緑区の歴史をもっと知りたいとネットで調べていたところ、「みどりの歴史を訪ねて鳴海編」という書物を見つけ、それが名古屋市天白区の「荒木集成館」というところにおいてあるということで、今日(6月2日)は、さっそく荒木集成館に行ってみました。

画像は、「荒木集成館」のHPを使用しました。
行ってみると、女性の方が玄関からちょうど出てきたところで、「見学できますか」と聞くと、「どうぞ、どうぞ」と、とてもにこやかに応対していただきました。
その方は、「一ノ瀬芳翠(いちのせ ほうすい)」という立派な書道作家の方でした。
今ちょうど「文房四宝―書家の机まわり―一ノ瀬芳翠収集品」という特別展示をしていて、その一ノ瀬さんから直接展示品の説明を受けることができました。

また、これも偶然ですが、「みどりの歴史を訪ねて鳴海編」の著者である淡河俊之(おうご としゆき)さんもこの荒木集成館にいて、2階の常設展示館の展示品を直接聞きながら見ることができました。

ラッキーな一日でした。また、天白区にこのような「博物館」があるとは全く知らず、大発見の一日でした。

画像は、「荒木集成館」のHPを使用しました。
行ってみると、女性の方が玄関からちょうど出てきたところで、「見学できますか」と聞くと、「どうぞ、どうぞ」と、とてもにこやかに応対していただきました。
その方は、「一ノ瀬芳翠(いちのせ ほうすい)」という立派な書道作家の方でした。
今ちょうど「文房四宝―書家の机まわり―一ノ瀬芳翠収集品」という特別展示をしていて、その一ノ瀬さんから直接展示品の説明を受けることができました。

また、これも偶然ですが、「みどりの歴史を訪ねて鳴海編」の著者である淡河俊之(おうご としゆき)さんもこの荒木集成館にいて、2階の常設展示館の展示品を直接聞きながら見ることができました。

ラッキーな一日でした。また、天白区にこのような「博物館」があるとは全く知らず、大発見の一日でした。
話は「淡河」さんの苗字の話になりますが、「おうご」と読むそうですね。
『太平記』巻11「越前の牛ヶ原地頭自害の事」にでてくる地頭の名前が「淡河時治」で、平泉寺と戦って滅亡するのですが、「あわが」とも「あいかわ」ともいろいろとルビのふり方があって、読みにくい名前でした。
ひょっとすると、その方は子孫の方では・・・?とも思ってしまうのですが。
城歩きマンも大変勉強になりました。
今度で会ったら、ぜひお伺いしたいと思います。
ネットで見てみましたら、神戸市に淡河町(おうごちょう)というところがあり、そこに淡河氏という武家がいたようです。そちらのご子孫かもしれませんね。
淡河さんの他の展示も見てみたいですね