「そば猪口」には、内側中央部に描かれた、「見込み文様」があり、底には、「銘」が記されている場合も
あります。「見込み文様」の変化と、高台内側の「銘」の変化によって、作られた時代を、推定する事が
出来ます。
1) 「見込み文様」とは、酒や茶を飲む時は、水底に浮かぶ文様が楽しめ、蕎麦を食する場合は、
猪口に残った汁を、そば湯で飲み干した場合のみ、現れる奥ゆかしい物です。
① そば猪口以前にも、碗や皿の見込み部分に、文様が付けられていましたが、1700年代頃の元禄
時代から、そば猪口にも、描かれる様に成ります。
② 最初は四弁花文などで、一定な形が、描かれていませんでしたが、やがて五弁花文に、定形化して
行きます。 五弁花文は、梅の花を表し、複弁も付いています。
③ 時代の古い物は、絵付けと同様に、輪郭線を描いた後、「だみ筆」でその間を、埋めています。
④ 18世紀の中頃から、弁の形が丸くなり、複弁も消えていきます。
更に、梅花よりも、弁の部分が大きく成り、形も崩れて来ます。
⑤ 18世紀後半になると、五弁花文と共に、松竹梅を環状に表した物や、円形にした、羊歯(しだ)文
が、表れます。羊歯文は、六方に渦状な物も有ります。
⑥ 18世紀末になると、五弁花文は、益々形が崩れて来ます。そして、線描きだけと成ります。
松竹梅文や羊歯文も、簡素化が進み、 新たに、昆虫らしき文様が現れます。
その他、数は少ないが、栗の実や、筆と宝の組み合わせなどが、加わります。
⑦ 19世紀初頭になると、新たに、火焔宝珠文、花文、蝶文、岩波文が加わります。
岩波文には、水平線があり、岩と波しぶきが、表現されています。
⑧ 19世紀前期には、見込み文様は、岩波文が中心に成ります。環状松竹梅文は、簡略化され、
松竹梅とは、解からなく成っています。
⑨ 19世紀中期になると、岩波文の波しぶきもなくなり、水の横線も、岩の中に描いています。
⑩ 19世紀後半になると、岩波文が描かれていますが、かなり形が崩れています。
以上の様に、文様が最初に登場した時は、かなり丁寧に描かれていますが、時代が下るに従い、簡素化や、
形が崩れて、判別しずらい程に、変化して行きます。
2) そば猪口の、高台内側に「銘」が書かれている物も、有ります。
① 「宣徳年製」の銘のある、そば猪口は、1660~70年代に作られた、そば猪口です。
但し、「宣徳」の年号は、中国の明時代の年号で1426~35年に当たります。
これは、明末の景徳鎮で焼かれた、作品を手本として、模倣した為と思われます。
② 「大明成化年製」、「宣明年製」の銘は、18世紀後半まで、盛んに使われています。
「大明成化」は、我が国の年号ですが、江戸時代を通じて、使用されています。
「宣明年製」は、「宣徳」の「宣」と「大明成化」の「明」を、組み合わせえた物で、中国にも
ない年号です。1670~80年頃に、多く使われていました。
③ 「大明年製」銘は、18世紀に流行した、国号です。
しかし、1810年頃には、この「銘」も、ほとんど姿を消します。
④ 「富貴長春」銘は、18世紀末に、多く使われた銘です。
⑤ 逆台形型の「そば猪口」は、1780~1860年にかけて、大量に作られていますが、銘の入った
物は少ないです。
・ 「銘」の書体も、時代が下るに従い、崩れていくのは、「見込み文様」の場合と同じです。
以下次回に続きます。
参考資料: 「そば猪口事典」 別冊太陽 平凡社
見込み文 銘
あります。「見込み文様」の変化と、高台内側の「銘」の変化によって、作られた時代を、推定する事が
出来ます。
1) 「見込み文様」とは、酒や茶を飲む時は、水底に浮かぶ文様が楽しめ、蕎麦を食する場合は、
猪口に残った汁を、そば湯で飲み干した場合のみ、現れる奥ゆかしい物です。
① そば猪口以前にも、碗や皿の見込み部分に、文様が付けられていましたが、1700年代頃の元禄
時代から、そば猪口にも、描かれる様に成ります。
② 最初は四弁花文などで、一定な形が、描かれていませんでしたが、やがて五弁花文に、定形化して
行きます。 五弁花文は、梅の花を表し、複弁も付いています。
③ 時代の古い物は、絵付けと同様に、輪郭線を描いた後、「だみ筆」でその間を、埋めています。
④ 18世紀の中頃から、弁の形が丸くなり、複弁も消えていきます。
更に、梅花よりも、弁の部分が大きく成り、形も崩れて来ます。
⑤ 18世紀後半になると、五弁花文と共に、松竹梅を環状に表した物や、円形にした、羊歯(しだ)文
が、表れます。羊歯文は、六方に渦状な物も有ります。
⑥ 18世紀末になると、五弁花文は、益々形が崩れて来ます。そして、線描きだけと成ります。
松竹梅文や羊歯文も、簡素化が進み、 新たに、昆虫らしき文様が現れます。
その他、数は少ないが、栗の実や、筆と宝の組み合わせなどが、加わります。
⑦ 19世紀初頭になると、新たに、火焔宝珠文、花文、蝶文、岩波文が加わります。
岩波文には、水平線があり、岩と波しぶきが、表現されています。
⑧ 19世紀前期には、見込み文様は、岩波文が中心に成ります。環状松竹梅文は、簡略化され、
松竹梅とは、解からなく成っています。
⑨ 19世紀中期になると、岩波文の波しぶきもなくなり、水の横線も、岩の中に描いています。
⑩ 19世紀後半になると、岩波文が描かれていますが、かなり形が崩れています。
以上の様に、文様が最初に登場した時は、かなり丁寧に描かれていますが、時代が下るに従い、簡素化や、
形が崩れて、判別しずらい程に、変化して行きます。
2) そば猪口の、高台内側に「銘」が書かれている物も、有ります。
① 「宣徳年製」の銘のある、そば猪口は、1660~70年代に作られた、そば猪口です。
但し、「宣徳」の年号は、中国の明時代の年号で1426~35年に当たります。
これは、明末の景徳鎮で焼かれた、作品を手本として、模倣した為と思われます。
② 「大明成化年製」、「宣明年製」の銘は、18世紀後半まで、盛んに使われています。
「大明成化」は、我が国の年号ですが、江戸時代を通じて、使用されています。
「宣明年製」は、「宣徳」の「宣」と「大明成化」の「明」を、組み合わせえた物で、中国にも
ない年号です。1670~80年頃に、多く使われていました。
③ 「大明年製」銘は、18世紀に流行した、国号です。
しかし、1810年頃には、この「銘」も、ほとんど姿を消します。
④ 「富貴長春」銘は、18世紀末に、多く使われた銘です。
⑤ 逆台形型の「そば猪口」は、1780~1860年にかけて、大量に作られていますが、銘の入った
物は少ないです。
・ 「銘」の書体も、時代が下るに従い、崩れていくのは、「見込み文様」の場合と同じです。
以下次回に続きます。
参考資料: 「そば猪口事典」 別冊太陽 平凡社
見込み文 銘