鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

マカロニ・グラタン

2013-12-08 22:49:47 | Weblog

乾燥した冬晴れは、続く。


来年で、平成も26年なのか・・・。
四半世紀ね・・・。
それより古い・・・昭和の御代のお話。

花のお江戸・・・いや、東京から、ローカル線で、一時間と少し。
工業地帯である我が居住地に、今でいうイタリアン・レストラン(もどき)のお店が、開店したのは、私が、中学生になったか、ならないかの頃である。

駅のメイン・ストリートである西口の反対側の所謂、住宅地、公園前にできたイタリアの某都市名と同じレストラン。
そして、もう1軒も、同地域の某地銀のあるビルの1階にオープンして、こちらは、イタリアンというより、どっちかっていうと名前は、フランス系だけれど、所謂、洋食屋さん。
前出のイタリア某都市名を関するレストランは、ピザを始めとして、明らかに、『イタリアン・レストランです。』というカンジだった。

どちらのお店も好きだったけれど、フランス系の洋食屋さんのマカロニ・グラタンなる食べ物が、好きで、好きで・・・もう・・・たまらなく好きであった。

はるか昔の記憶で、最初は、小学校からの仲良しのAちゃんの自宅のすぐ側で、Aちゃんのお家は、その洋食屋さんから、出前(今は、デリバリーなのか?)して貰っていた・・・ということを聞いていた。・・・。Aちゃんのお家は、とにかく、開発中の駅近辺の土地を、たっくさん所有していて、その土地を売って、資産家になった・・・らしい・・・というか、もともとあの地域に古くから住まわっていた?・・・旧家?だったらしい。

そんなAちゃんに連れられて、中学生の私は、そのフランス系洋食屋さんで、生まれて初めて、マカロニ・グラタンなる食べ物を、ご馳走していただいたのであった(因みにAちゃんとは、拙ブログ2013年3月5日:素浪人 月影兵庫で、ご登場いただいたあのAちゃんのことである)。

MちゃんとMちゃんのお姉さんに連れて行っていただいた県庁所在地で、始めた食べた『ピザ』も感動ものだったけれどもこの『マカロニ・グラタン』も、半端じゃなく美味しかったのだった。

ピザもマカロニ・グラタンも今では、簡単に作れる料理だと思うけれど、そういうヨーロッパ系のレシピは、我が家には、存在しなかった。第一、その時代、我が家にオーブンは、なかったのだった。

今では、当たり前の『バジル・ソース』も、かのイタリアンの先駆け、渋谷の名店(キャンティ?だったかな?)でさえ、手に入らず、『シソ』を代用品で使っていた時代・・・よりは、年代的には、少し、新しいけれど・・・。

マカロニ・グラタン・・・冬には、特に、美味しい料理である。




冬のしあわせ

2013-12-07 22:53:28 | Weblog

乾燥した冬晴れ。


この十数年・・・月末と月初に仕事が集中して、とにかく、月末は、何が何でも出勤しなければ・・・というプレッシャーな月日でもあった。

体調を崩しても、休めない・・・。

そんな訳で、こころ浮き立つはずのクリスマスも年末も・・・(因みに5月の大型連休も・・・)。
横目で眺めて、通り過ぎるだけで、子供の頃の楽しさだけを幾ばくか思いだし過ぎて行くだけの虚しい歳月でもあったりした。

冬のしあわせは、ひとえに、『暖かさ』という極めてわかりやすい物理的要因によりもたらされるのではないかと思う。

寒い日のココア。
温かい食事、お風呂、寝床、暖房器具・・・。

『暖かさ』がイコールしあわせにつながるのは、寒さが、生命をも、うばう凶器となる可能性もあるからだと思う。

街はイルミネーションの光に溢れ、過ごしてきた日々・・・とくに、一年間の思いを抱き、冬の街を歩けば、思うところは、やはり、暖かい空間・・・ということになるのだと思う。

イルミネーションは、光の洪水。
光は・・・暖かさを連想させるし、暗闇に浮かぶひかりは、希望にもつながるのだろう。

今は・・・。
月末の殺人的?仕事からも離れ、毎朝の出勤もなくなり、無為な日々を送っている。
そんな中での年末。

この先の生活への憂いは、胸を去来するものの、現状では、当面は、まだ餓えることもないだろう・・・という楽観的な、あくまで希望的観測のもと、日々を惜しむでもなく、ただ安穏に暮らしている。今、インフルエンザに襲われても、腰痛が起こっても・・・、頭痛がしても・・・とにかく、回復するまで、仕事の心配は、しなくていい・・・。
一か月でも半年でも・・・復活するまで、休んでいてもよい日々。

蟄居・閉門?の我が身の冬のしあわせは、意外なところにあったものだ・・・そんなことを思う・・・年末・・・。



失業認定

2013-12-06 01:03:26 | Weblog
 
昨日(12月5日)は、雇用保険説明会で、公共職業安定所(ハローワークと言う名称は、やっぱり、気に入らないので、公共職業安定所<職安>と書くことにする)へ。

職安は自宅から、車で10分くらいところにあるのだけれど、市内北部のショッピングモールの中にあるので、道路が混んでいる・・・たぶん、五、十日だから、余計、混んでいるのだと思う。
前回、雇用保険の申請手続きに、ここを、訪れた時、13時30分から説明会を始めるので、5分前には、受付を済ませて、会議室で、資料を受け取って着席して待て・・・との指示があったので、13時には、自宅を出たのに、職安の駐車場についたのは、13時20分・・・到着するのに、いつもの倍の時間が掛ってしまった。
それでも、前回は、満車だった駐車場には、まだ空きスペースがあったので、そこへパーク。

13時25分に受付をすませて、会議室へ入ると、ほぼ満席・・・30名くらいは、既に、着席して待機しているではないか・・・。
(もう少し、早く来ればよかったな・・・)
そう思いながら、唯一空いている最前列中央部に座らせていただく。

(おカネを貰うのって・・・大変だよな・・・。)
改めてそう思う。

会議室は、暖房が、ガンガンかかっていた。
セーターなどを着こんでしまい、失敗した・・・と思う位、暑かった。
お役所は、節電しないのかな・・・と、妙なツッコミを入れたくなる。

不正受給は、くれぐれもしないように・・・と脅しをかけられる。
不正受給が発覚すると、給付金は、3倍返しになるそうである。
(巷で、流行している倍返し・・・か・・・)
そんなことを思う。

私は、会社都合での退職扱いだったので、給付待機日数は、7日間。
330日分の給付を受けられるらしい・・・。

説明会は、2時間45分。

腰痛が酷くて、ここ2週間ばかり、寝て暮らしていたので、長時間の着席で、再び悪化したようだ。
椅子から立ち上がるときに、激痛。

16時半には、職安を出る。
あたりは既に暗い。

次回は、7日後の初回失業認定である。



『眩談:京極夏彦・著』

2013-12-04 22:55:25 | Weblog

曇りがち。時雨れ。


眩暈(めまい)というものを体験したのは、何時頃だっただろうか?
若いときは、眩暈をおこすことはあまりないかもしれない。
貧血のクラクラ感に似ているかもしれないけれど、脳と三半規管が関連していることは、間違いないだろう。

さて、今日のお題。
こちらも脳と三半規管は、リンクされているのだろうと思う。
・・・違うのは、物語により起こる幻の眩暈感・・・というものだろうか・・・。

もともと眩暈は、自分自身が、静止していても、自分を取り巻く外界が回っているように感じるものだと思う(自分が、動いていて起こる眩暈・・・というものたぶんあるのだろうと思うけれど)。

静止して本を読む・・・活字の中の物語が、いびつなまでに歪む・・・(ここで、『いびつ』を漢字変換すると『歪』と表記される・・・『いびつ』と『ゆがむ』は、同じ意味なのもしれない・・・。なので、これは、二重標記で、日本語としては、正しくないのかもしれないけれど)。

