未熟なカメラマン さてものひとりごと

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京都探訪 「朱雀の庭」から龍谷大学大宮学舎・西本願寺へ

2011-04-25 22:51:33 | 観光名所

朱雀の庭

ファミリーで賑わう梅小路公園です。七条入口付近の広いスペースでは、ダンスの練習をする若い男女のグループがいました。広場の整然と配置された花壇には鮮やかなチューリップや季節の花が咲き誇っていました。梅小路蒸気機関車館周辺では、桜も満開で興味をそそられますが、今日は「緑の館」に一直線です。自動発券機で入園料200円を払って「朱雀の庭」に進みます。ちょうど前に入った3人の若い女子高校生ぐらいのグループ、衣装が、まさに新撰組のようで、これはいわゆるコスプレなのでしょうか。田舎者の私には、途中の道筋、よくぞこの格好で来たものだと、そちらの方に感心します。

実はここの1階のレストランで、おいしいコーヒーをいただきながら、ゆっくり庭園を眺めようと思っていましたが、業者が撤退したとの張り紙がありました。これは残念でした。レストラン内にも清らかな水路が通り、とても斬新ということで、随分期待もしていたのですが、事業の継続というのはほんとに難しいですね。ということで、仕方なくレストランを迂回する感じで、庭園に進みました。庭園内にはもうミツバツツジが咲いていました。この時刻、外の賑わいとは違って園内には数組の入園者のみ。左の奥に芝生の間を縫うように走る、野筋が見えます。黒御影石が張られた上を水が流れ、光を放つ様はまるで鏡面のようです。その先の池のさらに向こう側には築山が設けられ、水量のある滝が流れています。坂を登り切ったところには東屋もありました。そして通りをはさんで隣には「いのちの森」と名付けられた、自然のままの森もあります。

都会の町の中に、よくぞこのような、緑の空間を作ったものだと、ただただ感心するばかりです。でもこれだけの広いお庭を維持管理するのも、また大変だなと思いました。
ただ一つ残念だったのは、池のほとりにパンジーのお花畑が何区画か作られていたことでした。これは、この庭園には合わないなと思いました。庭園内には、大きな二本の枝垂れ桜が満開でしたが、入園口であったコスプレの三人組、この桜の前や中で写真を撮りあっていました。
奇抜な衣装ですが、桜やこの季節に合って、少女たちがとてもかわいく見えました



龍谷大学大宮学舎 南黌(重要文化財)

さて、このあたりまで来たら、西本願寺を訪ねないわけにはいきません。思ったより距離がありましたが、しばらく歩くと御影堂の大きな建物が見えてきました。先ほど、「朱雀の庭」のレストランで休憩しそこねたので、なんだかお腹もすいてきました。
そしてだんだん近づいてくると、突然、龍谷大学大宮学舎が姿を見せました。正門から覗くと、正面に歴史を感じさせるどっしりとした建物が見えます。そういえば、我が井原市長もこの大学出身で大宮学舎に通ったと、市長自身から聞いたことがありました。本館、北黌、南黌などは国の重要文化財に指定されています。夜には、ライトアップされるそうです。あの西欧化政策の舞台となった鹿鳴館よりも早く、当時は西日本最大の西欧建築物だったようです。竣工時には、明治天皇も100余名を従えて行幸されました。季節が夏だったこともあり、貴賓室には、50㎏の氷柱が何本も置かれて涼を演出、ぶどう酒やカステラ、アイスクリームなどが付き人の人たちにまで配られたそうです。天皇は大いに気をよくされ、なんと4時間も滞在されたとのことです。
学校内なので、立ち入りはできないと思っていたら、自由に見学できるということをあとで知り、残念に思いました。


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京都の桜を求めて(つづきその1)

2011-04-22 22:18:53 | 観光名所

重要文化財 角屋(すみや)

この島原の地名ですが、その昔、官命により六条三筋町から強制的に移され、その移転騒動が「あたかも島原の乱の如し」と流布されたことにより、「島原」と呼ばれるようになったそうです。名前の付け方が、ちょっと強引すぎる気もしますがいかがでしょう。

たまたま、角屋(すみや)の前で、着物姿の女性がいい感じで歩いていて、少しだけ往時の雰囲気が味わえたような気がしました。ワンカットで写真を撮ろうと思いましたが、とっさのことで叶いませんでした。この角屋については、案内板に以下のような説明がありました。

「角屋は、島原開設当初から連綿と建物・家督を維持しつづけ、江戸期の饗宴・もてなしの文化の場である揚屋建築の唯一の遺構として、昭和27年(1952)に国の重要文化財に指定されました。揚屋とは、江戸時代の料理屋・料亭にあたるものと考えられ、置屋から太夫や芸妓を呼び、遊宴をするところです。島原の角屋をはじめとする揚屋は、遊宴のみならず、和歌、俳諧の文芸の席やお茶の席があり、文化サロンとしての役割を果たしていました。したがっていわゆる遊郭の店ではなく、外観の格子造りも、京の近世初期の町家の形を遺しており、吉原の牢屋のような格子造りではありません。」

