未熟なカメラマン さてものひとりごと

ようこそ、おいでくださいました。

牡蠣を求めて室津(兵庫県たつの市)を訪ねました。

2019-12-31 01:02:14 | 牡蠣
令和元年(2019)12月15日。今年も、贈答用の牡蠣を求めて、兵庫県たつの市御津町室津の室津漁港を訪ねました。岡山県内にも有名な産地があるのですが、とてもきれいに洗われた室津の牡蠣が気に入って、このところ4.5年は毎年通っています。
井原から山陽道・龍野西IC経由し、目的地に向かいますが、はりまシーサイドロード国道250号に入り少し走ったところに、道の駅・みつがあります。
いつ通っても、駐車場は満車状態で、こんなに賑わっている道の駅は、あまり見たことがありません。



道の駅・みつ

道の駅を出て少し進むと、目的地・室津漁港が眼下に見えてきます。井原からの所要時間は約1時間45分でした。
漁港に面した通りに、牡蠣の直売所が並んでいます。
この時季の土日祝日には、どのお店も店頭に牡蠣の無料試食コーナーを設けています。
中国人の実習生と思われる女性が、「いらっしゃいませ!牡蠣いかがですか!」と牡蠣を焼ながら、連呼しています。
大抵、どのお店にも試食を求めて、行列ができています。



室津漁港 上から撮ってみました。


遠くにたくさんの牡蠣いかだが見えます。


室津は天然の良港です。この時間多くの漁船が並んでいます。


防波堤


お気に入りの牡蠣の店です。


販売店前の様子


直売店が並んでいます。



県別養殖牡蠣の生産量

それでは、牡蠣の県別生産量はどうなっているのでしょう。平成29年度のデータは次の通りでした。
1位 広島県 59.5% 広島湾北部
2位 宮城県 14.0%
3位 岡山県 07.8% 日生(ひなせ)、邑久(おく)、寄島(よりしま)など
4位 兵庫県 05.1% 室津(むろつ)、坂越(さこし)、赤穂(あこう)
5位 岩手県 03.7%
6位 北海道 02.4% 
7位 三重県 02.2%

実に7割以上が瀬戸内海沿岸で生産されていることがわかります。
川からのミネラル豊富な栄養分を含む水の恩恵を受け、牡蠣養殖に適した環境となっています。通常、牡蠣の生育には2~3年を待たなければなりませんが、室津では生育が早く、1年で出荷しています。
1年物の牡蠣は、身が白くて柔らかく、臭みがなく、ほんのり甘みもあり、加熱しても縮まないのが特徴です。
牡蠣を買い求めたあと、久しぶりに室津の町並みを散策することにしました。



室津の古い町並みを歩く


播磨国風土記に「この泊、風を防ぐこと室のごとし。故、因で名と為す」とある室津。
懐の深い入り江は、古くから天然の良港として知られています。
江戸時代には、西国大名が参勤交代の海上ルートで立ち寄る海の宿駅として、さらには朝鮮通信使の大船団が寄港する国際外交都市として隆盛を極めました。

また、竹久夢二が恋の逃避行の場所に選び、室津の船宿で「宵待草(よいまちぐさ)」待てど暮らせど来ぬ人を….. の歌が生まれました。

時刻は昼前でしたが、狭い通りに人の姿はありません。まるで時間が停まったようです。
細い路地の向こうに海が見え隠れします。
かつて室津千軒といわれた室津、静かな町並みに往時の面影はありません。



狭い室津の町並み


漁船の修理工場でしょうか?


通りからも穏やかな海が見えます。


古い町並み


歴史のありそうな寺院の山門


天気のよい一日でした。
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2019全国高校女子駅伝 直前予想 優勝するのはどのチーム データより分析

2019-12-21 23:38:44 | 駅伝
明日に迫った第31回全国高校女子駅伝、いったい優勝するのはどこの高校でしょうか。
まず、昨年の結果をおさらいしてみましょう。

2018年の予想と結果を比較する

大手スポーツ誌では、次のように分析しました。(紹介順を順位予想と見る)
合わせて、上位5人の3000m平均タイムと全国大会の順位、タイムを併記しています

予想順位 校名 予選・地区 3000m平均 全国順位 タイム
1位 仙台育英  ③1.08.23  ①9.15 → 3位 1.07.51 
2位 長野東   ⑥1.08.54  ③9.17 → 2位 1.07.51 
3位 須磨学園  ①1.08.04  ②9.16 → 5位 1.08.15 
4位 神村学園  ②1.08.10  ⑤9.20 → 1位 1.07.25 
5位 大分東名  ④1.08.43  ⑩9.25 → 4位 1.08.04 
6位 薫英女学院 ⑦1.09.19  ④9.20 → 11位 1.09.09 
7位 世羅    ⑧1.09.29  ⑧9.24 → 17位 1.09.52 
8位 立命館宇治 1.10.26   ⑨9.25 → 7位 1.08.20
9位 豊川    ⑨1.09.34   不明 → 6位 1.08.16
10位 山梨学院  ⑪1.09.36  ⑫9.28 → 18位 1.10.08 
11位 北九州市立 ⑩1.09.35  ⑮9.30 → 10位 1.09.03 
番外 興譲館   1.10.55   ⑯9.31 → 8位 1.08.32 
   成田    ⑬1.09.52  ⑦9.24 → 9位 1.08.34

都道府県・地区大会の記録と、3000m平均タイム(上位5人)の2点がそのチームの強さの指標となります。2位の須磨学園が、5位に終わったのは意外でしたが、上位5位までには、多少順位は違うものの、ほぼ順当にその結果が出ていると思います。


次に今年の予想と、3000mの平均タイムを見てみましょう。

2019年の予想(大手スポーツ誌による紹介順を順位予想と見る)
予想順位 校名 予選・地区 3000m平均
1位 神村学園   ①1.06.32 ①9.10
2位 仙台育英   ②1.07.38 ②9.12
3位 立命館宇治  ⑤1.09.15 ③9.15
4位 須磨学園   ⑥1.09.16 ④9.17
5位 興譲館    ③1.08.41 ⑧9.27
6位 諫早     ④1.09.05 ⑩9.31
7位 筑紫女学園  ⑧1.09.35 ⑧9.27
8位 錦城学園   ⑦1.09.22 ⑤9.22
9位 成田     ⑨1.09.43 ⑥9.25
10位 長野東   ⑩1.10.26 ⑤9.24
11位 世羅    ⑪1.10.47 ⑦9.26
12位 常盤    ⑫1.10.52 ⑫9.31


やはり神村学園(鹿児島)か

今年の強さを見るには、昨年のタイムとの比較が一番です。
そうしてみると、上位で一番タイムを更新しているのは、興譲館ですが、次に更新しているのが神村学園です。3000m平均も昨年よりも10秒も早いタイムとなっています。
鹿児島県大会では、1時間6分32秒の記録、本番ではさらにタイムアップすることが予想され、1996年に埼玉栄が作った高校最高記録を更新するかが、注目されます。
また直近の3000mの競技会では、日本人5人が自己ベストをマークしまさに勢いに乗っています。
唯一の不安材料は、留学生シンシア。まだ本来の走りにはなっていないようです。


対抗1番手の仙台育英(宮城

留学生ムソニが故障のため、本番でも登録外が決まっています。
しかし、日本人だけの予選会では、昨年よりも45秒も早いタイムを記録しています。
3000mの個々の自己ベストは、木村梨七の9分7秒30を初め、12秒から13秒台がずらり。それは、神村学園をも凌駕しています。
問題は、爆発的な力を持つ、神村学園のシンシアに対抗する手段。
シンシアがアンカーなら、それまでに20秒以上の差をつけておかなければ、昨年と同じく最終区で逆転されることになります。


