未熟なカメラマン さてものひとりごと

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千鳥奮闘す! THE MANZAI2011

2011-12-29 00:02:17 | タレント

緊張している様子の千鳥 TVより

先々週の土曜日、久しぶりにテレビにクギ付けとなりました。フジテレビで日本一の漫才師を決めるTHE・MANZAI2011が放映され、結局、最後(夜の11時)まで見てしまいました。お笑いは特別好きというわけではありませんが、郷土の漫才コンビ「千鳥」が出るとあっては、見逃すわけにはいきません。(ノブが井原市、大悟が笠岡市の出身)
 第一次予選には、約1500組以上が応募したといいます。決勝で紹介された千鳥へのコメントには、「実力者」という言葉が入っていました。確かに過去のM¬-1などでは、準決勝、決勝に何度か進んでおり、他の大会でも数々の素晴らしい成績を残しているようです。
 関西では、約10本のレギュラー番組を持っているときいて、正直びっくりしました、岡山ではほとんど放映されていませんので、テレビに出ている「千鳥」をめったに見ることはありません。(井原放送経由サンテレビの番組「怪傑えみチャンネル」でたまに見かける程度。)
「東京のテレビ局に出ないと、故郷の家族はテレビで活躍している私たちの姿を見ることができないんですよ」と大悟は、ある番組の中で話しています。優勝すると、フジテレビでのレギュラー番組が約束されるとあって、ここは是が非でも頑張りたいところです。

「千鳥」という名前のネーミングがおもいしろいですね。二人の卒業した高校は岡山県立笠岡商業高校、そして隣にある高校が、岡山県立笠岡高校でした。この笠岡高校は、普通に略すと、「カサコウ」となりますが、同じ笠岡に、岡山県立笠岡工業高校という学校があり、こちらも「カサコウ」となります。まぎらわしいので、笠岡高校のことを、千鳥が丘にあることから、地元の人は「千鳥」と呼んでいます。母校、笠岡商業高校とは隣地というわけで何も関係ありませんが、千鳥にあこがれていたのかもしれませんね。

大悟の姉夫婦が経営している創作日本料理のお店が、福山駅近くにあります。昨年、誕生日祝いということで、予約し家族で行ったことがありました。店の名前は、「旬彩美酒ちどり」こじんまりとしていますが、1階と2階があり、新鮮なお魚を材料に味はなかなかのもの、お値段も手ごろということで、大勢の客でにぎわっていました。女性スタッフは何名かいますが、どの人が大悟のお姉さんかというのは見ればすぐにわかります。でも、あのままを想像しないでください。見た感じかなりお若いですよ。

さて、準決勝を勝ち抜いた4組、さすがでした。2組は特に激戦でしたが、これは組み合わせの運というのもありますね。千鳥のネタ「おかま女将の白平(はくべい)」と「智弁和歌山野球部の予約」は特に面白いと思いました。さて決勝。私が公平に見て、一番面白いと思ったのが、優勝者のパンクブーブーでした。ナイツもすごい。残念ながら順当な結果だと思います。

先日、何気なくテレビを見ていたら、あのテレビ朝日の「帰れまテン」でなんと千鳥が出演しているではありませんか!そして昨日は、ロンドンハーツの特番にも。
THE MANZAI2011で3位になったのでお呼びがかかったのでしょうか。テレビで見ていてもかなり緊張している様子でした。とにかく今がチャンス。しっかり顔を売って全国区で活躍してもらいたいと思います。大悟は北木島をネタによく紹介していますが、ノブにも井原を紹介してもらいたい、そう願います。

