未熟なカメラマン さてものひとりごと

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倉敷児島を巡る旅 その3 ジーンズの聖地・児島とデニムの聖地・井原

2020-02-21 22:38:15 | 町おこし
前回 倉敷市児島を巡る旅その2「塩田王国」を築いた野崎武佐衛門の屋敷 につづく

旧野崎家住宅を訪ねた後、次に向かったのが「児島ジーンズストリート」です。
児島地区の町おこしの一貫として、2009年に味野商店街の空き店舗を利用してスタートしました。
その広さ、東西300mと南北120mに飲食店なども含め30店舗のお店が立ち並んでいます。
訪ねた日が平日で、通りを歩く人も少なかったのですが、さほど広くない道の両側のお店から、若いスッタフの人たちの明るい声が聞こえてきます。

通りのスタート地点は、旧野崎家住宅付近からすでに始まっています。

この通りの一番のシンボルが、頭上に通されたロープにぶら下がるヴィンテージジーンズ。これはなかなかインパクトがあります。
強いデニム地、風雨に打たれようともどうということはありません。適度に色落ちし、風合いが出て逆にいいかもしれませんね。
考案した人は素晴らしいと思います。


頭上にロープで吊るされたジーンズ1


頭上にロープで吊るされたジーンズ2


通りのマンホール「KOJIMA JEANS STREET」のプレートがはめ込まれています。


駐車場の角のところにある、桃太郎JEANS 児島味野本店


建物が重厚なDANIA JAPAN


次に、㈱JAPAN BLUEの「オーダースーツ」のお店 CROWN LABEL


店頭に織機のようなものが展示されていました


閑散とした通り 右のお店はSAIO オリジナルブランドのカジュアルパンツを展開

ブッシュパンツのお店 HIGH ROCK


小さな公園の一角 トイレもこのようにジーンズ仕様


大きな鉢に黄色の花が咲いていました


児島地区は、瀬戸内海に面した港町。塩分を含む土が稲作には向かず、古くから綿花栽培が盛んに行われたことで、真田紐、足袋、軍服、学生服、帆布、作業服と、繊維産業の町として独自に発展してきました。
ジーンズはもともと、アメリカで生まれたものですが、そのアメリカから原反を輸入し、日本で初めてジーンズを作り上げたのが、この町のジーンズメーカー「ビッグジョン」といわれています。
児島には、縫製、織り、染め、加工などの高度な技術をもつ職人さんたちが集まり、「国産ジーンズ発祥の地」「ジーンズの聖地」とも言われています。
児島駅の構内、バス、タクシーなどあらゆるものがデニム仕様になっていてジーンズの町をアピールしています。


デニムの聖地・井原
このジーンズの聖地・児島に対し、近年「デニムの聖地」として売り出しているのが、井原(いばら・岡山県井原市)です。
井原デニムとは、井原市のデニム生地、デニム製品、そのブランドを指して使われる言葉です。
井原は、デニム生地の工場、ジーンズの縫製・加工工場が集まる産地で、1970年ごろにはジーンズの国内生産の約70%(年間1500万本)を生産していました。

この井原地方に綿作りが伝わったのは戦国時代末期と言われています。
江戸時代に綿花の栽培が盛んになり、その後、藍が伝わると、綿糸を染色し木綿布に織ったものが、特産品として知られるようになりました。
また明治時代から小倉織が生産されるようになり、井原の小倉織は、「備中小倉」として全国はおろか海外にも輸出されるようになります。

備中小倉は、表が藍染めの紺、裏地が白の厚手の綿織物で、デニムと似た特徴をもつこと、その生産で培われた技術が現在のデニム生産につながる礎となったのではと、ということから、国産デニムのルーツ、日本デニムのふるさと、とも言われています。
実際に昭和35年にデニム生地を国内で初めて生産したという記録も残っています。
‘デニムの聖地・井原’を謳っているのは、このことを根拠としているのです。

井原のジーンズ生産量は次第に減っているものの、縫製・加工工場は現在も少なくありません。
またデニム生地に関して言えば、児島でも生産している企業はもちろんありますが、井原市(備中・びっちゅう)のほか、お隣の町・広島県福山市(備後・びんご)地域が国産デニムの一大産地となっています。

デニムを織る機屋やインディゴ染めをする染色工場など、ジーンズやデニムにまつわる様々な業種が集まって、備中備後地域のデニムの魅力をもっと発信するため、県の枠を越えて‘備中備後デニムプロジェクト’を起こし、連携してものづくりに取り組んでいます。


次回 倉敷児島を巡る旅 その4 下津井の町並みと瀬戸大橋
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そば打ちの基本を学ぶ! そばが切れる原因、私はこうして克服した!