立命館宇治(京都)、須磨学園(兵庫)昨年との比較

昨年は、100点中の60点、次年度は暴れると豪語した立命館宇治の荻野監督ですが、今年はずばり狙いに行くと話しています。
京都府大会は風の影響もあり、記録は出せませんでしたが、近畿地区大会では、見事に1位。
3000mでは、三原梓、村松結が好調で日本人トップクラス。不安材料は、村松灯が調整不足という点と、神村学園や仙台育英ほど選手層が厚くない点でしょうか。
しかし、3000m上位5人の平均タイムも9分15秒、1位を狙う位置にいるのは間違いありません。
そして、その立命館宇治と地区大会で互角に戦ったのが、兵庫の須磨学園です。
昨年は、予選会で全国1位という記録を持ちながら本番では5位に沈んでしまいました。
今年度、記録的には、樽本の9分16秒84を筆頭に、3000mの上位5人が9分20秒を切っていいます。
とびぬけたエースはいませんが、総合力で勝負します。


さあ、いよいよ本番です。
アクシデントの無いよう、無事に自分の実力を思う存分発揮し、悔いの無い、思い出深い大会に
していただきたいと思うのです。

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坂の町・尾道を巡る 私のとっておき散歩コース!

2019-12-18 21:54:11 | 旅行
久しぶりの休日でした。当日の朝、尾道と倉敷どちらにするか迷いましたが。結局、今回は坂の町・尾道を訪ねることにしました。


まず、こちらの動画をご覧ください。
谷村新司 いい日旅立ち 
ソフトバンクCM 「旅する父編」

尾道市役所前の駐車場に車を入れ、まず向かったのが、千光寺山ロープウエイ乗り場です。途中に中華ぞばの人気店「朱華園」がありますが、残念ながら現在は、休業中です。

(ロープウエイでまず頂上駅へ

乗車券は、片道を購入します。所要時間はわずか3分ですが、見る見るうちに港町尾道の景色が眼下に広がり、おもわずカメラを構えてしまいます。
同乗者は、平日なのに若い人が多く、活気があってどこか明るい気分になります。

山頂駅に着くと、すぐに展望台に向かいます。尾道水道がはるか眼下に見え素晴らしい眺望です。対岸に向島が見え、驚いたことにさらに山々のその向こうに瀬戸内海が見渡せます。一番の撮影スポットは、やはり尾道水道と尾道大橋が交差し、手前に市街地が見えるあたりでしょうか。
時間が許せば、尾道市立美術館で名画を鑑賞するのもよいでしょう。
このあと、千光寺まで、文学の小道を歩いて下ります。途中、頭上をロープウエイのゴンドラが行き来します。



千光寺ロープウェイ 乗り場は建物の裏側エレベータを使用します


ぐんぐん視界が開けてきます


展望台はまるでUFOのよう


展望台から見る尾道水道


恋人の聖地だそうです

(文学の小道を下り、千光寺へ)
巨岩がごろごろ見えるころ、千光寺に到着です。せっかくなので、お賽銭を入れお祈りします。
脇にあるお守りを売る小さなお店。もう20年くらい変わらぬ名物おばちゃんが、笑顔で気楽に声を掛けてきます。境内にはテープですが、読経が響き少しだけ厳粛な気持ちになります。この本殿の後ろ側に、密着するように迫る三重の巨岩には圧倒されます。
清水の舞台のような、本殿前からも尾道の絶景を楽しむことができます。



美しい横顔の石像


千光寺からの素晴らしい眺望


朱色の鐘楼


奇岩 三重岩が本堂に迫る


(坂道を降りつつ猫と戯れる、そして天寧寺へ)

千光寺から坂道を下ると、築100年の古民家を再生したゲストハウス「みはらし亭」があります。もう少し下ると、右手に、通称ねこ公園といわれる「尾道共楽園」があります。この日は2匹の猫ちゃんに会うことができました。
そしてもう少しだけ下った三叉路、尾道一と言われる撮影スポットです。天寧寺三重塔と尾道大橋、市街地をワンカットで撮ることができます。(CM登場)
そしてこの三叉路を左手に行き、天寧寺境内に降りるのですが、それは後回しにして、次の猫出現スポットが、おのみち文学の館手前の休憩所です。ここでは3匹の猫ちゃんに会うことができました。
それから先ほどの三叉路に戻り下ると、天寧寺境内に出ます。



みはらし亭


ねこ公園のネコ


尾道一の撮影スポット 絵になる景色・天寧寺の三重の塔


坂道は尾道を代表する景観


絵になるネコ

(商店街に出て、尾道浪漫珈琲で一息入れる

天寧寺境内を抜け、JR山陽線、国道2号線を横切りまっすぐ進むと、正面に本通り商店街の尾道浪漫珈琲本店があります。
おいしいコーヒーで一息入れたあと‘浜の小路’を抜け、海岸通りに出ます。
途中、尾道ラーメンの人気店「つたふじ」や「尾道ラーメン壱番館」がありますので、お腹がすいたらどうぞ!但し、昼時は行列に並ぶことに覚悟が必要です。



尾道浪漫珈琲


おいしいコーヒーを味わう


ついでにフルーツパフェも

(海岸通りを歩き、行き交う渡船を眺めながら郷愁に浸る)

海岸通りに出たら、行き交う渡船(CM登場)や、港の漁船、昭和を物語る「かまぼこ海の駅」や、雁木、対岸・因島の造船所などを眺めながら歩くと、潮の香りが漂い、おもわず深呼吸をしたくなります。
疲れたら、ベンチで一休み。愛犬を散歩させたり、ハトに餌をやるお年寄りの姿がありました。
このあと、大きな高架橋を渡り、福屋百貨店で品定め、新しい尾道駅を見ながら横断歩道を渡り、本通り商店街に戻ります。



住吉神社 夏の花火大会は、この神社のお祭りです


渡船を待つ自転車の人が絵になります


穏やかな海 癒される港の景色です


ウオーキングに最適です


歩きやすい海辺の木道 


ゆったりとした空間


尾道駅前の様子です

(アーケードの商店街を歩きながら、特徴あるお店を探すのも楽しい)

800年も昔から栄えた町・尾道、江戸時代の西国街道はそのまま尾道のメインストリート「尾道本通り」として今も生き続けています。
まず、出迎えてくれるのが、入口のところにある、林芙美子像。旧・林芙美子居宅も近くにあります。
歴史を感じさせる立派なお店もあれば、今どきのカラフルなお店、新しいスタイルの宿泊所、銭湯をそのまま残したインスタ映えのするお店などもあって、被写体として楽しめます。
この辺りでよく見かけた、あのガイド犬‘どびん’が懐かしく思い出されます。
尾道浪漫珈琲まで戻ったあとは、お隣の土産店‘尾道ええもんや’でお買い物です。



本通り入り口にある、林芙美子像


シネマ尾道


林芙美子記念館(旧・林芙美子居宅)


甘処・ととあん


冑の展示がスゴイ 山崎清春商店


石畳小路


尾道商業会議所記念館


お風呂の後をそのまま利用した土産物店


あくびカフェ/あなごのねどこ


尾道のおみやげはこちらで 尾道ええもんや

(最後に、国宝の寺・浄土寺を訪ねる

尾道観光で絶対外せないのが、国宝の寺・浄土寺です。商店街を抜け、国道2号線を東に進むと、横断歩道があります。JR山陽線を潜り、急な石段を上がると正門です。
境内には、左から、庫裏、本堂、阿弥陀堂、多宝塔があります。特に国宝の多宝塔は鎌倉時代後期に建てられたもの。どの角度から見てもその姿には、圧倒されます。(境内:CM登場)
国の名勝に指定されている日本庭園もあります。時間があれば、ぜひ鑑賞されることをおすすめします。
山門手前の通りは、夕日の坂道として、なかなかの眺望です。


以上が、私のいつもの尾道散歩コースです。
ご参考になれば、何よりです。


国宝・本堂


境内


国宝・多宝塔
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日本一の日本庭園・足立美術館を見て感じること

