5月6日(月)、岡崎に用事があったので、ついでに北野廃寺跡を訪ねました。

北野廃寺は、岡崎市の北、三菱自動車工場のすぐ東にあります。

伽藍配置が飛鳥・四天王寺と同じ

上の写真のように、南大門から僧坊まで一直線に並べる伽藍配置は、飛鳥・四天王寺と同じだそうです。このお寺は、白鳳時代(645年大化の改新から710年平城遷都までの時代)前期に立てられたものと考えられています。
南大門跡

塔跡

この塔は、後ろの金堂に比べ大きいそうです。これは「釈迦を供養する塔中心の初期仏教思想のあらわれであろうか。」と案内板は推測していました。

この塔の柱を支えていた心礎には、ある工夫がなされていました。それは排水溝です。びっくりしました。昔の建築物にこんな工夫があるとは知りませんでした。

講堂の柱が9×5?

不思議だったのは、講堂の柱の数です。東西に9本、南北に5本です。案内板には8間に4軒の建物とありました。写真を見ても分かるとおり、出入り口が中央ではなくやや東よりです。出入り口を中央にすると柱が邪魔になります。
どうして柱の数を偶数にして出入り口を中央にしていないのか、謎です。ふと梅原猛の「隠された十字架」の法隆寺中門のことを思い出しました。法隆寺中門も4間で真ん中に柱があります。これは、聖徳太子の霊を閉じ込めるためのものだということを梅原猛が指摘していましたが、この北野廃寺にも何かわけがあったのでしょうか。

北野廃寺は、岡崎市の北、三菱自動車工場のすぐ東にあります。

伽藍配置が飛鳥・四天王寺と同じ

上の写真のように、南大門から僧坊まで一直線に並べる伽藍配置は、飛鳥・四天王寺と同じだそうです。このお寺は、白鳳時代(645年大化の改新から710年平城遷都までの時代)前期に立てられたものと考えられています。
南大門跡

塔跡

この塔は、後ろの金堂に比べ大きいそうです。これは「釈迦を供養する塔中心の初期仏教思想のあらわれであろうか。」と案内板は推測していました。

この塔の柱を支えていた心礎には、ある工夫がなされていました。それは排水溝です。びっくりしました。昔の建築物にこんな工夫があるとは知りませんでした。

講堂の柱が9×5?

不思議だったのは、講堂の柱の数です。東西に9本、南北に5本です。案内板には8間に4軒の建物とありました。写真を見ても分かるとおり、出入り口が中央ではなくやや東よりです。出入り口を中央にすると柱が邪魔になります。
どうして柱の数を偶数にして出入り口を中央にしていないのか、謎です。ふと梅原猛の「隠された十字架」の法隆寺中門のことを思い出しました。法隆寺中門も4間で真ん中に柱があります。これは、聖徳太子の霊を閉じ込めるためのものだということを梅原猛が指摘していましたが、この北野廃寺にも何かわけがあったのでしょうか。
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