知多大草城 展望台
見学日 2016年1月3日
先日常滑市の大野城を見学しましたが、すぐ近くに知多大草城があります。大草城は他に長久手市や幸田町にもありますので、ここでは知多大草城とします。また豊田市の市場城も別名大草城といいます。
関係する武将
織田長益(ながます) 織田信長の弟。織田信長に弟がいたというのは、あまり知られていません。はじめ、信長に大野城を与えられましたが、大野城は水の便が悪く、ここに新しい城を造ったそうです。しかし、天正14年(1586年)長益は、豊臣秀吉によって摂津の国に所領をあてがわれ、いったん廃城になりました。
山澄淡路守英龍 尾張藩の重臣。古城となった大草城跡に隣接して屋敷を構え、その維持・管理を行ったそうです。山澄氏は、ほぼ江戸期を通して、これを行ったそうです。
※参考 「愛知の山城ベスト50」
尾張大野城の様子はこちらから 尾張大野城(1)常滑市
大草城は、城跡のほぼ全体が大草公園となっています。
大草城の概要(Yahoo地図に加筆しました)図の左下が、山澄氏の屋敷跡です。
例によって史跡の周りをぐるぐる回って駐車場を探しましたが、今回は東側の「津島神社・地蔵寺」の駐車場を見つけることができ、そこに停めさせていただきました。そこから入るとすぐに城跡東側の堀を渡ることができました。
Ⅰ郭の水堀
橋から南のほうの池を写しました。なかなか幻想的でした。
ここに珍しい蝶がいるらしく、カメラを構えた方がいらっしゃいました。何を撮っているのかとお伺いしたところ、越冬している十数羽の蝶が木の葉にとまっているところを教えてくれました。なかなか自然豊かな公園です。
Ⅱ郭の土塁
Ⅰ郭の虎口を通ろうと振り返るとⅡ郭東の土塁が見えました。とても大きかったです。
Ⅰ郭の北土塁と空堀
Ⅰ郭に入ると右側にⅠ郭北の土塁が見えました。少し低くなっていました。公園整備の際に削られたのでしょうか。また、1郭とⅡ郭の間の掘も残っていました。少し浅くなっていました。
展望台
Ⅰ郭に展望台がありました。お城の形でした。
展望台から南の方を見ると山の上にちょこんと大野城が見えました。
大野城
Ⅰ郭東土塁
Ⅰ郭の東側の土塁はすごく高かったので、びっくりしました。
Ⅰ郭東土塁。高さ6m、下幅15m、上幅6m前後だそうです。(「愛知の山城ベスト50」より)
土塁は登ることができました。Ⅱ郭の方を歩いていますと、大きな虎口がありました。
Ⅱ郭の虎口。「愛知の山城ベスト50」によれば、外枡形だそうです。
山澄氏の屋敷跡を訪ねましたが、周りを生垣で囲い、中は平地になっていました。
外郭の土塁跡
また、公園から北西方向に畑があり、土塁と思われる遺構を見ることができました。現在は畑になっていました。
そして公園北の今は削られて家が建っているという土塁跡は、立派なアパートになっていました。
枡形虎口の名残
同じく公園北の曲がった道(枡形虎口の名残)も、見ると「なるほど」と思いました。