2020-02-17 00:35:41 | そば
私が所属している、週末は田舎暮らし‘風の駅いでたに’の蕎麦オーナーイベントのそば打ち教室が、井原市内・芳井生涯学習センターであり、参加しました。
いつもなら、顧問で素人蕎麦打ち5段の池宗さんが教えてくださるのですが、当日は所用で参加できず、代わりに、吉岡代表が実演で披露してくださいました。




粉分量 そば粉400g、小麦粉100gの計500gの二八そば。
水 50%の250ccをとりあえず用意、あとは状況を見て
打ち粉適量


1.  そば粉、小麦粉を振るいに掛ける


2.  粉どおしをよく混ぜる


3.  水を加える 1回目は全体の70%を入れる


4.  水回し 

そば打ちで一番重要と言われる。粉一粒一粒にしっかり水をゆきわたせる。
残りの水は数回に分け、様子を見ながら入れる
指の先だけを使いまんべんなく

5.  粒がだんだん大きくなってきた


6.  手に付いた粉は早めに落とす


7.  だんだん塊になってきた


8.  塊をまとめます


9.  両手で練り込む


10.  菊練り(写真なし)

11.  円錐形にし、へそ部分を尖らせたあと、手で押さえて円形状に(写真なし)

12.  打ち粉を振り押し広げる


13.  めん棒が登場


14.  時計と反対廻りで30度ずつずらす。縁はつぶさないよう注意


15.  真円ができた


16.  麺棒に巻いて延ばす、反対側も


17.  90度回転させ、同じように延ばす、反対側も

18.  斜めから麺棒をはずすと、四角になった


19.  さらに形を整える


20.  さらに延ばす、厚さを均一に


21.  手前にも延ばす


22.  片側にしっかり打ち粉を振る、右利きの人は左側に


23.  二つ折りにし、両端を揃える


24.  さらに上から下に


25.  この幅が、そばの長さになる


26.  切りやすくするため、さらに手前から折りたたむ

27.  しっかり打ち粉を振って小間板の登場


28.  小間板を切る幅分だけずらす


29.  5センチほど切ったらさばく、打ち粉はしっかり落とす


30.  できた

今日は、海老天ぷらのかき揚げにネギ、おいしそう 至福のひととき

ところで、肝心のそばが切れる原因ですが、一般には次のようにいわれています。

1. 茹でる直前のそばが乾燥している
2. そば粉が古い
3. 加水する前にそば粉と小麦粉がしっかり混ぜ合わされていない
4. 全体の作業に時間がかかりすぎた
5. たたんだあとの折り目に打ち粉が少ない
6. ゆでるときに箸で混ぜすぎた


私の場合は、やはり水回しに原因があった

初心者が直面する一番の原因は、やはり水回しにあると思います。
要は、そば粉一粒一粒に水をゆきわたせることが大事なのです。
今回のそば打ち教室で、代表は一切その作業は行いませんでしたが、初心者には特に、一に「すり合わせ」二に「もみあげ」が必要だと思います。
「すり合わせ」は一回目に加水したあと、ひと通りかき混ぜたら、粉を両手に救いあげ、拝むようにこすり合わせることです。
特に塊をこすって、崩していく感じです。このとき力を入れすぎてはいけません。粉どおしが引っ付いてしまうからです。
均一にパン粉状態になったらOKです。
加水ごとに、この作業を繰り返します。
「もみあげ」はさらに塊が大きくなったら、同じように行う作業です。

この作業を行うことによって、そばが切れることは一切なくなりました。
一度試してみませんか!
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倉敷市児島を巡る旅 その2「塩田王国」を築いた野﨑武左衛門の屋敷 

