先苅(まずかり)貝塚
資料館の3階は「考古室」です。南知多町にはいっぱい貝塚などの古代遺跡がありました。「先苅(まずかり)貝塚」は、縄文時代早期の遺跡です。この遺跡は、海面より10メートル近く下の層にあった遺跡だそうです。
図の右側の黒い部分が遺跡があったところです。
ということで、「縄文海進」という氷河期が終わって海水面が上昇した時期があり、それによって水没した遺跡をはじめて確認できたものとして、世界的に注目された遺跡だそうです。
貝塚・遺跡の宝庫、南知多町
南知多にはたくさんの遺跡がありました。
また、出土した土器や人骨なども展示してありました。
神経痛で苦しんだ縄文人
この人骨は、縄文人に見られる抜歯がありませんでした。また、説明版によると、「椎骨に病変が見られることから、神経痛で苦しんだであろう」ことが判ると書いてありました。神経痛だったことまで分かるとはすごいと思いました。
土器や骨角器などが所狭しと並べられており、しかもまじかで見られるので、もったいない感じがしました。もう少し事前の勉強をしっかりして、もう一度伺いたいと思いました。
南知多町資料館おしまい
資料館の3階は「考古室」です。南知多町にはいっぱい貝塚などの古代遺跡がありました。「先苅(まずかり)貝塚」は、縄文時代早期の遺跡です。この遺跡は、海面より10メートル近く下の層にあった遺跡だそうです。
図の右側の黒い部分が遺跡があったところです。
ということで、「縄文海進」という氷河期が終わって海水面が上昇した時期があり、それによって水没した遺跡をはじめて確認できたものとして、世界的に注目された遺跡だそうです。
貝塚・遺跡の宝庫、南知多町
南知多にはたくさんの遺跡がありました。
また、出土した土器や人骨なども展示してありました。
神経痛で苦しんだ縄文人
この人骨は、縄文人に見られる抜歯がありませんでした。また、説明版によると、「椎骨に病変が見られることから、神経痛で苦しんだであろう」ことが判ると書いてありました。神経痛だったことまで分かるとはすごいと思いました。
土器や骨角器などが所狭しと並べられており、しかもまじかで見られるので、もったいない感じがしました。もう少し事前の勉強をしっかりして、もう一度伺いたいと思いました。
南知多町資料館おしまい
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