おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

世界一やでぇ!

2011年07月18日 | 日記・エッセイ・コラム
連休の朝、少し長めに寝ようと
起床時間が過ぎたが、もう一度目を閉じた
 
まどろむ中、再び目を開けると
時計の針は5時を指している
もちろん、それは午後の5時である
 
(しまったぁ!)
 
一日を無駄に過ごしてしまった喪失感が渦巻く中、
目が覚めた
 
夢だった
 
いつ頃からかな?
 
小学生の頃は、指で瞼を開けておかないと
再び眠ってしまうほど、朝が苦手だったが、
それは平日の話で、
日曜日は誰よりも早く目が覚めて、
家族がまだ寝静まるなか、
「マチャアキ海を行く」をひとりで視聴するのが、
何よりもの日曜日の至福だった
 
やがて、中学、高校を経て
社会人になった時からは、日曜日は少し長めに
寝るようになった
時には昼まで寝るときもあったように記憶している
 
しかし、最近、
時間が足りない!と思うようなときがあって、
休みの日には、あれもしたい、これもしたい!って
前日に計画を立ててから眠るもんだから、
寝すぎてしまう事は、何よりも
残念なことになる
 
が、それは、
特別大事な用事でもないんで、
無理に起きることもない
このあたりが、休日のまどろんだ時間が許す、
独特の空気感だ
 
平日の朝より休日の朝の方が目覚めが良いのは、
今も昔も変わりはないけど、
もうひとつ不思議なのが、休日の前の夜だ
 
明日は休みだ!って日に限って、
瞼が何処までも重く、眠くて仕方がない
それに引き換え、明日から仕事だと思うと、
いつまで経っても寝られない
もう、ギンギンに覚醒している自分に嫌気がさす
 
と言うことで、残念ながら、
昨日の“なでしこ”の試合は観ていない
どうしても眠気が勝ってしまったから
 
遅ればせながら、今日はこの言葉で締めないと
いけないような気になって、書きます
 
サッカー女子日本代表チームのみなさん、
優勝おめでとうございます 
 
応援できなくて、すみませんでした
 
 
 


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読書の時間

2011年07月17日 | 日記・エッセイ・コラム
110713_085620
 
贅沢な時間を過ごした
 
贅沢とは、人によって違うものだ
先日、時の流れの速さも
人によって、その感じ方や表現方法が違うと書いたが、
贅沢と言う響きも、人によって違う
 
今日は、朝から村の共同墓地の清掃作業に出掛けた
清掃作業は隔年で実施される
今回は墓地へ行くまでの道の草刈をしたが、
年配者の言葉が少し引っかかって、イライラしならがの
作業となった
掃除は2時間半ほどで終了したが、
どこかモヤモヤした気持ちは残り、この感情を何処に
ぶつければいいのか?と
やりきれない気持ちで帰宅
 
まずは日曜日のルーティーンとしての洗濯を
 
続いて汗を流すためにシャワーを浴びた
冷えた麦茶を飲み、扇風機の風にあたりながら
洗濯終了のアラームを待つ
 
じっとしているだけで汗が噴出す
Tシャツに作業服、トランクスに靴下を
丁寧に物干し竿へ
 
ここまでやってくると、少し胸のモヤモヤも
解消されている
 
昼食までは少し時間がある
 
読書でもしようと思い立つ
先日、弟に推薦された、湊かなえの「告白」を読むことにした
大き目のグラスに氷と麦茶をいれ、
携帯の電源を切って、縁側へと陣取った
 
我が家には縁側がある
隣の家と隣接しているが、それなりに雰囲気のある縁側だ
 
昼までの時間潰しにと思って
ページをめくり始めたが
 
「面白いから読んでみて!」
 
確かに、人に薦めるだけあって、スピード感のある展開で、
次のページ、次のページが気になっていった
 
昼飯を食うのも忘れ、読書に没頭した
 
傍らに置いたグラスの氷は解けている
 
縁側から外を見る
グラスに手を伸ばし、乾いた喉に流し込むと、
あらためて文庫本に視線を落とした
 
贅沢な時間が静かに流れた
 
 
 


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2011年07月16日 | 日記・エッセイ・コラム
110716_164859
 
誰かがデザインをしている
 
唐突に書き出してしまったが、
世の中にあるものは、誰かがデザインをしたものだ
それが、ピンクチラシであれ、
超高層ビルであれ、だ
 
小生も仕事柄、デザインで悩むことがある
 
出来上がったデザインは単純であっても、
そこへ至る過程には、様々な手順や発想があって、
一直線にそこへ向かったわけではないが、
満足いくモノを作るためには、
どんな過程も疎かに出来ない
 
