未熟なカメラマン さてものひとりごと

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青い空とレトロで美しい港町を撮りたくて  広島県福山市鞆の浦 王道の観光コースを行く

2024-07-14 10:00:18 | 古い町並み
訪問日 2024(令和6)年7月5日(金)

梅雨の晴れ間、朝から青い空が広がっていました。前回、吹屋ふるさと村を訪ね気をよくしたので、今回は鞆の浦を訪ねることにしました。
自宅からの所要時間は50分ほど。どうか青い空が雲に隠れませんようにと願いながら車を走らせると、鞆の浦は願ってもないよい天気でした。
平日の早い時間とあって、福山市営渡船場横の第1駐車場に停まっていたのはわずかでした。観光パンフレットを入手しようと思いましたが、残っているのは外国語のパンフレットのみ。まずは、渡船(平成いろは丸)で久しぶりに仙酔島を訪ねてみようと思いました。



第1駐車場は、渡船乗り場のとなり


駐車場の西となりは、汀邸 遠音近音(みぎわてい をちこち)


岸壁で釣り糸を垂れる人


平成いろは丸のマスト


総トン数は19トン 海援隊の坂本龍馬が乗っていた伊呂波丸は160トン、マスト3本、45馬力


船上から見る遠音近音


旅情を感じさせる船の波


空も海も青一色


弁天島


四つ星ホテル 鷗風亭

(仙酔島)

渡船はこの時間20分ごとに出港し、仙酔島までの所要時間は5分ほどでした。船着き場から小山を超えると、国民宿舎仙酔島があるのですが、2021年3月に営業を終了し残念ながら解体中でした。昔の面影はみじんもありません。それでも目の前の砂浜、それは美しいものでした。
それではと、遊歩道を散策しようと思いましたが、がけ崩れで通行止めになっていました。見たところ開業しているのは、江戸風呂と称する温浴施設を有する旅館1軒だけでした。滞在時間は、結局15分ほど、次の便で引き返すことにしました。



到着後すぐに引き返す渡船


岩のトンネル


解体工事中の旧国民宿舎仙酔島


解体は今年いっぱいかかるようです

在りし日の国民宿舎仙酔島

(2019.1.7撮影)

遊歩道(五色岩はパワースポット)(2019.1.7撮影)


美しい砂浜 市営の海水浴場ですが、今年は解体のがれき撤去の船が入りネットが設置できないため中止となりました。


走島汽船のフェリーが鞆港に向かう


瀬戸内海国立公園は日本で最初の国立公園


江戸風呂の案内看板


仙酔島桟橋から見る穏やかな海


鞆港まで帰ってきました

(福禅寺・対潮楼)

渡船で戻ると、次に訪ねたのが目の前に見上げるようにある対潮楼です。ちょうど先客のご夫婦と入れ違いになり、見事な景色を一人占め状態でした。開け離れた窓からは、かつて朝鮮通信使が「日東第一景勝」と称した瀬戸内海国立公園の景観が目の前に広がり見事という他ありません。筝曲の作曲家・宮城道雄の「春の海」は、この鞆の浦をイメージして作曲されたのは有名な話です。この景観の視角内に、余計なものが入らずに後世まで守られるよう祈念し、寺をあとにしました。


坂道の小路は福禅寺への参道


境内に咲いていた花・アガパンサス


まるで一幅の絵画のよう 

鞆の浦は瀬戸内海の中心に位置し、万葉の時代より「潮待ち港」として栄えました。東西から流れてきた潮がぶつかる瀬戸内海の交通の要所となっていました。


朝鮮通信使により、日本一と評価された景色。手前に弁天島、その向こうに仙酔島が重なる。


覗き込むと渡船が出るところでした


対潮楼の扁額


菊の紋章


(福山市鞆の浦歴史民俗資料館)


