未熟なカメラマン さてものひとりごと

ようこそ、おいでくださいました。

梅の名所・丁谷(ようろだに)と古い町並みを歩く 令和3年2月28日 福山市神辺町

2021-03-24 23:21:25 | 花の名所
投稿日:令和3年3月24日
地元紙 山陽新聞朝刊の備後版に丁谷梅林が見ごろとの記事が掲載されていました。自宅から車で15分ほどのところに、このような梅の名所があったとは驚きでした。
早速、出かけてみようと思いましたが、ネットで探してみてもその場所がはっきりとわかりません。
とにかく、神辺小学校の近くに間違いないようでしたが、あとの町並み散策のことも考えて国道沿いの、天別豊姫神社の駐車場に車を停め、歩いていくことにしました。



のどかな景色が広がる丁谷(ようろだに)


途中で見た民家の見事な枝垂れ紅梅

小学校を過ぎたあたりで、最初に出会った町の人(高齢の女性)に道順を尋ねました。この道をまっすぐ進むといいらしく、10分もかからないとのことでした。
この地を訪問するのは、初めてでしたが、周辺はのどかな田園風景が広がっていました。菜園の手入れをするお年寄り、畑に植えられた梅の木も、きれいな花を目いっぱい咲かせて存在感をアピールしています。

もうそろそろかな?と思いながら、念のためもう一度お庭の手入れをしていた住人(女性)に道を尋ねると、突き当りを右に曲がってすぐ、とのことでしたが、続いて出た次のことばにびっくり。
「あまり期待されないほうがいいと思いますよ」
少し、気の毒そうに言われたので、テンションが下がってしまいました。



梅林入り口

そして、まもなく到着です。少し傾斜のある梅林は、ほとんどが白梅でした。しかも咲いているのは上部の枝先だけで、ウメノキゴケに覆われ相当な老木のようでした。
紅梅は、たったの2本だけでした。
下草は、地元の人が協力し刈られたようですが、個人の所有地ときいています。折角なので町が資金援助して枝の剪定など手を加え、かつて菅茶山が頼山陽をこの地で見送ったという歴史ある梅林を何とか復活させていただきたいと思いました。



梅林は白梅が中心


深紅の紅梅


菅茶山が頼山陽を見送ったという記念碑 菅茶山は江戸時代後期の儒学者、頼山陽は江戸時代後期の歴史家、「日本外史」の著者


白梅のアップ

梅林を見た後、民家の軒先に咲いていた花を見て帰りました


玄関先に見える見事な枝垂れ梅


どこか懐かしい火の見櫓の半鐘


若いピンクの枝垂れがありました


ヤマブキに似た花、何でしょう?


水仙


畑に咲いていた黄色い花


天別豊姫神社と古い町並み
このあと、天別豊姫神社まで戻り、神辺の古い町並みを久しぶりに散策してみることにしました。
まず、向かったのが神辺本陣です。以前、訪ねたときは、ご当家の奥様に直々に案内していただきました。参勤交代のおり薩摩藩の指定休憩所になっていたそうです。そうであればあの篤姫も立ち寄ったかもしれませんね。
国の重要文化財指定にならなかったのは、近年の改修により当時の遺構が損なわれたため、と記憶しています。 



神社の池にかかる石橋


社務所です


どこまでも続く石段、角度が急です


町並みに向かいました。振り返ると正面に神社の鳥居が見えていました


角の古い町屋


古い町並みです


洋風建築


神辺本陣、見事な構えです


漆喰に特徴的な意匠のなまこ壁


裏に回るとおもしろい三階建ての建物がありました


天寶一は、この地を代表する造り酒屋


歴史の重みを感じます


廉塾は儒学者菅茶山が開いた私塾


古い町並み


老舗のお菓子屋さんがありました


神辺高校まで戻って来ました
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする