訪問日:令和3年10月10日(日)
福山市津之郷町で、あこがれのアサギマダラ(渡りをするチョウ)に出会った後、高梁市の吹屋地区(*1)に向かいました。目的は、お休み処の、田舎そばを食べてその味を確かめたいと思ったからです。
経営者が変わり、何度も通ったこのお店の味は守られているか気になっていました。以前、「味は私たちがしっかり伝えます」と、お母さん方から聞いていました。
建物が老朽化して雨漏りし、お母さん方も高齢となって、店を閉めるのも止むを得ない、と思っていたところに、東京からふらりとやってきた若者が、すっかりこの町を気に入り、休憩所の跡継ぎを、申し出たのでした。
2年間の修業を積み、雨漏りしていた建物は自己資金も出して修復、新たにスタートしたのは昨年のことでした。店名は新たに「二代目ふるさと村休憩所吹屋食堂」としました。
当日は、天気の良い日曜日で、しかも緊急事態宣言も解除された正真正銘の観光日和、観光バスによる団体客もあって、町並みは大いににぎわっていました。
さて肝心の休憩所ですが、お昼ごろだったこともあり、お店の中は、お客さんでいっぱい。私は何とかタイミングよく座ることができましたが、次の方以降は、記名による順番待ちでした。
ベンガラ色で統一された吹屋の町並み
新しくなった吹屋食堂
こちらは以前の休憩所(2020.3.撮影)
けんちん田舎そば 700円 箸を入れたあと撮影のため少々形がくずれています
こちらは以前の田舎そば
スタッフは、店主の銘形さんと女性3人、とにかく忙しそうでした。さっそく、田舎そばを注文。味はいうことなし、しっかり守られており、安心しました。「繁盛していますね!」と声を掛けると、「ええ、日曜日なので」と相手をする暇もなさそうです。
ふと、畳の間の壁にユニフォームがショーウインドウ風に飾られているのが目に留まりました。店主(*2)は、東京オリンピックの聖火ランナーに選出されていたのでした。(聖火リレーは中止となりました)
観光客で賑わう通り
新しい観光案内板
修復工事がまもなく終了する県重要文化財・旧吹屋小学校
坂道から見下ろす石州瓦の甍
TV番組「人生の楽園」でも紹介された、スープカレーのお店
こちらはベンガラ染のお店
地元住民の御用達、大衆食堂「いろり」
お腹を満たした後、修復中の県の重要文化財・旧吹屋小学校を見に行きました。校舎の工事用の覆いが取り外され、実に6年ぶりに懐かしい以前の姿を取り戻していました。建物内部の保存修理と周辺の工事はもう少し残っているようでしたが、それも時間の問題かも。一般公開が待たれます。(2022年3月完了予定)
どこか、懐かしい吹屋の町並み、いつまでものんびりしていたい一日でした。
*1 吹屋地区
岡山県のふるさと村(昭49認定)重要伝統的建造物群保存地区(昭52選定)日本遺産「『ジャパンレッド』発祥の地~弁柄と銅の町・備中吹屋~」(令2認定)
江戸時代から明治にかけて、吹屋銅山の繁栄を背景に、西日本一の銅山町であったことに加えて、江戸末期からはベンガラ(紅殻、弁柄)という特産品の生産が重なり、吹屋は商業地として大いに栄えました。吹屋銅山は明治時代に三菱の岩崎弥太郎によって近代的経営が行なわれ、日本三大銅山として発展。加えてベンガラは、江戸時代に赤色顔料として開発された特産品で、幕府直轄の鉱山町だった吹屋に繁栄をもたらしました。吹屋の町並みは、ベンガラ問屋や小売商などが軒を連ねたもので、下谷、下町、中町、千枚の4地区(6.4ha)が伝統的建造物群保存地区に指定されています。
現存する家並みは、吹屋の旦那衆が石州(現在の島根県)から宮大工を招いて建てさせたもの。石州瓦で葺かれているのはそのためです。
*2 志望動機
大会組織委員会に提出されたものを、そのまま掲載しています。
三年前、私は岡山県の吹屋ふるさと村へ移住した。人口約70人、20代は自分だけ、いわゆる限界集落ではあるが、この土地に暮らす人々の心温かさと町並みの美しさに魅了され、移住を決めた。私がこの土地で繋いでいくもの、それは村の人たちが40年に渡り運営してきた、うどんそば屋である。吹屋の中心にあるお店は、温かみがあり地元の人や常連客に愛されてきた。しかし運営者たちの高齢化に伴い存続させるのが難しく、後継者がない限り2018年で解散しようという話になっていた。私は直感的にこのお店を吹屋に残すために後継者になろうと決めた。料理の経験などなかったが自分にやらせてほしいと伝え、今では83歳の師匠から全てを教わっている。店の味を繋ぐこと、村の人々の店への想いを繋ぐこと、それが私の繋ぎたいものであり、私を温かく迎えてくれた村の人々への恩返しである。聖火ランナーとなり、土地の想いを繋ぎ、地域の希望の光となることを表現したい。
(2020年用に書かれた文章です。)
次回は、「岡山県浅口市寄島干拓地のアッケシソウ」を掲載予定です。