これも、脳がなせる業・・・というより、京極夏彦という稀有な書き手による幻の眩暈である。

この『眩談』は、8つの短編集である。

京極夏彦・・・といえば、文庫本で、厚さ50mmをゆうに超える長編の書き手としても有名である。
しかし、短編も上手い。
しかも、それぞれの短編が、別の京極ワールド(作品)に、巧にリンクしているのも大きな特徴で、個々の短編が、複雑なネットワークで結ばれて、巨大な迷路を作り出す・・・そんな作家でもある。

しかし・・・この『眩談』に関しては、各短編が、個別に存在しているのである。

でも・・・。たぶん・・・これも作者のトラップで・・・そのうち・・・また、別の世界へ複雑なリンクが張られているに違いない・・・。

読者は、騙されてはいけない。

8つの短編集の中で、私は、『シリミズさん』が一番好きだ。
屋敷神として、存在するのに、その存在は、ただそこにあるだけ。歩くと『寒い』と言う廊下。
地上150cmのトイレの窓に映る足・・・など、怖いことは怖いが、実害がない。その家に住む人には、それが日常で、異常なことだとは、思っていないあたりが・・・なんとも・・・。

作られた眩暈感・・・心行くまで、酔って欲しい1冊である。




『ぶっせん:三宅乱丈・著』

2013-12-03 23:00:35 | Weblog

穏やかで、暖かな年末。

先月だったか・・・、それとも先々月だったか・・・。
この漫画『ぶっせん』が、舞台化されて(それ以前、テレビドラマ化されたらしい・・・が、私は、リアルタイムで、テレビを見ていないので、・・・らしい・・・としか言えません)、観劇に行こうかな・・・と思っていたのだけれど、大極楽シート(座席前方)は、既に完売。
残りの中極楽シートも、後部座席しか空きがなかったし、時間は、充分だけれど、失業中の身なれば、チケット代金など少しは節約せねばの・・・ということで、見送り。

・・・というわけで、原作本を購入して読んでみました。

感想・・・一言。
『面白い。』

仏物専寺(ぶっせん):禅寺 VS 金々腹寺:密教

貧乏寺の仏物専寺の唯一のお弟子でインテリ僧侶の雲信が、入学金目当てに始めた仏教専門学園(ぶっせん)。
それを阻止しようと企むライバルの金々腹寺の阿闍梨と弟子の貞奉。
金々腹寺のスパイとして送り込まれるのは、超天然?馬鹿だけれど、犬並みの嗅覚の持ち主・田村正助。

金々腹寺の四姉妹+唯一の男の子で、跡継ぎの真。
主人公・正助にそっくりな金々腹寺の第二のスパイ・オキタネ、ピンクぃうさぎ(キャバレー)のオーナーで、自らバニーガール(バンニーちゃん)の装束で、商売に励む・みさき。従業員のバンニーちゃん・あけみ。
宝塚音楽学校の入試に失敗して、ぶっせんに入学した唯一の女人・三条くん。
95歳にして町内マラソン盆踊りの優勝者で、ぶっせん二人目の女生徒のキクさんなどなど。

登場人物がスゴすぎる。

私は、最初『ぶっせん』の著作者・三宅乱丈氏は、男性かと思いましたね。
男性の手によるものなのかと・・・。
でも、最終巻のあとがきで、氏は、半分裸体で、登場し、豊かな胸を露わにされております。

何より、いろいろな知識が満載です。それだけ拾い読みしても、充分面白い。
『寺庭(じてい)』=お寺の住職の婦人、『納衣(おころも)』=僧侶の法衣、禅宗の公案、典座、廃仏毀釈、禅による小脳・三半規管の機能・・・各所に散りばめられております。

銃刀法違反(拳銃で、除夜の鐘を鳴らしてしまう)の仏物専寺の老師・・・この人物が愛おしい。
まさに、大悟した老師と言えるかもしれません。この老師と対をなすようなキクさん・・・。

私は、この老師とキクさんが特に大好きなのです。



月筮:火天大有 四爻変

2013-12-02 22:41:06 | Weblog

穏やかに晴れた12月最初の月曜日。
(・・・と言っても、私は、今の処、365連休チャレンジ中なので、日曜日も月曜日もあまり関係がありませんが・・・)


毎月、月の始めの日(ほとんど1日)に、月筮と称して、当たらない易を立てている訳で。

今月は、火天大有 四爻変

まぁ・・・吉なんでしょうね~~~。

もともとこの火天大有は、佳い卦らしいです。

でも、佳いって言ったって、この数年間のドツボにハマったような・・・そして、青天の霹靂?のような凶事?に見舞われているから、『吉!』って言ったってどの程度かわかりゃしませんて。

悪い卦が出るよりは、マシ・・・ってもんでしょうか?

