未熟なカメラマン さてものひとりごと

ようこそ、おいでくださいました。

坂の町・尾道を巡る 私のとっておき散歩コース!

2019-12-18 21:54:11 | 旅行
久しぶりの休日でした。当日の朝、尾道と倉敷どちらにするか迷いましたが。結局、今回は坂の町・尾道を訪ねることにしました。


まず、こちらの動画をご覧ください。
谷村新司 いい日旅立ち 
ソフトバンクCM 「旅する父編」

尾道市役所前の駐車場に車を入れ、まず向かったのが、千光寺山ロープウエイ乗り場です。途中に中華ぞばの人気店「朱華園」がありますが、残念ながら現在は、休業中です。

(ロープウエイでまず頂上駅へ

乗車券は、片道を購入します。所要時間はわずか3分ですが、見る見るうちに港町尾道の景色が眼下に広がり、おもわずカメラを構えてしまいます。
同乗者は、平日なのに若い人が多く、活気があってどこか明るい気分になります。

山頂駅に着くと、すぐに展望台に向かいます。尾道水道がはるか眼下に見え素晴らしい眺望です。対岸に向島が見え、驚いたことにさらに山々のその向こうに瀬戸内海が見渡せます。一番の撮影スポットは、やはり尾道水道と尾道大橋が交差し、手前に市街地が見えるあたりでしょうか。
時間が許せば、尾道市立美術館で名画を鑑賞するのもよいでしょう。
このあと、千光寺まで、文学の小道を歩いて下ります。途中、頭上をロープウエイのゴンドラが行き来します。



千光寺ロープウェイ 乗り場は建物の裏側エレベータを使用します


ぐんぐん視界が開けてきます


展望台はまるでUFOのよう


展望台から見る尾道水道


恋人の聖地だそうです

(文学の小道を下り、千光寺へ)
巨岩がごろごろ見えるころ、千光寺に到着です。せっかくなので、お賽銭を入れお祈りします。
脇にあるお守りを売る小さなお店。もう20年くらい変わらぬ名物おばちゃんが、笑顔で気楽に声を掛けてきます。境内にはテープですが、読経が響き少しだけ厳粛な気持ちになります。この本殿の後ろ側に、密着するように迫る三重の巨岩には圧倒されます。
清水の舞台のような、本殿前からも尾道の絶景を楽しむことができます。



美しい横顔の石像


千光寺からの素晴らしい眺望


朱色の鐘楼


奇岩 三重岩が本堂に迫る


(坂道を降りつつ猫と戯れる、そして天寧寺へ)

千光寺から坂道を下ると、築100年の古民家を再生したゲストハウス「みはらし亭」があります。もう少し下ると、右手に、通称ねこ公園といわれる「尾道共楽園」があります。この日は2匹の猫ちゃんに会うことができました。
そしてもう少しだけ下った三叉路、尾道一と言われる撮影スポットです。天寧寺三重塔と尾道大橋、市街地をワンカットで撮ることができます。(CM登場)
そしてこの三叉路を左手に行き、天寧寺境内に降りるのですが、それは後回しにして、次の猫出現スポットが、おのみち文学の館手前の休憩所です。ここでは3匹の猫ちゃんに会うことができました。
それから先ほどの三叉路に戻り下ると、天寧寺境内に出ます。



みはらし亭


ねこ公園のネコ


尾道一の撮影スポット 絵になる景色・天寧寺の三重の塔


坂道は尾道を代表する景観


絵になるネコ

(商店街に出て、尾道浪漫珈琲で一息入れる

天寧寺境内を抜け、JR山陽線、国道2号線を横切りまっすぐ進むと、正面に本通り商店街の尾道浪漫珈琲本店があります。
おいしいコーヒーで一息入れたあと‘浜の小路’を抜け、海岸通りに出ます。
途中、尾道ラーメンの人気店「つたふじ」や「尾道ラーメン壱番館」がありますので、お腹がすいたらどうぞ!但し、昼時は行列に並ぶことに覚悟が必要です。



尾道浪漫珈琲


おいしいコーヒーを味わう


ついでにフルーツパフェも

(海岸通りを歩き、行き交う渡船を眺めながら郷愁に浸る)

