)

<狂気>リニア中央新幹線試乗会
「ただすぐにトンネルに入ってしまいました」9/22 TOKYO MX(文字起こし)



「採算は取れない」と自ら言っているのになぜトンネルを掘るの?
アルプルに穴を掘りたい理由が別にあるのではないかと勘ぐりたくなる。
防空壕にする?
核のゴミ捨て場にする?
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「目標に投下できない場合はどの都市でもいいので町の真ん中に落とせ」との指令で落とされた模擬原爆60発

2015年05月01日 | 日本とわたし
模擬原爆って知ってますか?
わたしはつい最近、姫路在住の友人かわちゃんから話を聞くまで、全く知らずにいました。

↓以下、ウィキペディアより



パンプキン爆弾(パンプキンばくだん、かぼちゃ爆弾、Pumpkin bomb)とは、第二次世界大戦中にアメリカ軍が開発、使用した爆弾である。
1945年8月9日に長崎に投下された原子爆弾(原爆)「ファットマン」の模擬爆弾として知られる。
単に「パンプキン」と呼称される場合も多い。

正式名称は「1万ポンド軽筒爆弾」。
「ファットマン」とほぼ同一の形状を有し、重量もファットマンとほぼ同一になるよう調整された模擬原爆で、構造分類上での通常型爆弾のコードネームである。
マンハッタン計画に携わる、ロスアラモス研究所の科学者と兵士によって命名された。
この爆弾は、原爆投下に備えた爆撃機乗員訓練のためと、今までに例のない特殊な形状をしたファットマンが爆撃機(原爆搭載可能なように特別に改修したB-29)から投下され、
爆発するまでの弾道特性・慣性能率等の様々な事前データ採取のために、いわば「模擬原爆」として製作された。

ー中略ー

実戦投入
投下の目標とされたのは、原爆投下候補地だった京都市、広島市、新潟市、小倉市の各都市を4つのエリアに分けた周辺都市、
(広島市ならば宇部市、新居浜市など、新潟市ならば富山市、長岡市など)にあった軍需・民間の大規模工場・鉄道操車場等であった。
原爆投下候補都市は、原爆による威力を正確に観測するために、事前の空襲は禁止されていたために、周辺都市が目標となった。

1945年7月20日、新潟エリアである富山市・長岡市・福島市・東京都(実例の一部として、現在の練馬区大泉学園地区、西東京市の西武柳沢駅近辺)へ、計10発投下されたのを皮切りに、
30都市に50発(うち1発は任務放棄し爆弾は海上投棄された)ほどが投下され、全体で死者400名・負傷者1200名を超す被害が出た記録が残っている。

しかし、投下は爆撃手の目視によると厳命されており、天候などの制約があるため、必ずしもその場所に投下された訳ではない。
アメリカ軍の資料によれば、前述の目標に投下できない場合には、臨機目標としてどの都市でもいいので町の真ん中に落とすように、という指示があったとされる。

その為、7月26日の訓練では、天候悪化により富山の軍需工場への爆撃に失敗し、
その帰りに島田市(島田空襲)、焼津市、静岡市、名古屋市、大阪市など、軍需工場とまったく関係ないところにまで投下されたというような例もある。

搭載機は、原爆投下任務時同様に、パンプキンを目視にて投下後、速やかに155度の急旋回・急加速にて回避行動をとることとされた。
これは原爆投下後、搭載機を含めた攻撃部隊が、爆発に巻き込まれることを避けるためである。
もっとも、原爆投下任務全てにおいて、爆撃機乗員の生命の安全は何ら保障されていなかったようである。
戦後、米戦略爆撃調査団はパンプキンに対して、
「当該爆弾が、目標に直撃及び至近弾となった場合、目標に相当量の構造的被害を与える非常に合理的かつ効果的な兵器であった」、との評価を下した報告書をまとめている。
原爆投下より、前の模擬投下は「フェーズⅠ」として行われ、その後「フェーズII」として、8月14日に春日井市に4発、挙母町(現豊田市)に3発投下されている
これは戦後に、この爆弾を使用して効果が得られるかどうかのテストとして行われたもので、有効な兵器とされたが、生産コストに見合わないとして不採用とされた。
そのため、テニアン島に残っていた66発のパンプキン爆弾は、その場で海に沈められ破棄された。
爆弾の破棄には、機密保持の意味もあったとされる。

