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長比西城虎口
信長公記
信長公記の一節にあって、気になっていた城に登りました。
信長が越前攻めに向かっているところ、同盟関係にあった北近江の浅井長政が寝返ったという知らせを聞き、「是非に及ばず」と、命からがら京に逃げ帰ったおよそ2か月後、浅井長政は、信長の攻撃をおさえるため、東山道(中山道)が見下ろせる山に砦を築きます。それがたけくらべ城・かりやす城です。
さる程に、浅井備前、越前衆を呼び越し、たけくらべ・かりやす、両所に要害を備へ候。信長公御調略を以て、堀・樋口御忠節仕るべき旨御請なり。
六月十九日、信長公御馬を出だされ、堀・樋口謀叛の由承り、たけくらべ・かりやす、取る物も取り敢えず退散なり。たけくらべに一両日御逗留ばさる。(桑田忠親校注「信長公記」新人物往来社)
しかし、あっさりと城将堀・樋口が信長に寝返ってしまい、信長はそれを機に浅井を攻め、いわゆる姉川の戦いになりました。
かりやす城とは、上平寺城のことだそうです。上平寺城は、以前「若越城の会」で連れて行っていただきました。(上平寺城 滋賀県米原市)
中学校校歌
長比(たけくらべ)で、気になっていた理由は、もう一つあって、「たけくらべ」ということばです。私の出身中学校の校歌の2番に「なにをささやく たけくらべ もえたつ夢も おおらかに たくましく・・・」という歌詞があります。この「たけくらべ」というのは、「丈競」と書きます。中学校から見える「丈競山」のことを意味しています。そういう意味でも気になっていた山城でした。
アクセス
さて、長比城は高速で行く時は「関ヶ原インターで」で降り、国道21号線を西に進み、「柏原東」交差点で右に折れて旧中山道に出ます。旧中山道を東に進むと、左側に鳥居が見え、「神明神社参道」の標識があります。その鳥居の東隣に細い道があり、脇に「長比城跡登り口」と書いた標識が建っています。この道を登っていくと、小さな駐車場(数台)があり、そこに車を停めて、城に登ることができます。
また、駐車場と登り口との間にパンフレットの入った箱があり、そこに「長比城、須川山砦トレッキングマップ」という資料が入っていました。
野瀬山登山
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長比城登城口(看板は「野瀬山登山口」となっています)
登り始めると、左手に柏原の街並みが見えます。
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柏原の街並み
つづく
たけくらべの歌は、中学校の体育大会の時の応援歌にも出てきてましたよ。
私はそちらの方をよく覚えていて、山を見るたび、この歌を歌っています。
「たけくらべ山に雲登り、秋の日さんと我が庭の森中健児を照らすなり 日頃鍛えしこのうでを ためさんときは今なるぞ ふれふれ ・・・」
懐かしいですね。
コメントありがとうございます。
そちらの応援歌、少し覚えがあります。
私も歌ったような気がします。だから、メロディーもすんなり出てきました。本当に懐かしいですね。今でも歌っているのでしょうか?