鼎子堂(Teishi-Do)

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『贅沢貧乏:森茉莉・著』

2014-07-19 05:21:42 | Weblog

曇りがち。夕刻より、雨降ったり止んだり・・・。涼しい一日。


幼少期に富裕層であって、成人後、貧に転じて書かれた随筆で、秀逸な書き手は、明治の文豪・森鴎外の長女の森茉莉であることは、誰も否定しないだろう。
お亡くなりになってから、四半世紀は経つのではないかと思うけれど、いろいろな作家や編集者が、手を変え、品を変え、彼女を俎上に載せ、森茉莉というひとについての本が、出版されているのには、驚きを隠しえない。
それだけ、魅力のある稀有な書き手ということは、間違いない。

貧民から富裕層へ転ずる話と、富裕層(特に幼少期)から、貧民へ転落する話とでは、間違いなく後者のカネモチから貧乏へ転落する話の方が、魅力的だ。

おカネは、知性を育てるのに必要だから、特に、幼少期に、潤沢におカネをかけて、育てられた知性は、芳醇な香りがする。
食うや食わずの貧民は、食糧を得るために必死だから、とても知性まで、手が回らないせいだろうと思う。

・・・ここでいう知性とは、所謂、学校で習う『お勉強』とは、少し違う。
しかし、学校で、習う『お勉強』が、基礎となることは、間違いない。
知性(・・・或いは、品性)を読み解くには、或る程度、学問の基礎的部分が、必要なのだ・・・たぶん、どうしても・・・。

前出の森茉莉さんは、鴎外に溺愛され、自分の手は、なにひとつ使わず、大人になったひとである。
そんな彼女は、中年以降、特に母親が無くなって、彼女を保護するひとが、いなくなってから、赤貧を洗う・・・というような生活に陥る。
潤沢な資産に作られた知性は、フランス語(・・・なのだろうと思うし)、基礎となるのは、その貴族趣味の精神性だろう。
貧乏でも、惨めではなく、物欲しさがない。
貧乏の質が違うのだろうか。

お金をかけた品性と知性。

そんなことを考えると、お金は、知性を育てるには、絶対不可欠な要素なのだろうと思う。

そんなおカネも、かけ方を間違えると、とんでもない知性が、育つのは、ご周知の通りかと思う。
比べる対象にもならないと思うけれど、理研のあのヘンテコな女性化学者?のように、なってしまったりするのだろう。