未熟なカメラマン さてものひとりごと

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超初心者の山歩きー剣山編ー 素敵な出会いに感謝 その3

2013-06-26 00:53:38 | 山歩き

剣山頂上付近。小学生ぐらいの女の子がピースサインで記念写真に納まっていました。

(前回のつづき)

この方が、小説に出てくる、山小屋を管理する佐川家2代目の典夫のモデルとは、大いにびっくりすると同時に、とても貴重な方に出会ったといううれしさから、「すみません、記念に写真を撮らせてもらっていいですか」と返事を聞くと同時にシャッターを押してしまいました。終始にこやかな笑顔で答えてくれ、人の良さが顔に表れている感じがします。「でも。小説の典夫は、振られてしまったが、私は振られていませんよ」と冗談を返してくれました。原作者の宮尾登美子は、持病を抱えていたため、剣山の頂上には登ることができませんでしたが、この典夫さん、約1時間、取材に応じたそうです。小説の登場人物には、実際にそれと同じような人物が存在するが、内容はまったく違うそうです。

あとで、調べたところによると、この方は、新居綱男(にいつなお)さんといい、剣山頂上ヒュッテの2代目管理人で、現在は3代目夫婦に店を任せてもっぱら、外で活躍されているようです。剣山といえば、新居綱男といわれるほど有名で、人は、彼のことを「剣山の守り神」と形容しています。その人柄を慕い、大勢の登山者が新居さんの顔を見るために剣山にやってくるそうです。剣山の自然や植物の本も出版。NHKのBS「日本の百名山」では、昨年まで案内人をつとめたそうです。

 さて、山野草の話を聞きながら、頂上ヒュッテまでやってくると、ここに植えてある2か所のキレンゲショウマを見せていただきました。葉の形は、どこかシュウメイギクに似ていると思いました。ヒュッテ下の花壇には、いろんな山野草が植えられていますが、シカの食害から守るため、しっかり柵でガードされていました。今日は、ガスで眼下を見ることができませんでしたが、視界のよい日は瀬戸内海も見える、とのことでした。このあと、ヒュッテの中へ案内していただき、松たか子などの俳優陣と一緒に納まった幸せそうな写真を見せていただきました。冷たい水をいただいて休憩したあと、綱男さんと別れ、ヒュッテ横の登山道から、頂上に向かいました。

少し歩くと木道が整備され、そこには多くの登山者の姿がありました。取りあえず、左手の1955mの頂上まで行ってみることにしました。頂上では、記念写真を撮る人、あたりの木道で座り込み休憩をする人など様々です。私も木道の隅で、おにぎりでもと思いましたが、なんと車のトランクに忘れてきたようです。「あ~、残念。」と後悔するのも後の祭りです。さすがに高山らしくガスがあっという間に山肌を覆い、そして消えていきます。それにしても何と気持ちのよい、さわやかなことか。山のぼりの楽しみも少しはわかった気がしました。なんだかクセになりそうです。このあと、反対側の広い木道の見晴らし台でしばらく眺望を楽しみ、下山することにしました。

帰りは行きとは違う道をと思っていましたが、うっかり来た道に出てしまいました。下から息を切らした、登山者が何人もあがってきます。団体も多くて「こんにちは!」とあいさつするのも大変です。15人ぐらいのグループが続けて2組も上がってきたときは大変でした。団体に混じって、徳島県警の方もおられ、何事かと思ったら、中の一人が「巡回ですって」と教えてくれました。おまわりさんも大変です。下りは、膝に重心がかかり思った以上に負担が大きいことが、身をもってわかりました。リフトで見ノ越駅まで降りた後、来たルートを帰り、剣山木綿麻(ゆうま)温泉で汗を流し、しばし休憩。さっぱりしたあと、二層うだつで有名な、貞光の町並みを散策。最後に、道の駅「貞光ゆうゆう館」のレストランで遅い昼食をいただいたあと、帰路につきました。素敵な出会いもあり、心身ともにリフレッシュ、とても充実した一日となりました。(おわり)



若い男性のグループ 位置を確認しているのでしょうか。
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超初心者の山歩き 剣山編 -素敵な出会いに感謝その2-

