鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

錦秋の那須へ・・・。③うるはしきかな山もみじ

2015-10-20 22:47:59 | Weblog



今回のドライヴの目的は、もみじ狩り・・・である。

私は、無類のモミジ好きで、あの葉っぱの形状、新緑の時のあの透明な緑、落葉前のあの鮮やかな赤や朱色、緋色などの美しい色を眺めずして、冬は、迎えられない気がする。

・・・といっても、ここ数年は、職にもつかず、引き籠りで、モミジといえば、自宅に植えられている数本を見て過ごすだけだったし、職に就いていた頃は、モミジを見ようにも、朝は、出社で忙しく、帰宅時には、既に、日暮れて、あたりは、真っ暗・・・(居住地周辺のモミジは、11月下旬にならないと色づかない)。
祝祭日に山へ行こうにも、日頃の勤務で、疲れ果てて、1日中ぐうたら寝てばかりだったので、叶わぬことであった。
しかも、紅葉のピーク時ともなれば、道路は渋滞、駐車場は、満杯・・・無類の運転下手に、山道は、痛い・・・。

・・・そんなわけで、色づくモミジを見ようにも、なかなか見られないまま過ごしてしまった。

ここ暫く、相方も忙しくて、1日かけてドライブなんてこともなかったので、

『紅葉狩りに行きたい。』

と不平不満を申し述べた処、

『わかりました。それでは、紅葉狩りに行きましょう!』

ということで、相方は、日曜日の一日を割いて、念願?の紅葉狩りへ出かけたのだった。


那須や日光は、モミジの名所だけれど、山全体が、赤く染まる光景は、小学校か中学校の遠足で、バスの中から見渡した記憶が、最後だし、京都の紅葉も数十年前に見たきりだったので、今回の紅葉狩りは、本当に、何十年か振りの『モミジ』であった。

モミジの特に、赤や朱色は、地方によって、かなり違うような気がする。

京都から南は、朱色が多いような気がするし、北上するほど、赤さが増して行くように思うけれど、違うかもしれない・・・。

今回訪れた那須の・・・しかも、山林道のモミジは、とても美しかった。

所謂、ヤマモミジ・・・というのだろうか。
緑色の葉が、イキナリ朱に変わる。
葉の半分が、緑で、半分が赤・・・だったりする。

種類も違うようで、葉の形も違う。

山林道を歩けて、本当にヨカッタ・・・モミジ好きには、たまらなく嬉しい山歩きだった。

来年は、もっとちゃんとした装備(特に、靴は、滑らない加工の靴底のもの)で、出かけたい。

やっぱ・・・ローファーじゃなあ・・・(←後悔)。





錦秋の那須へ・・・。②山林道を歩く・・・。

2015-10-19 22:45:08 | Weblog


噴き上がる有毒?ガスを期待したものの・・・煙などは一切なしの『殺生石』の地を後に、那須連山ロープウェイを目指し、車に乗り込み、勾配のきつくなりつつある県道17号線を上りつつ・・・。
雲が広がり、暗雲が、立ち込めてくるような気配。

・・・これでは、ロープウェイからの眺望はムリかも・・・なんて言っていたら、ロープウェイをマジかに控え、渋滞で、全く動かなくなってしまった・・・やっぱり、紅葉シーズンだしなぁ・・・。

『引き返そうか。頂上は、もう雲で見えないし。』

相方と相談して、今回、ロープウェイは、断念。

Uターンして、山を下りることに。

途中の展望台で降りて、そこから撮影したのが、昨日の1枚目の画像。

展望台には、下に降りる階段があって降りてみると・・・なんと、ここから先を下ると、件(くだん)の殺生石のあの場所に辿りつくそうな?




