昨夜、黒澤明監督の映画『生きる』をドラマ化したものを観た。映画は観ていないので、どういったらよいのかわからないが、主人公に松本幸四郎を持ってきたことが間違いだったように思った。市役所の無気力課長が松本の役だが、演技をしていない時の松本の顔そのものが、ミイラに近いので、「ミイラ」というあだ名にうってつけ過ぎて、誠におもしろくなかった。だからドラマの展開に変化が見られないのだ。
無気力課長は医師から「すい臓がんで手術もできないほど進行している」と診断される。つまり、残り少ない命であると宣告されたのだ。タダひたすら出勤し、時間をつぶしてきた彼は、初めて無断欠勤して町をさまよう。飲めない酒を飲む。幸いにも出会った男が、彼がこれまで行ったことのない場所や遊びに連れて行ってくれる。これが前半だ。
後半は、それでも満たされずにいた時、職場の部下で若くて奔放な女性に出会い、彼女にのめりこんでいく。はじめはおもしろがっている様子の若い女性も、しつこくまとわりつかれて嫌気がさしてくる。彼は「どうしてなのか、自分でもわからない」と言い、「なぜそんなに活き活きしているのか、教えてくれ」と迫る。ただ働いているだけの毎日だと言われ、仕事に目覚めていくという結論だ。思わず、ウソだろうと言いたくなった。
死がそこまで迫ってきていることがわかった時、人はどんなことをするのだろう。それがこのドラマのテーマなのだろうが、「アホかいな」と思った。死を迎えた時の受け止めは十人十色、人様々であろう。主人公の課長のように、しなかったことをしたいと思う人も多かろう。彼の場合は、幸運にも出会った男がいろいろと世話をしてくれた。白人女性とのSEXもしたのかもしれない。お金で買えたものもそれなりにあったはずだ。それでも満たされなかった。
彼がガンでもうすぐ死ぬかもしれないことを誰も理解してくれなかったからだ。部下の若い女性に出会い、彼女につきまとったのも自分を受け入れて欲しかったのだろう。主人公は男だったが、逆に女であっても同じで、若い男が優しく自分を受け入れてくれるならば、それが最後になったとしても女は後悔しないだろう。人はいつも得られないものを求める悲しい存在だ。だからこそ、逆説的だが生きていけるのだと思う。
ドラマは死んだ課長を巡って、役所の人たちがいろいろと話していたが、確かに役所というところをよく分析している。これは、ドラマとしては余分なものだと思い、見なかったけれど、役所の内部を象徴的に描いていた。役所の中の人間関係もまああんなものだろう。仕事をやりすぎれば角が立つが、やらなければ無能力なヤツと見なされないとも限らないから、一番いいのはそこそこにしておくことになる。こういうシステムに税金が投入されているのだから、やりきれない。
さて、さて、私は自分が死に直面したならば、どんな風に過ごすのかと興味がある。死に直面していないと思っているからそう思うのだろうが、普段と変わりなく過ごして生きたいと思っている。多分そうするだろうし、私はそれができると自負している。
無気力課長は医師から「すい臓がんで手術もできないほど進行している」と診断される。つまり、残り少ない命であると宣告されたのだ。タダひたすら出勤し、時間をつぶしてきた彼は、初めて無断欠勤して町をさまよう。飲めない酒を飲む。幸いにも出会った男が、彼がこれまで行ったことのない場所や遊びに連れて行ってくれる。これが前半だ。
後半は、それでも満たされずにいた時、職場の部下で若くて奔放な女性に出会い、彼女にのめりこんでいく。はじめはおもしろがっている様子の若い女性も、しつこくまとわりつかれて嫌気がさしてくる。彼は「どうしてなのか、自分でもわからない」と言い、「なぜそんなに活き活きしているのか、教えてくれ」と迫る。ただ働いているだけの毎日だと言われ、仕事に目覚めていくという結論だ。思わず、ウソだろうと言いたくなった。
死がそこまで迫ってきていることがわかった時、人はどんなことをするのだろう。それがこのドラマのテーマなのだろうが、「アホかいな」と思った。死を迎えた時の受け止めは十人十色、人様々であろう。主人公の課長のように、しなかったことをしたいと思う人も多かろう。彼の場合は、幸運にも出会った男がいろいろと世話をしてくれた。白人女性とのSEXもしたのかもしれない。お金で買えたものもそれなりにあったはずだ。それでも満たされなかった。
彼がガンでもうすぐ死ぬかもしれないことを誰も理解してくれなかったからだ。部下の若い女性に出会い、彼女につきまとったのも自分を受け入れて欲しかったのだろう。主人公は男だったが、逆に女であっても同じで、若い男が優しく自分を受け入れてくれるならば、それが最後になったとしても女は後悔しないだろう。人はいつも得られないものを求める悲しい存在だ。だからこそ、逆説的だが生きていけるのだと思う。
ドラマは死んだ課長を巡って、役所の人たちがいろいろと話していたが、確かに役所というところをよく分析している。これは、ドラマとしては余分なものだと思い、見なかったけれど、役所の内部を象徴的に描いていた。役所の中の人間関係もまああんなものだろう。仕事をやりすぎれば角が立つが、やらなければ無能力なヤツと見なされないとも限らないから、一番いいのはそこそこにしておくことになる。こういうシステムに税金が投入されているのだから、やりきれない。
さて、さて、私は自分が死に直面したならば、どんな風に過ごすのかと興味がある。死に直面していないと思っているからそう思うのだろうが、普段と変わりなく過ごして生きたいと思っている。多分そうするだろうし、私はそれができると自負している。