梅雨の晴れ間。
透明な光の夏・・・。
私は、季節の先がけ・・・が、結構好きである。
昨日や今日のように、夏になりかけた感じのする気候だとか・・・。
初夏、初秋、初冬、早春・・・(何故、春だけ、『早』なのだろうか?『初』だとお正月ですかね?)
まだまだ、前の季節は、終わらないのに、少しだけ、先の季節の空気感があったりすると、凄く嬉しい。
今は、不如帰(ホトトギス・・・或いは、杜鵑と書くのだろうか?不如帰だと、お浪さんですかね?徳富蘆花・・・)が、全盛で、どういうわけか、今年は、カッコーの初鳴きを未だ、聞いていない。
鴉との縄張り争いに負けて、絶滅したのか・・・居場所を変えたのか・・・。
カッコーは、醜い。
声は、最高だけれど。
あの声を聴くと高原にいるような気がしてきて、高原は、夏の風情が、一番美しいのではないかと勝手に思っている。
この拙すぎるブログも2000回を超えて、もうネタが尽き、同じことを、トッカエヒッカエ書いているから、カッコーという鳥についても、既に何度か書いているだろうと思う。
カッコーを、醜いを思うのは、その姿であり、習性でもある。
他の鳥の巣に、卵を産み付け、遺伝子的には、全く別の親鳥に育てさせる・・・そこまでは、まあいい・・・。
理不尽なのは、カッコーの雛の方が、早く孵化して、本来の同遺伝子であるはずの親鳥の卵を巣の外へ落して、生存競争に勝利する・・・所謂、托卵。
労せず、美味しいところだけ、持って行ってしまう狡猾な鳥なのである。
だから、姿は、ことごく醜い・・・ような気がするのだ。
前出のホトトギスも托卵する鳥らしい。
カッコーは、夏鳥・・・だと思うけれど、この時期、ニュースになるのは、人と共存?する形で、人の近くに住み、そのヴィジュアルの可愛さと健気さで、人の心をひきつける『カルガモ』だろうか・・・。
母鳥のあとを、ヨチヨチと危なっかしい足取りで、ついていく様は、本当に愛らしい。
泳ぐ姿も可愛いし、なによりあの質感が、優しく暖かな感じがする。
おかあさんが、一生懸命子育てするのは、カッコーとは、対極なのだろう。
生物学的にみて、どちらが、淘汰されるのかは・・・?どうなんだろう。
たぶん、どっちも正しくて、どっちも間違っているのだろう・・・正解は、淘汰されてみなければ、わからない・・・ということなのかもしれない。
春の鳥から、夏の鳥へ・・・。
季節は、ハイスピードで、夏に変わりつつある。