路地にあったプランターの花


鞆の津商家の折り紙の飾り


お化けがかわいいと思いました

小路を抜け、鞆の津の商家前から正面に見えるのが、鞆城あとに立つ鞆の浦歴史民俗資料館です。息を切らしながら石段を上ると、周囲にバラが植栽された白い建物が見えてきます。一番のお勧めは、何と言ってもここからの眺望。眼下に鞆港を見下ろし、その解放感は半端ではありません。ただ残念なことに、常夜灯は建物の陰に隠れてみることはできません。
資料館を訪問するのは本当に久しぶりでした。一番感心したのが、江戸時代の北前船が入港するころの港町の賑わいを再現した見事なセットです。日が暮れ各民家に灯が徐々にともっていく様子はとても趣があり実によくできていると思いました。



見上げると鞆の浦歴史民俗資料館


資料館前からの開放感あふれる展望。かつて鞆城は毛利氏の支配下にありました。


正面入り口


鯛網は380年続く伝統行事、観光鯛網は毎年5月にお祭りとして開催されています


よくできています

(重伝建の町並みとシンボル常夜灯)

急な石段を下り、重伝建の町並みを散策することにしました。太田家住宅の前の通りが一番なのですが、現在工事中につき撮影範囲は限られます。太田家住宅の裏側に回ると、かつての船板を使用した板壁がありなかなか趣があります。
この頃になると日差しは徐々に強くなり平日ともあって観光客はまばら。鞆のシンボル常夜灯前の広場のお店の主人も暇そうにしていました。常夜灯と鞆港、実に絵になる景色です。雁木(がんぎ)下の海中をのぞき込むと、何とゆうに30cmはあろうかと思われるクロダイがゆっくり泳いでいました。これは珍しいことなのか、当たり前の光景なのか釣りにはまったくの素人の私にはわかりません。



レトロ感あふれる澤村船具店


美しい町並み 右のお店は松右衛門帆(雑貨店)


鞆は、「崖の上のポニョ」の舞台と言われています。宮崎駿監督は、この町を気に入り3か月間も滞在したそうです。


杉玉・保命酒屋 現在保命酒を製造販売する会社は、4社のみ


美しい町並み


重要文化財 太田家住宅 

鞆のシンボル 常夜灯と雁木


右に、いろは丸展示館、正面に常夜灯 鞆を代表する景観です。


雁木(がんぎ)と常夜灯 江戸時代からの遺構です


太田家住宅の裏道 船板壁がぐるりと取り囲む


補修の跡も美しい


こちらも美しい通り


四つ角の洋館の建物・友光軒 昭和初期に建築された大正モダン溢れる佇まい。理髪店と銭湯で鞆の浦の憩いの場でした。1991年に理髪店は店じまい。以降、喫茶店、キャンドルの店、オムライスの店、ハヤシライスの店など続きましたが、現在は閉店しています。


銭湯跡の天井が今も残されています

(医王寺)

鞆に来たら欠かせないのが医王寺からの絶景です。町筋を抜け500mの坂道を息を切らしながら上った先にあり、そこから鞆港が一望できます。鐘楼前のベンチは特等席。この時間、境内には誰もいませんでした。はるか向こうには、四国の山々、条件的には最高でした。しかし何といっても一番の眺望はさらに583段の石段を上った先にある太子殿です。夏場はきつく、もう10年ほど登っていません。


医王寺への入り口付近、道の両側に吊るされた紙細工の飾り


誰もいない医王寺境内。医王寺は826年空海によって開基され、あのシーボルトも訪ねたそうです。


鐘楼前のベンチは、展望の特等席


左側から見る鞆港


少し右から見る鞆港


遠くに四国も見渡せます


帰りに訪ねたのが、鞆の浦景観茶房セレーナ 残念ながらまだ開店前でした。

最後に保命酒の岡本亀太郎本店で、保命酒のジェラートに舌鼓したあと鞆の浦をあとにしました。


岡本亀太郎本店


龍に守られた保命酒の大看板 右側の仏外和尚拳骨床柱が気になります。 この建物は福山城の長屋門を移築したもので、市の重要文化財に指定されています。


保命酒入りのジェラート アルコールは飛ばしてあるそうです


反対側の駐車場に近い雁木付近で撮影した鞆港


絵になります


漁船が並んでいます


最後までご覧いただきありがとうございました。
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青い空と美しい町並みを撮りたくて!  吹屋ふるさと村 岡山県高梁市成羽町

