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二川宿本陣資料館
4月4日は、せっかくの日曜日でしたが、雨模様でした。しかし最近史跡めぐりをあまりしていないので、雨でも訪れることができるところへ行きました。豊橋市の二川宿に行ってきました。東海道を歩いて踏破したという知人から「行って損はない」と言われたので、いつかは行ってみようと思っていました。
二川宿は東海道33番目の宿
東海道の宿場は、これまでに鳴海宿、池鯉鮒(知立)宿を見てきましたが、二川宿は初めてです。
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二川宿の位置(知立市のパンフレットより)
二川宿は江戸から33番目の宿だそうです。ちょうど三河の玄関口に当たります。
高札場
二川宿本陣資料館というところが、本陣跡になります。資料館の脇に「高札場」の復元がありました。
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高札場復元(ここに、宿場に入れない者や人足、馬などの使用料が書かれていたようです。
江戸時代の旅の服装
資料館に入ると、さっそく江戸時代の旅の人がいました。時代劇でなじみの格好です。
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道が折れ曲がっている
二川宿の模型がありました。
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右側の青い線は、川です。梅田川です。その左に奥のほうから真っ直ぐ伸びているのが、東海道です。二川宿は東海道に沿ってきれいに建物が並んでいます。また、昔の絵図ではっきりと分かるように宿の中で道が折れ曲がっています。これは、防衛のためだそうです。これは、同じ宿場町池鯉鮒でもありました。
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「二川宿絵図」(パンフレット「豊橋市二川宿本陣資料館展示案内」より)
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知立市を通る東海道の案内板
本陣、旅籠屋を復原
さて、この二川宿資料館のすごいところは、本陣や旅籠を復元していることです。下の写真は本陣の表門です。本陣復元屋敷の中に、この建物の復元について以下のような説明がありました。
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二川宿本陣の改修復原工事は、昭和63年より3ヵ年をかけて行い、現存部分の解体・修復に続き、取り壊されていた書院棟の復原を行いました。
工事は建物全体をおおうように屋根をかけ、その中で解体・調査を行い、腐朽の木材・瓦を取り換え、江戸時代末期の姿に復原しました。
建物の解体にともない、棟札、墨書のある柱・壁・銘の入った瓦、古銭などが見つかり、建物の建築、再建、修復の年代を決定するのに役立ちました。
パンフレットに、その本陣、旅籠の間取り図がありました。
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二川宿復元間取り図(図上部は旅籠屋「清明屋」下部は本陣、資料館パンフレットより)
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本陣玄関
本陣経営も楽じゃない
さて、本陣は大名が宿泊する施設なので、幕府で造るのかと思っていましたが、その町の豪商を指定しているようです。今復元されているのは、馬場家のものだそうです。本陣の経営も楽なものではないようで、馬場家は三代目になるそうです。(1代目後藤家、2代目紅林家)馬場家は文化4年(1807年)から本陣の経営を始めたそうです。
旅籠「清明屋」
この本陣復原建物の隣は、旅籠屋の復原建物がありました。「清明屋」です。
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清明屋の「ミセニワ」と呼ばれる間、玄関のようなところでしょうか。時代劇そのままで雰囲気が伝わります。
五芒星は安倍晴明の紋
この「清明屋」で、不思議な模様を見つけました。
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この星印は、「五芒星」と言って、陰陽五行では魔よけとして使われていました。先日テレビで、志摩の海女たちがこのマークを手ぬぐい等に刺繍していたのを見ました。また。有名な安倍晴明は、これを自らの紋として使っていました。「清明」と「晴明」少し字は違っていますが、何か関係がありそうな気がしました。
入館料は400円でしたが、たいへん興味深い史料や復原家屋があり、とても有意義な見学でした。