あの新撰組もよくここを利用していたようです。初代局長の芹沢鴨は、暗殺されたその日もこの角屋での宴会に出席していたとか。とんでもない酒乱で、物を壊すは、因縁をつけるはで、見るに見かねて、土方歳三らにより寝こみを襲われたそうです。また、西郷隆盛や久坂玄端が密議を凝らした場所でもあるそうです。こちらは、「角屋もてなしの文化美術館」(入館料1,000円)として一般に公開されているようでしたが、時間がないので次回ということにしました。



梅小路公園七条入口広場

さらに歩いて七条方面に南下し、次に向かったのが梅小路公園内にある「朱雀の庭」です。この庭園がどうして気になっていたかというと、昨年、NHKハイビジョン、大河ドラマのあとの番組で平田満さんナレーションの「日本庭園の旅」という番組がありました。日本庭園大好きの私は、毎回とても楽しみに見ていました。この番組の中で紹介されていた「朱雀の庭」は野筋など、古来の庭園の手法に加えて、インド産黒御影石を張った水深5センチの水鏡など、斬新な手法が融合した特筆すべき庭園だということでした。

七条通りの横断歩道を渡ると初めての梅小路公園です。この公園の1番の目玉は梅小路蒸気機関車館ですが、今日は一直線に緑の館を目指します。それにしても何とファミリーの多いこと。天気が良いので芝生広場で遊ぶのでしょう。(つづく)

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京都の桜を求めて

2011-04-21 23:41:38 | 観光名所


4月10日の日曜日、桜見物に京都に行ってきました。今回はあまり有名でないところ、観光客の少ないところ、できれば枝垂れ桜でと、自分の中でいろいろ条件をつけて、ネットで探していたら、京都新聞の桜の開花情報で、花園の法金剛院の枝垂れ桜が満開とありました。これはいいかもと、まずこのお寺を散策し、そのあとはもう成り行きで訪ねることにしました。とにかく、今回はゆっくりとマイペースでと、私としてはめずらしい日程のとりかたです。

新幹線で京都に着くとそのまま、JR嵯峨野線に乗り換え、花園駅で下車。この花園駅は、親戚の法事で妙心寺塔頭を訪れたとき、何度か利用したことがあります。お寺は駅から3分とありましたので、もうすぐ目の前です。駅から出て、前の道路を少し左手に進み、陸橋を渡ると、法金剛院です。門に、「しだれ桜見頃」と墨で書かれた白い張り紙ありました。陸橋の上から紅枝垂れ桜のピンク色が少し見え、胸が高鳴ります。門を入るとソメイヨシノや枝垂れが数本ありました。その奥にある受付で入園料を払い、さらに庭園に進むと、ありました。見事な満開の紅枝垂れ桜が1本。やはりネットの威力はすごいですね。撮影する多くのカメラマンの姿がありました。

このお寺、決して大きいものではありませんが、池泉回遊式の庭園で、池の周りを、ぐるり散策できるようになっています。いろんな種類の椿も植えられており、赤い木瓜やユキヤナギもあってまさに春爛漫といった風情です。パンフレットによりますと,このお庭は、はるか平安時代の作庭で、作者もわかっている貴重な浄土庭園だそうです。また関西花の寺第十三番霊場で、一番有名なのが、夏のハス(蓮)で、他に、春の枝垂れ桜(待賢門院桜)、花菖蒲、あじさい、紅葉と被写体としては申し分ないようです。
この枝垂れ桜、本殿を背景にしたり、池を前景に入れたり、はたまた枝垂れの中に入って撮影したりと十分堪能したあと、次の目的地に向かいました。



次は、どこにしようかと思案しましたが、以前から気になっていた梅小路公園内の日本庭園「朱雀の庭」に寄ってみることにしました。京都駅のひとつ手前の駅「丹波口」で降りて、梅小路公園を目指します。駅で入手した案内図を見ると、京都島原という文字が目に留まりました。せっかくなので少し寄り道をすることにしました。JRの線路の1本東側の通りを進むと、「角屋(すみや)」という、とても大きな木造の建物が見えてきました。
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茶道上田流和風堂特別公開(最終章)