2020-02-14 21:39:34 | 建物
前回 その1「厄除けの総本山として知られる由加山を訪ねて」につづく

旧野崎家住宅


駐車場からすぐのところにある住宅、入口は左側です。

由加山を訪ねたあと、向かったのが、味野の国指定重要文化財・旧野崎家住宅です。距離にして8km、時間にして15分ほどでした。
駐車場から少し歩き、入り口である長屋門を目にすると、その威容はまさに壮観。昨年の秋、訪ねた岡山県矢掛町の福武家住宅長屋門によく似ていると思いました。
まさに江戸時代の大庄屋建築といったところでしょうか。
この長屋門の南隣りに、藩主を迎える、御成門も残されています。



すぐに長屋門が見えてきます


格式の高い構えです。

ところで、パンフレットの表紙には国指定重要文化財・旧野崎家住宅、岡山県指定史跡・野崎家旧宅とあります。
何がどう違うのでしょう。どうして併記する必要があるのでしょうか。
国指定重要文化財の対象になるのは、長屋門、表書院、中座敷、蔵6棟などの主要建物(建物のみ)で、茶室3棟、待合・雪隠、納屋、便所、そして庭園は対象になっていません。
岡山県指定史跡の対象になるのは、それら建物のすべてや、庭園を含む全体のことを指すものと思います。



連続して並ぶ土蔵が美しい


まずは左手の表玄関に向かいます


表玄関

この建物は、江戸時代後期(文政12年)、児島に大規模な塩田を築いた野崎武左衛門(のざきぶざえもん)の屋敷です。
その広さ、敷地面積3000坪、建物延床面積は1000坪もあります。
私が一番興味があったのが、表書院と庭園です。被写体としては最高なのですが、ちょうど撮影のクルーが陣取っており、ここでの撮影は後回しにすることにしました。
一旦スルーし、南側の庭園へ。この庭園が一番華やぐのが、さつきの花が一斉に開花する晩春です。
枯山水庭園には、観曙亭、容膝亭、臨池亭の3つの茶室があり、地面は、ビロードのような光沢のある苔に覆われています。
雑草や枯れ葉は一切見当たらず、とてもきれいに管理されていて驚くばかりです。



表書院下の間


表書院上の間


表書院上の間


大きな飛び石


庭園のクマザサ


茶室・臨池亭


美しい苔で覆われています

もう一つの見どころは、中座敷です。野崎家が住まいの中心とした主屋で、向こう座敷まで九つの座敷が連続しています。その長さ二三間(42m)にも及びます。
主屋は、裏山に接しており、一部くり抜いているところもありました。戦時下、防空壕にでも使用したのでしょうか。
台所、納屋、便所、味噌蔵もきれいに保存されています。
これほどまでに、建物と庭園とが創建当時のまま保存されているのは大変めずらしいことだそうです。
裏から表に回ると、5つの土蔵が連続して並び、実に壮観です。内、二つが展示館となっています。(背後にもう一つあり、全体として蔵は6つ)



中座敷、九つの座敷が連続


台所


漬物小屋


味噌蔵

第一展示館では、製塩の歴史を紹介しています。製塩の工程や資料、ミニチュアの作業道具などを見ることができます。一番びっくりするのが、ポーランド産の一トン半もある円柱の岩塩です。人が触るからでしょうか、つるつるに輝いていました。
展示館を出ると、はや紅白の梅が満開でした。

続いて入ったのが、第二展示館です。例年二月、三月には岡山藩主から拝領した享保雛を初め様々なひな人形が展示されます。
最後に、もう一度表書院を撮影して、旧野崎家住宅をあとにしました。



立派なトクサがありました


紅梅が早くも満開でした


第二展示館、ガラスケースの中にお雛様が並んでいます


ミニチュアの雛道具、とても精巧です


お雛様


享保雛、下から見上げると微笑んでいるように見えます


見事な雛飾りです


ため石


路地、趣きがあります


向かい座敷 野崎家の提灯


最後に表書院と庭園を撮影です

次回は近接する、児島ジーンズストリートを訪ねます。


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倉敷市児島を巡る旅その1 厄除けの総本山として知られる由加山を訪ねて