『徒歩で行ってみたら?』
と相方は、ちょっとイジわるそうに、冗談で言った。

(コイツは、日頃、運動不足だし、無精だし、歩くのはイヤがるだろう)
とタカを括っているようだったので、

『案内版には、徒歩25分と書いてある。よし、それでは、歩いてみるよ。んじゃ、殺生石で待っててね。』

と相方に言って、山道のハイキングコースを歩くことにした。

相方・・・(マジかよ・・・コイツ!)と思ったらしいが、殺生石についたら、電話することにして、相方は、車、私は徒歩で、向かうことにした。

実は、紅葉の写真を撮りたかったし、どれくらい歩けるか、試してみたかった。

前日の雨で、路面は、滑るし、山の中の道で、靴もローファーだったから、歩きにくかったけれど、色づく木々を眺めながら、ひとり、殺生石を目差して、下山(←なんて立派なものではないけれど)。


本日の画像。

久々に歩いた山道と色づき始めた紅葉。






下山中の30分間に、登山中のファミリー3名(ハイキング仕様)、カップル1組(デートファッション。あれでは、この道はのぼりにくかろう)、女性の二人連れ(こちらも街中ファッション、展望台直前の道は、ちょっと厳しいゾ!)、男性(完全武装・登山者風)1名とすれ違う。

今日は、それ程でもなかった(・・・というより疲れで終日横になってしまっていた)けれど、夜になって、脚の関節と筋肉が、少し痛くなってきた・・・。


(明日に続く)




錦秋の那須へ・・・。

2015-10-18 22:42:08 | Weblog



本日、早朝(・・・といっても、午前8時15分)より、相方と那須へ紅葉狩り。
このところ、遠出のドライヴをしていなかったので、県北では、今がピークの紅葉を観に行くことに。
紅葉の名所といえば、日光なのだけれど、この時期、日光は、渋滞間違いなし。

・・・なので、那須へ向かうことにした。

今年、通算4回目の那須。

本日は、那須連峰の主峰、茶臼岳を望むロープウェイから、那須を一望し、深まり行く秋を楽しむ計画であった・・・。

地元を出発する頃は、気温21℃。
快晴。
宇都宮の手前で、早くも渋滞・・・であったけれど、日光方面・那須方面への分岐点以降は、それ程の混雑はなかった。

やはり、みなさん、日光へ行かれるのですネ。

那須連山・茶臼岳を望む県道17号線を西北に進みながら、途中の観光名所・殺生石に立ち寄る。
私は(県内に住んでいながら)初めて訪れる場所で、相方曰く。

地下から煙(硫化水素、亜硫酸ガスなどの毒性の強い有毒ガス)がふきだしているそうな・・・。

県道を挟んだ駐車場もほぼ満杯で、奥に1カ所空きがあったので、そこへ車をパーク。
傾斜のキツイ坂道を上ると、日頃から寝てばかりいるから、太腿が、つっぱって、なかなか前へは進めない(・・・といっても、都内・目黒の行人坂よりは、ハルかに楽・・・といった程度)。

遊歩道を歩きながら、有毒ガスの噴き出している・・・いや・・・煙なんか一切出ていない・・・今日は、もしかしたら、お休みなのカモ・・・???



(画像は、殺生石)


ふうん・・・硫黄というか・・・ゆでたまごの腐敗したような匂いは、充満してるんですけどね???


(明日に、続く・・・予定です)


ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)或いは、天爵

2015-10-15 04:01:57 | Weblog

このところ、皇室関係の出版物が、書店に平積みになっているようだ(・・・実際に書店に行ったわけでないのだけれど、新聞などの書籍案内や広告なんかが掲載されていた)。

宮家の王女様方の御写真集やドキュメンタリーのような書籍らしい。

インターネットがまだ普及していない頃とは、違って、各人、いろいろと意見を述べられていて、検証ややんごとなき方々の写真などなどネット上に上げて、・・・昔なら、大逆罪とかありえそうなくらいだ。

太平洋戦争後、菊のカーテンは、取り払われて、雲上人は、地に降りたって、人間になった。

太宰治は、小説・斜陽の中で、先の大戦後、日本で最後の貴族である『お母様』が亡くなり、美しい系譜は、途絶えたと書いた。

美しい?貴族社会も、(たぶん)三島由紀夫の自決で、物語からもその姿を消して、本当に、もう日本から、貴族が消えてしまったのだろうと思っている。

果たして・・・。
貴族なるものは、美しかったのだろうか・・・???