海岸通りに出たら、行き交う渡船(CM登場)や、港の漁船、昭和を物語る「かまぼこ海の駅」や、雁木、対岸・因島の造船所などを眺めながら歩くと、潮の香りが漂い、おもわず深呼吸をしたくなります。
疲れたら、ベンチで一休み。愛犬を散歩させたり、ハトに餌をやるお年寄りの姿がありました。
このあと、大きな高架橋を渡り、福屋百貨店で品定め、新しい尾道駅を見ながら横断歩道を渡り、本通り商店街に戻ります。



住吉神社 夏の花火大会は、この神社のお祭りです


渡船を待つ自転車の人が絵になります


穏やかな海 癒される港の景色です


ウオーキングに最適です


歩きやすい海辺の木道 


ゆったりとした空間


尾道駅前の様子です

(アーケードの商店街を歩きながら、特徴あるお店を探すのも楽しい)

800年も昔から栄えた町・尾道、江戸時代の西国街道はそのまま尾道のメインストリート「尾道本通り」として今も生き続けています。
まず、出迎えてくれるのが、入口のところにある、林芙美子像。旧・林芙美子居宅も近くにあります。
歴史を感じさせる立派なお店もあれば、今どきのカラフルなお店、新しいスタイルの宿泊所、銭湯をそのまま残したインスタ映えのするお店などもあって、被写体として楽しめます。
この辺りでよく見かけた、あのガイド犬‘どびん’が懐かしく思い出されます。
尾道浪漫珈琲まで戻ったあとは、お隣の土産店‘尾道ええもんや’でお買い物です。



本通り入り口にある、林芙美子像


シネマ尾道


林芙美子記念館(旧・林芙美子居宅)


甘処・ととあん


冑の展示がスゴイ 山崎清春商店


石畳小路


尾道商業会議所記念館


お風呂の後をそのまま利用した土産物店


あくびカフェ/あなごのねどこ


尾道のおみやげはこちらで 尾道ええもんや

(最後に、国宝の寺・浄土寺を訪ねる

尾道観光で絶対外せないのが、国宝の寺・浄土寺です。商店街を抜け、国道2号線を東に進むと、横断歩道があります。JR山陽線を潜り、急な石段を上がると正門です。
境内には、左から、庫裏、本堂、阿弥陀堂、多宝塔があります。特に国宝の多宝塔は鎌倉時代後期に建てられたもの。どの角度から見てもその姿には、圧倒されます。(境内:CM登場)
国の名勝に指定されている日本庭園もあります。時間があれば、ぜひ鑑賞されることをおすすめします。
山門手前の通りは、夕日の坂道として、なかなかの眺望です。


以上が、私のいつもの尾道散歩コースです。
ご参考になれば、何よりです。


国宝・本堂


境内


国宝・多宝塔
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鳥取の旅 鹿野往来(しかのおうらい)から三朝温泉へ 

2013-07-22 23:39:03 | 旅行

千本格子の美しい気品漂う城下町 鹿野往来

(つづき)
実は、朝出かける前に、急ぎ訪問予定地をピックアップしていました。第一に「砂の美術館」と鳥取砂丘、次に鳥取市上町の観音院庭園、そして鳥取市鹿野町・鹿野往来(しかのおうらい)です。
そして、帰りに名湯三朝温泉の三朝館でゆっくり湯に浸かって帰るというコースです。
 砂丘を見た後、観音院庭園で、池泉観賞式庭園を眺めながら、抹茶をいただく予定でしたが、どっと疲れが出て、庭園は次の機会にすることにしました。また鹿野往来も場所を確認していなかったので、今度機会があればということにしました。ナビを三朝館にセットして、砂丘をあとにしました。
 右手に日本海を見ながら国道9号線を進んでいると、突然、鹿野という道路標識が目に留まりました。「ここにあった!」と思い、一瞬迷いましたが、せっかくなので、寄って帰ることにしました。9号線を左折し、正面の山に向けて一直線という感じです。右手には、石州瓦の立派な民家が旧道沿いに建ち並び、左手には、見渡す限りの田園地帯。非常にのどかな風景です。

 10分ほど走って、やっと鹿野往来に到着しました。きれいに舗装された町並みがあり、車を乗り入れましたが、昔ながらの細い道、どうしようかと迷っていると、すぐ左手に観光駐車場がありました。鹿野往来は、江戸時代初期、亀井氏が城を築いたことで城下町が形成され、商工業が盛んな町として賑わいを見せていました。鹿野往来はこの城下町の道幅や水路が400年前の形でほぼ残っており、その当時の歴史を感じることができます。

道の脇の水路を豊かな清水が流れ、ところどころに竹製の手づくりのプランターにセンスのよい花々が植えられていて、とても清々しい気分にさせてくれます。町並みの途中を左に進めば、城址公園、その先を右に進めば、大工町と町並みはまだまだあるようでしたが、時間もあまりないので、少し散策したあと、食事処「夢こみち」で一息入れて帰ることにしました。お店は古民家を改修した、吹き抜けの土間があるお店。お店の方に「この町並みはいつごろできたものですか?」と尋ねましたが、「よくわかりません」とのことでした。通りがこのようにきれいになったのは、このお店ができたころで11年ほど前のことだそうです。アイスコーヒーをいただいて、涼をとったあと、鹿野をあとにしました。

 次に向かったのが、三朝温泉の三朝館です。対向車が少ない田舎道を快適に進むと、懐かしい三徳山山佛寺、国宝投入堂へ通ずる道です。落石注意と書かれた標識を何か所も目にしました。しばらくして三朝温泉・三朝館に到着です。時間が遅くなったのでチェックインの時間と重なり、ひょっとしたら旅館の人が玄関で予約のお客様を待っているのではと、心配をしながら旅館の正面に車をつけると、案の定、数名のスタッフの方が近寄ってきます「温泉だけお願いできますか?」と声をかけると、「はい!結構ですが、車を河川敷に移動いただけますか?」との返事。車を河川敷に移動し、受付で申し込みをしました。入浴料1000円を払って大浴場に向かいます。ロビーの向こうには、日本庭園の緑が広がるとても豪華な作りです。大浴場の洗い場には3人の先客がいました。私はすぐに露天風呂に移動します。広い湯船が3つあり、じっと浸かっていると風がほおをかすめ、なんと気持ちのよいことか。まさに至福のひとときです。こんな贅沢気分が味わえるなんて何と幸せでしょう。

露店風呂から大浴場に戻ると、そこにはもう誰もいなくて貸し切り状態でした。手足を伸ばし、限界まで浸かって出ると、汗がどっと吹き出します。温泉の正しい入り方として、出るときに体を蛇口の水道水で流さないこと、ときいたことがありました。せっかくの温泉成分が流れてしまうからです。私は、最近このことを順守しています。1000円は、今はやりのスーパー銭湯に比べて少々高いかもしれませんが、温泉地の有名旅館のお風呂を貸し切り状態で味わえる、贅沢なひととき。これはおすすめです。お風呂から出て冷たい冷水をいただき、冷房の効いた畳の広間で足を延ばし汗が引くのを待ちます。汗が引くころ、すっと体が軽くなり、気力がみなぎります。

とても満ち足りた気分で、三朝温泉をあとにしました。


世界有数のラジウム温泉


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日本緑茶発祥の地 宇治田原町を訪ねて

2013-06-04 00:06:43 | 旅行

寒冷紗に覆われた茶畑

6月2日の日曜日、私が所属している茶道上田宗箇流・社中の研修旅行があり参加しました。今回の行き先は、京都府宇治方面で、主な目的はお茶園の見学です。個人ではなかなか行けないところなのでとても楽しみにしていました。現地に早めに到着したいということもあって井原を早朝6時前に出発。今回は有難いことに尾道宇治園の社長さんが、案内役として同行してくださいました。総勢13名です。

お茶園には、ほぼ予定の時間に到着しました。さらに現地で、京都のお茶の関係者3名が合流して案内していただきました。現地は、宇治茶というぐらいなので、当然、宇治市かと思っていましたが、訊ねてみると、ここは京都府綴喜郡宇治田原町というところだそうです。この地は永谷園の創始者「永谷宗円」が今でいう煎茶の製法を確立したところから、日本緑茶の発祥の地といわれ、そしてそのお茶を江戸で販売したのが山本山の初代山本嘉兵衛だそうです。また、お茶の生産地の断トツの1位は、静岡県で2位が鹿児島県、この2県がほとんどのシェアを占めていて、続いて伊勢茶の三重県がつづき、京都府は、全体の5%ぐらいしかないとのことでした。それでも、長い歴史と、確立したその技法により、玉露やてん茶(抹茶の原料)、抹茶など国内における高品位なお茶の産地として有名で、他の産地では決してマネができない、とのことでした。 

