3月18日まで行われる「第48回 京の冬の旅」非公開文化財特別公開
ミモロもさっそく出かけました。
訪れたのは、織田信長の本廟のある「阿弥陀寺」です。
この寺は、浄土宗鎮西派で、御本尊は、阿弥陀如来さま。織田家の菩提寺と言われます。
そもそも、この阿弥陀寺は、清玉上人が近江坂本に創建し、その後、織田信長などの尽力により、今出川大宮にりっぱな伽藍をもつ寺へ。しかし、天正10年(1582)6月2日。明智光秀による本能寺の変が勃発。その当時、本能寺も、蛸薬師通小川通もあり、2つの寺は、歩いて15分ほどの距離だったそう。時の異変に気付いた清玉上人は、本能寺に駆けつけ、織田信長公の遺骸(荼毘に付したとか)を阿弥陀寺に持ち帰ったと…。その後、光秀を討った秀吉が、信長の一周忌の法要を、清玉上人に申し出るが、すでに織田家で済ませたと、拒否。怒った秀吉は、大徳寺に総見院を建て、法要を盛大に執行。以後、阿弥陀寺での法要を禁ずることに。
「と、いうことは、信長さん自身は、総見院というお寺は知らないんだー。正室の濃姫は、総見院にお墓があるんでしょ。夫婦別に祀られてるんだ~」。総見院には、信長供養塔があります。
さて、阿弥陀寺のある寺町通は、南は五条通、北は紫明通まで続く長い道。四条通りから御池通までアーケードになっています。その道の東側に、天正18年(1590)に、秀吉により多くの寺院が集められ、寺町とよばれるようになったそう。
阿弥陀寺があるのは、寺町通でも、落ち着いた雰囲気が漂う北のエリアに
今回、公開された本堂では、信長公の木像や位牌、鞍覆い、弓掛など、信長ゆかりの品々を見ることができます。
本堂内は、残念ながら撮影禁止。案内役の方が、歴史や当時の様子などを、わかりやすく説明してくれます。
「本能寺の変は、テレビや映画では、光秀軍が松明を持って乗り込んできますが、本当は、朝の6時頃のことで、起きたのは6月2日ですから、松明が必要ないくらい明るかったんです」と、説明が。「へーえ、朝だったんだ~」
「本堂では、こんな信長公木像がありました~。思ったより小さい感じだったけど…。それから森蘭丸のお位牌もあったよ」とミモロ。
案内の方の説明を聞き終えて、外にでたミモロは、受付の方に、「あのー信長公のお墓はどこですか?」と尋ねます。
「境内の奥ですよ、案内板が出てますから、すぐわかります」と。「あのーそれから、名物のお菓子が近くで売ってるって聞いたんですけど…」「はい、鎌餅ですね。お寺を出て、すぐのところにありますよ。おじさん一人でやってるから、売り切れになることもあるんです」と。
「えー売り切れ?早く行きたいけど、まずは、お墓にお詣りしなきゃー」。
お墓は、思っていたより、こじんまりとした感じ。
ミモロの大きさから、わかると思います。
右が信長公、左が息子の信忠公のもの。
早々にお詣りをすませたミモロは、「名物の鎌餅って、どんなんだろ?」と、心はすでにお餅に飛んでしまったよう。
*「寺町 阿弥陀寺」京都市上京区今出川上ル鶴山町14 075-231-3538 拝観時間:9:00~16:00 京の冬の旅拝観料600円 出町柳駅 または今出川駅 徒歩約10分 河原町今出川バス停から徒歩約7分 *通常は6月2日のに堂内拝観可
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特許庁 商標登録第5629481号 copyright2010 Sea Hawk Japan co.,ltd. All rights reserved.
なんか 人間って こういうものなのね・・・って思いました。
きっと今は、静かにお眠りになってますねー