あの感動のドキュメンタリー番組をもう一度見たいと思いました。タイトルも忘れてしまっていましたが、「中国人」「不法滞在」などをキーに検索サイトで何とか探しあてることができました。タイトルは「泣きながら生きて」というものでした。2006年11月3日に、「フジテレビの金曜プレステージ」で放映され、かなり反響を呼んだので、覚えていらっしゃる方も多いのではないかと思います。
娘の教育費を捻出するために、15年間、不法滞在を続けながら、昼夜を問わず働きつづけ、目的を達成して、国に帰って行った丁尚彪(ていしょうひょう)さんと家族の物語です。事情により、再放送も、DVD化もされず二度とみられないと思っていましたが、どなたか録画されていたものが、YouTubeで公開されていました。
便利になったものですね。ほんとにありがたいと思いました。
この男性、35歳のときに中国で、日本の語学学校の生徒募集の一枚のちらしを見て日本に行くことを決心しました。卒業後は日本の大学に留学し教育を受けたいと思っていました。男性の若い頃は、まさに文化大革命の時代、下放され教育を受ける機会はなく、労働に明け暮れた日々でした。親戚中にお金を借りまくって、1989年6月、晴れて語学学校に入学しましたが、学校は北海道阿寒町の番外地、周りは何もないところです。アルバイトをしながら学校へ行こうと思っていた計画がここで潰えました。多額の借金もこれでは返済できません。しかたなく、学校を飛び出し、何とか東京へたどり着くことができました。
最初は、借金を返すために、その目的が達成されると、今度は娘の教育費、そして留学費用を捻出するために、一度も国に帰ることなく3つの仕事を掛け持ちし15年間、働き続けたのでした。
もちろん働いたお金はすべて家族に送金しました。途中、帰ってこない主人に奥さんは、「女でもできたんじゃないか」と思っていたそうです。
取材が始まったのが、1996年春(丁さん42歳)来日7年目のことでした。このドキュメンタリー、カメラが回っているので、映される側は、多少でも意識せざるを得ないでしょう。カメラが入ることで、どのような影響があったかわかりませんが、でも流す涙は、本物です。私もまた、何度、もらい泣きしたことか。
不法滞在者は、二度と日本に入国することはできません。帰りの飛行機の中で、じっと涙を堪えながら感謝の意を込めて、両手を合わす男性。 現在の中国は、急成長をし、急速に豊かになっています。ものの考え方や価値観も大きく変わってきていることでしょう。しかしこの家族のきずなはたとえ離れていても決して失われるものではありませんでした。
見ていた方は、もう一度、初めての方にはぜひ、この番組をご覧いただきたいと思うのです。
感動のシーン
①日本に居座り続ける夫に疑念を抱いていた妻。番組スタッフから映像で見せられた「日本で苦労して働き続ける夫の真の姿」に、涙する妻と娘。
②娘のニューヨークへの留学が決まり、見送りに行った空港で号泣する母
③ニューヨークへの留学の途中、立ち寄った日本で父と再会した娘。旅立ちのとき、駅のホームで見送る父と、電車内の娘。手を一度だけ振り、ただ涙を流す父と娘。
「私は知っているんです。父が私のことを心の底から愛してくれていることを!」と泣きながら語る娘
④12回目の申請でやっとビザが降りて、ニューヨークの娘に会いに行く途中、日本に立ち寄った妻。東京見物の翌日の旅立ちの日、車内で隣同士、座っている夫婦がただ前を向いて涙を流すシーン。そして、娘の時と同じように手を一度だけ振り、振りかえらない妻。そしてそのあと何度も何度もハンカチで涙を拭く夫と妻。
⑤中国に帰る前、原点の、阿寒町を訪れ、飛び出したことを詫び、「私の第二の故郷です」と、何度も何度も深々と頭を下げ、感謝の意を表すシーン。
⑥帰りの飛行機の中で、日本での15年間を振り返り、感極まって涙を流し、感謝の意を込めて両手を合わせるシーン。
心に残ることば
①15年前にここへ来たとき、人生は悲しいものだと思った。人間は弱いものだと思った。しかし、人生は、捨てたものじゃない。
②国家の代表者には、国を良くしていく責任があるように、私には、親として子どもを育てる責任があります。この責任を果たすため、親は一生懸命生きなければなりません。
③私がここまでやってくることができたのは、両親が考えられないほどの努力をしてくれたからです。
④日本人の皆さんは頑張っています。自分の国を発展させるために、とても頑張っています。日本に来た私たち中国人は、この日本人の精神を学ぶことが重要です。
企画・プロジュースの張麗玲さんは、元女優。
検索サイトで「泣きながら生きて」を検索。次に「泣きながら生きて」の動画の中から、含泪活着というタイトルをご覧ください。1から9(最終)まであります。