訪問日 2024(令和6)年7月5日(金)
梅雨の晴れ間、朝から青い空が広がっていました。前回、吹屋ふるさと村を訪ね気をよくしたので、今回は鞆の浦を訪ねることにしました。
自宅からの所要時間は50分ほど。どうか青い空が雲に隠れませんようにと願いながら車を走らせると、鞆の浦は願ってもないよい天気でした。
平日の早い時間とあって、福山市営渡船場横の第1駐車場に停まっていたのはわずかでした。観光パンフレットを入手しようと思いましたが、残っているのは外国語のパンフレットのみ。まずは、渡船(平成いろは丸)で久しぶりに仙酔島を訪ねてみようと思いました。
第1駐車場は、渡船乗り場のとなり
駐車場の西となりは、汀邸 遠音近音(みぎわてい をちこち)
岸壁で釣り糸を垂れる人
平成いろは丸のマスト
総トン数は19トン 海援隊の坂本龍馬が乗っていた伊呂波丸は160トン、マスト3本、45馬力
船上から見る遠音近音
旅情を感じさせる船の波
空も海も青一色
弁天島
四つ星ホテル 鷗風亭
(仙酔島)
渡船はこの時間20分ごとに出港し、仙酔島までの所要時間は5分ほどでした。船着き場から小山を超えると、国民宿舎仙酔島があるのですが、2021年3月に営業を終了し残念ながら解体中でした。昔の面影はみじんもありません。それでも目の前の砂浜、それは美しいものでした。
それではと、遊歩道を散策しようと思いましたが、がけ崩れで通行止めになっていました。見たところ開業しているのは、江戸風呂と称する温浴施設を有する旅館1軒だけでした。滞在時間は、結局15分ほど、次の便で引き返すことにしました。
到着後すぐに引き返す渡船
岩のトンネル
解体工事中の旧国民宿舎仙酔島
解体は今年いっぱいかかるようです
在りし日の国民宿舎仙酔島
(2019.1.7撮影)
遊歩道(五色岩はパワースポット)(2019.1.7撮影)
美しい砂浜 市営の海水浴場ですが、今年は解体のがれき撤去の船が入りネットが設置できないため中止となりました。
走島汽船のフェリーが鞆港に向かう
瀬戸内海国立公園は日本で最初の国立公園
江戸風呂の案内看板
仙酔島桟橋から見る穏やかな海
鞆港まで帰ってきました
(福禅寺・対潮楼)
渡船で戻ると、次に訪ねたのが目の前に見上げるようにある対潮楼です。ちょうど先客のご夫婦と入れ違いになり、見事な景色を一人占め状態でした。開け離れた窓からは、かつて朝鮮通信使が「日東第一景勝」と称した瀬戸内海国立公園の景観が目の前に広がり見事という他ありません。筝曲の作曲家・宮城道雄の「春の海」は、この鞆の浦をイメージして作曲されたのは有名な話です。この景観の視角内に、余計なものが入らずに後世まで守られるよう祈念し、寺をあとにしました。
坂道の小路は福禅寺への参道
境内に咲いていた花・アガパンサス
まるで一幅の絵画のよう
鞆の浦は瀬戸内海の中心に位置し、万葉の時代より「潮待ち港」として栄えました。東西から流れてきた潮がぶつかる瀬戸内海の交通の要所となっていました。
朝鮮通信使により、日本一と評価された景色。手前に弁天島、その向こうに仙酔島が重なる。
覗き込むと渡船が出るところでした
対潮楼の扁額
菊の紋章
(福山市鞆の浦歴史民俗資料館)
路地にあったプランターの花
鞆の津商家の折り紙の飾り
お化けがかわいいと思いました
小路を抜け、鞆の津の商家前から正面に見えるのが、鞆城あとに立つ鞆の浦歴史民俗資料館です。息を切らしながら石段を上ると、周囲にバラが植栽された白い建物が見えてきます。一番のお勧めは、何と言ってもここからの眺望。眼下に鞆港を見下ろし、その解放感は半端ではありません。ただ残念なことに、常夜灯は建物の陰に隠れてみることはできません。
