庭瀬往来に設置された真新しい道標
(前回のつづき)
RSKバラ園から庭瀬駅にナビをセットすると、2.8キロと出ました。バラ園前を南に下り、次の162号線との交差点を左にとって足守川を渡るともう庭瀬です。このあたり信号も多くて道路もやや渋滞気味です。ちょうどお昼どきで、「羽釜うどん」と幟の立ったうどん屋は駐車場もいっぱいでした。よし、お昼はここにしようと思いましたが、最初の目的地、庭瀬城址はいったいどの方角にあるのかさっぱりわかりません。
庭瀬駅方面に進み、途中で検討をつけて右折すると、クランク気味の道路が極端に狭くなってきました。とにかく進入禁止の標識だけに注意して進むと、池のようなところに出ました。なんと一発で目的地に到着したようです。周辺の道路は、下水道工事で工事車両が出たり入ったりとしていましたが、なんとか公園の空きスペースに駐車することができました。いざ、散策スタートです。
資料によりますと、庭瀬は、岡山市北区南西部の一地区で、旧庭瀬町は1937年(昭和12)に撫川(なつかわ)町と合併し吉備町となり、1970年(昭和45)に岡山市に編入されました。庭瀬地区は庭瀬川左岸にあり、右岸の撫川地区とは対向集落をなした、とあります。この庭瀬川がどこで、どこからが撫川地区でどこからが庭瀬地区なのかよくわかりませんでした。
庭瀬城址は、公園になっていて、夏の池には大賀ハスがきれいな花を咲かせるそうです。次に撫川城址に向かいましたが、ここは、まったくの住宅地の中にあり、こんなところに城跡があるとは想像もつきません。それでも住宅街を抜けるとそれらしきものが目に入ってきました。小さなお堀があり、最近できたのでしょうか、真新しい石橋を渡ると撫川城址です。庭瀬城址と比べると随分規模も大きいようです。堀にかかる石垣が、なんとか往時の面影をとどめています。
撫川城址を出て、次の目的地、庭瀬往来を目指しました。このあたりは水路が多く、昔は地の利を生かしてイグサの栽培が盛んにおこなわれていたようです。途中道に迷いましたが、新しい道標を頼りに道を進むと、庭瀬往来に出ました。平成16年から、地元と岡山市が協力して「庭瀬・撫川歴史と文化のまちづくり協議会」が発足し、町並みの整備事業に取り組んでいます。
庭瀬往来を歩いているとお寺が多いことに気づきます。通りに立派ななまこ壁やむしこ窓(虫籠窓)、黒漆喰壁や木格子などが残る約40軒の伝統的様式の建物が見えます。「薬」と木をくり抜いて作られた薬屋の看板の町家の奥を除くと、伊東ゆかりのポスターが貼られていました。レトロな道具類がずらりと並んでいて、よくこれだけ集めたもの、と感心しました。一番趣きがあるのが、味噌・醤油製造元の川野屋あたりでしょうか。風格のある町屋が三軒続くたばこ屋あたりも見事な景観です。ふと、通りの向こう側にあの羽釜うどんの看板が目に入りました。(つづく)
めずらしい板をくりぬいた薬の看板