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備前焼のふるさと伊部を訪ねて

2011-12-16 00:37:54 | 旅行

山に陽が差し込んでとても美しく感じます。

日生町で殻つきの牡蠣を買ったあと、国道250線で、同じ備前市の伊部(いんべ)を目指しました。2号線に出るまでは比較的、道もすいており、左手に見える海を眺めながらの快適ドライブです。国道2号線に出るとすぐに、起点となる、岡山県備前陶芸美術館と備前焼伝統産業館が見えてきます。この二つの建物は以前、入ったことがあるのですが、実は町並みはまだ散策したことがありませんでした。備前焼伝統産業館に車を停め、1階にある観光情報センターで、パンフレットを入手します。
町並みは、主に2号線の北側にある旧山陽道で、我が家の前を通っている旧山陽道がこの道につながっているのかと思うとなぜか親しみを感じてしまいます。駐車場からまっすぐ北に延びる道路沿いに目をやると、山だけに太陽の陽が射しこみ紅葉した山々の木々がとても美しく見えます。そしてあちこちに見える、レンガの四角い煙突が印象的です。そういえば、新幹線でどこか池の上を通過するころ、電車からもこのような景色を見た気がしました。

まず、お茶を飲もうと喫茶店を探したところ、通りの角のところにあるギャラリー&喫茶「里房」という看板が目に留まりました。店内は、備前焼の商品がずらりと並び、カフェは一番奥まったところにありました。小さな花入れに生けてあるグリーンがあちこちにあり、なかなかのセンスです。これだけでも随分、癒される感じがします。ガラス戸から隣のお宅をみると、たくさん実の着いた柿の木が見えました。お店の方によると「最初の人間国宝になられた、金重陶陽さんのお宅ですよ」とのこと。
備前焼の人間国宝といえば、この備前焼中興の祖といわれる金重陶陽、そして藤原啓、山本陶秀、藤原雄(以上、故人)、伊勢崎淳の各氏。
ガラスの陳列ケースには、山本陶秀の作品があり、160万、170万の値段がついていました。抹茶セットを注文すると、もちろん皿もお茶碗も備前焼。なかなかの味わいです。お皿は緋襷(ひだすき)といって薄茶色に赤くて太い線が入っており、お茶碗は、胡麻(ごま)がかかって、なかなか趣のあるもの、この地ならではのカフェの器です。

少し休憩したあと、お目当ての通りを散策することにしました。備前焼のお店が、小さいものから大きなものまで立ち並んでいます。観光客と思われる人もぱらぱらという感じで、もちろん呼び込みのようなものはなく、とても静かな町並みです。今回は、散策が目的で買う気持ちはありませんでしたが、各お店のショーケースにある、亀やカタツムリ、七福神といった小物もあってみるだけでも結構楽しいものです。
これだけお店があると、何か買おうという人は迷いますね。店の構えから入りにくい店やそうでない店いろいろあります。これらのお店の形態ですが、窯元、作家、さらに陶商と呼ばれるものがあって、ほんとにさまざまです。

パンフレットにあった、岡山県備前焼陶友会会員名簿によると、それらを合わせ、その会員数、178とありました。



茅葺きと紅葉の見事な取り合わせ

そして通りを西に進むと、不老川の橋のたもとに茅葺き屋根の民家と見事な紅葉が目に留まりました、この茅葺きの民家は、ギャラリーとして使用されているようで、見学自由となっていました。塀にかかるモミジがとても美しく、思っても見ない、うれしい遭遇でした。もう少し先まで行って引き返し、市の重要文化財になっている天保窯や天津神社を見てまわりました。土地柄、神社の狛犬も備前焼でした。そして町のいたるところにみられる積み上げられた松の割木。焼物の里ならではの風景です。

いろいろ見ていると、なんだか備前焼の良さも少しはわかったような気がしました。
茶道に少しだけ係るものとして、今度来るときはお気に入りの抹茶碗でも見つけたいと思いながら、伊部をあとにしました。

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カキオコの港町日生と備前焼のふるさと伊部を訪ねる

2011-12-13 00:09:52 | 旅行

小腹別腹サイズのミニカキオコは食べやすい大きさ。これもアイデアですね。

日生町(ひなせちょう)の五味の市に牡蠣を買いに行こうと思い立ちました。時間があれば、帰りに備前焼の伊部(いんべ)の町をぶらりと散策して帰るつもりです。自宅を午前10時半ごろ出発。正午ごろに五味の市に着きました。広島県との県境に位置する井原市から、兵庫県との県境に位置する備前市までですから、高速を利用しても結構時間はかかります。到着すると師走の日曜日ともあって、駐車場はもちろん、停められる可能性のあるところは、どこも車でいっぱいでした。