今は、停滞・停滞・大渋滞・・・と言っても、まだ、多少也とも、お気楽ってもんでしょうが・・・。

世の中は、景気が良くなり?ボーナスシーズンで、街は、イルミネーションで、クリスマスまでカウントダウンだし・・・。
世間の12月って楽しそうだなぁ・・・。
(私的には、これまで、年末・年始の休暇以外は、特に楽しいこともなかったような気がしますけどねぇ~~~。それでも、工場系事務屋だったから、最大で10連休だった訳ですが・・・。でも10連休なんて、カワイイものでしたね。今となっては。今・・・90連休だもんな・・・。)

・・・で、火天大有。

昔の易者さんのカンバンなんかに、この火天大有だとか、地天泰なんかのマークが、用いられるくらい縁起がよいらしい・・・。

他にも、雷水解、火地晋、風澤中孚、山天大畜、地澤臨、地風升・・・なんかが、吉の卦のようです。

・・・でも、まぁ・・・現在の私としては、吉が出ようが、凶が出ようが、あまり関係ないと言えば、そう言えなくもないですかね?

後は、破産(←コレは、資産のある人のことで、私の場合は、貯金がソコをついたときでしょうか)でもして、一文無しになるか、事故か病気(←不治の病とか・・・)で痛い思いをするか・・・そんな凶事しか思いつかないし、吉事に限っては、想像すらできませんね・・・。




『書楼 弔堂:京極夏彦・著』~麗しき物語の伽藍へ

2013-12-01 22:51:06 | Weblog

更に、冷え込み強く。日中は、穏やかに晴れた初冬の日曜日。

随分と・・・所謂『読書』から遠ざかっていたような気がする。
私は、私の虚構の伽藍の中を、彷徨い歩き、疲れ果て、そして自分で築き上げた虚実さまざまな心の中の伽藍が・・・、ここ数か月の間に、大きく音を立てて崩れていくのを、目のあたりにした。

今は、もう・・・その虚実入りまじった現実と幻想の伽藍は、何処にもない。

それでも・・・。
再び、この麗しき物語の伽藍へ戻ってきた。

戻った場所が、『書楼 弔堂』である。

これは、もう出会うべくしてであった『本』であることは、間違いがない。
私は、戻って来られたのだ。
この芳醇な腐食に満ちた物語の伽藍へ。

この数年・・・。
私は、本を読むことが出来ずにいた。
いや・・・本は、読んでいた。少なくとも、読まずにはいられなかった。
読んでも・・・読んでも・・・それは、何処か虚しく、正に、『虚』の世界でもあった。


『虚』が、『実』に、『実』が、『虚』に・・・。

明治の御代、街燈台にも似た三階建ての建物。
そこは、読まれなくなった本を弔い、成仏させるのが・・・『書楼 弔堂』の主人。
陽の光の似合わぬ現世離れした主人と美童の丁稚・しほる。
その不思議な空間に、誘導されるのは、瓦解前は、物持ちの旗本・高遠彬。
お客様は、江戸期を葬り、維新を生きた明治の著名人・・・。

『本から立ち上がる現世は、この、真実の現世ではございません。その人だけの現世でございますよ。だから人は、自分だけのもう一つの世界をば、懐にいれたくなる』

『本当に大切な本は、現世の一生を生きるのと同じ程の別の生を与えてくれるのでございますよ。ですから、その大切な本に巡り合うまで、人は探し続けるのです。』

私は、この『書楼 弔堂』を、訪れてみたい。

この麗しき物語の伽藍へと・・・誘われてみたいのである。