友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

大和塾代表の逝去

2007年09月29日 23時02分29秒 | Weblog
 中学高校からの友人と一緒に飲むはずだった。朝早く、電話をいただき、大和塾の代表・山田栄久さんが亡くなったと聞いた。ショックだった。身体の具合がよくないことは知っていたけれど、それはこの夏の暑さのせいで、秋になれば元気を取り戻されるだろうと思っていた。山田さんが待ち望んでいた金美齢さんの講演会はもうすぐだ。ポスターもチラシも来週には出来上がる。11月11日(日)、山田さんには舞台の上で、金美齢さんを紹介し、二人が並んだ写真も撮ろう。

 余りにも早い。早すぎる。「金美齢さんの講演会を行った後は、これからも少し有名人を1年に1回は呼びたいね」と言われた。いつも先のことを考え、我武者羅に突っ走るから、奥さんは「大変よ」と言われたが、それはそれで後始末をしてくれる奥さんの存在があったから出来たことかもしれない。

 山田さんは、身体が大きな割には細やかな心配りの人だった。家業の家具屋を受け継いだが、いつも先を見ていて、どこで何をすればよいのかと考え、商売の仕方や店舗のあり方など、次々と発展させてきた。私が地域新聞を作っていた時も、本当にお世話になった。お店に行き、お茶をいただきながら、山田さんのお話を聞いているだけで、何か力が湧き与えられるような気がした。それは多分、いつも「夢」を語ってみえたからだと思う。

 山田さんから電話があったのは昨年の夏だった。それから山田さんが何を考え、何をしたいのか、そのためにはどうするのか、具体的な形になっていったのが9月で、仲間を集めて10月には「大和塾」が発足した。「市民のための勉強会をつくろう」。これが山田さんの夢だった。山田さんは「政治家の驕りと不透明なお金の授受、公務員の怠慢と無責任、事業家の不正な金儲け、親が子を子が親を殺害する凶悪な事件や無差別な殺人、弱者への虐待などなど、どうしてこんな世の中になってしまったのか」と嘆かれ、「昔の日本は、隣の家との垣根も無く、旅人には飲み水ばかりか宿も貸すほどおおらかだった」と言われた。「豊かな暮らしの中で、忘れてきたもの、これまでの何がよくて何が悪いのか、これからはどのような社会を築いていくべきか、みんなで考えていく塾をつくりたい」。

 山田さんの熱い思いで出来上がった「大和塾」が1年を経て、これからさらに大きくしていこうという時に、逝ってしまわれた。残された私たちは大黒柱を失ったような思いでいる。それでも、私たちは山田さんの呼びかけを無にしてはならないと思っている。山田さんが望んだ大きな夢、山田さんが礎を創られた「市民の手による市民のための勉強会・大和塾」を発展させることが私たちの役目だと思っている。少しはにかんで「幕末に吉田松陰が開いた『松下村塾』のように、この大和塾から、北名古屋市を背負って立つ人を育てたいね」と山田さんは言った。私たちはその遺志を受け継ぐ。
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