2020-02-10 08:14:51 | 神社・仏閣
令和2年2月4日、久しぶりに岡山県倉敷市児島、由加山(ゆがさん)訪ねました。厄除けの総本山として広く知られていますが、こちらには、由加山蓮台寺と由加神社本宮とがあります。
お寺と神社ですが、お互いにその存在を認めていません。特にその傾向は、蓮台寺の方に顕著にみられます。
ホームページの「境内ご案内」を見ても、隣地なのにまったく記載されていないのです。
駐車場もそれぞれにあり、決して間違ってはいけません。
かといって、高い塀で仕切られているのではなく、道はまったくのオープンで自由に往来できるのです。
私が最初に訪ねたのは、蓮台寺でした。朝の9時頃でしたがすでに参拝者の姿がありました。左手の丘の上には、新本殿(令和4年完成予定)が建設されているようでした。
総本殿で最初のお参りです。正面には、どーんと、巨大な木造不動尊が睨みをきかせています。
朝の掃除をしていた係りの女性が「おはようございます」と声を掛けてくれました。
蓮台寺で参拝したあと、客殿に向かいましたが、拝観は後回しに、石段が続く権現堂に上がってみることにしました。
境内では、隣の由加神社本宮から、ご祈祷の案内のアナウンスが聞こえてきます。
権現堂・奥の院から、眼下の伽藍を見渡すと、改めてその広さに驚きます。



【蓮台寺】駐車場から進むと最初に出迎えてくれるのが観音様


【蓮台寺】総本殿(南側より)


【蓮台寺】総本殿(東側より)祈祷は2階で行われています


【蓮台寺】山門(右手前)と向こう側の大きな建物が客殿


【蓮台寺】権現堂方面を見る


【蓮台寺】権現堂・大師堂に続く坂道


【蓮台寺】広い境内です


【蓮台寺】神社方面 鳥居の向こう側が神社境内

由加神社本宮との境に、次のような立て看板が立っています。
「瑜伽大権現蓮台寺ご参拝の方へ 平成九年三月三日、突然活動をはじめた由加神社は、由加大権現と文字を変えて権現さまの名称を使用していますが、この由加神社と千三百年の歴史を持つ別格本山瑜伽大権現蓮台寺とは一切関係ありません ご祈祷・お札・お守りを、お受けの際は間違いのないようにご注意下さい 山王」

元は神仏混淆の施設でしたが、明治の神仏分離の法難にあい、前述の神社の場所だけを由加神社とし、分離。後に各地に分社が建立されたため、由加神社を由加神社本宮と称するようになりました。
第二次世界大戦後の国家神道解体に伴い、宗教法人としては形式的に分離したままで神職も配置していましたが、事実上蓮台寺により一体的に運営され、僧侶が本殿で祈祷を行うなど明治以前の形態に復していました。
1998年3月、由加神社が独自の宗教法人活動を開始して以降、参拝時に互いの駐車場を共用することを禁止しており、両寺社の関連はないことを主張する看板が立てられるなど、両者の関係は完全に断絶しています。
ただし、参拝客は依然として両寺社を総称して「由加山」と称しています。
(参考:wikipedia)


それでは、蓮台寺とはどのようなお寺なのでしょう。以下の通り要約してみました。
由加山蓮台寺とは

真言宗御室派の寺院
1300年前に行基菩薩が阿弥陀如来と薬師如来を瑜伽大権現として祀ったのが始まり
本尊に十一面観音を祀る(伝行基菩薩作)
厄除けの寺として備前藩主池田候の祈願寺として信仰を受ける
木造大建築の客殿は、池田候の宿泊・休憩用の建物として寛政年間(1700年ごろ)に完成
県指定の重要文化財、丸山応挙の絶筆「竹鶏の図」や、上々段を設けた御成の間がある
伽藍には、権現堂、観音堂、大師堂、多宝塔など文化財が残されている
御祈祷は総本殿の二階「御本殿」で行われる
「求め有らば必ず応ずる瑜伽の権現さま」として全国に知られる
後利益は、厄除け、交通安全、病気平癒、家内安全など
日本最大級の不動明王が安置
蓮台寺名物は精進料理
瑜伽大権現と金毘羅大権現の両方を参拝する「両まいり」という慣習が生まれ賑わう
全国各地から、年間40万人以上の参拝者が訪れる