なんとか、道路脇の空きスペースに車を停めて、市場の中へ。さすがにこの時期、牡蠣を買い求める人でいっぱいです。××丸などと書かれたブースがいくつもあり、どのお店で買おうかと迷いますが、正直、どこでも新鮮さや値段は変わらないのだと思います。四角いざるに、1000円から4000円に盛られた牡蠣がズラリ。若蠣とあるので、中ほどの比較的、お客が少ないお店で聞いてみると、「どこもそうだけど、1年目の牡蠣のことですよ」とのこと。1年で随分成長するんですね。

「中を見せてもらってもいいですか?」と聞くと「今日は、忙しくて開ける時間もなかった」と云いながら「それでは、小さいのを剥いてみましょうかね」と中を開くと実に見事なプリプリさ。思わず「へー」と声が出て感動し、即このお店で買うことにしました。そうするとすぐに、別のお客さんが寄ってきて注文するから不思議です。ビニール袋に入れ、今度はそれを新聞紙で包み、さらにビニール袋に入れてくれます。

ところで、日本の牡蠣の生産地ですが、調べたところ、一番多いのが広島県で50%、次に、宮城県の23%、岡山県は三番目で8%だそうです。宮城県は、東日本大震災で大きな被害が出て、養殖はほとんど壊滅状態となりましたから、今年のシェアは随分変わっていることでしょう。
余談ですが、スーパーなどに行くと、生食用、加熱用とありますが、この違いをご存知でしょうか?滅菌処理された海水に一定期間漬けた後、出荷されるものを生食用といい、単に海水で洗っただけのものが加熱用になるそうです。
さて、もうこれで今日の目的を果たせたので、館内をぶらりぶらりしていると、私の大好きなナマコがありました。でも青ナマコばかりのようなので、
「赤はありませんか?」と聞くと、
「赤はなかなか取れなくて数が少ないんよ」とおばちゃん。
「でも、この青ナマコも、旬なので柔らかくておいしいよ!」
「うちのお父さんは、朝も晩もおいしいと言って食べとる」
「でも、私しゃ苦手で食べたことがない」
「え、あんた食べたことがないんかいな」と仲間のおばちゃんもびっくり。
という会話が続き、どうも説得力に欠けてるな、と思いながらも結局、青ナマコ1000円を買うことに、何匹も入っているので食べきれるかなと思いながら、外に出ると、屋台でカキオコを売っていました。

カキオコというと、今年11月、姫路で開催されたB1グランプリで、日生のカキオコが堂々9位にランクインしましたね。岡山県は、1位の「ひるぜん焼きそば」2位の「津山ホルモンうどん」と大健闘したことは記憶に新しいところです。町のあちこちにカキオコの幟が立っていました。B1グランプリの宣伝効果は抜群のようですね。店の前で立って待つ人もあちこちで見かけました。
パンフレットによりますと、このカキオコは、もともと日生町の郷土料理で、日生特産の新鮮で肉厚な牡蠣をたっぷり使い、独自の焼き方で作られる牡蠣入りのお好み焼きのことだそうです。各店により工夫され、それぞれ独自の味が楽しめるとのことですので、いろいろお店を回ってみるのも楽しいですね。

さて、私はというと、この屋台で売っていた「小腹別腹サイズ」のミニカキオコ350円を買ってすぐに食べましたが、なかなかの味でした。こうして、日生滞在1時間ばかりで、次の目的地、備前焼の伊部に向かって出発です。(つづく)


(五味の市)
日生町漁協の魚市場は、「五味の市(ごみのいち)」の愛称で親しまれています。その名の通り、売り場にずらりと並んだ鮮魚を前に、漁師のおかみさんたちが、威勢のいい掛け声で勧めてくれるのです。そんな魚とおかみさんの「活きの良さ」に負けちゃって(?)いろいろ買ってしまうのも「五味の市」の醍醐味と云えるでしょう。(共同組合のHPより)