千年の昔、『源氏物語』では、宮中に住む女性(にょしょう)達は、嫉妬に明け暮れ、光源氏の母なる桐壷更衣は、壮絶で、悲惨なイジメを耐え抜いた末に、亡くなった。
現代は、それにかわるインターネットでの誹謗中傷(・・・或いは、それは、事実なのかもしれないが)と、ツールは、変わっても、ヒトの心は、変化しないのかもしれないな。

明治維新で、徳川幕府に変わり、明治新政府が発足したさいに、カネにものを言わせ、貴族の称号である爵位を買った諸大名や豪商などもいて、貴族も様々に存在した。

先述の『斜陽』の中で、太宰治は、自分の分身?とも思える直治に、
『爵位があるから貴族というわけでなく、生まれながらに備わっている天爵というものを持っているひともいる。』
と言わせている。

天が与えた貴族の称号。
天爵をあたえられたひとは、ヒトを貶めるようなことは、(たぶん)しない。

欧州では、ノブレス・オブリージュ・・・『高貴さは、義務を強制する』・・・つまりは、高貴な家柄に生まれたからには、高潔な行動をとるべし・・・。

騎士道=武士道・・・にもつながるのかどうか・・・(生憎、貴族や武士だった経験がないから、よくわからんが・・・)

現状を見渡せば、やはり、日本の貴族は、太宰のいうように、終わったし、物語の貴族も三島で、終焉を告げ、その後は、架空の創造物でしかないから、つまらないのかもしれない。




映画:バクマン。②

2015-10-11 22:48:59 | 演劇・映画

雨模様の連休中日。


4日前にみた映画『バクマン。』で、見ていたときには、気がつかなかったけれども、今更ながら気がついた。

このストーリー・・・何処かで・・・???

1960年~70年代・・・その前後の時代を描いたストーリーだったと思うけれど、その頃の漫画業界をテーマにした藤子不二雄氏の『まんが道』。

・・・ああ。この作品がベースなのだね。
(そういえば、『バクマン。』のエンディングで、この『まんが道』がアップされていた)
かなり、意識して書かれたのだと推測する。

まんが道・・・巨匠・手塚治虫に憧れて、富山・高岡から状況したふたりの青年の漫画家へ続く道を描いた長編である(某・国営放送の連続ドラマになったのを見て、原作本を読んだ。かなり厚い本で、50ミリくらいの厚さで、A4サイズよりは、ひとまわり小さかったような?気がするが、それが4巻くらいあった。雑誌と単行本の中間くらいの・・・そんなヘンなサイズの本である。当時の総集編的な雑誌?という括りだったのかも・・・)。

『バクマン。』は、原作者+漫画執筆者という二人組だけれど、『まんが道』は、両名とも書き手。
のちに、共作は、解除して、お互い別の作品に向かったようだ。
『どらえもん』は、共同作品だったと思うけれど、『笑ゥせえるすまん』などは、単独だったとおもうけれど、記憶が違うかもしれない。

『バクマン』。のストーリーも、著作者も、『原作者』+『漫画家』は、分離されている。
『バクマン』。の漫画家・小畑健氏は、原作をもとに、漫画を描く作家だし、画力もある。
先月の拙ブログに『囲碁と将棋』というタイトルで、『ヒカルの碁』を取り上げた。
小畑健氏の代表作でもある(原作者は、ほったゆみ氏)。

少年漫画誌の創生期と爛熟期、そして今、雑誌などの編集物が衰退していく中、多くの漫画家さんは、コンピュータソフトなどのツールを使い、作品を仕上げている(・・・と聞いた)。

そんな中、インクとペン、スクリーントーンなどの貼り付け・・・そんな手仕事で、作り上げられる漫画原稿は、1枚仕上げるのに、どれくらいかかるのだろうか・・・読むのは、30秒かからないとおもうし、こだわりのコマも見過ごされてしまうのではないだろうか・・・?

