訪問日:令和2(2020)8月11日(火)
久しぶりに八塔寺ふるさと村を訪ねました。ゆるやかな傾斜のある山里の田園風景、茅葺の民家が点在し郷愁をさそうあの景色をもう一度見て、癒されたいと思ったのです。
また、昨年の秋、NHK・BSで放送された‘八つ墓村’のロケ地になっており、再度、その撮影場所を見てみたいという思いもありました。
ふるさと村の入り口にある「八塔寺ふるさと館」現在休館中
ふるさと村の入り口付近の、道の両側に廃屋となった茅葺の民家が1軒ずつありました。住む人もいなくなると、家は風も通らずあっという間にダメになってしまいます。
ほんとに惜しいというか、残念に思いました。こうして景色が少しずつ変わっていくのでしょう。廃屋は、まるで向井潤吉の絵画そのままでした。
八塔寺ふるさと村、観光案内図
茅葺屋根の民家、残念ながら廃屋になっていました。
この坂道を進むと、お馴染みの田園風景が広がっています。
もう少し進むと視界は開けて、お馴染みの茅葺の建物が点在する田園風景が見えて来ました。
駐車場に車を停め散策開始です。山側の右手に見えるのが、八塔寺国際交流ヴィラです。
映画‘黒い雨’の舞台の一つが、旧広島県神石郡三和町小畠ですが、八塔寺を見た今村昌平監督が気に入りロケ地となりました。田中好子(当時33歳)演ずる矢須子と叔父夫婦の住居として使用されました。
実は、当初、村のはずれにあったものを、映画のために、ここに移築したのだそうです。
費用の捻出は、撮影後も村の施設として利用できるということで、岡山県、吉永町(当時)、今村プロそれぞれが出し合いました。
また撮影に際して、電柱や電線の埋没工事も行われました。
いつもまでも残したい、日本の原風景
正面の建物が、八塔寺国際交流ヴィラ
まず、道路沿いにある資料館を見ていこうと思いました。道路から見える裏庭になにやら苔むした五百羅漢のような石像が見えるではありませんか。その表情たるやリアルでとても気になりました。
これは確認しなくてはと早速裏庭に回ってみると、表情豊かな石像が15体以上、苔むしており、江戸期以前の古いものかと思ったら、のちに調べた情報によりますと、映画「黒い雨」で使用されたものとわかりました。
民俗資料館 桜の頃はなかなか風情がありそうです
民俗資料館 裏庭
ずらりと並ぶ石像。映画のために作られたものでした
なかなか迫力があります
村の路地を入ってみました。すべてが茅葺きではありません
とあるお宅にきれいなユリが咲いていました
なんだか昔に帰ったような雰囲気がありました
このあと、周辺をゆっくり散策することにしました。まず向かったのが、先ほどの八塔寺国際交流ヴィラです。入り口は建物の裏側にあります。換気のためでしょうか、すべての戸があけ放たれていました。
そして山裾にあるのが、日吉神社です。以前にもロケ地として使用されたようです。
左手に折れて、ゆるやかな下りの細い道を進むと、ふるさと村の中心となる茅葺き屋根の民家が並んでいます。この前の通りが、ロケで最も使用される場所です。
プライバシーもあるので、あまりも近くで写真も撮れませんが、市や県はふるさと村としての景観保存の観点からも、しっかり助成をしてもらいたいと思いました。
八塔寺国際交流ヴィラ 裏側からの撮影です
倉の手前の道が、撮影によく使われます
日吉神社
茅葺き民家につながる道。撮影のメイン道路です。
さらに進むと、山裾に寺院が二つ続いています。照鏡山八塔寺と恵日山高顕寺です。
こちらからの眺めは最高で、眼下向こうに中国自然歩道休憩所の水車小屋が見えました。
ここから、周辺の景色を眺めながら車まで戻りました。
照鏡山八塔寺
参道入り口に、狛犬ならぬ大きなカエルがいました
山門の脇に、フヨウがたくさんの花をつけていました
境内です。
山門から、中国自然歩道休憩所(水車小屋)を望むことができます
高顕寺
藤棚でしょうか、大きな種を付けてぶら下がっていました。
きれいな白い花を付けた木があありました
この建物はもと、蕎麦屋に利用されていたようですが、現在は営業していません
休憩所付近
郷愁を誘う田園風景
水田では、稲が大きく成長し緑豊かです
黒い雨、矢須子がトラックの荷台に乗せられて病院にむかう。カーブし下る道が絵になります。
