わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

骨董入門 5 (そば猪口3)

2011-01-19 22:39:58 | 縄文土器の話、骨董の話
「そば猪口」には、内側中央部に描かれた、「見込み文様」があり、底には、「銘」が記されている場合も

 あります。「見込み文様」の変化と、高台内側の「銘」の変化によって、作られた時代を、推定する事が

 出来ます。

1) 「見込み文様」とは、酒や茶を飲む時は、水底に浮かぶ文様が楽しめ、蕎麦を食する場合は、

   猪口に残った汁を、そば湯で飲み干した場合のみ、現れる奥ゆかしい物です。

 ① そば猪口以前にも、碗や皿の見込み部分に、文様が付けられていましたが、1700年代頃の元禄

   時代から、そば猪口にも、描かれる様に成ります。

 ② 最初は四弁花文などで、一定な形が、描かれていませんでしたが、やがて五弁花文に、定形化して

   行きます。 五弁花文は、梅の花を表し、複弁も付いています。

 ③ 時代の古い物は、絵付けと同様に、輪郭線を描いた後、「だみ筆」でその間を、埋めています。

 ④ 18世紀の中頃から、弁の形が丸くなり、複弁も消えていきます。

   更に、梅花よりも、弁の部分が大きく成り、形も崩れて来ます。

 ⑤ 18世紀後半になると、五弁花文と共に、松竹梅を環状に表した物や、円形にした、羊歯(しだ)文

   が、表れます。羊歯文は、六方に渦状な物も有ります。

 ⑥ 18世紀末になると、五弁花文は、益々形が崩れて来ます。そして、線描きだけと成ります。

    松竹梅文や羊歯文も、簡素化が進み、 新たに、昆虫らしき文様が現れます。

    その他、数は少ないが、栗の実や、筆と宝の組み合わせなどが、加わります。

 ⑦ 19世紀初頭になると、新たに、火焔宝珠文、花文、蝶文、岩波文が加わります。

   岩波文には、水平線があり、岩と波しぶきが、表現されています。

 ⑧ 19世紀前期には、見込み文様は、岩波文が中心に成ります。環状松竹梅文は、簡略化され、

   松竹梅とは、解からなく成っています。

 ⑨ 19世紀中期になると、岩波文の波しぶきもなくなり、水の横線も、岩の中に描いています。

 ⑩ 19世紀後半になると、岩波文が描かれていますが、かなり形が崩れています。

以上の様に、文様が最初に登場した時は、かなり丁寧に描かれていますが、時代が下るに従い、簡素化や、

形が崩れて、判別しずらい程に、変化して行きます。

2) そば猪口の、高台内側に「銘」が書かれている物も、有ります。

 ① 「宣徳年製」の銘のある、そば猪口は、1660~70年代に作られた、そば猪口です。

   但し、「宣徳」の年号は、中国の明時代の年号で1426~35年に当たります。

   これは、明末の景徳鎮で焼かれた、作品を手本として、模倣した為と思われます。

 ② 「大明成化年製」、「宣明年製」の銘は、18世紀後半まで、盛んに使われています。

   「大明成化」は、我が国の年号ですが、江戸時代を通じて、使用されています。

   「宣明年製」は、「宣徳」の「宣」と「大明成化」の「明」を、組み合わせえた物で、中国にも

   ない年号です。1670~80年頃に、多く使われていました。

 ③ 「大明年製」銘は、18世紀に流行した、国号です。

   しかし、1810年頃には、この「銘」も、ほとんど姿を消します。

 ④ 「富貴長春」銘は、18世紀末に、多く使われた銘です。

 ⑤ 逆台形型の「そば猪口」は、1780~1860年にかけて、大量に作られていますが、銘の入った

   物は少ないです。

・ 「銘」の書体も、時代が下るに従い、崩れていくのは、「見込み文様」の場合と同じです。

以下次回に続きます。

 参考資料: 「そば猪口事典」 別冊太陽  平凡社

 見込み文 銘
 
コメント
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