漫画でヒットすれば、アニメーション、映画、グッズなど、とにかく一大産業として成り立つ世界でもある。






落下音

2015-10-10 22:53:46 | Weblog

雨を予感させる秋の土曜日。

気温は、それ程低くはないけれど、晩秋の・・・雰囲気のある土曜日でもある。


ひと月前くらいから、裏の林から、夜間に時折、音が聞こえる。
ポトリ・・・ポトポト・・・。
クヌギの木から落ちるどんぐり達だ。

車の屋根やボンネットに、落ちる音が、夜半には、響く。

ボトン、バキバキ・・・・。

秋も深くなってきたな・・・と思う。

家人は、落ちてきたドングリと落ち葉を掃き始める。

昔は、姪どもは、喜んで、家人の跡をついて回って、どんぐりなど拾って遊んでいたが、高校生にもなれば、もう、そんなことは、しなくなる。

深夜すぎても、姪の部屋の電気は、消えないから、勉強しているのか、漫画でも読んでいるのか、スマホで、ゲームでもしているのか・・・。

私は、ほぼ一晩中、起きているから、どんぐりの落下音を聞きながら、夜を明かす。

夜間は、ほっとする。

世の中は、寝静まる。

私と夜の静寂だけが、『そこ』にある。

昼間の惨めさや、虚しさを、ヴェールで蔽い、僅かな存在の時間がそこにある。

ポトリ・・・
どんぐりが落ちる。

ポトリ・・・
哀しみが落ちる。

一昨日の強風で、全部落ちてしまったと思っていたけれど、まだまだ、落ちる。

私も落ちる・・・夜の闇に・・・。





映画:バクマン。

2015-10-08 22:52:08 | Weblog

昨日、今日と午前の遅い時間から、午後にかけて強風。

冬を思わせるような西風。


昨夜(7日)は、相方と隣々市のシネコンでのレイト・ショー『バクマン。』を鑑賞。

少年(←このカテゴリーでよいのか・・・?)漫画週刊誌・ジャンプで、過去最高の発行部数を誇る集英社(実名である)に、ふたりの高校生が、漫画の原稿を持ちこむ。
まだ漫画を描き始めて2ヶ月しか経っていない真城最高(サイコー)と高木秋人(シュージン)である。

ジャンプ編集部の服部は、二人の才能を見抜き、作品の書き直しを提案する。

サイコーの叔父は、かつてジャンプに連載を持つ漫画家・川口たろうで、サイコーは、外で遊ぶより、叔父の仕事場で、漫画を読みふけるのを楽しんでいた少年であった。
締切に追われ、連載が下火になると打ち切りにされる厳しい世界の中で、叔父は、若くして亡くなる。

子供の頃、漫画家を目指していたサイコーは、叔父の死にさいし、漫画家を諦め、普通の高校生として、何事に打ち込むこともなく、ただ漠然と日々を送っていて、クラスメートのアズキさんにひそかに思いを寄せていた。
そんなアズキさんをスケッチしたノートを、シュージンに見られた。シュージンもまた漫画原作者を目指す少年だった。

二人は、タッグを組み、漫画家への登竜門である集英社主催の手塚賞受賞を目標に、漫画を描きつづける日々に突入した。

手塚賞に準入選という快挙を成し遂げ、漫画家への道がスタートした。

同じ手塚賞の佳作入選者たちとの交友も始まり、同じ、高校生で、天才漫画家と称される新妻エイジの存在を知り、連載人気の首位争いと過酷な仕事の日々の始まりでもあった・・・。


サイコーの叔父・川口太郎役を演じるのは、宮藤官九郎さん。少し前の漫画家さんを彷彿とさせる役作りは、流石・・・のひとこと。

二人の少年の才能を見抜いた編集者・服部役の山田孝之さんのいつも濃いめのヴィジュアルを前面に出すことなく、抑え気味な演技も見所のひとつか・・・。

ジャンプ編集長役は、リリー・フランキーさん。かつてサイコーの叔父の担当編集者として、サイコー達には、立ちはだかる壁でもある。漫画家の使い捨て、利益至上主義にならざるを得ない立場の苦悩を淡々と演じている。