民俗資料館前の赤いポスト、現在は使われていないようです
情報によりますと、八塔寺の戸数は13戸、このうち農家戸数は現在8戸だそうです。また
高齢化も進み、各民家の維持管理も難しくなっているようです。地元市民で構成されている八塔寺ふるさと村運営協議会が遊歩道や民俗資料館などの施設の維持管理を行い、ふるさと村の景観保全に努めているそうです。
この昔懐かしい農村風景をなんとか後世に残してもらいたいと願うばかりです。
ロケシーン
1989.5.13公開 映画「黒い雨」今村昌平監督 井伏鱒二原作
原爆による黒い雨を浴びたため、人生を狂わせられてしまった女性と、それを暖かく見守る叔父夫婦のふれあいを描く
矢須子役で好演した田中好子はインタビューで、八塔寺のことを次のように語っている
「撮影現場の八塔寺に行ったとき、最初はセーターとGパンだったけど、いつかジャージーになり、スニーカーはサンダルになって、気がついたらもんぺと長靴の毎日。村のたたずまいや合宿生活が私を変えて、矢須子という役に近づいた。」
ロケは、通算100日に及び、女優や女性スタッフは高顕寺で自炊での合宿生活を送った。
2005.11.1放送 終戦六十年スペシャルドラマ「火垂るの墓」野坂昭如原作
野坂昭如自身の戦争体験を題材とした短編小説。
14歳の兄と4歳の妹が終戦前後の混乱の中で必死に生き抜こうとする物語。涙なしでは見られない。
① 横川清太が亡くなった母の遺骨を抱いて泣きながら歩くシーン
② 久子が村で野菜を求めて帰るとき、出兵した夫の死亡通知を受け取り絶句するシーン
2019.10.12放送 NHK・BSプレミアム「八つ墓村」横溝正史原作
①田治見要蔵が猟銃と日本刀を持って村人を次々と襲うシーン
2019.12.21放送 悪魔の手毬唄-金田一耕助、ふたたび-
①金田一耕助(加藤シゲアキ)、事件発生で村を全速力で走るシーン
追記
黒い雨、矢須子(田中好子)がトラックの荷台に乗せられ道を下っていく最後のシーン、物語はここで終わっていますが、その後どうなったか気になって仕方ありません。これはいずれ、舞台となった、旧広島県神石郡三和町小畠に行って確かめるしかないようです。
久しぶりに八塔寺ふるさと村を訪ねました。ゆるやかな傾斜のある山里の田園風景、茅葺の民家が点在し郷愁をさそうあの景色をもう一度見て、癒されたいと思ったのです。
また、昨年の秋、NHK・BSで放送された‘八つ墓村’のロケ地になっており、再度、その撮影場所を見てみたいという思いもありました。
ふるさと村の入り口にある「八塔寺ふるさと館」現在休館中
ふるさと村の入り口付近の、道の両側に廃屋となった茅葺の民家が1軒ずつありました。住む人もいなくなると、家は風も通らずあっという間にダメになってしまいます。
ほんとに惜しいというか、残念に思いました。こうして景色が少しずつ変わっていくのでしょう。廃屋は、まるで向井潤吉の絵画そのままでした。
八塔寺ふるさと村、観光案内図
茅葺屋根の民家、残念ながら廃屋になっていました。
この坂道を進むと、お馴染みの田園風景が広がっています。
もう少し進むと視界は開けて、お馴染みの茅葺の建物が点在する田園風景が見えて来ました。
駐車場に車を停め散策開始です。山側の右手に見えるのが、八塔寺国際交流ヴィラです。
映画‘黒い雨’の舞台の一つが、旧広島県神石郡三和町小畠ですが、八塔寺を見た今村昌平監督が気に入りロケ地となりました。田中好子(当時33歳)演ずる矢須子と叔父夫婦の住居として使用されました。
実は、当初、村のはずれにあったものを、映画のために、ここに移築したのだそうです。
費用の捻出は、撮影後も村の施設として利用できるということで、岡山県、吉永町(当時)、今村プロそれぞれが出し合いました。
また撮影に際して、電柱や電線の埋没工事も行われました。
いつもまでも残したい、日本の原風景
正面の建物が、八塔寺国際交流ヴィラ
まず、道路沿いにある資料館を見ていこうと思いました。道路から見える裏庭になにやら苔むした五百羅漢のような石像が見えるではありませんか。その表情たるやリアルでとても気になりました。
これは確認しなくてはと早速裏庭に回ってみると、表情豊かな石像が15体以上、苔むしており、江戸期以前の古いものかと思ったら、のちに調べた情報によりますと、映画「黒い雨」で使用されたものとわかりました。