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薄茶席もまた素晴らしいものでした。

2011-12-08 23:43:36 | 茶道

MyroseGarden 冬のこの時季にも健気に咲いている愛らしいつるばらです。12月4日撮影 本文とは関係ありません。

尾道遠鐘クラブの口切り茶会 その2 薄茶席

薄茶席は、先ほどの濃茶席とは打って変わって、障子が空け離れた解放感漂うお部屋で、外の庭もよく見え、とても落ち着いた雰囲気でした。今日は、口切り茶会という、いつもとは違った厳かな茶事が行われるということもあって、写真を撮るのは失礼かなと、カメラはあえて持参しませんでした。誠に残念です。
まず、亭主のごあいさつ。
「先ほどの濃茶席では、緊張感あふれるお席だったと思いますが、我々は緊張感をもってやりますが、お客様はどうぞ気楽に楽しんでいただけたらと思います」
まず、床の説明からと、
亭主「掛物は、14代宗翁の書です。」
「説明するために辞書で調べてまいりました」一同(笑)
「花は、照葉に白い小菊」
正客「紅白になって、なんだかおめでたいですね」
亭主「私も知らなかったんですが、赤い照葉は、アジサイなんだそうです」一同(感心)
正客「普通は枯れて落ちてしまいますけれども、丹精されたのでしょうね」
亭主「なぜか、残っていたそうです」一同(爆笑)
といった感じで、いっぺんに座が明るく、和やかになってきました。

花入れは、当代宗冏作の竹一重切、銘の方は、今朝、家元がお見えになりましたがその話は出てこず、わからないそうです。
「どうぞ、お菓子をお取り回しください」「遠慮せずに6個とか7個とってください」
「この漆塗りの菓子器は、はたなかりゅうじ先生と小林和作先生の合作で、特に大振りのものです」とのこと。
富士山の秋の景色が描かれていて、雲がかかっているようにお菓子がたくさん置いてあるそうで、お菓子をとっていくと雲が晴れ、すそ野が見えてくるという趣向です。
お菓子は干菓子の吹寄せでした。吹寄せとは、赤に黄色に緑色、色とりどりの落ち葉が風に吹かれて一所に寄せ集まった、そんな姿を お菓子で表現したものです。

点て出しになって、正客の方から、「このお茶碗は?」と照会がありました。すると、「この方が作られました。」と、タイミングよくお運びをされていた“かのうつよし”さんが、紹介されました。
「西山様がお持ちの楽14代覚入作織部茶碗を、今日の日のため写させていただきました」とのことでした。尾道遠鐘クラブには、陶芸作家、画家、お茶屋、お菓子司などがメンバーにいらっしゃるとのことで、クラブ内でなにやかにやと結構、調達が可能のようです。
待合に掛かっていた、洋画も実は、本日、この薄茶席の亭主をされている方の作だそうで、大山・鏡ヶ成付近の秋の景色だそうです。

正客「蓋置がとてもしゃれていますね。エッグスタンドのような。」
亭主「先に云われてしまいました」一同(笑)
  「西洋の卵立てを蓋置に見立てたものです」

正客「先ほど、お点前をされた眼光がするどい方はどなたですか?」
亭主「それは、見る目があります」一同(笑)
正客「すごい気迫を感じましたが!」
亭主「はい、ただ者ではありません」一同(爆笑)
  「西国寺の住職です。醍醐寺大僧正です」
正客「ありがたいお茶をいただきました」

濃茶の席では、「一期一会」という、今回限りを大切にしようとことですが、こちらでは「一会一生」ということで、一つの出会いが一生続くように、豊かな気持ちで楽しんでいただきたいとのことでした。
このように、和やかな雰囲気の中で、薄茶席も終了し、今日の席をご用意いただいた尾道遠鐘クラブの方がたに感謝しながら、西山別館をあとにしました。