純粋な二人の高校生を演じるのは、佐藤健(サイコー役)さん、神木隆之介(シュージン役)さんのおふたり。原作の小畑健さんの画風から抜け出たようなビジュアル。

可愛い子役だった神木さんも、もうハタチを過ぎたのね・・・?ハタチすぎても充分カワイイ・・・けど・・・。

・・・それにつけても・・・漫画家さんとは、大変な職業なのね・・・その一言に尽きる。

私は、その業界の裏を知りたい・・・漫画家さんとか、小説家さんとか・・・そんな業界をリアルに再現した・・・なかなかな・・・映画であった。



砂時計

2015-10-06 22:51:11 | Weblog

子供の頃から、砂時計が好きで、サラサラした砂が全て落ち終えると、逆さまにして、また砂が落ち始めるのを、眺めていた。

それを何度も繰り返しているうちに、そのうち砂時計のことなど忘れてしまい、何か別のことを初めてしまっていたりする。

砂は、何が原料なのか・・・蛍光色のピンクや青、緑などに着色されていたような気がする。

正確に1分なり、3分なり・・・と刻むのかどうか・・・(多少の誤差は、あったりする)。
今は、キッチンタイマーなどがあって、正確な時間の経過を教えてくれる。

ふと、考えたのだけれど、人生にも砂時計があるのかもしれない・・・。

人は、生まれてくるときに、神様(・・・或いは、創造主、或いは、大いなる宇宙の存在???とか)から、寿命の砂を渡される。

人生砂時計に、砂をセットして、スタート。

残りは、あとどれくらい・・・???

私達には、見ることができないけれど、それを管理している(なんて表現してよいか分からないけれども)ナントカ?霊??みたいなものがいたりする。ハイヤーセルフとか・・・???

落語の死神は、蝋燭(ろうそく)の残りを、ふっ・・・と吹いて消してしまうけれど、砂時計の砂が全部落ち切ったら、寿命が終わるのだ・・・。

寿命の砂は、綿密に計算されたその人の運命と関係する。

・・・カルマ(業と訳されるそうだけれど)とは、ホームで電車を待っていて、駅に到着した電車に、乗るようなもので、避けようと思っても、避けることができないもの・・・と或る本に書いてあった。
否が応でも、運命の電車に乗らなければならないのだ。

何かの都合で、その電車に乗れないこともあるのかもしれない。

誰かが(誰・・・というか、何者というのか・・・?神様というか・・・?)人生のシナリオを変更したときだけ、乗ることが出来ず、次の電車を待たなければならないだ。

その電車には、未来の恋人が乗車しているのかもしれない。
結婚するのかもしれないし、離婚するためにであったのが、運命なのかもしれない。

大嫌いな人が乗っているのかもしれない。

相手に殺されるかもしれないし、自分自身が殺してしまうのかもしれない。

ヒトを千人殺せば、悟りが開けるといわれ、その修行中に、殺したくないのに千人殺すことのできる人間もいれば、殺したいのに一人も殺すことが出来ない人間もいる。

そういうものが、カルマ(業)だと聞いた。

寿命の砂時計の砂を見ながら、人生のシナリオを書いた何者かが、まるで、ビデオでもみるかのように、ひとの一生を監視している・・・???

私の砂時計の砂は、残りあとどれくらいだろう・・・?

下らぬことばかり考える秋の一日。




観劇の食事

2015-10-05 22:53:18 | Weblog

先週末に久々に都内へ観劇に出て、13:00開演の昼公演を見る予定だったから、観劇前に、食事をすることになるのだけれど、私は、いつも劇場付近のデパートのレストランを利用することにしている。

これまでの観劇は、大抵、ひとりだったので、デパートのレストラン街は、入店し易い。
デパートに出店しているお店は、割高だとか・・・言われているけれど、和食・洋食・中華、エスニック、カフェ・・・と一応、何でもあるし(・・・と言っても、食べるものは、かぎられているけれど)、おひとり様でも気兼ねなく、入店できるのは、おひとりさまには、大変、有難い。
(以前、よく観劇に付き合ってくれていた人もいたけれど、チケットや食事代など、ワタシが都合することが多かったし、電車賃など貸してあげたけれど、返却されないまま、忘れられて、結局は、その友達とは、タモトと別つことになって、その経緯は、過去に、この拙なブログに、幾度となく記載した。それ以来、私は、生涯、ひとり観劇になるのだろうと思っていたけれど、何故か、相方も、映画・演劇などよく見るひとだったので、最近の観劇は、ほとんど、お連れ様ありの二人の場合が多くなった。もっとも、手許不如意だから、観劇回数は、激減して、もっぱら、映画になっている)