2024-06-24 20:25:51 | 古い町並み
訪問日:令和6(2024)年6月8日(金)

朝起きると、何ともきれいな青空でした。ふとこの青い空と吹屋の町並み、絵になるのではないかと思いつき、車を走らせました。目的地までは50分ほどです。
千枚駐車場で小学生の団体と遭遇しました。おそらく社会見学の授業なのでしょう。ボランティアと思われる案内の方の大きな声が伝わってきます。
生徒や先生たちが、次々と挨拶をしてくれます。ちょっぴり清々しい気持ちになりました。時刻は9時半ごろでしたが、観光客の姿はもちろん、どのお店も開いていません。概ね11時から営業のようでした。

駐車場からの、ゆるい下り坂と少しカーブした町並みは、とても趣があり私の大好きな景観です。この吹屋の町並みがどうしてこのように一体感があるのかというと、それには理由があります。江戸時代から明治にかけて、形成された町並みですが、銅山やベンガラで財をなした旦那衆が、石州から宮大工の棟梁たちを招き、統一されたコンセプトのもとに築かれた町並みなのです。

私が、最初に吹屋を訪ねたのは、数十年も前のことです。当時はバイパスのようなものはなく、つづら折りの細い山道をくねくねと走ったあと、突如として目の前に姿を見せる町並みは、感動した覚えがあります。山の上のこのような統一感のある町並みを見て、すぐに連想したのが「マチュピチュ」でした。随分大げさな、と思われるかもしれませんが、まさにそうなのです。

さて、撮影ですが、朝の早いこの時間の駐車場からの町並みは、逆光になり撮影には不向きでした。それならといったん町の先まで行って引き返し撮影することにしました。
それにしても、お店の数が随分増えたように感じます。以前は空き家が目立ちましたが、個性のあるお店が入店し、町並みの保存に貢献しています。やはり生きた活気が伝わらないとそれはもう町とはいえません。
町家を利用した店内は、モダンな内装に変わりつつありますが、外観だけでも維持されればこの美しい町並みは今後も存続していくのではないでしょうか。

吹屋小学校を訪ねると、あの小学生たちが見学に訪れていました。



千枚駐車場前から見る趣きのある町並み


郷土館 まだ開いていませんでした


喫茶「かえで」


長尾酒店


吹屋郵便局


右は吹屋小学校方面


新しいカレーの店


美しい中町の町並み


プランターのペチュニア






眠たそうなネコちゃん


ゲストハウス ELEVEN VILLAGE


石州瓦の甍

吹屋小学校


吹屋小学校


シンメントリーの美しい建物


小学生がやってきた


タニウツギの白いボリュームのある花


丸い水槽のメダカ


タチアオイ


マーガレット


下町の美しい町並み




望遠で一部を見ると


きれいに整備されています


はずれの一軒家


趣きのある茅葺屋根 紅や


さらに歩くと


下町駐車場の案内看板

千枚の町並み


左の建物も元そば屋さん


山神社


三菱・岩崎弥太郎が寄進した玉垣


静かな町並みです

子どもたちが校舎の前の石段に順番に座って並び、記念撮影をしています。かつては、このようにたくさんの生徒が在籍して賑わっていたはずです。当時の様子を想像しながら感慨深く眺めていました。

