訪問日:令和3年8月2日(月)
重森三玲は、昭和を代表する作庭家で、主に大きな石組の枯山水で知られています。私が彼の作品に最初に出会ったのは、京都・東福寺の石庭・方丈庭園でした。
その後、出身地が岡山県吉備中央町であり、その町に記念館があることを知ったのは、随分あとのことでした。私も何度かお話をさせていただいたことのある京都の斎藤忠一先生は、早くから三玲に師事され、三玲の実質的にデビュー作となった春日大社の庭園のこともうかがっておりました。
日本庭園が大好きな私は、少しジャンルは違いますが、ふと彼のふるさとを訪ねてみたいと思いました。ナビをセットし、向かったのはいつも利用している岡山自動車道賀陽IC方面、まもなく目的地につきましたが、そこは公民館の駐車場、入り口の急な坂道にびっくりしました。
目の前にあるのは吉川公民館、あれ記念館は?というとありました。右手の平屋の小さな建物でした。
吉川公民館と重森三玲記念館
吉備中央町立吉川公民館
こちらが重森三玲記念館 記念館は同地区出身であり昭和を代表する造園学者である重森三玲を顕彰する資料館となっています。また敷地には大正3年(1914)に、三玲が18歳の時に初めて設計した作品である茶室「天籟庵(てんらいあん)」が移築され、平成11年(1999)に登録有形文化財となっています。
記念館横にあるこの庭園は名前を「三玲」といい、孫にあたる重森千青(ちさを)氏の作品です。
公民館の受付を訪ねると、大きな七夕が飾ってありました。
地元の三玲の作品を紹介する大きなボードがありました。
御用の方は、公民館受付まで、と書いてあったので、早速受付を訪ねお庭を見せてもらうようお願いしました。すると担当の女性の係の方が、鍵を持って出てこられ、慣れたしぐさで案内をしていただきました。
お庭は、資料館の裏側にありました。茶室と何とセメント製の小さな庭園、こちらは撮影禁止になっていました。係の方によりますと、撮影に気を取られて、飛び石でころんでしまう方も出たため、安全のためそのように決められたのだとか。私も何度か、「飛び石の上を歩いてください」とやさしく注意を受けました。
茶室は何と若干18歳の時に設計した三玲の作品だとか?
隣に立派な社が見えたので、尋ねると吉川八幡宮だそうで、このあと境内を散策させてもらいました。
吉川八幡宮は国の重要文化財
石の鳥居をくぐると
見えてくるのが、県の重要文化財に指定されている吉川八幡宮随神門
向こうに見えてくるのが、国の重要文化財に指定されている本殿。
社伝によれば、平安時代の後期・永長元年(1096)に京都の石清水八幡宮の別宮として創建。
三玲も保存活動に尽力したそうです。
境内にとても大きな古木がありました。
賀陽支所の中庭にある友琳の庭
次に訪ねたのが、賀陽支所にある三玲の作品です。資料館から15分ほどの距離でした。
賀陽支所は、とても近代的な建物です。その中庭にあるのが、「友琳の庭」です。
当初は京都友琳会館のため作成したものですが、閉館に伴い2002年に出身地の吉備中央町のこの支所に移築されたものです。
中央部の幾何学模様は、束熨斗(たばねのし)をデザインしたものだとか。まさに三玲の和モダンを象徴した作品だと思います。周囲に苔と石組みの島が配置された池泉回遊式庭園となっています。
小さな人口池の水は絶えず循環しており、どこか清々しさを感じました。
立派な支所の建物
真っすぐ進むと、庭園がありました。
びっくりするくらい斬新なデザインです。中心の幾何学模様は、束ね熨斗(たばねのし)をイメージしているとか。熨斗(のし)とは、熨斗鮑(のしあわび)の略称で、アワビの肉を薄く長く剥ぎ、引き伸ばして乾かしたもののことで、江戸時代以降、古事の贈り物や引き出物に添えられたのが始まりとされています。これを細長く帯状にし、何本か重ねたものを「束ね熨斗」と呼んでいます。
真横から見たところ
中心をご覧のような石組が、いくつも取り囲んでいます。水は循環し想像以上にきれいです
一番奥側から見たところ
苔と石組は落ち着きます
このような大きな石を使ったものもあります
このあと、帰途につきましたが、途中、高梁市の江戸時代・小堀遠州により作庭された純和風の頼久寺庭園に立ち寄りました。
高梁市 頼久寺庭園
頼久寺(らいきゅうじ)は、足利尊氏が諸国に命じて建立させた安国寺の一つです。
その中にある国指定名勝の庭園は、備中国奉行・小堀遠州(こぼり えんしゅう)の初期の作庭で(1605年頃)、禅院式枯山水蓬莱庭園です。俗に「鶴亀の庭」と呼ばれる天下の名園で、はるかに望む愛宕山を借景に、砂の波紋で海洋の感じを出し、中鶴亀二島の蓬莱石組、鶴島の三尊石組を配し、さらに、大海の波のあらわすサツキの大刈込みで背景を整えています。この豪華な大刈込みは、遠州独特のものです。(高梁市HPより)
丸窓から見る額縁庭園
ガラスに描かれた富士と帆掛け舟
犬養木堂の書がかかっていました
頼久寺庭園 はるか向こうに見えるのは愛宕山
大胆なサツキの刈込は遠州独特のもの、青海波(せいがいは)と呼ばれる
この素晴らしい景観を独り占めでした
裏庭にスイレンが花をつけていました
かわいい童地蔵が見えました
シオカラトンボが頭にとまったので、スイレンを王冠に見立てて撮影してみました
最後までご覧いただきありがとうございました。