福山市津之郷町で、あこがれのアサギマダラ(渡りをするチョウ)に出会った後、高梁市の吹屋地区(*1)に向かいました。目的は、お休み処の、田舎そばを食べてその味を確かめたいと思ったからです。
経営者が変わり、何度も通ったこのお店の味は守られているか気になっていました。以前、「味は私たちがしっかり伝えます」と、お母さん方から聞いていました。
建物が老朽化して雨漏りし、お母さん方も高齢となって、店を閉めるのも止むを得ない、と思っていたところに、東京からふらりとやってきた若者が、すっかりこの町を気に入り、休憩所の跡継ぎを、申し出たのでした。
2年間の修業を積み、雨漏りしていた建物は自己資金も出して修復、新たにスタートしたのは昨年のことでした。店名は新たに「二代目ふるさと村休憩所吹屋食堂」としました。
当日は、天気の良い日曜日で、しかも緊急事態宣言も解除された正真正銘の観光日和、観光バスによる団体客もあって、町並みは大いににぎわっていました。
さて肝心の休憩所ですが、お昼ごろだったこともあり、お店の中は、お客さんでいっぱい。私は何とかタイミングよく座ることができましたが、次の方以降は、記名による順番待ちでした。
ベンガラ色で統一された吹屋の町並み
新しくなった吹屋食堂
こちらは以前の休憩所(2020.3.撮影)
けんちん田舎そば 700円 箸を入れたあと撮影のため少々形がくずれています
こちらは以前の田舎そば
スタッフは、店主の銘形さんと女性3人、とにかく忙しそうでした。さっそく、田舎そばを注文。味はいうことなし、しっかり守られており、安心しました。「繁盛していますね!」と声を掛けると、「ええ、日曜日なので」と相手をする暇もなさそうです。
ふと、畳の間の壁にユニフォームがショーウインドウ風に飾られているのが目に留まりました。店主(*2)は、東京オリンピックの聖火ランナーに選出されていたのでした。(聖火リレーは中止となりました)
観光客で賑わう通り
新しい観光案内板
修復工事がまもなく終了する県重要文化財・旧吹屋小学校
坂道から見下ろす石州瓦の甍
TV番組「人生の楽園」でも紹介された、スープカレーのお店
こちらはベンガラ染のお店
地元住民の御用達、大衆食堂「いろり」
お腹を満たした後、修復中の県の重要文化財・旧吹屋小学校を見に行きました。校舎の工事用の覆いが取り外され、実に6年ぶりに懐かしい以前の姿を取り戻していました。建物内部の保存修理と周辺の工事はもう少し残っているようでしたが、それも時間の問題かも。一般公開が待たれます。(2022年3月完了予定)
どこか、懐かしい吹屋の町並み、いつまでものんびりしていたい一日でした。
*1 吹屋地区
岡山県のふるさと村(昭49認定)重要伝統的建造物群保存地区(昭52選定)日本遺産「『ジャパンレッド』発祥の地~弁柄と銅の町・備中吹屋~」(令2認定)
江戸時代から明治にかけて、吹屋銅山の繁栄を背景に、西日本一の銅山町であったことに加えて、江戸末期からはベンガラ(紅殻、弁柄)という特産品の生産が重なり、吹屋は商業地として大いに栄えました。吹屋銅山は明治時代に三菱の岩崎弥太郎によって近代的経営が行なわれ、日本三大銅山として発展。加えてベンガラは、江戸時代に赤色顔料として開発された特産品で、幕府直轄の鉱山町だった吹屋に繁栄をもたらしました。吹屋の町並みは、ベンガラ問屋や小売商などが軒を連ねたもので、下谷、下町、中町、千枚の4地区(6.4ha)が伝統的建造物群保存地区に指定されています。
現存する家並みは、吹屋の旦那衆が石州(現在の島根県)から宮大工を招いて建てさせたもの。石州瓦で葺かれているのはそのためです。
*2 志望動機
大会組織委員会に提出されたものを、そのまま掲載しています。
三年前、私は岡山県の吹屋ふるさと村へ移住した。人口約70人、20代は自分だけ、いわゆる限界集落ではあるが、この土地に暮らす人々の心温かさと町並みの美しさに魅了され、移住を決めた。私がこの土地で繋いでいくもの、それは村の人たちが40年に渡り運営してきた、うどんそば屋である。吹屋の中心にあるお店は、温かみがあり地元の人や常連客に愛されてきた。しかし運営者たちの高齢化に伴い存続させるのが難しく、後継者がない限り2018年で解散しようという話になっていた。私は直感的にこのお店を吹屋に残すために後継者になろうと決めた。料理の経験などなかったが自分にやらせてほしいと伝え、今では83歳の師匠から全てを教わっている。店の味を繋ぐこと、村の人々の店への想いを繋ぐこと、それが私の繋ぎたいものであり、私を温かく迎えてくれた村の人々への恩返しである。聖火ランナーとなり、土地の想いを繋ぎ、地域の希望の光となることを表現したい。
(2020年用に書かれた文章です。)
次回は、「岡山県浅口市寄島干拓地のアッケシソウ」を掲載予定です。