小学校からの帰りの坂道、太陽の光を受けて石州瓦の甍の町並みが輝いて見えます。そしてジャパンレッドと称されるベンガラの朱色の建物は、とてもきれいに見えました。ずっとこの町が残り続けてほしいと思いながら吹屋をあとにしました。
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尾道散歩 いつもとは違う道を歩いてみた! 風景が溶け込む坂の町 広島県尾道市

2024-02-15 17:16:11 | 古い町並み
訪問日:R6(2024)1月29日(月)

久しぶりに穏やかな青空が広がる暖かい気持ちのよい朝。どこかに出かけたいと思いましたが、行き先がなかなか決まりません。
思案した挙句、久しぶりに尾道を訪ねることにしました。



駐車場からロープウェイ乗り場に向かう レトロ感たっぷりの建物が軒を連ねる


纏(まとい)を模した消火栓マンホール  尾組と道組ですね


尾道名物はっさく 年間を通して温暖な気候に恵まれている尾道市は、古くから柑橘類の栽培が盛んで国産レモン発祥の地でも有名です。その中でも尾道市を代表する柑橘の一つに、尾道市因島(いんのしま)発祥の「八朔(はっさく)」があります。はっさくは皮が厚く、剥きにくいのが特徴です。しかし独特のほろ苦さと適度な甘み、そしてサクッとした食感がほかの柑橘にはない食べ応えで多くの人から愛されています。特にこの因島発祥のはっさくを大福の中に閉じ込めたのが『はっさく大福』。2月の『はっさく大福』が一番オススメだそうです!

千光寺山ロープウェイ


千光寺山ロープウェイ切符売り場 左の鳥居は、艮(うしとら)神社


山頂駅に鎮座するネコの恋会門(こいえもん)と、さくら


山頂駅から見る尾道市街 左はゴンドラ(搬器・車両 三代目)小さいですが、約25名乗れるそうです。

千光寺公園展望台 PEAK(ピーク)

千光寺山ロープウェイ近くの駐車場に車を停め、いつものように千光寺を目指します。平日とあって、商店街は閑散としていました。ロープウェイは15分間隔での運行でした。ガイドさんの完璧なアナウンス、うっとり聞いているとあっという間の3分でした。
頂上駅から、千光寺公園展望台「PEAK」を目指します。
展望台からの眺望はまさに絶景、見晴らしの良さは、申し分はありません。一番絵になるのが尾道水道に架かる尾道大橋付近でしょうか。近年新しくなった市庁舎も随分近くて大きく感じます。一番端に立ってみると、まるで空を飛んでいる気分になります。



広い展望台 全長は63mもあります


尾道水道 渡船が向島とを行きかいます


まさに絶景 


こちらは反対側


しまなみ海道・尾道大橋は絵になりますね


展望台の一番端。大丈夫なんでしょうか。以前訪ねた能登半島珠洲市の空中展望台「スカイバード」を思い出します。地震で被害はなかったのでしょうか。


下から見るとご覧の通り。一本の柱で支えています。


どこか、空母のようにも見えます。

対岸の向島(むかいしま)間を行き交う渡船が、作りだす波のあとが白く曲線を描いているようで旅情を誘います。
絶景を堪能したあと、「文学の小道」を下って千光寺に向かいます。背後には大きな岩がごろごろ。頭上を通過するロープウエイの小さなゴンドラが、とてもかわいく感じます。
千光寺からさらに下ったところにあるのが見晴らしの良い公園ですが、一匹の猫ちゃんにエサをやる地元の方と思える人の姿が見えました。



文学のこみちを下って千光寺へ


千光寺 小さな地蔵のような人形がたくさん 御祈願用でしょうか


千光寺から見る尾道大橋 


浄土寺山奥の院展望台 望遠でとらえました

いつもとは違う坂道をあるいてみた

このまま下ると、天寧寺の三重塔と尾道大橋との一番のショットが撮れるのですが、今日は違う道を通ってみようと、右に折れて小さな路地を進みました。人影はまったくありません。立派な石垣の上に早くも蝋梅が満開の花を咲かせ、民家の前のわずかなスペースにはお気に入りの花壇が見えます。そこには、自然のままの尾道の日常がありました。