2013-06-23 10:38:44 | 山歩き

歩き始めてすぐの頃、眼下に見えるのはリフト西島駅の建物

(前回のつづき)
 自宅を早朝6時に出発。コースは瀬戸大橋から高松自動車道、高知自動車道、徳島自動車と進み美馬ICで降りて、貞光から剣山・見ノ越に至るルートです。貞光からは思った以上に距離がありました。道は、途中、何か所も細いところがあり、気が抜けません。見ノ越には9時過ぎに到着しました。途中、遠目にリフトが見えましたが、山を駆け上がるような急こう配に思わず、「すごい!」と声が出てしまいました。第1駐車場は、ほとんど埋まり、バスツアーでしょうか、中型バスが数台停まっていました。ツアー客は女性が多く、若い人から中高年の人まで様々です。ウエアは、明るい色が多くとても華やかに感じました。人の流れは、ほとんど登山口に向かっているようです。これだけ人がいるのにリフトに乗るのは私たちだけ。どこかはずかしい感じがしました。往復料金1800円はちょっと痛いですが、仕方ありません。靴をトレッキングシューズに履き替え、ザックを背負い、山歩きスタートです。リフトでは、ザックを前に持って欲しいということと、下のベルトは、留めてほしいなどの指示がありました。

 この見ノ越駅の標高は1420m、終着西島駅の標高1750mまで、標高差330m、距離830mを15分で結びます。徐々に山並みが眼下に広がってきました。西島駅につくと、ルートは二つに分かれますが、あらかじめ、予定をしていた最短40分の尾根コースを進みます。最初からきつい傾斜のある道でした。マニュアル本に書いてあった、「最初は半分の歩幅で、ゆっくり進むのが疲労を蓄積しない方法」を心がけて進みました。途中、休憩は何度もとりました。後から来る登山者には、道を譲りマイペースを心がけました。梅雨の合間の日差しは結構、きついものがありますが、それでも高地だけに冷たい風が吹くと、スーッと涼しくなり、とても気持ちのよいものです。登山道で、獣の糞を発見しました。また斜面を歩いた獣の足跡が何か所も見られました。なんだろう、イノシシかなと思いました。
 ゆっくり、登っていると頂上ヒュッテが見えてきました。抜けるような青い空に白い建物が映えます。またもや日陰で休憩をしていると、一人の初老の男性が、長い柄のついた鍬を持って上がってきました。きびしい目で、しっかり周囲を確認しているようです。腰に「自然公園指導・・」と書かれた腕章が見えました。   

 「こんにちは!イノシシでも出ましたか。歩道横の斜面に足跡やフンがありましたね」と話しかけると、「シカが出るんですよ。ほら、あちらに枯れた木があるでしょう」「あれは、木の根元の皮をシカに食べられて枯れてしまったんですよ」「死ぬより、生まれてくる方が多いから個体数が増えているんですよ」「本当に困っています。」とのこと。
さらに「落葉樹が多いので、秋の紅葉もいいければ、陽が早く沈むので、なにをいっても今の季節が一番ですよ」「木々が芽吹いて酸素を出し、風に乗ってやってくる」「私はガイドもしながら、もう53年もこの仕事をしてるんですよ」
私が「宮尾登美子の≪天涯の花≫を読んで、キレンゲショウマに興味を持ち、8月に来ることになっていて、今日はその下調べです。」「実は、初めての山歩きなんです」というと、
「ゆっくりと登られていたので、随分の経験者かと思っていました。云わなくてよかった」
「キレンゲショウマは8月の初めがいいですよ。」「実は天涯の花の典夫のモデルは私なんですよ」「えー」と絶句 (つづく)



いろいろ教えていただいた新居綱男さん。環境省の自然公園指導員に委嘱されています。
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超初心者の山歩き 剣山編 -素敵な出会いに感謝 その1-

2013-06-19 21:45:37 | 山歩き

登山リフト 高低差330m 距離830mの所要時間15分

前置きが長くなりますが、レンゲショウマという花をご存知でしょうか。「森の妖精」といわれるほんとに可憐な花です。開花時期は、真夏で、茶花にも用いられることもあります。このレンゲショウマについて調べていると、一文字「キ」という言葉が前についた、キレンゲショウマという花があることを知りました。レンゲショウマに似ているということでその名前が付いたとありますが、実はあまり似ていません。今度は、このキレンゲショウマを調べていると群生地が、四国の剣山にあるということを知りました。そして、宮尾登美子の小説「天涯の花」で一躍有名になったともありました。それではと、この本を買い求め、読んでみることにしました。3年ほど前のことです。あらすじは、次のようなものでした。

