9月16日(日)、久しぶりに「城の会」の見学会に参加しました。越前町の乙坂山にある2つの山城です。
乙坂山の位置(Yahoo地図より)
二つの城の位置(Yahoo地図より)
当日は雨が降り出しそうな天候でしたが、幸い小雨程度で山歩きに大きな影響はありませんでした。ふもとの駐車場に案内の看板がありました。
駐車場の看板
「乙坂には今から1700年ほど前の大和時代に、応神天皇の第4王子であった、息長丹生真人という偉い方が、王女の乙坂姫(忍坂姫)とともに神玉殿に住んでいました。丹生郡や乙坂の名前はここからついたと言われています。南北朝時代には乙坂山に新田義貞の家来畑時能(ときよし)が、芝築地山城を構えていたと伝えられています。乙坂山はその秀麗な形から奈良の三輪山そっくりで古代から神体山として尊ばれてきました。戦時中には頂上に監視小屋があり、武生市役所にあった本部と電話連絡で敵の飛行機を見つけては報告していました。乙坂山は自然が豊かで、ふもとには何か所もきれいな「しょうず」が湧き出ています。展望も良いので子供の遠足やお年寄りの体力作りにも気軽に利用できるように、コースや史跡を整備していきたいと思います。乙坂山の会」
地域に史跡を守る会があって嬉しく思いました。
つづく
乙坂山の位置(Yahoo地図より)
二つの城の位置(Yahoo地図より)
当日は雨が降り出しそうな天候でしたが、幸い小雨程度で山歩きに大きな影響はありませんでした。ふもとの駐車場に案内の看板がありました。
駐車場の看板
「乙坂には今から1700年ほど前の大和時代に、応神天皇の第4王子であった、息長丹生真人という偉い方が、王女の乙坂姫(忍坂姫)とともに神玉殿に住んでいました。丹生郡や乙坂の名前はここからついたと言われています。南北朝時代には乙坂山に新田義貞の家来畑時能(ときよし)が、芝築地山城を構えていたと伝えられています。乙坂山はその秀麗な形から奈良の三輪山そっくりで古代から神体山として尊ばれてきました。戦時中には頂上に監視小屋があり、武生市役所にあった本部と電話連絡で敵の飛行機を見つけては報告していました。乙坂山は自然が豊かで、ふもとには何か所もきれいな「しょうず」が湧き出ています。展望も良いので子供の遠足やお年寄りの体力作りにも気軽に利用できるように、コースや史跡を整備していきたいと思います。乙坂山の会」
地域に史跡を守る会があって嬉しく思いました。
つづく
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます