未熟なカメラマン さてものひとりごと

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笠岡市の新しい歴史観光スポット 国登録記念物 清水氏庭園を訪ねました!

2024-04-28 11:49:28 | 庭園
訪問日 2024年4月21日 (日) 11:00~12:30

笠岡市観光協会主催の「国登録記念物 清水氏庭園 鑑賞会」のチラシを目にし、日本庭園大好きの私は、直ちに電話を入れ申し込みをしました。
当日は、今にも雨が降りそうな曇天でした。集合場所は、笠岡市生江浜2066笠岡市金浦公民館駐車場東側広場でしたが、なかなかわかりにくい場所にあります。前日に確認に来たというひとが何人もおられました。公民館の駐車場ではなく、その隣の更地の広い広場です。
生江浜を何と読むか、“おえはま”ですが、これも見つけにくい一つの要因です。



今にも雨が降りそうな天気です。目的地に向かいます。


金浦の海 どことなく癒されます。


アップで撮ってみました。金浦は、「とんび」のロケ地となりました。


近くにご覧のような水辺がありました。


清水家に到着。観光協会の方から、説明を聞きます。

点呼のあと出発です。当日の参加者は、定員の10名。アメリカ、オーストラリアのALTの方2名、干拓地の農園事務所で働くベトナム人女性1名。福山市の方3名などです。他に観光協会と笠岡市の方計4名が案内役として同行しています。
駐車場から清水氏庭園までは一本道、歩いて5分ほどです。道路から金浦湾を臨むことができます。ノスタルジーを感じさせる穏やかな景観です。清水邸の前で、観光協会の方から、本日のスケジュールについて説明を受けたあと、いよいよ門を潜ります。


にこにことした笑顔で当主の清水正毅さんが出迎えてくださいました。奥様も控えておられます。庭園を前に簡単な歴史と見どころの説明がありました。庭園には、小さな池があり、回遊式となっています。岩礁だった元々の岩に、新たな石組みを配置。池の正面には龍門瀑、とシンボルの臥龍松、背後の山肌にもサツキ類が植栽され、そのスケール感は半端ではありません。このあと庭園内を個々に散策。きれいに剪定された赤のキリシマツツジやピンクのヒラドツツジが鮮明な色彩を放ち、ついカメラを構えてしまいます。


清水氏、最初に10分ほど歴史と鑑賞ポイントの説明がありました。


見事に刈り込みされたツツジ。赤はキリシマ、ピンクはヒラドです。


庭園を右側から撮影してみました。中心の松が景観に華を添えています。


見上げると、ヤマモモの古木。


ベトナム人のAさん、アオザイが庭園に映えます。


正面から見たところ


心字池 南北に長い形状で、大きさは長さ25m、幅2~7.5m

(庭園の説明 /要約)

ここは福山藩水野氏により干拓された生江浜で、それ以前は波が打ち寄せる海岸線でした。
当時の岩礁をそのまま取り込んで庭の原型としています。清水家(屋号・矢掛屋)は、もともと笠岡のまちで海鮮問屋を営んでおり、ここは、年寄りが暮らす隠居所(別邸)として建てられました。その昔、大きな地震があって町が壊滅的な被害を被むりましたが、ここは硬い岩盤のおかげでびくともしなかったそうです。
庭園には、松がたくさん植えられていましたが、松枯れにより全滅。このあと管理が容易なツツジやサツキがとってかわったそうです。一個人が、管理するにはとても大変で費用もかかるし労力も必要、おのずと限界がある、とのことでした。



主屋と庭園 自宅から庭園を眺める、最高の贅沢ですね。


くす玉で、登録時の説明をする清水氏

(国登録記念物登録秘話)

このあと、清水家本宅の和室に上がらせてもらい、庭園を眺めながら話を聞きました。今、笠岡で話題の「カブトガニ饅頭」とお茶の接待がありました。

京都の著名な作庭家・斎藤忠一(さいとうただかず)氏(*1)が来訪。一目見て、「これは市や県のレベルではありませんよ」「国に申請しましょう」と言われ大いに感激したそうです。
しかし待てど待てども回答はなく、しびれを切らして、市の教育委員会に相談に行ったところ、ほどなくして登録記念物に認定されたそうです。(2023年3月20日登録)市の関係者に、お祝いのくす玉を作ってもらったと披露されました。
齋藤忠一氏によると、歴史ある庭園(特に石庭)の価値を判断するとき、大事なことは、植栽された木々に惑わされず、時間や年月を経ても変わることのない基部の石組のみを観ることだそうです。

今後、年に4回程度鑑賞会が開かれるとか。
高梁市の頼久寺、矢掛町の大通寺と合わせ岡山県西部の3庭園をめぐるトライアングルツアーが企画されればうれしいとのことでした。
岡山県内のもう一つの登録記念物、津山市の城東重要伝統建造物群保存地区にある、旧梶村氏庭園(城東むかし町屋2012年1月24日登録)を訪ねたそうですが、自分が想像していたものと随分違って驚いたそうです。ともに歴史はあるものの、スケール感のある清水氏庭園と、町屋の中庭の日本庭園とは趣が随分異なります。



塀の外側の堀は、庭園の心字池とつながっています。

(国登録記念物とは何でしょう)

文化財保護法では、「記念物」は、文化財のうちの以下の3種と定義されています。
1. 貝塚、古墳、城跡その他の遺跡で国にとって歴史上または学術上価値の高いもの
2. 庭園、橋梁、峡谷その他の名勝地で国にとって芸術上又は鑑賞上価値の高いもの
3. 動物、植物、地質鉱物で国にとって学術上価値の高いもの
このような記念物のうち重要なものを指定する制度として、史跡、名勝、天然記念物が定められています。

登録記念物の登録制度(2004の文化財保護法改正から新設)は、重要な史跡・名勝・天然記念物の指定制度を補完するという性格を有しています
公園、庭園その他の名勝地(名勝及び指定を地方公共団体がおこなっているものを除く)のうち、原則として人文的なものにあっては造成後50年を経過したもの又は自然的なものにあっては広く知られたものであり、かつ次の各号いずれかに該当するものとなっています。

1. 造園文化の発展に寄与しているもの
2. 時代を特徴づける造形をよく残しているもの
3. 再現することが容易でないもの

登録記念物は記念物を対象とするものですが、国や地方公共団体が指定した場合は、自動的に登録の対象から除外されることになります。



帰りの道で岩肌に垂れていたフジ

(ご参考)

岡山県第一号の国登録記念物 津山市城東の町並みにある旧梶村氏庭園。連続テレビ小説「あぐり」で主要なロケ地となりました。(2020.1.13訪問)


高梁市 頼久寺庭園(1974 国の名勝庭園に指定) 茶人で作庭家の小堀遠州作 (2021.8.2訪問)


矢掛町 大通寺庭園(石寿園)(2001.3.23岡山県の名勝に指定)(2022.11.7訪問)

(*1)齋藤忠一氏は、日本の各地で庭園の作庭、修復を手掛ける著名な作庭家
昭和の庭師、重森三玲の一番弟子。岡山県では、矢掛町・大通寺の石庭の修復、井原市・華鴒大塚美術館・茶室長庵の露地を作庭
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池泉回遊式日本庭園 歴史の縮景園と、わが国初の庭石ミュージアム仙石庭園

2023-05-11 20:57:21 | 庭園
訪問日:令和5(2023)年4月13日(木)

(縮景園)広島市中区上幟町

広島県立美術館で、川瀬巴水の新版画を堪能したあと、お隣の縮景園を訪ねました。県立美術館のロビーからも一部俯瞰することもでき、期待も膨らんでいました。美術館から出るともうそこは縮景園です。
赤いシャクナゲや、紫や白の藤も見ごろです。カエデの新緑が美しくて癒されます。さすがに観光都市広島、欧米からと思われる外国人が目立ちました。また前撮りをするカップルもいて、華を添えます。
色とりどりのツツジも見ごろで、池に映る様はとても見事でした。
縮景園は、広島藩浅野氏の家老で茶人の上田宗箇が作庭し、400年の歴史があります。以後、代々の大名により手を加えられ、原爆にも遭いましたが見事に復旧し現在に至っています。
ただ一つ残念なのは、どの方角をみても背後にそびえるビル群です。市の中心部にある以上これは仕方ないですね。



県立美術館から見る縮景園の調馬場跡地  現在は梅林として親しまれています。


ちょうど見ごろのシャクナゲ 後は県立美術館


アップで見る きれいですね!


藤の花も満開でした。今年は例年に比べ開花が早いようでした。


ツツジも鮮やか


一番奥までやって来ました


立派な茶室がありました


新緑と大きな池 癒されますね 縮景園は、国の特別名勝に指定されている


独特の石橋は、跨虹橋(ここうきょう)という


新緑が池に映りこむ 池の名称は濯纓池(たくえいち)という


東屋で休憩する人


この建物は、清風館(せいふうかん)と言い - 1964年建築で木造平屋建ての寄棟造・柿葺、東側に花頭窓がある数寄屋造の茶室。


ハトがなぜかこちらを見て首をかしげている


八重桜が見ごろでした。青空とのコントラストが素敵でした。


アップにしてみました。


悠々亭(ゆうゆうてい) - 1969年再建


ツツジが池に映りこんでいます


箱根の山のホテルを連想してしまいます


カメの甲羅干しです 池の水、もう少し透明度が欲しかった


前撮りの撮影が行われていました


入園口に出てきました。

(仙石庭園)東広島市高屋町高屋

広島からの帰りに立ち寄ったのが仙石庭園(せんせきていえん)です。東広島ICで降りて走ること10分。駐車場からは、こんなところにとても広い日本庭園があるとは想像もできませんが、案内板に従い進むと登竜門と書かれた入園口が見えてきました。自販機で券を購入し(大人1000円)、目の前の改札口へ投入すると開門です。
パンフレットによると、敷地面積は、約12,000坪(40,000㎡)あり、園内には仙石湖、わに池、伏龍湖と三つの池があります。散策路の道沿いには、大きな石がこれぞというばかり並べられて、かつて見たことにない景色が広がっています。
まるで石の見本市です。
NHKの人気番組「ブラタモリ」をまじめに見ておけばよかったと、思いつつも、まさにここは庭石のミュージアム。帰りに若い男性のスタッフの方に「これだけ大きな石を集めると相当、お金がかかったでしょう」と尋ねると「石はそれほどでもありませんが、運賃は相当にかかりました」とのこと。
医師の山名氏が私財を投じて20数年かけて集めた石のコレクション。日本で唯一の庭石の庭園。一度訪ねてみてはいかがでしょう。



駐車場からは何も見えません。こんなところに大きな日本庭園があるんでしょうか?


仙石庭園の案内版


登竜門、入園口です


大きな石のテーブル、白砂青松の庭園、由志園や足立美術館を連想します。


このような大きな石がいたるところに


これは、バーベキューコーナーでしょうか。できれば完全に分けてほしかった


庭園サイト「お庭さん」が絶賛しています


通りに八重桜が咲いていました


もみじ園 秋の紅葉は素晴らしいとのことです


仙石湖 もう少し透明度があれば、よかったのですが、この水どこから来ているのでしょう?


こちらにも八重桜


平日の遅い時間だったので、庭園を独り占めです


集めた庭石、3000個以上だそうです


歩いているだけで癒されます


わに池 石の並びが何ともいえません


ベンチも、もちろん石製


伏龍湖 3つ目の池です。中央にあるのが亀島


こちらも、贅沢な石の配置です


仙神大滝 水源がどこにあるのか気になりました


きれいな石が水を受けて輝いています


引き返します


あちらこちらにも大きな庭石


これだけ樹木があると手入れも大変でしょう


仙石富士 草焼きのあとでしょうか。こげています


未知の両側にこれでもかというほど並ぶ庭石。まるで見本市のようです


存在感のある石です


ボタンも咲いていました


入り口正面の大きな木

最後までご覧いただきありがとうございました




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昭和の庭師 重森三玲のふるさとを訪ねて 岡山県吉備中央町

2021-08-23 23:05:20 | 庭園
訪問日:令和3年8月2日(月)