2019-12-12 21:28:57 | 庭園
先月の初め、日本一の日本庭園として知られる島根県安来市の足立美術館を久しぶりに訪ねました。尾道自動車道から、途中、奥出雲の桜井家住宅に寄りましたが、井原から車での通算所要時間は、ちょうど3時間でした。
相変わらず、大型バスの観光客で賑わう光景は、以前とまったく変わっていないように思えました。
一番の目的は、庭園の撮影でしたが、どちらかというと、この日は曇り空、条件的には今ひとつでしたが、こればかりは、どうしようもありません。
入館料は、強気の2,300円で、びっくりしますが、実は日本ではもっと高い美術館があります。箱根小涌谷にある岡田美術館2,800円、さらに最高額なのは徳島県鳴門の大塚国際美術館3,300円です。

足立美術館の日本庭園は、いくつかのエリアに分かれています。順路を進むと、順番に庭園と本館の展示物を見ることができます。また、さらに、河井寛次郎の陶芸や、新館の現代作家の作品を見ることも可能です。
さて、庭園ですが、最初に姿を現すのが、苔庭で、続いて枯山水庭、白砂青松庭、池庭と続きます。庭園は、とてもきれいに維持管理されていて、枯葉一枚落ちていません。特に白砂青松庭では、芝生と白砂の境界線がくっきり。これは、芝生の縁を小さなバリカンで丁寧に刈り込むのだそうです。

白砂は奥出雲町横田産の「横田砂」、年に1回砂を運び出し水洗いを行っているとのことです。
庭園は、「昭和の小堀遠州」と称えられた作庭家・中根金作、京都の小島佐一、そしてオーナーの足立家によって手を入れられ完成しました。
いつ見ても変わらない庭園の完成度は、素晴らしくまるで絵画を見ているようです。それゆえに、見ていて何かしらの緊張感を覚えるのは私だけでしょうか。
逆に、そのスケールの大きさや完成度から、日本庭園の一番の要素である、わび、さびといった感覚は、あまり感じることはできません。
いつ見ても変わらないその景観ですが、静かなたたずまいや四季の移り変わりや経年を感じられるのが私たちが知っている日本庭園なのですが、残念ながらその感性はありません。

しかしガラス越しに見る庭園は、いつもはっきり、くっきり、恐らく反射防止フィルムを貼ってあるのでしょうが、雨や風などの気象条件に左右されることなく鑑賞できるのは、それは確かにありがたいことです。
そして、徹底された維持管理には、スタッフの皆さんのたゆまぬ努力が注がれているのでしょう。
肝心の撮影ですが、陽の射す快晴の青空よりも、できれば均一な薄雲状態の方が、庭が活きる、そんな感じがしました。



ガラス越しに最初に姿を現すのがこの景色 苔庭から枯山水庭を望む


少しだけアップで撮ってみました


苔庭


苔庭のアップです


日本一の庭園に酔いしれる入館者たち


枯山水庭


額縁庭園 足立美術館を代表する景観です


順路の途中に小さな紅葉したカエデがありました


なぜか、ホッとします


床の間の向こうには、この人出


池庭


白砂青松庭

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上田重安(宗箇)と塙団右衛門直之 島根県・櫻井家住宅を訪ねて

2019-12-10 22:05:08 | 歴史

駐車場から山道を歩く。振り返ってみたところ


可部屋集成館の正門


裏山の美しい紅葉

先月の初め、美しい日本庭園で有名な足立美術館に向かう途中、紅葉スポットで知られる可部屋集成館櫻井家住宅を訪ねました。
奥出雲町の国道432号線から少し山道を入ったところに、駐車場がありました。
事前の情報で、この駐車場脇にあるのが、評判の蕎麦店「清聴庵」でしたが、時間的にまだ営業前のようでした。
駐車場から傾斜道を数分歩くと、小高いところに可部屋集成館があります。
入館料は、櫻井家住宅と合わせ、1000円でしたが、JAFカードの提示で900円でした。