陸軍航空隊のエリートパイロットでB-29「ストレートフラッシュ」の機長であったクロード・イーザリーは、7月20日の訓練で、
郡山市の天候悪化のため、皇居に向けてパンプキン爆弾を投下(昭和天皇の殺害を目論んだとも言われている[1])するも目標を外し、呉服橋に着弾させている
アメリカ軍は、降伏交渉相手であると同時に、日本人に対する心理的影響を懸念し、皇居を狙ったいかなる攻撃も禁止していた為、イーザリーのこの独断行為は命令違反とされた。
その為、本来広島への原子爆弾搭載機に指定されていたイーザリーの搭乗する「ストレートフラッシュ」は任務を外され、気象観測機として「エノラ・ゲイ」に随伴する事となった。


↑以上、転載おわり

人殺しと町の破壊を目的に作られた爆弾に、パンプキンなどというふざけたニックネームをつけて呼ぶ神経。
「目標に投下できない場合には、臨機目標としてどの都市でもいいので町の真ん中に落とすように」というような非情なことが指令としてまかり通るのが、軍という組織なのです。

模擬といっても、爆弾はプルトニウムとそれを核分裂させるシステムを持っているのですから、落とされた場所はもちろんのこと、周辺にも核物質による汚染が発生しているはずです。
↑以上の文章は、わたしの単なる思い込みで書いてしまったものです。
模擬原爆の内容物は通常の火薬(TNT火薬1万ポンド)で、プルトニウムなどは含まれていなかったと、今知りました。
勉強不足で適当なことを書いてしまいました。本当に申し訳ありませんでした。


軍という組織は往々にして、無極なほどの暴力を平気で振るうものですが、米軍のそれはその中でも群を抜いて酷い。
なぜかというと、権力の極みにのし上がってしまっているからです。
けれどもようやく、そんなことにほとほとうんざりしている市民や退役軍人が、今のような在り方は間違っていると声を上げ、それに耳を傾ける人たちが増えてきました。

日本では今、そんな世にも愚かな、人道的に間違っている戦争組織を作ってしまおうと、躍起になっている人たちがいます。
まるで無邪気な子どもが積み木を積み上げるかのように、だんだんとその姿が大きく高くなっていくのは、本当に恐ろしいです。
でも止めたい。なんとかして。

令丈ヒロ子さんという、子どもたちに人気のある漫画家の方が、すばらしい本を描いてくださったことを、『ピースあいち』の金子力さんという方の記事で知りました。
すっかり前置きが長くなってしまいましたが、ここに紹介したいと思い、転載させていただきます。
(なお、この記事は、2011年に書かれたものです)
↓転載はじめ

「模擬原爆パンプキン」が児童文学のテーマに
金子力
http://www.peace-aichi.com/piace_aichi/201109/vol_22-5.html

 

「パンプキン!模擬原爆の夏」 講談社

今年(2011年)の夏、大阪の知り合いからうれしい便りが届きました。
児童文学作家の令丈ヒロ子さんが、講談社から『パンプキン!模擬原爆の夏』を出版される、という知らせでした。

「令丈さんって知ってる?」
と妻に聞くと、
「おとうさん、何にも知らんねんね!令丈さんは小中学生の女の子に人気の作家やんか。
『若おかみは小学生』のシリーズは春日井の図書館でひっぱりだこやで、その人がおとうさんのこと本にするの?」