さて周辺は、まったくの田園地帯。水田が広がり後方を山が取り囲むような盆地で、一見すると私の住んでいる井原市内の北部の景観とほとんど変わらないように見えますが、水田と茶畑が混在しているのが大きな違いです。茶畑の多くは、黒い寒冷紗で覆われて遮光されています。また、お茶の説明で、お茶の種類は、その加工方法によって大きく分けて緑茶、ウーロン茶、紅茶に分類されるそうですが、日光にあてるとカテキンが増えて紅茶になるという話は興味深いものでした。また遮光することによって、葉をうすく大きくするという話を京都の方から教えていただきました。バスの中では、てん茶などのサンプルを見せていただき、また口に含んだりして味わい、大変参考になりました。

左右に、寒冷紗で覆われた茶畑がある農道を進むと、工場らしき建物に到着しました。ここは、組合の荒茶加工施設のようです。ちょうど生産者の方がトラックで、袋に入れられた茶葉を降ろしていました。ここから建物内に、案内されて入ると、お茶の葉が機械に投入され、蒸されたり、網の筒に吹き上げられて乾燥されたりと、最後には袋詰めされる工程まで見ることができました。ほんとに貴重な体験をさせていただきました。
工場を出た後、実際に寒冷紗に覆われた茶畑を中に入って見せていただくことができました。若葉は瑞々しくて、いかにも新鮮な感じがしました。最後に茶畑をバックに記念撮影し、宇治田原町をあとにしました。

昼食の予定時間まで時間が余ったので、平等院近くを散策することになりました。裏手の駐車場から石段を降りたところに観光センターがあり、その隣に宇治市市営の茶室「対鳳庵」がありました。せっかくなので一服いただくことにしました。お点前をされていたのは、遠州流の流れをくむ流派だとのことでした。このあと、宇治川の川岸を散策したあと、宇治川通りに並ぶ茶店を見て歩きました。店先にいくつも積まれた茶箱や、立派な看板を見ているとどこかその歴史を垣間見るような気がしてきます。ここまで来たら平等院ですが、修復中とのこともあり、また時間もなかったので、今回は入りませんでした。またいつの日か、修復が終わったら是非、来てみたいと思いました。そしてバスは、本日昼食場所の万福寺に向かいました。途中、立命館宇治高校の野球グラウンドを目にしました。駅伝で我が興譲館のライバル校。昨年の覇者。今年の駅伝はどうだろうとふとそんなことを思いました。(つづく)



お茶屋が並ぶ平等院前の通り
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倉敷市児島を訪ねました。

2013-02-08 22:22:17 | 旅行

旧野崎家住宅で見た、大変めずらしい明治天皇の男雛です。
詳細な画像と説明はこちらでどうぞ! 未熟なカメラマン・日帰り旅日記

2月3日(日)節分の日。天気が良かったので、撮影にどこか出かけたいと思いました。北方面は冬タイヤを履いていないのでダメ、四国方面も考えましたが、瀬戸大橋の利用料金と、どうせ行くなら栗林公園の梅園の見ごろの時期に、などといろいろ考えたあげく、そうそう、そろそろ野崎家旧宅でひな祭りが開かれているのではと、倉敷の児島方面に行ってみることにしました。時刻は、10時半頃でした。最寄りの笠岡ICでETCレーンに入ると、なんとゲートが上がりません。マイクから「お客様のETCカードは期限切れのようです。」というアナウンスが流れてきました。そういえば新しいカードがきていたのにすっかり忘れていました。情けない、今日はすっかりついていないようです。到着ICの児島で降りるとき、「お客様、ETCカードはお持ちでないですか?」と聞かれ、事情を話しましたが、案の上,割引は効かず、1,650円を請求されました。もったいないことでした。