(あらすじ)
捨て子で、養護施設で育った平珠子(たいらたまこ)は、中学卒業を機に、徳島県剣山の山中にある剣神社の宮司夫妻の養女となり巫女としての生活が始まる。山に住むのは宮司の白塚夫妻、測候所の職員、夏季に山小屋を営む佐川一家だけ。電気も通らず訪れる者もほとんどない、さびしく厳しい生活ながら、山に咲く花々は珠子の慰めだった。白塚夫婦の愛情、測候所職員の吉田、山小屋を営む佐川とその家族に見守られ、珠子は成長する。
しかし雪崩で吉田が遭難、病気がちだった母・すぎが相次いで亡くなり、珠子は山での生活に疑問を感じ始める。ある日、山中で倒れている男を発見した珠子は必至の思いで神社まで男を運ぶ。男は東京からキレンゲショウマを撮影に来たカメラマンの久能だった。
珠子の看病を受け、養生を続けるうちに互いは次第に惹かれてゆくが、久能には東京に妻がいた。
妻と離婚同然の状態の久能は、きちんと離婚して再び剣山に来ることを誓い、東京に戻る・・。珠子は佐川の息子、典夫から執拗に求婚され一度は傾くが断る。久能との出会い、別れ、再会。キレンゲショウマをはじめ、剣山に咲く花に囲まれた無垢な少女の成長を描く。(ウイキペディアより)

最近、私の周辺でも、剣山に行った、という人が何人か出てきました。こうして、ますます行きたいという思いが強くなりました。ちょうど、その頃、山歩き募集の新聞折込ちらしがあり、早速「剣山・キレンゲショウマ」に申し込みをしました。こうなってくると、専用のシューズから揃えなければなりません。福山市内のSC内にあるスポーツ専門店で、SCに行く度に、こつこつと揃えていきました。シューズ、ザック、パンツ、インナー、レインウエアなど、こうして、最低限の準備ができました。こうなると本番前に、一度下見をしておきたいと思うようになりました。週末しか出かけられませんし、天気のこともあります。当初6月15日の土曜日を予定していましたが、何と雨。翌日は回復するようでしたので16日(日)に決めました。剣山は標高1995mで、西日本では石槌山に次いで第2位の高さを誇りますが、リフトを利用すれば実は小学生でも気軽に登れる山なのです。
(つづく)



剣山には、巨樹が多い。これはトチノキ
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悠久の時をつなぐ・唐招提寺

2013-06-17 22:01:40 | 神社・仏閣

唐招提寺の境内 この土塀はいつ頃作られたものでしょうか。

昼食後に向かったのが、唐招提寺です。私がまだ10代のころ、一度だけ参拝した記憶があるのですが、定かではありません。奈良を代表する寺院のひとつ。ユネスコの世界遺産に登録されている律宗総本山の唐招提寺です。ガイドさんが心配されていたのが、御影堂の国宝鑑真和上坐像の特別拝観の日程が延長され、当日の日曜日(9日)までとなったので、最終日ということもあり、相当混雑が予想されるのでは、ということでした。前日の御影堂の拝観には2時間待ちの長蛇の列ができたとも聞いています。
しかし、午後1時過ぎの唐招提寺は、ありがたいことにそれほど多くの参拝者の姿はありませんでした。

南大門を入ると、デーンと正面に迎えてくれるのが国宝の金堂です。井上靖の小説「天平の甍」の舞台ともなりました。阪神大震災のあと、実に10年もの歳月をかけて解体・修理され平成21年9月に大修理を完了しています。正面の8本もの太い柱は、エンタシスの特徴を兼ね備えています。法隆寺にもエンタシスは見られますが、シルクロードをとおり、はたして遠いギリシャ建築の影響を受けていたのでしょうか。エンタシスとは、大きな柱をまっすぐに見せるため中心部を太くしているものです。しかしその事実は知るよしもありません。取りあえず正面の外観のみ見て、あとでゆっくり見学することにしました。急ぎむかったのは、国宝・鑑真和上坐像が公開されている御影堂です。小走りに受付に向かうと、団体の受付には行列ができていましたが、個人の受付にはだれもいませんでした。

少し、拍子抜けした感じで御影堂に入ります。こちらは間違いなく初めてでした。靴を脱いであがると、大広間の鑑真和上坐像の前には、座して焼香する人の列が幾重にもできていました。天平時代を代表する日本最古の肖像彫刻と云われ、高さはわずか80㎝ほどです。そして手前には、遠くから坐像と障壁画、襖絵をじっくり眺める大勢の人の姿がありました。東山魁夷画伯が実に10年以上の歳月をかけて描き上げたそうです。画伯らしい色鮮やかなブルーでした。順路は一方通行になっており、鑑真和上坐像を見たあとは、ぐるりとさらに障壁画と襖絵が続きます。墨一色で描かれた中国の風景まさに大作です。後世に語り告げられることでしょう。

