山頂までのコースは、2つあります。のぼりは「ゆるやかコース」下りは「急コース」で行くことになりました。
「ゆるやかコース」を登る「城の会」の方々
途中案内の方が、「曲輪ではないか」「土塁ではないか」と教えてくれました。

曲輪ではないか
竪土塁ではないか これらの遺構は、今までに指摘されていないものだそうです。
40分ほど登りますと、頂上の芝築地山城にたどり着きました。

芝築地山城看板
「延元(1336~1340)の昔、南朝の勇将新田義貞は、北朝方の足利高経を討つため家来の畑時能に命じたが、惜しくもここで破れた。」
ただ、案内の方は、畑時能がここに来る必要性がないと言っていました
そこで、ネットで「太平記」の第22巻をざっと見ましたが、そこに乙坂山、芝築地山、芝摺山等々の記事はありませんでした。
つづく

「ゆるやかコース」を登る「城の会」の方々
途中案内の方が、「曲輪ではないか」「土塁ではないか」と教えてくれました。

曲輪ではないか

竪土塁ではないか これらの遺構は、今までに指摘されていないものだそうです。
40分ほど登りますと、頂上の芝築地山城にたどり着きました。

芝築地山城看板
「延元(1336~1340)の昔、南朝の勇将新田義貞は、北朝方の足利高経を討つため家来の畑時能に命じたが、惜しくもここで破れた。」
ただ、案内の方は、畑時能がここに来る必要性がないと言っていました
そこで、ネットで「太平記」の第22巻をざっと見ましたが、そこに乙坂山、芝築地山、芝摺山等々の記事はありませんでした。
つづく
雨が降りそうな天気でしたが、何とか最後まで持ちましたね。
頂上まではつらい思いをして登るのですが、いろいろと遺構を見ているとその辛さを忘れますね。
この次も元気で参加してください。
コメントありがとうございます。
もう歳でしょうか。それとも日ごろの運動不足でしょうか。たかだか300m弱の山に登るのに、結構疲れました。しかし、おっしゃるように遺構を見ると元気が出てきて、頂上でも昼食をいただく前に、うろうろと歩き回っていました。雨が降らなかったのは、案内の方の行いが良かったおかげです。
ありがとうございました。