おかしな話になっていきそうです。

「ちがうがな、こんなおっさんが子どもの本のテーマになるかいな」
「そらそうやね」
「僕らの『春日井の戦争を記録する会』が、1991年、ちょうど20年前に埋もれていた歴史を発掘して、模擬原爆パンプキンの存在がわかったやろ」
「あの時は、新聞やテレビが大きく取り上げてくれはったねえ」
「そうや、日本の広島・長崎に原爆を投下したアメリカが、日本各地に49発の模擬原爆パンプキンを投下していたことは、日本国内では公表されてへんかったんや」
「ようわかったね」
「それが偶然やったんや。春日井の空襲を調べてたら、8月14日に、今の王子製紙の場所に爆弾が落とされてたんや」
「8月14日と言うたら、終戦の前の日とちがうの」
「そうやねん。あと1日で戦争が終わるという時に、空襲で家を焼かれたり、命を奪われたりしたんや」
「そんなあほなことがあるの」
「それでな、そこんとこを調べて行ったわけや。何のために終戦前日に春日井に爆弾を落としたのか?
「そんなことわかるの?」
「アメリカ軍はちゃんと記録を残しとるんや」
「いつのまにアメリカへ行ったん?」
「行ってへんけど、東京の国会図書館に資料があるんや」
「それでわかったん?」
「いや、それがな、1944年11月から1945年8月までのB-29の出撃記録を調べたけど、8月14日に、春日井はおろか愛知県に行った飛行機が無かったんや」
「見落としたん違う?」
「いやなんぼ見直しても無いんや」
「それであきらめたらだめよ」
「そこで調査は行き詰ったんやけど、『全ての出撃をカバーしているはずの出撃記録に無い』ということがわかったんや」
「何やの、そんなんただのわからんことといっしょやん」
「いや、ちがうんや。ひとつだけ例外があったんや」
「例外?」
広島・長崎に原爆を投下した部隊の記録は誰も見てなかったんや」
「広島や長崎の資料館や研究所の人も見てなかったの?」
「誰も見てなかったかどうかは自信が無いけど、2発の原爆と49発の模擬原爆が、一続きの作戦であったことには気づいてなかったことは確かや」
「なんかおかしいな、日本の都市空襲を調べてる研究者も、広島・長崎の原爆の研究者もいたのに、なんで?」
「あとでわかったんやけど、都市空襲と原爆の研究は別々で行われていて、つながってることに目が向いてなかったようや。
それを見つけたなんて、すごいと思わん?」
「偶然というのは恐ろしいなあ!」
「何やねんそのリアクション!
自分らの仮説を証明する資料を、国会図書館の憲政資料室で見つけたんや。
それは1枚の地図と表やった。
7月20日から8月14日に、広島・長崎の原爆と模擬原爆49発のすべてが書かれていたんや」
「それで原爆投下作戦の全てはわかったわけやね」
「いや、ここからが、新しいスタートになったんや。
アメリカが模擬原爆を落としたという場所と日時が本当かどうか、福島県から愛媛県までの地上の追跡が始まったんや」
「その話長くなりそうやから、今日はここまでにしとこか」
「ちょっと待て、これからがええとこや。
でも時間がかかるから、講談社の人がつくってくれた地図を見といてな」・・・


講談社提供 パンプキン爆弾被弾地マップ

・・・それでな、全国回って思ったことは、49発の模擬原爆がひきおこした悲劇は49ある、ということやねん。
400人以上といわれている犠牲者のお名前も、約300人わかってきたんや。
原爆投下の訓練や実験台にされてきたんや。
このことがわかってから、各地で聞き取り調査がまとめられたり、慰霊祭がおこなわれたり、慰霊碑が建立されたり、紙芝居やミュージカルで後世に伝えようという市民運動も広がってきたんや」
「ふーん、知らんかったわ」
「ただ、若い人にわかりやすく伝えることについては、各地で苦労してきたんや。
そこへ、令丈さんが今度、子供向けのわかりやすい本を書いてくれはったわけや。
『戦争』の文字を見ると素通りしてしまう子でも、『へーそんなことがあったんか、知らんかったな、お母ちゃんにも教えたろ』と、入口のハードルは低くなってるんや。
若い子たちにたくさん読んでもらえるとええねんけど」
「よっしゃわかった、知り合いにも子どもや孫のプレゼントに買ってもらうわ」
「たのむわ。ピースあいちも助かるし」
「何の事?」
「いや独り言」
「おとうさん、忘れてるでしょう?」
「何を?」
「こんないい本出してくれた令丈さんに」
「あっそうや、お礼状をまだ書いてなかった」

*『パンプキン!模擬原爆の夏』は、ピースあいちでも取り扱っています。

戦争と平和の資料館 ピースあいち
〒465-0091 名古屋市名東区よもぎ台2-820 電話・FAX:052-602-4222
[設立・運営はNPO平和のための戦争メモリアルセンター設立準備会が行っています]
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