民俗資料館 桜の頃はなかなか風情がありそうです
民俗資料館 裏庭
ずらりと並ぶ石像。映画のために作られたものでした
なかなか迫力があります
村の路地を入ってみました。すべてが茅葺きではありません
とあるお宅にきれいなユリが咲いていました
なんだか昔に帰ったような雰囲気がありました
このあと、周辺をゆっくり散策することにしました。まず向かったのが、先ほどの八塔寺国際交流ヴィラです。入り口は建物の裏側にあります。換気のためでしょうか、すべての戸があけ放たれていました。
そして山裾にあるのが、日吉神社です。以前にもロケ地として使用されたようです。
左手に折れて、ゆるやかな下りの細い道を進むと、ふるさと村の中心となる茅葺き屋根の民家が並んでいます。この前の通りが、ロケで最も使用される場所です。
プライバシーもあるので、あまりも近くで写真も撮れませんが、市や県はふるさと村としての景観保存の観点からも、しっかり助成をしてもらいたいと思いました。
八塔寺国際交流ヴィラ 裏側からの撮影です
倉の手前の道が、撮影によく使われます
日吉神社
茅葺き民家につながる道。撮影のメイン道路です。
さらに進むと、山裾に寺院が二つ続いています。照鏡山八塔寺と恵日山高顕寺です。
こちらからの眺めは最高で、眼下向こうに中国自然歩道休憩所の水車小屋が見えました。
ここから、周辺の景色を眺めながら車まで戻りました。
照鏡山八塔寺
参道入り口に、狛犬ならぬ大きなカエルがいました
山門の脇に、フヨウがたくさんの花をつけていました
境内です。
山門から、中国自然歩道休憩所(水車小屋)を望むことができます
高顕寺
藤棚でしょうか、大きな種を付けてぶら下がっていました。
きれいな白い花を付けた木があありました
この建物はもと、蕎麦屋に利用されていたようですが、現在は営業していません
休憩所付近
郷愁を誘う田園風景
水田では、稲が大きく成長し緑豊かです
黒い雨、矢須子がトラックの荷台に乗せられて病院にむかう。カーブし下る道が絵になります。
民俗資料館前の赤いポスト、現在は使われていないようです
情報によりますと、八塔寺の戸数は13戸、このうち農家戸数は現在8戸だそうです。また
高齢化も進み、各民家の維持管理も難しくなっているようです。地元市民で構成されている八塔寺ふるさと村運営協議会が遊歩道や民俗資料館などの施設の維持管理を行い、ふるさと村の景観保全に努めているそうです。
この昔懐かしい農村風景をなんとか後世に残してもらいたいと願うばかりです。
ロケシーン
1989.5.13公開 映画「黒い雨」今村昌平監督 井伏鱒二原作
原爆による黒い雨を浴びたため、人生を狂わせられてしまった女性と、それを暖かく見守る叔父夫婦のふれあいを描く
矢須子役で好演した田中好子はインタビューで、八塔寺のことを次のように語っている
「撮影現場の八塔寺に行ったとき、最初はセーターとGパンだったけど、いつかジャージーになり、スニーカーはサンダルになって、気がついたらもんぺと長靴の毎日。村のたたずまいや合宿生活が私を変えて、矢須子という役に近づいた。」
ロケは、通算100日に及び、女優や女性スタッフは高顕寺で自炊での合宿生活を送った。
2005.11.1放送 終戦六十年スペシャルドラマ「火垂るの墓」野坂昭如原作
野坂昭如自身の戦争体験を題材とした短編小説。
14歳の兄と4歳の妹が終戦前後の混乱の中で必死に生き抜こうとする物語。涙なしでは見られない。
① 横川清太が亡くなった母の遺骨を抱いて泣きながら歩くシーン
② 久子が村で野菜を求めて帰るとき、出兵した夫の死亡通知を受け取り絶句するシーン
2019.10.12放送 NHK・BSプレミアム「八つ墓村」横溝正史原作
①田治見要蔵が猟銃と日本刀を持って村人を次々と襲うシーン
2019.12.21放送 悪魔の手毬唄-金田一耕助、ふたたび-
①金田一耕助(加藤シゲアキ)、事件発生で村を全速力で走るシーン
追記
黒い雨、矢須子(田中好子)がトラックの荷台に乗せられ道を下っていく最後のシーン、物語はここで終わっていますが、その後どうなったか気になって仕方ありません。これはいずれ、舞台となった、旧広島県神石郡三和町小畠に行って確かめるしかないようです。