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口切り茶会

2011-12-06 22:33:29 | 茶道

福山八幡宮の紅葉 12月4日 本文とは関係ありません。

少し前の話になりますが、尾道遠鐘クラブより口切り茶会の案内が届きました。先生から「いい経験になるので、行ってみられたらどうですか!」と勧められ、それならと11月20日、井原遠鐘クラブの一員として参加させていただきました。私たちは、午後1時からの5席目で、当日最後の席でした。会場は、西山別館です。受付を済ませ、ロビーで待機していると、まず点心をと、会場の大宴会場に案内されました。点心は、大寄せの茶会で振る舞われる、小腹を軽く満たす程度のものですが、旬の食材でコンパクトにまとめられ、さすが西山別館さん、見た目もとても美しいものでした。お腹が少し膨れたところで、再びロビーで待機していると、待合への案内がありました。西山別館は、海に面し、広い芝生が敷き詰められた庭を囲むように9つの離れが点在しています。待合に用意されたのはその中の一つです。

入口を入ると、正面の畳の間で石臼が挽かれていました。担当の方は、朝からずっと挽かれているそうで、ちょっとお疲れのようでした。部屋には素敵な洋画も掛かっていました。今日、正客をお願いされた、広島の美しい女性の方がご挨拶をされたあと、石臼を体験したり、外を眺めたりと思い思いに時間を過ごしました。係の方の説明によると、15分ほど予定よりも遅れているそうです。
それから、しばらくして、別棟に用意されている口切りの席へ案内されました。部屋は閉め切られ、少しばかり緊張感漂う空間です。畳も張り替えられたのでしょうか、いい匂いがします。上座には、茶壺が置かれていました。赤い飾り紐がまかれてあります。亭主のごあいさつの後、福間師範代により、茶壺の口にしっかり張られている和紙が切られます。なかなか切りにくいようでした。説明によると、この壺は上田家に伝わるルソンの壺を写されたもののようです。驚いたことに、制作は、会員の方で、今日のために5席分、5個を作られたそうで、なにやかにやと実に半年前から準備をされてこられたそうです。箱の裏に書かれた入日記が廻されましたが、正直、内容についてはよくわかりませんでした。そうそうお家元も朝、一番の席においでになったそうです。

続いて濃茶席です。正客と亭主のやりとり、お茶会がほとんど未経験の私には、なかなか勉強になりました。床のお軸は、沢庵禅師の大徳寺時代のものだそうです。沢庵と云えば、つい先月山陰を旅行した帰り、豊岡市出石町の宗鏡寺(沢庵寺)を訪ねたばかりで少し親しみを感じました。お点前はもちろん会員の方ですが、堂々として見事なものでした。視線が所作に集中し、プレッシャーも相当なものだと思いますが、落ち着いたお点前で感服しました。そして、濃茶の何とおいしいこと、このようなおいしい濃茶は初めてでした。

菓子器は、上田家伝来の縁高脚付、お菓子は織部上用、床には、明の時代の古胴の花入れがあり、今朝、西国寺から朝一番にとって来られた白玉椿が生けてありました。お茶碗は、大徳寺の呉器、李朝の高麗、萩、唐津と、立派なお道具類が並び、亭主から説明を受けるたびに、感嘆の声があがる席でしたが、まだまだ経験も浅い私にはなかなかその価値がわかりません。また、炉縁(ろぶち)は、西国寺の金堂が修復された際に出た古材を使用したものだそうです。また茶杓は流祖上田宗箇作のものだそうで、銘はついていないそうですが、よくぞ、本日出されたものと感心しました。
このあと余韻が残る濃茶席をあとにし、薄茶席へ場所を移動しました。(つづく)

(口切りの茶事について)
現代では、温度管理ができる冷蔵庫など便利なものがありますが、昔は八十八夜(5月)ごろ、新芽を摘みとって茶壺に入れて封をし、暗い蔵や山の涼しいところに保管して、梅雨や夏の気温の高い時期を過ごし、熟成させます。そうすることによってまろみが出てまったりとした味になるそうです。炉の季節の11月初旬に茶壺の口にしっかり張られている和紙を切って、茶を取り出します。取り出された茶葉はすぐに石臼などで挽かれ茶事に使用されます。この茶壺の口を切ることを口切りといいます。口切りの茶事は、もっとも正式な茶事といわれ、その年の茶の使い始めで「茶の正月」とも云われます。




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