ひとり観劇のときは、食事をするお店は、大体決まっていて、新宿だったら、タカシマヤの高層レストラン街の鰻、蕎麦、ラウンジ形式で、眼下に新宿御苑を望み、京の和食が楽しめるお店など。
渋谷だと東急百貨店のレストラン街などを利用している。
山手線の東側の日比谷だとか、新橋、銀座などは、最近は、足が遠のいた。
帝劇、日生劇場、歌舞伎座、新橋演舞場などは、日生劇場以外は、座席で、食事可能なので、東京駅の大丸や、銀座の三越の地下のお弁当売り場で、調達している。

先週末は、上演劇場が、池袋だったので、駅隣接の東武百貨店が一番近いけれど、改装リニューアル中で、殆どが、お休み中。
西武百貨店かパルコのレストラン街で、食事をすることに決めた。

相方は、和食が食べたいと言っていたのだけれど、私は、頭痛が続いていたので、あまり食欲がなかった。
頭痛の原因は、たぶん、精神的なものと、不規則な睡眠時間、過剰な睡眠と、熟睡できないためだろうと思っている。
脳内の血管が、収縮して、血液の流れが、悪くなっているから痛むのだろうから、ここは、ひとつ、ガツンとスパイスの効いたタイ料理ならば・・・と提案し、タイ料理を昼食にすることにしたのだった。
最初に、生春巻き、スープは、トムヤムクン、相方は、ガパオ(タイ風チャーハン?)、私は、グリーンカレーを注文。

タイ料理は、辛く、酸っぱく、そして、はっきりしない甘みとココナッツミルクで、不思議な味だ。

相方は、食事中からスパイスが効いて、熱くなった・・・と言っていたけれど、私は、あまり変化がなかった・・・故に、頭の血管も拡張しなかったようで、ぼんやりとした頭痛は、続いている。







カタルシツ『語る室』

2015-10-03 22:57:08 | Weblog
 
秋晴れの土曜日。夏日。


久々に相方と都内・東京芸術劇場に、カタルシツ『語る室』を観劇に。
一昨日から、頭痛が続いていて、長く眠ったのにも関わらず、回復が遅いので、取りやめにしようか・・・とも思ったのだけれど、お天気も回復したし、本当に、久方ぶりの都内だったので、様子を見ながら、行くことにした。

今回のお芝居は、5年前に起きた幼稚園のバスの運転手と園児の失踪事件の関係者が、バーベキューをするシーンから始まる。そこにいるのは、警察官とその姉。失踪したバスの運転手の兄である古橋宗雄であった。
更に、そこへ車を盗難された霊媒師・佐久間と、二人の兄妹が出現する。

5年前、失踪現場にいた重要参考人を職務質問した警察官の二階堂譲は、ヒトに見えないものがみえてしまう一種の霊感体質。
その姉の美和子は、失踪した園児の母親であった。

美和子は、都内の霊媒師・佐久間を訪ねるも、真相は、わからないままだった。

5年後。
霊媒師・佐久間は、事件現場を訪ねるが、乗ってきた車を、盗難される。

車を盗難したのは、美和子で、その横には、父親の死で、長年離れていた自宅に戻る途中のヒッチハイカー・益子大輔の姿が、あった。

過去と現在と未来が交錯し、ところどころにしか、見えなかった時間の点が、やがて、1本の線となってつながる物語の展開は、流石に上手い。

・・・実は、私は、上演中、この時間軸が、よく理解できなかった。
終演後、相方に、どういう関連があったのか・・・を、電車の中で、詳しく解説して貰ったので、物語が理解できた・・・というお粗末さであった。
・・・それでも、この作品は、充分、面白かった。

過去・現在・未来・・・・物語は、ランダムに展開していく。
その場面の再現。
そのとき、観客は、ひとつひとつ、セリフの意味を知り、解かれてゆく謎(私は、解けないとこもあったのだけれど)。

ああ・・・あのひとが、未来で、この姿になり、過去が、現在に追いつく瞬間。

その村には、虹の輪が出来て、そこは、時間のトンネルになるらしい。
事件の日の・・・秋分の日。

そこは、時間が複雑に交錯する・・・不思議な場所。