塀の上で、日向ぼっこをする猫ちゃん三匹にそれぞれ違う場所で出会いました。声を掛けると、大儀そうに顔を向けてくれます。坂道から見える尾道水道もどこか抒情的です。
空き家と思われる住宅もあちこちに見られ、高齢者にとってこのような坂道での生活は大変だろうなと思いながら、下ると、山陽線の踏切に出て坂道散歩は終了となります。



尾道ゲストハウス 茶園「みはらし亭」は築100年以上の建物


尾道らしい坂道の向こうには尾道水道


お地蔵さんがたくさん


地面を水平に保つため立派な石垣が目立ちます


ロウバイが満開でした


人通りのない坂道 一匹の猫ちゃんがゆっくり歩いています


こんな人通りの少ないところにお店がありました。茶立玄「山手」日本茶のお店のようです


塀の上に猫ちゃんがいました


山陽線に出ました。線路付近に民家が並んでいます。うるさくないのでしょうか。


福山方面行きの電車が通過します

商店街を歩いてみました


大和湯 元銭湯ですが、現在は中華料理店のようです

尾道商業会議所記念館


レトロな建物です。観光案内所兼休憩所となっています


2階の議場 1923(大正12)年10月に尾道商業会議所創設30周年の記念事業として建設されたもので、商業会議所として建築された鉄筋の建築物としては、現存する日本最古のものだそうです


いろんな資料が展示されています


尾道駅まで歩きました

このあと、折角なので、尾道ラーメンの人気店「一番館」で食事をして帰ることにしました。ラーメンと餃子のセットを注文。味は申し分なし。特に餃子は最高でした。あとは、いつものルーチンで、尾道浪漫珈琲でおいしいコーヒーをいただきながら一休みしたあと、お隣の土産物店で買い物をして尾道をあとにしました。
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愛らしい“もふもふ”のコブハクチョウのひな 岡山県・倉敷美観地区倉敷川起点付近

2023-06-11 04:48:58 | 古い町並み
訪問日:令和5年5月21日(日)

井上家住宅で時間を過ごしたあと、コブハクチョウの親子を見に、倉敷川の起点付近までやってきました。いました、いましたコブハクチョウの親子。餌場で一心不乱に食事中でした。ただ、通りからは、川辺の真下に位置し、視角が狭くて覗き込むにも一苦労です。
何とか見える一番端に陣取り、何枚か撮影しましたが、親子で泳ぐ姿を見たいと、いったん出直すことにしました。そこで訪ねたのが、橋近くの大原本邸です。



本町通りから倉敷川畔の美観地区へ


新緑のシダレヤナギが美しい


人気店のスイーツのお店の前は若者たちで溢れています


ツタに覆われたカフェ・エルグレコ


今橋から下流方面(南東)を見る


大原美術館前、ご覧のような人だかり


コブハクチョウの親子 


ほんとにかわいい もふもふのヒナ 見えにくいの出なおすことにしました 

国重要文化財 大原家住宅

(語らい座 大原本邸)
こちらも、初めての訪問でした。玄関先に、代々の当主の言葉が降り注ぎます。初代は、江戸時代享保のころで、現在が9代目だそうです。
建物は、国の重要文化財に指定されていて古いのですが、先ほど訪ねた井上家住宅よりは新しいようです。土間を抜けると、正面に横並びに土蔵群があります。
内部は、大原家代々の当主の、偉業が紹介されています。また、コーヒーがいただける図書室のような蔵もありました。
一番の見所は、広い庭園です。高い塀や建物で仕切られた中に、このような空間があるとは驚きです。
歴代の当主も、このお庭を眺め、癒されると同時に、新しい発想を得たのかもしれなせん。