御影堂を見たあと、次に向かったのが、開山堂です。こちらには、鑑真和上坐像のお身代わり像が7日から公開されているのです。本物より朱色が、色鮮やかな感じがしました。摸像なら、撮影はOKだと思っていましたが、残念ながら不可となっていました。
見たいものを見たので、あとは時間まで境内をゆっくり散策しました。金堂と講堂の内部をじっくり拝見、そして薬師如来像など多くの仏像を見ていると、時間はあっという間に無くなりました。しかし鑑真和上坐像とお身代わり像の両方をみることができてとてもありがたく感じました。このあと本日、最後の訪問地・赤膚焼の窯元を訪ねました。 

JR郡山駅のロータリーでバスを降りると、窯元の家の方が迎えにきてくださいました。本日、お邪魔するのは、七代目窯元の尾西楽斎の香柏窯です。駅から交通量の多い道路脇の歩道を数分ほど進むと窯元があります。中庭に入り当代から赤膚焼の歴史と特徴などを伺いました。「赤膚焼は、特徴がないのが特徴」との話が面白いと思いました。個人的には2度目の訪問となります。制作現場を見学したあと、いよいよお店で作品を見せていただきます。ほとんどに値札がついていないので、いくらするのか非常に興味あるところです。気に入ったものが見つかり、買おうかどうしようかと悩まれる方、早々と買い求める人、様々でした。正直、高額なのでじっくり時間をかけて吟味したいところですが、
団体行動なのでなかなかそうもいかないのがつらいところですね。こうして本日の予定をすべて終了しバスは帰途に着きました。井原に着いたのは、4時間後の午後8時過ぎでした。(おわり)



郡山らしい金魚の置物
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旬の奈良を訪ねて

2013-06-13 22:24:32 | 美術館・博物館

大和文化館 とてもシンプルな外観です。

華鶺大塚(はなとりおおつか)美術館友の会の観賞旅行で久しぶりに奈良を訪ねました。今回の行き先は、奈良市学園町の大和文華館と唐招提寺、最後に赤膚焼きの窯元を訪ねる予定です。個人的には、先週の京都に続くバス旅行になります。井原を朝7時に出発して、大和文華館に着いたのが、予定よりも少し早い11時前ごろでした。駐車場からは美術館の建物はまったく見えません。駐車場の横にあるレトロな建物が気になりましたが、こちらは奈良ホテルのラウンジの一部を移築したものだそうです。受付からゆるやかにカーブしたスロープ状の道を100mほど歩いて行くと、白壁の土蔵のような美術館の建物が見えてきました。とてもシンプルな外観です。玄関先にササユリの鉢植えがひとつあり、とても清楚で気に入りました。

玄関を入ると、右側にミュージアムショップが見えました。私たちは学芸員さんのお話を聞くため、講堂(ホール)に案内されました。とても斬新で立派な施設です。その中の話で、特に印象に残っているのは、私立の美術館としてはめずらしく、美術品を所有しているので美術館を造るのではなく、美術館を造るという目的で、美術品を収集したというところです。発案したのは、近畿日本鉄道の当時の社長でした。そして作品の収集等に14年を要し、昭和35年に開館しました。美術品を鑑賞する場所にふさわしいということで、この地を選んだのだそうです。住宅地の一角にありますが、池(菅原池)に面した丘陵地でとても静かなところです。

この美術館は、国宝4点、重要文化財31点を含む2000点以上の美術品を所有しています。ホールから展示室に会場を移し、主だったものの説明をいただきました。展示室は、ワンフロア―で中心部に竹が植栽され自然光が取り入れられる坪庭的スペースがあるとても珍しい作りになっています。展示ですが、「中国陶磁の広がり」と題した特別企画展が、開催されていました。世界の陶磁器に大きな影響を与えた中国陶磁の魅力と、その影響を受けた日本やヨーロッパの作品、88点が紹介されています。私が一番気に入ったのが、南宋・建窯で焼かれた「油滴天目茶碗」でした。小振りなお碗に、びっしりと油滴のように見える文様がくっきり。実に美しいものでした。ひととおり美術品を鑑賞したあと、建物の周辺を散策することにしました。遊歩道が整備され、沿道に季節の花を見ることできます。
アザミの紫色の花や、ザクロのオレンジ色の花は見られましたが、残念ながら丘陵の斜面に生えているササユリは、わずか一輪だけを残し、ほとんど終わっていました。池に面した遊歩道では、アジサイが咲き始めていました。こうしてゆっくり時間を過ごして大和文華館をあとにしました。バスは、本日の昼食場所「花鹿」に向かいます。そして昼食後は、いよいよ唐招提寺です。(つづく)



タニウツギが咲いていました。
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