生みの苦しみとまでは言わないが、
単純な、誰にでも思いつきそうなデザインほど、
時間を使っているように思える
 
そのシンプルなデザインの最たるものが
自然界にある
 
蜘蛛の巣ほど、心惹かれるものはない
 
シンプルであって、実に機能的
緻密に計算された形を持ち、
その中心に鎮座する主人たる蜘蛛が
猛々しく見える
 
このデザインに行き着くまでは、
進化の過程もあるだろうが、試行錯誤があったはずだ 
 
いかに効率的に、しかも短時間で仕上げる必要がある
 
蜘蛛だって外敵がいるはずだし、
気を緩めることなく、この自然が織り成す世界の中で、
自分の仕事を遣り抜く
 
しかし、見事だ
 
いつも感心する
 
これは、直径50センチはあっただろうと思う巣
これを足場もなしに、どうやって組み立てていくのだろう?
最初の外輪を作るときには、
風任せで飛ばなければ、とても出来ないような
大きな仕掛けだ
 
もう少し小さな蜘蛛の巣であれば、
小さくちぎった葉っぱを巣に投げつけ、
蜘蛛が動くのを観察するところだが、
これほど立派なモノを見せ付けられると、
下手に出だしができない神々しさがある
 
世の中のモノは、誰かがデザインしているのだが、
蜘蛛の巣はどうやって生まれたのか、
興味がある
 
 


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Be My Venus

2011年07月15日 | 日記・エッセイ・コラム
毎年夏になると、車内に流れる定番の曲がある
いや、1曲じゃないか
 
“渚のオールスターズ”ってご存知?
 
TUBEや織田哲郎らが組んだ期間限定のバンド
かつて夏の季語とさえ言われたTUBEの楽曲が中心であったけど、
オリジナル曲もあり、サンタンオイルのニオイと共に、
夏の雰囲気を盛り上げた
 
当時、同じ職場の若手と、
定時に仕事を終えては駅まで歩き、
飯を食ったり喫茶店で時間を潰すのが定番となっていた
そして、まだ時間があれば、僕が住んでいた社員寮まで歩いた
その時、僕よりも年下の二人が、
渚のオールスターズの歌を大声で唄った
 
 
“愛なんて言葉に、まだ酔える自分が嬉しい”
 
 
代表曲『Be My Venus』のサビの一節だ
当時はまだ20歳をこえたばかりで、
おじさんが歌う、おじさんの心境のように響いた
 
しかし今では、その境地(?)に片足を
突っ込みつつあると、不本意ながら自覚しないわけでもない
 
街角や買い物途中でも、綺麗だったり可愛い女性には
遭遇するし、心ときめく事は否定しないけど、
年に何度か、何人かは
胸が締め付けられほど、視線を奪われる、
まさにタイプのど真ん中、もう、ときめくと言う事では収まらず、
キュンキュンするほど、息苦しくなるほどの女性に
出会うことがある
 
まさに今日がそうだった
 
夕食の買出しに出かけたスーパーで、
ドストライクの女性に遭遇した
まさに“Be My Venus”
綺麗な横顔を、挙動不審なまま視線を送り続けた
 
恋だ、恋
 
(綺麗な人だなぁ~)
 
ただの客同士ですれ違うだけの立場が
切なさを感じる
 
(何してはるんすか?久太郎さん!)
 
叱咤激励なお言葉が聞こえてきそうですけど、
恋は何歳になってもできるものですし、
こんな感情が、まだ自分にあるのが嬉しいと
思ってしまう
 
あの日
 
二人の合唱を聞きながら想像したオッサンの年齢に
近づいたんだろうか
 
 


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アナログならでは

2011年07月14日 | テレビ番組
アナログ放送終了まであと10日
 
テレビ画面の左隅に今月から出ています
 
邪魔になります
 
N〇Kは遠慮がちに出していますが、
民放は容赦がありません
 
肝心のテロップの上にもお構いなしに出続けているので、
番組の85パーセントほどしか理解できません
映画の字幕のように
無意識に視界の中に入れて読むテロップですから、
隠れた文字を想像するような面倒な作業は
しません
 
ですから、テロップが読めません
 
常に、残り日数の数字がテロップの先頭の位置に
なるんで、
読み間違えます
 
野球中継を見ていると、
ホームチームの点数の上にかぶるので、
常に大量リードしている錯覚に陥ります
 
甲子園で試合をしているので、その点は助かります
 
アナログ放送終了まで10日ですが、
実は慌てていません
うちでもデジタル放送は見られるからです
 
では、なぜ、嫌がらせのようなカウントダウン数字を
見ながらアナログを見続けるのか?
 
テレビの画面サイズが対応していないからです
 
そして、カウントダウンをある種の
 
“イベント”
 
として、楽しむことを楽しんでいるからです
 
ミレニアムを迎えるあの時もそうでした
カウントダウンは、何故か興奮します
できることなら、その“瞬間”をこの目に
焼き付けたいと思っていますが、
静かに考えれば、それほどのことでもないので
平常心でその日を待ちます
 
あと10日で、アナログ放送は終わります
 
10日を切ると、徐々に告知部分が大きくなり、
5日を切ると画面の中央に移動するのか?とか
どこまでも、続くような気がしていましたが、
いまでは、少し寂しさも感じます
 
ちなみに、CMの時には
カウントダウンの数字は出ていません
 
デジタル放送をご覧の方にとっては、
プチな情報だと思います
 
 


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