ふりそそぐ言葉 「やるべし、やるべし」「子孫というものは、祖先を訂正するためにある」「それがほんとに正しいのかどうか」
大原家当主の5代から8代までの語った言葉。


土間 高い煙突、高い窓の開閉用の綱、神棚


上げ下げ式の階段 スペースの有効利用ができる


障子に映し出される手紙 7代孫三郎夫妻から長男總一郎に宛てた厳しくも愛情ある文面


左、正面など未公開の建物もあります


蔵が4棟並んでいます


大きな井戸とつるべ 扇風機に昭和レトロを感じました


石畳を通り離れ座敷に向かいます


麦僊の日本が掛かっていました


建物の中にこのようなスペースがあるとは意外でした


新緑のカエデに癒されます


秋の紅葉の頃、もう一度訪ねてみたいと思いました


グリーンはほんとに目に優しい感じがします


枝先をアップで撮影してみました


「思索の、間」お茶や、レコード鑑賞と歴代の当主がくつろいだ部屋です

(コブハクチョウのヒナ)

大原本邸を見学したあと、再びコブハクチョウを訪ねました。食事も終わってリラックスタイム。親子で辺り周辺を移動しています。あちこちから「かわいい!」との声があがります。ほんとに、いつかでも眺めていたい気分でした。

それにしても、日曜日、おまけに天気がよい条件が重なり、多くの若い人の姿が目立ちました。絵になるのは川舟、しだれ柳と相まって初夏の倉敷川、とても風情を感じました。













無事に大きく育ってくれたらいいですね。

(倉敷川の水源はどこ?)

倉敷美観地区といえば、倉敷川畔の柳並木や川舟の景色を思い浮かべるのではないでしょうか。倉敷川は、大原美術館前あたりから始まっているので、「堀」だと思われる観光客も多いようです。始まりのあたりを良く見ると、底から水が湧き出していますが、地下から湧き出している訳ではなく、高梁川からの用水が倉敷みらい公園などを経て分岐し地下を通ってきたものなのです。(クラシキ文華)


落ち着いた佇まいを見せる倉敷川


エキゾチックな洋風建築は、倉敷館(観光案内所)1917(大正6)年に倉敷町役場として建てられた


川舟の発着場


中橋と倉敷館 絵になる景色です


ゆっくり川舟が移動します 


「素隠居すいんきょ」総鎮守阿智神社の例大祭の御神幸の雌雄の獅子に付き添う老人の面をかぶった若者たちをいいます。決して怪しい人たちではありません。自由に街中を闊歩(かっぽ)して、他人の頭を素隠居が持つ渋うちわで、無病息災を願いポンポンと叩いてまわっているのです。


本町通りまで帰ってきました 自転車に乗ったかわいい女の子 日常の生活も見えます


吉井旅館は築280年の老舗旅館 


徐々に人の姿が少なくなってきました。

最後までご覧いただきありがとうございました。
次回は、第56回福山ばら祭2023 ローズパレードを予定しています。



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倉敷の古い町並みを歩く。本町通りと井上家住宅 岡山県倉敷市本町

2023-06-06 20:38:17 | 古い町並み
訪問日:令和5年5月21日(日)

地元山陽新聞に、倉敷美観地区の倉敷川に数年ぶりにコブハクチョウのひなが生まれたとの記事が掲載されていました。これは見に行かなくてはと出かけることにしました。
1時間ほどで現地に到着、近接の駐車場は料金が高いので、少し離れたパーキングに駐車して、通りまで歩きました。何よりも天気がよく岡山県一の観光地、多くの観光客の姿がありました。


(阿智神社)

駐車場から路地を進み、本町通りに出ると、どのお店にも提灯(御神燈)が下がっていました。
この日は、阿智神社の春祭りだそうです。それなら阿知神社へ行ってみようと、長い石段を上がると、本殿では、結婚式が行われていました。
幸せを少しだけもらって、美観地区方面に歩くと、井上家住宅がありました。いつもいつになったら修復が終わるのだろうと思っていましたが、やっと最近終了したのです。
これは見学してみなくてはと、‘ひな’に会う前に少し訪ねてみることにしました。