資料館を訪問するのは本当に久しぶりでした。一番感心したのが、江戸時代の北前船が入港するころの港町の賑わいを再現した見事なセットです。日が暮れ各民家に灯が徐々にともっていく様子はとても趣があり実によくできていると思いました。
見上げると鞆の浦歴史民俗資料館
資料館前からの開放感あふれる展望。かつて鞆城は毛利氏の支配下にありました。
正面入り口
鯛網は380年続く伝統行事、観光鯛網は毎年5月にお祭りとして開催されています
よくできています
(重伝建の町並みとシンボル常夜灯)
急な石段を下り、重伝建の町並みを散策することにしました。太田家住宅の前の通りが一番なのですが、現在工事中につき撮影範囲は限られます。太田家住宅の裏側に回ると、かつての船板を使用した板壁がありなかなか趣があります。
この頃になると日差しは徐々に強くなり平日ともあって観光客はまばら。鞆のシンボル常夜灯前の広場のお店の主人も暇そうにしていました。常夜灯と鞆港、実に絵になる景色です。雁木(がんぎ)下の海中をのぞき込むと、何とゆうに30cmはあろうかと思われるクロダイがゆっくり泳いでいました。これは珍しいことなのか、当たり前の光景なのか釣りにはまったくの素人の私にはわかりません。
レトロ感あふれる澤村船具店
美しい町並み 右のお店は松右衛門帆(雑貨店)
鞆は、「崖の上のポニョ」の舞台と言われています。宮崎駿監督は、この町を気に入り3か月間も滞在したそうです。
杉玉・保命酒屋 現在保命酒を製造販売する会社は、4社のみ
美しい町並み
重要文化財 太田家住宅
鞆のシンボル 常夜灯と雁木
右に、いろは丸展示館、正面に常夜灯 鞆を代表する景観です。
雁木(がんぎ)と常夜灯 江戸時代からの遺構です
太田家住宅の裏道 船板壁がぐるりと取り囲む
補修の跡も美しい
こちらも美しい通り
四つ角の洋館の建物・友光軒 昭和初期に建築された大正モダン溢れる佇まい。理髪店と銭湯で鞆の浦の憩いの場でした。1991年に理髪店は店じまい。以降、喫茶店、キャンドルの店、オムライスの店、ハヤシライスの店など続きましたが、現在は閉店しています。
銭湯跡の天井が今も残されています
(医王寺)
鞆に来たら欠かせないのが医王寺からの絶景です。町筋を抜け500mの坂道を息を切らしながら上った先にあり、そこから鞆港が一望できます。鐘楼前のベンチは特等席。この時間、境内には誰もいませんでした。はるか向こうには、四国の山々、条件的には最高でした。しかし何といっても一番の眺望はさらに583段の石段を上った先にある太子殿です。夏場はきつく、もう10年ほど登っていません。
医王寺への入り口付近、道の両側に吊るされた紙細工の飾り
誰もいない医王寺境内。医王寺は826年空海によって開基され、あのシーボルトも訪ねたそうです。
鐘楼前のベンチは、展望の特等席
左側から見る鞆港
少し右から見る鞆港
遠くに四国も見渡せます
帰りに訪ねたのが、鞆の浦景観茶房セレーナ 残念ながらまだ開店前でした。
最後に保命酒の岡本亀太郎本店で、保命酒のジェラートに舌鼓したあと鞆の浦をあとにしました。
岡本亀太郎本店
龍に守られた保命酒の大看板 右側の仏外和尚拳骨床柱が気になります。 この建物は福山城の長屋門を移築したもので、市の重要文化財に指定されています。
保命酒入りのジェラート アルコールは飛ばしてあるそうです
反対側の駐車場に近い雁木付近で撮影した鞆港
絵になります
漁船が並んでいます