重森三玲は、昭和を代表する作庭家で、主に大きな石組の枯山水で知られています。私が彼の作品に最初に出会ったのは、京都・東福寺の石庭・方丈庭園でした。

その後、出身地が岡山県吉備中央町であり、その町に記念館があることを知ったのは、随分あとのことでした。私も何度かお話をさせていただいたことのある京都の斎藤忠一先生は、早くから三玲に師事され、三玲の実質的にデビュー作となった春日大社の庭園のこともうかがっておりました。

日本庭園が大好きな私は、少しジャンルは違いますが、ふと彼のふるさとを訪ねてみたいと思いました。ナビをセットし、向かったのはいつも利用している岡山自動車道賀陽IC方面、まもなく目的地につきましたが、そこは公民館の駐車場、入り口の急な坂道にびっくりしました。
目の前にあるのは吉川公民館、あれ記念館は?というとありました。右手の平屋の小さな建物でした。


吉川公民館と重森三玲記念館


吉備中央町立吉川公民館


こちらが重森三玲記念館 記念館は同地区出身であり昭和を代表する造園学者である重森三玲を顕彰する資料館となっています。また敷地には大正3年(1914)に、三玲が18歳の時に初めて設計した作品である茶室「天籟庵(てんらいあん)」が移築され、平成11年(1999)に登録有形文化財となっています。


記念館横にあるこの庭園は名前を「三玲」といい、孫にあたる重森千青(ちさを)氏の作品です。


公民館の受付を訪ねると、大きな七夕が飾ってありました。


地元の三玲の作品を紹介する大きなボードがありました。

御用の方は、公民館受付まで、と書いてあったので、早速受付を訪ねお庭を見せてもらうようお願いしました。すると担当の女性の係の方が、鍵を持って出てこられ、慣れたしぐさで案内をしていただきました。
お庭は、資料館の裏側にありました。茶室と何とセメント製の小さな庭園、こちらは撮影禁止になっていました。係の方によりますと、撮影に気を取られて、飛び石でころんでしまう方も出たため、安全のためそのように決められたのだとか。私も何度か、「飛び石の上を歩いてください」とやさしく注意を受けました。
茶室は何と若干18歳の時に設計した三玲の作品だとか?
隣に立派な社が見えたので、尋ねると吉川八幡宮だそうで、このあと境内を散策させてもらいました。


吉川八幡宮は国の重要文化財


石の鳥居をくぐると


見えてくるのが、県の重要文化財に指定されている吉川八幡宮随神門


向こうに見えてくるのが、国の重要文化財に指定されている本殿。


社伝によれば、平安時代の後期・永長元年(1096)に京都の石清水八幡宮の別宮として創建。
三玲も保存活動に尽力したそうです。


境内にとても大きな古木がありました。

賀陽支所の中庭にある友琳の庭

次に訪ねたのが、賀陽支所にある三玲の作品です。資料館から15分ほどの距離でした。
賀陽支所は、とても近代的な建物です。その中庭にあるのが、「友琳の庭」です。
当初は京都友琳会館のため作成したものですが、閉館に伴い2002年に出身地の吉備中央町のこの支所に移築されたものです。
中央部の幾何学模様は、束熨斗(たばねのし)をデザインしたものだとか。まさに三玲の和モダンを象徴した作品だと思います。周囲に苔と石組みの島が配置された池泉回遊式庭園となっています。
小さな人口池の水は絶えず循環しており、どこか清々しさを感じました。



立派な支所の建物


真っすぐ進むと、庭園がありました。


びっくりするくらい斬新なデザインです。中心の幾何学模様は、束ね熨斗(たばねのし)をイメージしているとか。熨斗(のし)とは、熨斗鮑(のしあわび)の略称で、アワビの肉を薄く長く剥ぎ、引き伸ばして乾かしたもののことで、江戸時代以降、古事の贈り物や引き出物に添えられたのが始まりとされています。これを細長く帯状にし、何本か重ねたものを「束ね熨斗」と呼んでいます。


真横から見たところ


中心をご覧のような石組が、いくつも取り囲んでいます。水は循環し想像以上にきれいです


一番奥側から見たところ


苔と石組は落ち着きます


このような大きな石を使ったものもあります

このあと、帰途につきましたが、途中、高梁市の江戸時代・小堀遠州により作庭された純和風の頼久寺庭園に立ち寄りました。

高梁市 頼久寺庭園


頼久寺(らいきゅうじ)は、足利尊氏が諸国に命じて建立させた安国寺の一つです。


その中にある国指定名勝の庭園は、備中国奉行・小堀遠州(こぼり えんしゅう)の初期の作庭で(1605年頃)、禅院式枯山水蓬莱庭園です。俗に「鶴亀の庭」と呼ばれる天下の名園で、はるかに望む愛宕山を借景に、砂の波紋で海洋の感じを出し、中鶴亀二島の蓬莱石組、鶴島の三尊石組を配し、さらに、大海の波のあらわすサツキの大刈込みで背景を整えています。この豪華な大刈込みは、遠州独特のものです。(高梁市HPより)


丸窓から見る額縁庭園


ガラスに描かれた富士と帆掛け舟


犬養木堂の書がかかっていました


頼久寺庭園 はるか向こうに見えるのは愛宕山


大胆なサツキの刈込は遠州独特のもの、青海波(せいがいは)と呼ばれる


この素晴らしい景観を独り占めでした


裏庭にスイレンが花をつけていました


かわいい童地蔵が見えました


シオカラトンボが頭にとまったので、スイレンを王冠に見立てて撮影してみました

最後までご覧いただきありがとうございました。

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香川県丸亀市 中津万象園(なかづばんしょうえん)百本鳥居を訪ねて

2020-07-14 23:31:12 | 庭園
令和2年6月22日(月)
讃岐うどんの人気店「麺処綿谷(わたや)」でボリュームたっぷりのおいしいうどんをいただき、丸亀城を散策したあと、せっかく瀬戸大橋を渡って四国まで来たのに、このまま帰るのはもったいないと、観光パンフレットを眺めしばし思案したのでした。



中津万象園の百本鳥居

そこで目に留まったのが、丸亀市中津の中津万象園(なかづばんしょうえん)の百本鳥居でした。竹やぶに平行して続く朱色の鳥居。どこか風情が感じられ、被写体としても期待が持てるのではないかと思いました。

学生時代、京都の伏見で過ごした私にとって、伏見稲荷大社の千本鳥居は、特に懐かしく思い出されます。こちらの稲荷神社は、その伏見稲荷大社から勧請(かんじょう=分社)されたものです。鳥居は、1993年から企業や個人による奉納が始まり、一昨年で60基、令和になって奉納をよびかけ、ついに念願の100基になったものです。

この中津万象園、敷地内にあるレストランには一度だけ来た事があったのですが、正式に庭園を訪ねるのは初めてでした。資料によりますと、この庭園は、丸亀京極家二代藩主の京極高豊が中津別邸として築堤したのが始まりだそうです。広さは栗林公園の約3分の1の5ha(1万6千坪)もあります。



入園口(東門)


美術館入り口


回廊が続く


青松の庭


うちわの里、海望亭


白鳥観音


茶室・松帆亭


回棹廊 島は橋でつながっている

当日のこの時間は、平日ということもあって、来園者は数組程度、コロナ禍の真最中、ということを考えれば、これも仕方ありません。
併設されている絵画館とのセット券も販売されていましたが、今回は庭園だけにしました。予想をはるかに超える広い園内、手入れも素晴らしく行き届いていて感心します。大きな池は琵琶湖に例えられ、近江八景になぞらえて八つの島が配置された池泉回遊式庭園となっています。

園内には、周囲に配慮して目立たないように、二つの建物が配置してありました。陶器館とうちわの里(海望亭)です。全体的にフラットで、山を借景とした栗林公園とは趣を異にしていますが、完璧に近いほどに、整備された園内は、とても清清しいものがあります。
茶室もいくつかあって、それらが落ち着いた景色となっています。



大傘松は、樹齢600年


大傘松と母屋(茶室)


観潮楼は、江戸時代後期の煎茶茶室


池にかかる松の枝が美しい


筆海亭を臨む


大傘松から稲荷社を望む


稲荷社から大傘松を望む


竹林と鳥居


竹林と鳥居


百本鳥居


イチョウの木


実をつけていた


全景


園内


邀月橋(ようげつばし)


水蓮橋

さて、お目当ての百本鳥居は、竹林に沿って稲荷社に連なっており、真新しくて、とてもきれいで雰囲気はありました。引き続き寄進が増え、間隔が蜜になれば、さらに見栄えがよくなることでしょう。今後、できれば鳥居の下を石畳にしていただければ言うことはありません。京都伏見稲荷の鳥居を一手に引き受けている長谷川工務店によると5号で、もって7~8年だそうで、同じ大きさのこちらでの維持管理も大変だと思われます。

鳥居で雰囲気を楽しんだ後、シンボルとなっている邀月橋(ようげつばし)から、園内を眺めるとこれまた絶景、絵になる景色が広がっています、最後に水面ぎりぎりに配置されている水蓮橋、蓮の葉の形がイメージされた飛び石が、ほどよい高さで連なり、京都の鴨川や平安神宮神苑を彷彿とさせています。

途中、休憩しながら散策するとちょうど1時間ぐらいでしょうか。時間的にも距離的にもほど良い運動になりました。また違う季節にもう一度訪ねてみたいと思いながら万象園をあとにしました。

(公益財団法人中津万象園保勝会 中津万象園・丸亀美術館)


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城下町・津山を訪ねて その1 名園・衆楽園

2020-01-21 22:02:54 | 庭園
令和2年1月13日(月)祝日、久しぶりに岡山県津山市を訪ねました。例年、寒い冬は県北方面に行くのを尻込みするのですが、雪の心配の要らない暖冬の今年は、その心配はまったくありません。
鶴山公園は、春の桜の季節に訪ねているので、今回はパスし、まず向かったのが大名庭園の衆楽園です。


国指定名勝 衆楽園  岡山県を代表する池泉回遊式大名庭園

駐車場から入ると、まず目に飛び込んでくるのが、広い池です。池には、たくさんの鴨など水鳥が羽を休めていました。



池の水面に木々が映り込む


カモなど水鳥が羽を休める


土橋も映り込む

ブルーの静かな水面に、庭園の木立や木橋が映り込み、実に絵になる景観が広がっています。
空は青空で小さな丸い雲がいい感じで浮かんでいました。
岡山県の日本庭園というと、まず岡山市の後楽園ですが、ネットで検索するとかならず2番目にランクされるのが、この衆楽園なのです。
ありがたいことに、入園料は無料。市民の憩いの場として、広く愛されているようです。
正門から反時計回りに、散策することにしました。



茅葺きの東屋・風月軒は撮影スポット


中は畳敷きでくつろぐこともできる


寒そうなアオサギ

茅葺屋根の東屋(風月軒)は、畳敷きになっており、ゆっくりくつろげそうです。
園内で、感心したのが、曲水です。高低差を利用し、うまく設計されています
2番目に印象に残ったのが、大きくて高い松です。
普通、松というと、人工的に曲げてその美しさを鑑賞するものですが、こちらの松はまっすぐ自然のまま上に伸び、幹も相当に太くて、私達が知っている松とは似ても似つかぬものでした。



曲水 微妙な高低差で水が巡る


流れに竹製の熊手、ごみ摂り用でしょうか


水面に映る木橋が美しい


季節を感じさせる松の巨木のコモ巻き


まっすぐ天に伸びた松


びっしり敷かれた松葉

もう1つの大きな建物は迎賓館、広間は見事なもので、行事などに利用されているのでしょうか。
隣の茅葺の建物・余芳閣の2階に上がってみると、こちらも畳の間で、座布団や座椅子などが置かれていました。
見事な眺望をゆっくり鑑賞でき、誰もが、殿様気分を味わうことができます。



迎賓館


余芳閣


2階に上がってみると、眺望抜群


紅葉島から見る庭園


最後に表門付近から一枚

聚楽園おわり
その2 城東の町並みと安国寺・石林園 に続く
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