最初に訪ねたのが野崎家旧宅です。パンフレットを見ると、旧野崎家住宅(国指定重要文化財)となっていました。塩田王と云われた野崎家、公園のような前庭があり歩道の向こうに立派な長屋門が見えてきます。その隣には御成門もありました。入口の横に赤い字で「野崎家お雛様展」と書かれた看板が架けられていました。入館料を払う際、お茶席もあるというので、お願いしました。(入館料500円、抹茶御菓子付400円)実は個人的にこちらは、3回目の訪問でした。受付を過ぎると白い土蔵群が青空に映えとても美しく見えます。まずは、順路に従って歩くことに。お雛様展とあるだけあって、各お部屋の床には、それぞれにお雛様が飾られていました。春は表書院の庭先のサツキが美しく咲くのですが、この時季は瑞々しい苔ばかりが目立ちます。それにしても草1本生えていないとてもきれいに管理されている日本庭園は見事です。そして庭園内には、贅沢にも3つの茶室がありました。  

圧巻は、中座敷。野崎家が住まいの中心とした母屋で、天保4年頃の建築と云われていますが、一番奥の向座敷まで23間(42m)、9つの座敷が連続しています。そして向座敷の床には、お雛様が見えました。昔そのままの広い台所、土間にかまどが並び壮観です。風呂や漬物小屋、防空壕もあります。屋敷の裏口から回り込むと5棟の土蔵の前に出てきました。ひとつにひな人形が飾られた資料館、池田家から野崎家に送られたという享保雛が印象的でした。もうひとつの土蔵には家業の塩業の資料館がありました。

最後の最後で指定されたお茶席が向座敷にありました。靴を脱いであがると、床を挟んで部屋の両側に毛氈が敷かれていました。まず、名物の塩饅頭が出て、そのあとに抹茶をいただきました。お茶碗は、虫明焼でお雛様が描かれていました。係の方の説明でいろいろお話を聞くことができました。今も7代目が塩を造っていて、味の素を通じて販売していることや、お風呂は実は3つもあるということ、使用人は、一番の最盛期に80人もいたことなどです。庭の管理は専属の人が3名いて、苔の中の草は、ピンセットで抜いているとか。
ここからは、庭園側から見た座敷の続く様子が、逆の方向から見ることができます。通常、畳の部屋にはあがれないので、お茶席を利用される方だけの特典とのことでした。

野崎家を見学したあとは、「ジーンズストリート」と書かれたいかにも日本のジーンズのふるさとらしい景観の通りを、散策してみることにしました。その昔、「ボブソン」「ビッグジョン」などナショナルブランドで名を馳せた児島ですが、現在は、その勢いはありません。この通りは、地元メーカーや商工会議所が、児島のPRと商店街の再生を目指して空き店舗などへの誘致活動の一環としておこなっているものです。おもしろいのは通りを挟んで頭上にロープが張られジーンズが洗濯物のようにぶらさがっている光景でした。これもいわゆる野外ディスプレイ?の一つなのでしょうか。メーカーの直営店や小物の店、カフェなどもあり、ジーンズ好きの若者には堪えられないでしょう。
児島は、古くから(主に江戸時代)干拓で知られていますが、干拓地は塩分を含んでいるため作物はなかなか育ちませんでした。そこで登場したのが、水分と肥料さえあれば育つといわれる綿花の栽培です。北海道からの北前船で下津井港にニシン粕が大量に届き、このニシン粕を肥料に栽培が盛んに行われ、これが、児島の繊維産業のもとになったといわれています。

次の目的地は鷲羽山ですが、その前に腹ごしらえです。下津井でよく行く店が「ふく仙」です。下津井港で水揚げされた新鮮な魚介類で人気のお店です。お腹が膨れたところで、鷲羽山に向かいました。日曜日なのに、広い駐車場に停まっている車の数はわずか。観光船の呼び込みがどこかむなしさを感じさせます。ここから展望台を目指しますが、この石段が堪えました。瀬戸内海、春霞がかかって視界は今一つでしたが、雄大な瀬戸大橋は絶好の被写体です。ただ時刻も午後2時ごろを過ぎると、海も逆光気味となります。海面は反射して、ぎらぎら輝いて見えます。せっかくなので、ビジターセンターから頂上を目指しました。天気がよいのでこの散策はとてもさわやかな気分でした。いつのまにか汗が出てきます。石を積み上げた感じの頂上ですが、眼下に瀬戸大橋はもちろん、児島ボートのエンジンの爆音までも聞こえてきます。まさに絶景かな、というところです。

