曇りがちなれど、風は、涼しい。お天気下り坂のよう・・・。
会社を退職する少し前に、お習字を始めることにした。
このとき、お勤めしていた会社は、現地採用者の多い、現場部署ということもあって、年齢層が高く、その扶養家族も、更に高齢者が、多くて、葬祭ばかり続く、部署でもあった。
去年の4月から、庶務仕事も振られて、合併した隣の工場敷地内にある総務部に、香典袋の表書きしたものを受け取りに行ったり、事務所二階の工場総務課に、弔慰金を受け取りに行ったりと雑用ばかり増えた。
考えてみれば、こんなことは、工場総務課で、やれば済むことなのに、何故か、イチイチ、現場部署ということだけで、私を通過していくのだった(ここの工場庶務課が仕事をしないのが、仕事のようであった気がする。情報は与えず、なんでも丸投げ的な・・・。)。
私は、小学生のころから、書道は、苦手で、墨をすれば、力足りずの根気無しだから、薄墨にしかならぬし、半紙に書く前に、筆につけた墨が多すぎて、ボタボタを垂れるし、垂れたら垂れたで、床など汚し、雑巾、雑巾と、慌てふためき、さて、いざ、書いてみれば、文字なのか単なる墨の固まりなのか、解らず仕舞いの半紙を、学校の教室の後ろの壁に貼り出されても、一番下手クソで、自分の習字からは、目を背けて歩きたくなるくらいの下手さ加減であった。
それ以来、お正月の冬休みの書初めの宿題や、文化祭に、出品が義務付けられている作品などは、全て、私の母の手によるものである。
生意気にも、小学生らしく、下手に書くよう注文をつけた。
筆など持たなくても、一生困ることもあるまい・・・と思っていたけれど、実際、結婚式などの記帳などには、恥ずかしい文字を残すことと相成った・・・という汚点もあった。
さて、その筆文字・・・書道である。
件(くだん)の高齢者を扶養する従業員の多い部署に派遣されて、ご家族のどなたかのご不幸あらば、私も、お香典を出すことが多くなって、そのたび、香典袋の表書きは、母に頼んでいた。
・・・でもなぁ・・・うちだって、母が亡くなれば、自分で、自分の名前を筆で、書かかんと、イカンのだなぁ・・・と思ったりした。
・・・というわけで、せめて、自分の名前くらいは、筆字で、美しく書けないモノか・・・と思って、自己流で始めたお習字であった。
それまでは、知らなかったけれど(一昨日のブログにも記載したとおり)、水筆と水筆専用の用紙なるものが売り出されていることを知り、即購入。
書道の基礎、留め、撥ねなどから初めて、かな文字なども、なんとなく形になってきたけれど、肝心の香典袋の表書きをしないまま、退職とあいなった。
この先、香典袋の表書きをすることなどあるのだろうか・・・と思いつつ、水筆習字をしている。