愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

安土城(1) 滋賀県近江八幡市

2016年07月06日 14時41分59秒 | 滋賀県
安土城に行きました。行かなければと思いつつ、なかなか行かない日が続いていましたので、思い付きでしたが、思い立ったが吉日とばかり突然に行きました。

大手門付近
安土城に着くと、さっそく石垣(石積み)が迎えてくれました。

安土城大手門付近

天主の模型
無料の駐車場から大手門の方へ行きますと、途中休憩所がありましたので、中に入ってみると、なんと安土城天主の模型がありました。

安土城天主の模型。

この模型は、5・6階部分を1/7のスケールで再現しているそうです。

4つの門の意味
さて、大手門付近は案内板で以下のようになっているようです。

大手門付近の図(現地案内板)赤字は書き加えました。

大手道の出口に大手門があり、左右に石積みがあったということです。


大手門推定地と左右の石積み

さらに、左右の石積みには4つの出入り口があったらしいです。4つの出入り口のうち3つが平虎口(普通の出入り口で、防御性が弱い)、西端の虎口が枡形になっています。

平虎口は、公の時の門?
このことに関して、現地案内板では、「織田信長は、安土城に天皇の行幸を計画していたことから、城の正面を京の内裏と同じ三門にしたのではないか、西枡形虎口以外の三門は行幸などの公の時に使用する門であったと推定されます。」としています。

身分ごとの門の使い分け?
しかし、千田嘉博「信長の城」によれば、「なお、大手道の起点になった山麓には石塁を設けて四つの門を開いていました。これも行幸のためではなく、室町時代から戦国期の武家儀礼に則った身分ごとの門の使い分けと考えるべきだと思います。人々が出入りできる門を区別して権威のありかを演出したのです。」と、行幸説を真っ向から否定しています。


西側石積みに設けられた平虎口


西側石積みに設けられた枡形虎口

どちらの説が正しいのか、分かりません。

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