重森三玲は、昭和を代表する作庭家で、主に大きな石組の枯山水で知られています。私が彼の作品に最初に出会ったのは、京都・東福寺の石庭・方丈庭園でした。
その後、出身地が岡山県吉備中央町であり、その町に記念館があることを知ったのは、随分あとのことでした。私も何度かお話をさせていただいたことのある京都の斎藤忠一先生は、早くから三玲に師事され、三玲の実質的にデビュー作となった春日大社の庭園のこともうかがっておりました。
日本庭園が大好きな私は、少しジャンルは違いますが、ふと彼のふるさとを訪ねてみたいと思いました。ナビをセットし、向かったのはいつも利用している岡山自動車道賀陽IC方面、まもなく目的地につきましたが、そこは公民館の駐車場、入り口の急な坂道にびっくりしました。
目の前にあるのは吉川公民館、あれ記念館は?というとありました。右手の平屋の小さな建物でした。
吉川公民館と重森三玲記念館
吉備中央町立吉川公民館
こちらが重森三玲記念館 記念館は同地区出身であり昭和を代表する造園学者である重森三玲を顕彰する資料館となっています。また敷地には大正3年(1914)に、三玲が18歳の時に初めて設計した作品である茶室「天籟庵(てんらいあん)」が移築され、平成11年(1999)に登録有形文化財となっています。
記念館横にあるこの庭園は名前を「三玲」といい、孫にあたる重森千青(ちさを)氏の作品です。
公民館の受付を訪ねると、大きな七夕が飾ってありました。
地元の三玲の作品を紹介する大きなボードがありました。
御用の方は、公民館受付まで、と書いてあったので、早速受付を訪ねお庭を見せてもらうようお願いしました。すると担当の女性の係の方が、鍵を持って出てこられ、慣れたしぐさで案内をしていただきました。
お庭は、資料館の裏側にありました。茶室と何とセメント製の小さな庭園、こちらは撮影禁止になっていました。係の方によりますと、撮影に気を取られて、飛び石でころんでしまう方も出たため、安全のためそのように決められたのだとか。私も何度か、「飛び石の上を歩いてください」とやさしく注意を受けました。
茶室は何と若干18歳の時に設計した三玲の作品だとか?
隣に立派な社が見えたので、尋ねると吉川八幡宮だそうで、このあと境内を散策させてもらいました。
吉川八幡宮は国の重要文化財
石の鳥居をくぐると
見えてくるのが、県の重要文化財に指定されている吉川八幡宮随神門
向こうに見えてくるのが、国の重要文化財に指定されている本殿。
社伝によれば、平安時代の後期・永長元年(1096)に京都の石清水八幡宮の別宮として創建。
三玲も保存活動に尽力したそうです。
境内にとても大きな古木がありました。
賀陽支所の中庭にある友琳の庭
次に訪ねたのが、賀陽支所にある三玲の作品です。資料館から15分ほどの距離でした。
賀陽支所は、とても近代的な建物です。その中庭にあるのが、「友琳の庭」です。
当初は京都友琳会館のため作成したものですが、閉館に伴い2002年に出身地の吉備中央町のこの支所に移築されたものです。
中央部の幾何学模様は、束熨斗(たばねのし)をデザインしたものだとか。まさに三玲の和モダンを象徴した作品だと思います。周囲に苔と石組みの島が配置された池泉回遊式庭園となっています。
小さな人口池の水は絶えず循環しており、どこか清々しさを感じました。
立派な支所の建物
真っすぐ進むと、庭園がありました。
びっくりするくらい斬新なデザインです。中心の幾何学模様は、束ね熨斗(たばねのし)をイメージしているとか。熨斗(のし)とは、熨斗鮑(のしあわび)の略称で、アワビの肉を薄く長く剥ぎ、引き伸ばして乾かしたもののことで、江戸時代以降、古事の贈り物や引き出物に添えられたのが始まりとされています。これを細長く帯状にし、何本か重ねたものを「束ね熨斗」と呼んでいます。
真横から見たところ
中心をご覧のような石組が、いくつも取り囲んでいます。水は循環し想像以上にきれいです
一番奥側から見たところ
苔と石組は落ち着きます
このような大きな石を使ったものもあります
このあと、帰途につきましたが、途中、高梁市の江戸時代・小堀遠州により作庭された純和風の頼久寺庭園に立ち寄りました。
高梁市 頼久寺庭園
頼久寺(らいきゅうじ)は、足利尊氏が諸国に命じて建立させた安国寺の一つです。
その中にある国指定名勝の庭園は、備中国奉行・小堀遠州(こぼり えんしゅう)の初期の作庭で(1605年頃)、禅院式枯山水蓬莱庭園です。俗に「鶴亀の庭」と呼ばれる天下の名園で、はるかに望む愛宕山を借景に、砂の波紋で海洋の感じを出し、中鶴亀二島の蓬莱石組、鶴島の三尊石組を配し、さらに、大海の波のあらわすサツキの大刈込みで背景を整えています。この豪華な大刈込みは、遠州独特のものです。(高梁市HPより)
丸窓から見る額縁庭園
ガラスに描かれた富士と帆掛け舟
犬養木堂の書がかかっていました
頼久寺庭園 はるか向こうに見えるのは愛宕山
大胆なサツキの刈込は遠州独特のもの、青海波(せいがいは)と呼ばれる
この素晴らしい景観を独り占めでした
裏庭にスイレンが花をつけていました
かわいい童地蔵が見えました
シオカラトンボが頭にとまったので、スイレンを王冠に見立てて撮影してみました
最後までご覧いただきありがとうございました。