2011-04-16 00:16:10 | 茶道


4月3日の日曜日、今年も和風堂の特別公開に申し込みをしました。井原文化教室から、井原組3名、福山組3名の計6名で2台に分乗して現地に向かいました。笠岡ICから五日市IC経由で、所要時間は1時間40分でした。井原組の運転は私でしたが、五日市ICを降りてからさっそく道に迷いました。もう何度も行っているはずなのに、今まで一度も迷わず行けたことがありません。私たちの予約時間は12時でしたが、到着したのは11時過ぎ、しばし休憩の後、受付に向かいました。
冠木門を入ったところで、はきものを預けスリッパに履き替えます。クランク状に敷かれた石畳を進むと石段があり、上がったところが長屋門です。左側に紅枝垂れ桜がありますが、まだまだつぼみの状態でした。それではお庭の枝垂れ桜はどうだろうとそれが気になりました。なにせ、本日一の被写体ですから。受付を済ませ、時間が来るのを待ちます。この待ち時間を利用して、案内の方から和風堂についての説明がありました。素晴らしい説明で、十分に理解できたと思います。12時からのグループは、30名でした。男女の比率は半々ぐらいでしょうか。昨年は、終日雨で、露地を見ることができませんでしたが、今年はまったくその心配はありません。
外露地は、周囲が高い塀で囲まれています。しかも植えてある木も少なく、そちらかというとシンプルそのものです。これはとにもかくにも内露地へ入ったときの感動を増幅させるためのステップなのです。そしていよいよ内露地です。手前に待合や飾り雪隠があります。宗箇が、君主の移封にともない和歌山から唯一、持参したという法螺石があり、その他、立ち蹲、そして扁額隠しの松の奥には、茶室遠鐘が見え、真新しい廊橋もあります。
茶室遠鐘には貴人口から入り、若宗匠のご説明により、桃山時代の美濃焼瀬戸黒茶碗、中興名物の茶入れ、古田織部作の茶杓などを拝見します。そのあと、武家の茶の湯の象徴、鎖の間と次の間のお道具を拝見した後、敬慎斎で薄茶をいただきました。お道具類でびっくりしたのが、抽象的なデザインの水指です。はたして柄杓がまともに入るのだろうかと心配するほどです。また、ここでいただくお茶碗は、すべて人間国宝作家のものだそうです。いただくとき、お運びの方から作者名の紹介がありました。
今日の正客をされた方が、白のタートルネック姿なので驚きました。事前の注意書きには、男性はネクタイ・スーツ着用とあったはずなのに、随分カジュアルな格好でした。さて、おいしい薄茶をいただいたあと、書院に向かいます。
廊橋を渡っていると、お庭に吉川広家公ゆかりの満開の枝垂れ桜が目に飛び込んできました。まだ咲いていないのではと思っていたので特に美しく感動しました。桜の下には荷い茶屋が毛氈の上にセットされていました。ここでお茶をいただけたらどんなに気分がいいことでしょう。


書院の一之間、二之間、三乃間で格式のあるお道具を拝見。そして2階では宗箇ゆかりの品々の展示がありました。2階から見るお庭も素敵です。このあと、安閑亭で点心をいただきました。小さなお弁当箱に季節の味が凝縮されています。食べ終わった頃、若宗匠のご挨拶がありました。ユーモアを交えた語り口はさすがです。
あっという間の一日でした。この特別公開も本年で最後かと思うとちょっぴり寂しい感じがしました。

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宿場町矢掛の流しびな行列

2011-04-06 22:07:48 | 撮影


岡山市曹源寺の枝垂れ桜を見た帰り、矢掛町で開催されている流しびな行列を見てきました。行列の予定時間は11時から12時半でしたが、着いたのはもう11時半を過ぎていました。通りの一番東にある観光駐車場に車を停めて、祭りが開催されている中心部に向かいました。この流しびな行列、今年で5回目だと思いますが、さすがに秋の大名行列ほどの賑わいはありません。しばらく歩くと車進入禁止で歩行者天国となっている、商店街の中ほどに行列が見えてきました。
行列の構成は、昨年と同じ内侍司、祭司、女びな(人力車)、淡島様使姫、同従者4人、行列の女20人、計約30名の行列です。先頭に女びなが見えました。私が一番好きなのが、行列の後ろから付いてくる音響装置の付いた車から流れてくる哀愁を帯びたメロディーです。曲はおなじみの「ひなまつり」ですが、行列を見ながら聞くとたまらなくいい感じなのです。
女びなは、人力車に乗っているので楽な役どころです。毎年、人は変わるようですが、どのように人選が行われているのか非常に興味があるところです。
さて、行列の先頭(淡島様使姫)は、昨年と同じ若くてきれいな女性の方です。この役どころにぴったりですね。当然、カメラはこの人物の撮影に集中します。それにしてもなんとカメラマンの多いこと。観光客のほとんどがカメラを提げている感じです。それも中高年の男性が多いですね。いいアングルで撮ろうと被写体に接近しますが、係の人に制されます。それも何度となく。昨年も思いましたが、少しマナーに欠けるところが残念です。


また、かわいいこどもが店先から顔を出していると、これはいい被写体と、すぐ10人ぐらいのカメラマンがわっと寄ってきます。
WEBで、矢掛流しひなを検索していたら、大阪から**旅行の企画で、「日帰り矢掛流しひな撮影旅行」というのがありました。遠くからこの地まで観光バスでお出でいただくのは本当にありがたいと思います。
行列は、何か所かでいったん止まり、曲が変わって、輪になって踊り(流しびな踊り)を披露します。着物の後ろに挿してある造花のピンクの小さい花束、これがいい感じで前ボケとなって画像を華やかににしてくれます。
通りには、古い商家に伝わるひな飾りが約40か所で展示されています。
流しびな行列の行事は、2部構成となっており、午後1時半から小田川弦橋西河原で流しびなが行われます。テレビ・新聞などで紹介されているのは主にこちらですね。河岸がきれいに整備され駐車スペースも十分に確保されているようです。
来年以降も、期待される矢掛の流しびなでした。

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