愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

城の会旅行(兵庫県)(8)篠山(ささやま)城(1)

2017年12月13日 05時56分23秒 | 兵庫県
興禅寺を後にして、もう一度戻る感じで篠山城へ行きました。

篠山城の位置(yahoo地図から作成)

前身は八上城
全身は八上城と言います。

篠山城と八上城の位置関係(Google地図から作成)

篠山城天守台から見た八上城

天下普請で建てられた篠山城
八上城は、波多野氏、明智氏、前田氏と城主が続きます。
関ヶ原の戦いの後、慶長13年(1608)に松平康重が八上城から現在の篠山城に移転します。
この移転築城の目的は、豊臣秀頼の大阪城包囲網の一つとしての築城でした。それで、天下普請になり、藤堂高虎が縄張り担当をし、池田輝政が普請総奉行になり、山陰、山陽、南海道17か国、21の大名が夫役を務めたそうです。(城の会資料)天守台は建てられましたが、天守閣は造られませんでした。
江戸時代は、元和5年(1619)藤井松平氏の松平信吉、慶安2年(1748)に形原松平氏松平康信、そして寛延元年(1748)青山忠朝が入り、幕末まで続いたそうです。(城の会資料より)

篠山城縄張り図(城の会資料より)

正方形の篠山城
図のように、ほぼ正方形の外堀に囲まれて本丸、二の丸、三の丸があります。堀の外には、馬出が造られています。本丸と二の丸は、さらに内堀に守られています。北東部は、折れ曲がっていて防備を強化してあります。二の丸には大書院が復元され、本丸には天守台が他より一段高く造られています。

篠山城 続く

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