すこし前の話ですが、4月5日中日新聞に以下のような記事が掲載されました。
岡崎城で400メートル石垣確認
国内最長、江戸期の絵図通り
愛知県岡崎市が進める再開発に伴う発掘調査で、岡崎城の南を流れる乙川の河川敷に埋もれていた江戸時代前期の石垣が、総延長四百メートルにわたり残っていたことが分かった。当時の絵図に描かれた「菅生川端石垣(すごうがわばたいしがき)」で、現存する城壁としては国内最長となる。
石垣の所在地。橙色の部分
地下三メートルにまで及ぶ石垣の高さは、地上部分を含めて最大五メートル。市が昨年十月に始めた中心市街地の再開発「乙川リバーフロント計画」の工事で河川敷を掘り起こしたところ、地中に埋もれていた石垣の一部が露出し、市教委が十二月から発掘調査をしていた。
石垣は一六四四(正保元)年、三代目岡崎藩主本多忠利が完成させた。敵の侵入を防ぐための「横矢枡形(よこやますがた)」と呼ばれる射撃用の突出部が三カ所、矢の射程を考慮して八十メートル間隔で続く。江戸中期以降に描かれた絵図によって存在は知られていたが、土や草木に覆われ、詳しい保存状態は分かっていなかった。
城壁は現在も川の堤防を兼ねており、崩れないように一度掘り起こした石垣は埋め戻さなければならない。
市は十六日午後二時から、江戸時代の築城術に詳しい広島大大学院の三浦正幸教授による一般向けの現地説明会を開く。会場は同市康生町、岡崎ニューグランドホテルの南側。問い合わせは市教委=電0564(23)6177=へ。
発掘した石垣の高さを示しているところ
中日新聞(2016年4月5日 朝刊)
岡崎城の南を流れる菅生川(乙川)沿いに石垣がありましたが、なんと発掘したら、高さが5メートルほどもあり、(今まで露出していたのは高さ2メートルぐらい、地下に3メートル埋まっていた)長さが直線で約400メートルあったというのです。直線で長さ400メートルというのは日本最長だそうです。
4月16日現地説明会がありましたので、さっそく出かけて見ました。
菅生川沿いに見える石垣。立っている人と比べると約2メートルぐらいというのがよくわかります。
現地説明会
説明会の会場は人でいっぱいでした。
説明する広島大学の三浦教授
三浦教授のお話
説明によれば、昨年12月に、それまで天井石が見えていた石垣がどれくらい地下まであるのか、試掘調査をしたそうです。今年2月~3月には検出作業(草や木の根っこの除去)をし、3月に石垣の検出をしたところ、地上約2メートル、地下約3メートル計約5メートルの石垣であったことが分かったそうです。
また、石垣の途中3箇所に横矢枡形と呼ばれる遺構も確認できたそうです。今まではこの横矢枡形が何か分からず、「船着場」だろうということになっていたそうです。(現に船の形をした石のモニュメントが作られています。)石垣は、「野面積み」と「打ち込み接(は)ぎ」の2通りの積み方がごちゃ混ぜになっているそうです。この石垣ができた頃(寛永年間)の技術にしては、時代遅れのものと言っていました。3箇所ある横矢枡形については、当時の鉄砲の射程距離が50~60メートルなので、400メートルの石垣では3つ必要だったとのことです。
横矢枡形
横矢枡形の説明。上に船のモニュメントが見える。
石垣
5メートルの石垣が見える部分
この後、埋め戻されてしまうそうです。
岡崎城といえば、模擬天守の周りだけに目を奪われがちでしたが、意外なところに見所がありました。
岡崎城で400メートル石垣確認
国内最長、江戸期の絵図通り
愛知県岡崎市が進める再開発に伴う発掘調査で、岡崎城の南を流れる乙川の河川敷に埋もれていた江戸時代前期の石垣が、総延長四百メートルにわたり残っていたことが分かった。当時の絵図に描かれた「菅生川端石垣(すごうがわばたいしがき)」で、現存する城壁としては国内最長となる。
石垣の所在地。橙色の部分
地下三メートルにまで及ぶ石垣の高さは、地上部分を含めて最大五メートル。市が昨年十月に始めた中心市街地の再開発「乙川リバーフロント計画」の工事で河川敷を掘り起こしたところ、地中に埋もれていた石垣の一部が露出し、市教委が十二月から発掘調査をしていた。
石垣は一六四四(正保元)年、三代目岡崎藩主本多忠利が完成させた。敵の侵入を防ぐための「横矢枡形(よこやますがた)」と呼ばれる射撃用の突出部が三カ所、矢の射程を考慮して八十メートル間隔で続く。江戸中期以降に描かれた絵図によって存在は知られていたが、土や草木に覆われ、詳しい保存状態は分かっていなかった。
城壁は現在も川の堤防を兼ねており、崩れないように一度掘り起こした石垣は埋め戻さなければならない。
市は十六日午後二時から、江戸時代の築城術に詳しい広島大大学院の三浦正幸教授による一般向けの現地説明会を開く。会場は同市康生町、岡崎ニューグランドホテルの南側。問い合わせは市教委=電0564(23)6177=へ。
発掘した石垣の高さを示しているところ
中日新聞(2016年4月5日 朝刊)
岡崎城の南を流れる菅生川(乙川)沿いに石垣がありましたが、なんと発掘したら、高さが5メートルほどもあり、(今まで露出していたのは高さ2メートルぐらい、地下に3メートル埋まっていた)長さが直線で約400メートルあったというのです。直線で長さ400メートルというのは日本最長だそうです。
4月16日現地説明会がありましたので、さっそく出かけて見ました。
菅生川沿いに見える石垣。立っている人と比べると約2メートルぐらいというのがよくわかります。
現地説明会
説明会の会場は人でいっぱいでした。
説明する広島大学の三浦教授
三浦教授のお話
説明によれば、昨年12月に、それまで天井石が見えていた石垣がどれくらい地下まであるのか、試掘調査をしたそうです。今年2月~3月には検出作業(草や木の根っこの除去)をし、3月に石垣の検出をしたところ、地上約2メートル、地下約3メートル計約5メートルの石垣であったことが分かったそうです。
また、石垣の途中3箇所に横矢枡形と呼ばれる遺構も確認できたそうです。今まではこの横矢枡形が何か分からず、「船着場」だろうということになっていたそうです。(現に船の形をした石のモニュメントが作られています。)石垣は、「野面積み」と「打ち込み接(は)ぎ」の2通りの積み方がごちゃ混ぜになっているそうです。この石垣ができた頃(寛永年間)の技術にしては、時代遅れのものと言っていました。3箇所ある横矢枡形については、当時の鉄砲の射程距離が50~60メートルなので、400メートルの石垣では3つ必要だったとのことです。
横矢枡形
横矢枡形の説明。上に船のモニュメントが見える。
石垣
5メートルの石垣が見える部分
この後、埋め戻されてしまうそうです。
岡崎城といえば、模擬天守の周りだけに目を奪われがちでしたが、意外なところに見所がありました。
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