鷲羽山を堪能したあと、最後に下津井の町並みと祇園神社を見て帰ることにしました。瀬戸大橋の橋脚の真下にある下津井漁港ですが、不思議と違和感はありません。観光駐車場に車を停めると、目の前に、最近有名になった「ところてん」の店がありました。そういえば、NHKの人気番組「鶴瓶の家族に乾杯」でこの店が映っていましたね。店先で、100円、200円とナイロン袋に入った干物を売っているおばあちゃん。そのときの様子をきいてみると、「いつのまにか来ていてね・・・」との返事。しかし有難いことにこのことが大いに宣伝になって、お客も随分増えたようです。あとから来たお客さんも同じように話しかけていました。じっと椅子に座って、自ら動くことはあまりありませんが、高齢なのに計算もさっとできて、これならボケ封じと店番、一挙両得・一石二鳥ですね。

このあと、祇園神社に向かいました。駐車場からは、かなりの急こう配の石段を登らなくてはなりません。そして大きな石灯籠があり、その先に、こじんまりとした境内があります。前回来たときは、紅梅、白梅が満開でメジロが何匹も来て花の蜜を吸っていました。縁台も用意されていて、梅の香りが漂う高台から望む瀬戸内海や瀬戸大橋もなかなかいいものでした。当日は、紅梅、白梅とも咲いていたのはほんの数輪。もちろんメジロもいませんでした。
10分ほど滞在のあと、最後の目的地、下津井の古い町並みを少しだけ散策することにしました。保存地区には、出格子、虫籠窓、なまこ壁を持つ民家をたくさん見ることができますが、その町並みの中で、中心となるのが、むかし下津井回船問屋です。前半でも書きましたが、北前船が北の海産物を運んで寄港したことや、瀬戸内海でも四国と距離的に近いことから、四国・金毘羅さんへの玄関口として繁栄を極めたそうです。朝鮮通信使の寄港地は、鞆の浦の次は牛窓となっており、下津井は、非常時・臨時のときのみ利用となっていたようですが、記録によると第7回のとき1回だけ寄港したようです。

むかし下津井回船問屋、入館料は無料ですが、受付に記帳してくださいとありました。母屋から入ると、店の間、座敷、茶の間、台所と当時の佇まいをみることができます。また北前船の模型もありました。この母屋を抜けると広い中庭に出ることができます。ここには、今はレストランにも使用されている昔のニシン蔵や下津井の歴史を紹介した、いんふぉめーしょん館などがありました。

本日のコースは、ごく一般的なものですが、まだご覧になっていない方は是非、足を運ばれてはいかがでしょう。他にはない発見があるかもしれませんよ。



島ひとつお土産に欲しい鷲羽山
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室津にカキを求めて

2012-12-13 00:01:04 | 旅行

真新しい「道の駅みつ」は新鮮な魚介類がいっぱい

12月8日、贈答用殻付カキを求めて日生(ひなせ=備前市)に行ってきました。備前ICから南下し日生港を目指します。B1グランプリ出場の「カキオコ」は毎回好成績を残し、すっかり有名になりました。町の中にはカキオコの幟がたくさん立っています。目指すのは、五味の市という組合直営の魚市場。新鮮な魚介類が並んでいます。目的地に着くと、あれ?と思いました。駐車している車の数が少ないのです。昨年もこの頃来ましたが駐車場は満車の状態だったことをよく覚えています。そして市場の中に入ると、「あれ、牡蠣を売っていない!?」これはいったいどうしたことでしょう。あるお店のおかみさんに尋ねると、「申し訳ないけど、カキのことは私にはわかりません!」との返事。他でも聞いてみましたが、なかなか明瞭な返答はありません。どうやら、今年は生育が遅れているようです。販売はいつからになるか未定のようでした。