コインパーキングから路地を抜けて本町通りに出ます


倉敷川畔の北にある本町通りは、町家が立ち並んでおり、江戸時代の面影を多く残す町並みとなっています。


とても美しい町並み 緩やかにカーブしている 御神燈は阿智神社の春祭り


本町通りには、造り酒屋や、畳屋など郷愁ある店が今も残っています


平翠軒は、店主のこだわりで全国から集めた逸品が並ぶ


阿智神社の手水舎 お花がいっぱい生けられていました。ほんとに華やかです。


随神門の向こう側では、神前結婚式が執り行われていました。阿智神社は倉敷の総鎮守、


手水舎から少し西方面に移動すると、倉敷の町並が見渡せる場所があります。阿智神社のある鶴形山は、標高30数mですが、古代この山の南の裾は瀬戸内海の一部で波がひたひたと打ち寄せていました。


神社は海上交通の守護神として信仰され、旧拝殿の天井には羅針盤の絵が描かれています


ワンちゃんの散歩。日課でしょうか、急な坂道でも慣れた走りです


(井上家住宅

本町通りの井上家、建てられたのは1721年の江戸時代の中期で、暴れん坊将軍の吉宗の時代です。倉敷で国指定重要文化財に指定されている、井上家、大橋家、大原家の中でも一番古いのだそうです。
ガイドの方にいろいろ説明していただきました。その方に、「ぶっちゃけた話」と裏話や秘話を連発してお話し頂いたので、とても楽しく時間を過ごすことができました。
公開されているのは、母屋一階のみで、後ろに控えている三階建ての土蔵など別棟は現在も使用されており、非公開となっていました。網代天井や、目につかないところに敷設されている耐震設備には感心しました。
町並みが現在のように残されているのは、火事に対する備えに町を挙げて取り組んだことの結果だそうです。
とても天気の良い一日。玄関先の向こうに多くの人の姿があり、癒しの空間から日常に戻る感じを覚えました。



修復が終了し、一般公開が始まりました。井上家住宅は、倉敷川畔の重要伝統的建造物群保存地区の中でも代表的な大型の町屋の一つで、古くから倉敷の中心通りである本町通り(往還)に面して建っています。二階の倉敷窓には防火用土塗りの扉がある。倉敷の町に現存する唯一のものです。


土間から居間、台所を見る。井上家は、江戸期に天領だった倉敷村を率いた有力者「古禄(ころく)十三家」の一つ。幕末まで庄屋を支える役人「年寄」を務めた。敷地内には、1721(享保6)年築とされる木造2階の主屋(延べ約570平方メートル)や井戸蔵、土塀などがある。


店の間、次の間、座敷の向こうに見える坪庭


居間から台所を見る。傷みが想定以上だったため、工期は当初予定の5年から10年に延び、総事業費は約9億3千万円で、85%は国の補助金を充てた。あとは、岡山県、倉敷市、井上家の負担となる。


店の間の蔀戸(しとみど)、摺揚戸(すりあげど)上下に分かれた板戸で、上の戸は上部が釣られており、はね上げて開ける形式の建具。


座敷から見る坪庭


こちらは茶室


収納のできる箱階段も


どこもきれいです


この水甕は天正11年(1583)の銘が刻んである


網代天井 白い部分が新しく入れ替えられた部分


耐震構造 鉄骨の柱が見える


お土公さま(おどくうさま)儀式用のかまどに祀られています


土間の天井


天井の開口部からは、屋根を支える登り梁や棟札の付いた大黒柱を見ることができます。


見学を終え、通りに戻る


井上家住宅横の路地 かつて米俵を運ぶ車のわだちができないように石畳が敷いてある

次回は、いよいよモフモフのひなの登場です。
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