最後までご覧いただきありがとうございました。
梅雨の晴れ間、朝から青い空が広がっていました。前回、吹屋ふるさと村を訪ね気をよくしたので、今回は鞆の浦を訪ねることにしました。
自宅からの所要時間は50分ほど。どうか青い空が雲に隠れませんようにと願いながら車を走らせると、鞆の浦は願ってもないよい天気でした。
平日の早い時間とあって、福山市営渡船場横の第1駐車場に停まっていたのはわずかでした。観光パンフレットを入手しようと思いましたが、残っているのは外国語のパンフレットのみ。まずは、渡船(平成いろは丸)で久しぶりに仙酔島を訪ねてみようと思いました。
第1駐車場は、渡船乗り場のとなり
駐車場の西となりは、汀邸 遠音近音(みぎわてい をちこち)
岸壁で釣り糸を垂れる人
平成いろは丸のマスト
総トン数は19トン 海援隊の坂本龍馬が乗っていた伊呂波丸は160トン、マスト3本、45馬力
船上から見る遠音近音
旅情を感じさせる船の波
空も海も青一色
弁天島
四つ星ホテル 鷗風亭
(仙酔島)
渡船はこの時間20分ごとに出港し、仙酔島までの所要時間は5分ほどでした。船着き場から小山を超えると、国民宿舎仙酔島があるのですが、2021年3月に営業を終了し残念ながら解体中でした。昔の面影はみじんもありません。それでも目の前の砂浜、それは美しいものでした。
それではと、遊歩道を散策しようと思いましたが、がけ崩れで通行止めになっていました。見たところ開業しているのは、江戸風呂と称する温浴施設を有する旅館1軒だけでした。滞在時間は、結局15分ほど、次の便で引き返すことにしました。
到着後すぐに引き返す渡船
岩のトンネル
解体工事中の旧国民宿舎仙酔島
解体は今年いっぱいかかるようです
在りし日の国民宿舎仙酔島
(2019.1.7撮影)
遊歩道(五色岩はパワースポット)(2019.1.7撮影)
美しい砂浜 市営の海水浴場ですが、今年は解体のがれき撤去の船が入りネットが設置できないため中止となりました。
走島汽船のフェリーが鞆港に向かう
瀬戸内海国立公園は日本で最初の国立公園
江戸風呂の案内看板
仙酔島桟橋から見る穏やかな海
鞆港まで帰ってきました
(福禅寺・対潮楼)
渡船で戻ると、次に訪ねたのが目の前に見上げるようにある対潮楼です。ちょうど先客のご夫婦と入れ違いになり、見事な景色を一人占め状態でした。開け離れた窓からは、かつて朝鮮通信使が「日東第一景勝」と称した瀬戸内海国立公園の景観が目の前に広がり見事という他ありません。筝曲の作曲家・宮城道雄の「春の海」は、この鞆の浦をイメージして作曲されたのは有名な話です。この景観の視角内に、余計なものが入らずに後世まで守られるよう祈念し、寺をあとにしました。
坂道の小路は福禅寺への参道
境内に咲いていた花・アガパンサス
まるで一幅の絵画のよう
鞆の浦は瀬戸内海の中心に位置し、万葉の時代より「潮待ち港」として栄えました。東西から流れてきた潮がぶつかる瀬戸内海の交通の要所となっていました。
朝鮮通信使により、日本一と評価された景色。手前に弁天島、その向こうに仙酔島が重なる。
覗き込むと渡船が出るところでした
対潮楼の扁額
菊の紋章
(福山市鞆の浦歴史民俗資料館)
路地にあったプランターの花
鞆の津商家の折り紙の飾り
お化けがかわいいと思いました
小路を抜け、鞆の津の商家前から正面に見えるのが、鞆城あとに立つ鞆の浦歴史民俗資料館です。息を切らしながら石段を上ると、周囲にバラが植栽された白い建物が見えてきます。一番のお勧めは、何と言ってもここからの眺望。眼下に鞆港を見下ろし、その解放感は半端ではありません。ただ残念なことに、常夜灯は建物の陰に隠れてみることはできません。