まず、櫻井家住宅を先に見学することにしました。国の重要文化財に指定されているこの住宅、ご当主が実際に住んでおられるので、座敷にあがることはできませんでしたが、玄関先の土間からは、座敷が何部屋も続きその立派さがわかります。
この住宅の奥にあるのが、松平不昧公が命名したという日本庭園「岩浪」です。
圧巻なのは、山の上の方から、幾筋にも分かれて流れ落ちる滝です。
滝は、庭園の池の水となり、そこには悠々と泳ぐコイがいて、まるで江戸時代にタイムスリップしたような錯覚を覚えます。



重要文化財・櫻井家住宅 現存する建物のもっとも古いものは享保20年(1735)の記録があり、母屋も元文3年(1738)に建てられた


大名茶人として名高い松江藩主・松平治郷(不昧)が初めて櫻井家を訪れると聞き、6代当主の苗清(なえきよ)が1803年、滝を中心とする庭園と屋敷に「上の間」を造った


日本庭園


櫻井家住宅は、このような山の谷あいにある


治郷公は、滝を「岩浪(がんろう)」と命名。 滝は高さ約15メートル。1キロ上流の内谷川から水を引き、岩の上から落としている。
この滝が、お成りの際、もてなしの心で造られた人工の滝と知る人は少ない。


池の澄んだ水


ゆったりとコイが泳ぐ


深い谷


秋には美しい紅葉を見ることができる


水車小屋


生成されるそば粉。粒子が相当に細かいので、つなぎがなくても十分打てるとのこと

紅葉は、事前の情報で色づき始めと聞いていたので、それほど期待はしていなかったのですが、住宅の裏山の木々の紅葉は見事でした。
そして、住宅の南側は、深い谷となっており、川を挟んでのカエデは、まだ緑でしたが、紅葉するとそれは見事だろうと推察できます。
これらのカエデは、五代の室が京都から輿入れの際に持ってきて植えたものと伝わっているようです。
こうして、立派な住宅と庭園を楽しんだ後、「可部屋集成館」で櫻井家の貴重な資料を拝見することにしました。
学芸員の方から、簡単に説明をしていただきましたが、その中で、当家は戦国の武将・塙団右衛門の末裔家です、との説明がありました。
このとき「塙団右衛門」と聞いて、どこか記憶の片隅にあったのが「宗箇が倒した相手」ということでした。
そのことを尋ねると「はい!その通りです」と興味ある話を聞くことができました。
部屋の入り口には、NHK大河ドラマ「真田丸」で登場する塙団右衛門の写真が掲示されていました。
また、その役を演じた俳優の小手伸也さんが、わざわざこちらにあいさつに来られたということです。

そこで、上田重安(宗箇)と塙団右衛門のことについて少し調べてみました。


上田重安(宗箇)とは?

数々の戦いで一番槍の功を立てた歴戦の武将、茶道を千利休ついで古田織部に学び、上田宗箇流の流祖となって、茶人、造園家として業績を残した。

・永禄6年(1563)現在の愛知県名古屋市南区星崎の出身
・代々、丹羽長秀の家臣
・本能寺の変が起こると、光秀の娘婿の津田信澄の首を挙げる
・長秀の死去後、秀吉の直臣となり1万石の大名となる
・関ヶ原の戦いでは、西軍につき敗戦、領地を没収され剃髪、以後宗箇と名乗る
・蜂須賀家政に請われその客将となり、徳島城表御殿庭園を作庭
・浅野家に請われて家臣となり、1万石を与えられる。
和歌山城西ノ丸庭園、粉河寺庭園を作庭
・大阪の陣(冬の陣)では、浅野長晟に従って従軍
・大阪夏の陣、樫井合戦では、敵方の大将の一人である塙団右衛門の首級を挙げる
・浅野氏が和歌山藩から広島藩に移封されると、現在の大竹市小方に1万2000石を与えられる
・以後は、茶道と造園を趣味として生活を送り、浅野家別邸縮景園、名古屋城二の丸庭園を作庭
・慶安3年(1650)88歳で没した
・茶道は、上田宗箇流として連綿とつづき、現在は16代・上田宗冏家元


塙団右衛門直之とは?