あてがすっかりはずれてがっかりしましたが、せっかくここまで来たからには(私の住む井原市と、この備前市は岡山県の両端となりかなり遠いのです)どこか他のところを探してみようと思ったわけです。
以前、兵庫県赤穂市の東の方の海沿いの道に多くのカキ販売の看板があったことを思い出しました。そこで、ナビを国民宿舎新舞子荘にセットし、そこから国道250線を通って海沿いに西へと帰って行くことにしました。新舞子は、美しい海岸で、遠浅の海は、夏のシーズン、大いに賑わうようですが、当然のことながらこの日、人影はありません。そこから世界の梅公園の横を通ると、しばらくして海岸線に出ます。海を横目にしばらく走ると、「道の駅みつ」がありました。最近できたのでしょう、少なくとも一昨年まではありませんでした。
せっかくなので、寄ってみることにしました。高台にあり、眺めも抜群です。岸辺に近いところに、水鳥の群れが風を避けるようにゆらゆらと羽を休めていました。道の駅ですから地元の特産品が並んでいるわけですが、やはり魚介類が多いようでした。店頭で室津産のカキの蒸し焼きを売っていました。5個500円でした。早速、買って食べてみると、お腹もすいていたこともあり、なんとおいしいことか。この日は風が強く販売する店員さんが気の毒に感じました。それから、館内に入りお勧めのカキを我が家用に1キロだけ買って帰りました。(1キロ800円でした。)

次に食事をしようと、立ち寄ったのが海鮮バーベキューのお店。この店は以前、一度だけ利用したことがありました。新鮮な魚介類を焼くわけですが、焼く場所(コーナー)が決まっており、そこで焼きあげて席に戻って食べるというシステムです。カキやサザエ、ホタテ、イカやワタリガニなどに人気があるようでした。播磨灘の大パノラマが見渡せるテラスは、見晴らし抜群ですが、季節的に、ちょっと寒々しい感じがしました。お腹が膨れたところで最後に立ち寄ったのが室津漁港です。古い町並みと漁船が係留された漁港を写真に撮っておきたかったからです。当日は青空が広がり、漁船の白とのコントラストは、まぶしいぐらいに美しく感じました。それにしても湾内にずらりと並ぶ漁船の数に驚きます。何枚か写真に撮ったあと、町並みを散策しました。奈良時代「室津千件」と云われ繁栄を極め、江戸時代には、参勤交代の西国大名の殆どが海路で室津港に上陸して陸路を進んだため、港の周辺は日本最大級の宿場となりました。朝鮮通信使も、備後鞆、備前牛窓、そして播磨室津と立ち寄り、大いに交流もあったことでしょう。しかし、明治に入ると参勤交代の制度が無くなり、鉄道・道路が内陸部に敷かれたため急速に衰退しました。
町並みはきれいに舗装され、建物の切れ間に見える港を眺めながら散策するのも楽しいものです。2軒の旧本陣(海駅館と民族館)とカーブした細い道、旧様式をとどめた民家に往時の面影をなんとか見ることができます。

写真を撮り町並みを散策したあと、車を走らせると港の一角に、「カキ網元直売」の看板を掲げるいくつかのお店を発見しました。お店の前には、大きくカキ試食と書かれたコーナーがあり、「いらっしゃいませ!カキいかがですか!おいしいですよ!」とカキを焼きながら、繰り返し呼び掛ける中国人実習生(イントネーションからそう思いました)と思われる若い女性店員。5・6人が並んで順番を待っていました。中には、あちこちの試食コーナーに何度も並ぶつわもののご婦人の姿もありました。
早速、とあるお店でカキを買い、宅急便での手続きをしました。その日に捕れたカキを翌日に届けることができ、新鮮なカキは喜ばれるでしょう。

ところで、日本のカキの水揚げ量で多い都道府県ですが、東日本大震災前のデータによりますと、広島県が50%、宮城県が23%、ついで岡山県が8%となっており、以下、岩手、兵庫と続いています。岡山県は日生諸島、虫明湾、寄島町、兵庫県は播磨灘がそれぞれ産地となっています。
今日のコース、「道の駅みつ」でお買い物をし、お昼は海鮮バーベキュー、室津の町並みを散策し、カキを買う、なかなかいい観光コースと思いました。



室津港に隙間なく係留された漁船
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