資料館を訪問するのは本当に久しぶりでした。一番感心したのが、江戸時代の北前船が入港するころの港町の賑わいを再現した見事なセットです。日が暮れ各民家に灯が徐々にともっていく様子はとても趣があり実によくできていると思いました。
見上げると鞆の浦歴史民俗資料館
資料館前からの開放感あふれる展望。かつて鞆城は毛利氏の支配下にありました。
正面入り口
鯛網は380年続く伝統行事、観光鯛網は毎年5月にお祭りとして開催されています
よくできています
(重伝建の町並みとシンボル常夜灯)
急な石段を下り、重伝建の町並みを散策することにしました。太田家住宅の前の通りが一番なのですが、現在工事中につき撮影範囲は限られます。太田家住宅の裏側に回ると、かつての船板を使用した板壁がありなかなか趣があります。
この頃になると日差しは徐々に強くなり平日ともあって観光客はまばら。鞆のシンボル常夜灯前の広場のお店の主人も暇そうにしていました。常夜灯と鞆港、実に絵になる景色です。雁木(がんぎ)下の海中をのぞき込むと、何とゆうに30cmはあろうかと思われるクロダイがゆっくり泳いでいました。これは珍しいことなのか、当たり前の光景なのか釣りにはまったくの素人の私にはわかりません。
レトロ感あふれる澤村船具店
美しい町並み 右のお店は松右衛門帆(雑貨店)
鞆は、「崖の上のポニョ」の舞台と言われています。宮崎駿監督は、この町を気に入り3か月間も滞在したそうです。
杉玉・保命酒屋 現在保命酒を製造販売する会社は、4社のみ
美しい町並み
重要文化財 太田家住宅
鞆のシンボル 常夜灯と雁木
右に、いろは丸展示館、正面に常夜灯 鞆を代表する景観です。
雁木(がんぎ)と常夜灯 江戸時代からの遺構です
太田家住宅の裏道 船板壁がぐるりと取り囲む
補修の跡も美しい
こちらも美しい通り
四つ角の洋館の建物・友光軒 昭和初期に建築された大正モダン溢れる佇まい。理髪店と銭湯で鞆の浦の憩いの場でした。1991年に理髪店は店じまい。以降、喫茶店、キャンドルの店、オムライスの店、ハヤシライスの店など続きましたが、現在は閉店しています。
銭湯跡の天井が今も残されています
(医王寺)
鞆に来たら欠かせないのが医王寺からの絶景です。町筋を抜け500mの坂道を息を切らしながら上った先にあり、そこから鞆港が一望できます。鐘楼前のベンチは特等席。この時間、境内には誰もいませんでした。はるか向こうには、四国の山々、条件的には最高でした。しかし何といっても一番の眺望はさらに583段の石段を上った先にある太子殿です。夏場はきつく、もう10年ほど登っていません。
医王寺への入り口付近、道の両側に吊るされた紙細工の飾り
誰もいない医王寺境内。医王寺は826年空海によって開基され、あのシーボルトも訪ねたそうです。
鐘楼前のベンチは、展望の特等席
左側から見る鞆港
少し右から見る鞆港
遠くに四国も見渡せます
帰りに訪ねたのが、鞆の浦景観茶房セレーナ 残念ながらまだ開店前でした。
最後に保命酒の岡本亀太郎本店で、保命酒のジェラートに舌鼓したあと鞆の浦をあとにしました。
岡本亀太郎本店
龍に守られた保命酒の大看板 右側の仏外和尚拳骨床柱が気になります。 この建物は福山城の長屋門を移築したもので、市の重要文化財に指定されています。
保命酒入りのジェラート アルコールは飛ばしてあるそうです
反対側の駐車場に近い雁木付近で撮影した鞆港
絵になります
漁船が並んでいます
最後までご覧いただきありがとうございました。