次に由加神社本宮についても、まとめてみました。
由加神社本宮とは

由加神社本宮は、全国に52の分社を持つ
日本三大権現の一つ
厄除けの総本山として知られる
由加神社本宮は二千有余年の歴史を持つ神仏混淆のお山
その昔、岩座信仰と唱え近郊の人々の守護神として崇められる
733年に行基菩薩が十一面観音を祀り、併せて神仏混淆の霊山として崇拝される
桓武天皇の代以来、朝廷の祈願所として繁栄し、拝殿には菊花ご紋章を拝受
江戸時代中期には備前藩池田候の祈願所として、藩主自ら由加神社本宮を参拝
「ゆがさん・こんぴらさん両参り」の風習が広がる
由加の権現様・大神様は「有求必應」“求めが有れば必ず應じて下さる
日本一備前焼大鳥居(明治27年奉納)がシンボル
鳥居の両側に備前焼の子連れ獅子が鎮座(文政12年奉納)
学業・合格の神様(天神)として菅原道真公をお祀り
縁結びで知られる、素戔嗚尊様をお祀り
ご祭神の倉稲魂命様は、江戸時代より信仰あつく商売・事業繁栄の神様
海上安全・航海安全の神様として、大綿津見命様をお祀り タコが奉納される
消痛の槌という、足・腰・首の関節の痛みが取れる小槌がある
ご霊水は、本殿地下200mから湧出し、この水で金銭を洗い清めると不浄の塵垢が消える

なんでもご利益があり、商魂の逞しさを感じます。
境内の案内図に、蓮台寺と書かれた建物を見ることができますが、葬式・法事はこちらで、というものでした。

さて、蓮台寺から由加神社本宮に目を向けると、備前焼の鳥居が迎えてくれます。
それほど大きなものではありませんが、構造的によく立っているなと感心します。境内には、ご祈祷を受けに来た人でしょうか、申込書に記入している人の姿が何人もありました。
また昨日、行われた節分行事の舞台がまだ残されていました。



【由加神社本宮】備前焼の大鳥居は大きな目印


【由加神社本宮】備前焼の獅子


【由加神社本宮】神社境内 左の骨組みは昨日行われた節分祭のもの


【由加神社本宮】拝殿 御祈祷が行われていました


【由加神社本宮】拝殿から境内を見る


【由加神社本宮】天神 学問の神様 菅原道真公を祀る


【由加神社本宮】石製のカエル


【由加神社本宮】こちらはかわいいカエル

拝殿から、神官の祈祷する大きな声が聞こえてきます。
私が毎年訪ねる、岡山市の最上稲荷のご祈祷を思い出しました。
唐破風の拝殿は、立派な作り、本殿は県の指定重要文化財となっています。
折角なので、こちらでもお参りさせていただきました。



【蓮台寺】神社を挟んで丘の上にとても立派な多宝塔

由加神社本宮の敷地は、由加山全体から見ると、ほんの一部分に過ぎません。右手には立派な多宝塔が見えますが、こちらは当然、蓮台寺のものです。
裏手に廻ると、観音堂、大師堂がありました。
このあと、蓮台寺に戻り、客殿を拝観することにしました。どこで受付していただけるかわからなかったので、総本殿に戻って尋ねると、すぐに係りの方に電話していただきました。相変わらず、きめ細かいサービスです。



【蓮台寺】客殿拝観入り口


【蓮台寺】客殿の玄関(受付)


【蓮台寺】客殿の庭園 左が茶室、斜面に建てられた渡り廊下が印象的


【蓮台寺】内部はこのようになっています


【蓮台寺】飼い猫 見送ってくれました

客殿は、県指定の重要文化財、建物、襖、庭園は見所十分でした。円山応挙の絶筆といわれる襖絵やお成りの際に利用される上段の間のさらに上々段のある座敷は、初めてみました。
こうして、由加山をあとにすることになりましたが、私が両寺社を通じ感じたのは次のようなことでした。

今となっては、互いの批判は一切せず、お互いの存在を認めることにしたらどうでしょう
駐車場の使用は、今までどおりで問題ないでしょう
参拝者への過度な誘導及び、境内でのアナウンスはしないことにしたらどうでしょう
ご祈祷は、参拝者の判断に任せ、どこに重きを置いているか、両者の違いを明確にしたらどうでしょう
パンフレットは、共通の境内案内図を作成したらどうでしょう


倉敷市児島を巡る旅 次回その2は、旧野崎家旧宅とジーンズストリートを訪ねます
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