・出自は不明
・豊臣秀吉の家臣・加藤嘉明に召し抱えられ、度々武功をあげる
・1000石の知行をもらい鉄砲大将に出世、名を塙団右衛門直之と改名
・関ヶ原の戦いで、命令を無視したため嘉明の勘気を受けるが、憤慨し出奔
・小早川秀秋に召し抱えられ、1000石の知行で鉄砲大将となるが、主家が断絶して浪人となる
・その後、松平忠吉に仕えたがまたしても主家が断絶、その後福島正則に仕えたが加藤嘉明の抗議で罷免
・妙心寺大龍和尚のもとに寄宿して仏門に入り「鉄牛」を称する
・大阪冬の陣が始まると還俗し、豊臣方に参加
・浪人衆の一人として大将・大野治房の組に預けられ、志願して夜襲をかける
そのとき「野討ちの大将 塙団右衛門直之」と書いた木札を士卒にばらまかせる
・大阪夏の陣で武将の一人に任じられ、大野治房の指揮下で出陣し、浅野長晟と対戦
・樫井の戦いで、浅野家家臣の田子助左衛門、亀田大隅、八木新左衛門、および横井平左衛門(上田宗箇の家人)らと交戦
一説には、田子の弓矢を額に受けて落馬したところを、八木に打ち取られた、また異説では、亀田大隅あるいは横井平左衛門が打ち取ったとも、また上田宗箇本人と遭遇し、槍一本に突かれたとの説もある。
・直之の墓所は、大阪府泉佐野市南中樫井にある


実際のところどうだったのか?

上田宗嗣著「茶道上田宗箇流」には、次のように記述されている

大阪夏の陣の緒戦、浅野長晟は軍を泉州樫井まで進め、二万の大阪勢を待ち受けた。
このとき宗箇は浅野左衛門佐の隊に加わり、塙団右衛門に傷を負わせ、大阪方の猛攻をくい止める大功を挙げた。世に言う泉州樫井の戦いである。
戦の最中、急迫する敵を待ち受けながら、宗箇は平然として小刀を持って竹やぶの竹を切り、茶杓二本を作った。茶杓の銘を「敵がくれ」という。


津本陽「風流武辺」では、次のように描かれている

樫井の集落の道筋は城兵で混み合い、塙団右衛門は思うように馬を進められない。
宗箇は槍をふるって躍り出ると、団右衛門の家来山県三郎右衛門と付き合い、組内となり宗箇が下になった。
宗箇の家来二人が三郎右衛門を槍で突き、打ち取った。
団右衛門は脇腹に矢傷を受けたが、すさまじい勢いで槍をふるい、敵を寄せ付けない。
そのとき紺具足に黒母衣をつけた小柄な宗箇が、声をふりしぼり名乗りをあげた。
団右衛門は宗箇と突き合う。宗箇は槍を捨て斬りかかった。
団右衛門は宗箇の冑を槍で殴りつける。
宗箇はひるまず太股へ斬りつけ、組み付き、死力をふりしぼり、組み付いた腕を離さなかった。
剛力の団右衛門は宗箇を脇に抱え。締め付けて樫井村の出口まで引きずっていこうとした。
宗箇の家来たちはあとを追い、ひとりの小姓が団右衛門の冑の錣を両手でつかみ、後ろに引き倒す。
落馬したところへ顔を狙い十度ほど刀を突きこむ。
塙団右衛門はその場で絶命した。(一部省略)


櫻井家のその後

・大阪夏の陣で、始祖塙団右衛門討死のあと、嫡男直胤は母方の姓「櫻井」を名乗る
・広島の福島正則に仕えたが、同家改易の時、広島の郊外「可部郷」に住み、鉄山業を営む
・正保元年(1644)三代直重は、出雲領上阿井の地に移り、屋号を「可部屋」と称し“菊一印”の銘鉄を創り出す
・“菊一”は、最も良い鉄砲地鉄として認められ、松江藩より「御鉄砲地鉄鍛方」を命ぜられる
・松江藩に認められ、やがて五代利吉は、「鉄師頭取」の要職を拝命し、広く地域内の鉄山業を仕切る
・現当主は、13代櫻井三郎右衛門氏
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