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日々の暮らしのなかで

“地産”地消ではない

2011年08月07日 | 日記・エッセイ・コラム
アナログ人間である 
 
とは思わない
必死に時流に乗ろうとしている点で、
すでにデジタリアンではないのかも知れないが、
ツイッターやフェイスブック、そしてこのブログを
取り仕切っている点をとっても、
アナログな人間であるはずがない
 
と、自分に言い聞かせている事が
そうとは自分で思っていないのかも知れない証拠だ
 
音楽は未だに持ってCDを購入する
CD自体はデジタルなはずだから
それを買い求める事は、アナログなのか?と
自問しては見るものの、
このご時世にダウンロードとは何ものぞ!と
形あるものを買い求めるのは、
アナログラーと称されても差支えがない 
 
110807_183713
 
そんなCDを買いに出掛けた
 
最近はラジオをradikoで聴いている
ネット経由でラジオ放送をパソコンで聴いている
これは凄く便利だ
 
なんといってもノイズがない
電波に左右されることがないので、
いつもクリアーだ
 
そしてもっとも気に入っている機能が
いま、まさに今流れている曲が
なんと言う、誰の楽曲か?ということが直ぐにわかる
これはありがたい
 
ラジオは、聞き耳立てて、一言一句聴いている時は少ない
せいぜい、中高生が深夜ラジオの
なんとも愉しげなコーナーに息を潜めて聞き入っている
時間帯以外にはないものだと思う 
 
だからこそ、今流れている曲が
たとえ気にいったとしても、それを確かめる術が
今まではなかった
 
昨日、仕事中に気に入った曲のアーティストの名を
メモって、今日買いに出掛けた次第
radikoでラジオを聴き、その情報で
CDを買いに出掛ける
 
ダウンロードしないで買いに出掛ける点においてはアナログだが、
生活感はデジタルそのものではないか?
 
ただ、そのCDを購入する店はいつも決まって地元の店
 
「地産地消だぁ!」
 
と、少し的外れな理由で足を運ぶ僕の考え方は、
やっぱりアナログよりなのかも知れない
 
 
 


コメント
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