友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

おかしなこと

2007年09月15日 20時07分14秒 | Weblog
 おかしなことが続いている。安倍総理の辞任表明の日、これはブログに載せないと関心がなかったかと思われるぞと、パソコンに向かったのに、いざ、投稿する段になっていつもは出ないのに、「ログインIDが間違っています」と表示された。お酒を飲んだ後なので、いい気分になっていたのだろう、適当に「アレだったか」「コレだったか」とやっているうちに、午後11時半を回ってしまった。コレではせっかく夕方から用意しておいたのに掲載できなくなってしまう。ちょっと焦った。そのためだろう、「10回以上間違ったので、30分のフリーズ」が表示された。ダメだ。結局、翌朝に新たなログインIDを取得して、やっと投稿できた。

 ブログでは、1つの記事に写真が1枚しかまだ掲載できない。手引書を読むと、写真のアドレスを書き込めばいくらでも掲載できるとあるが、これができないでいる。まあこれから勉強していけば解決できるかもしれないが、niftyのココログでは写真の掲載は実に簡単だったのに、gooに変えてからどうも手間取っている。各社で、やり方が違うというのはやむを得ないことなのだろうが、できれば同じ操作の仕方にして欲しいものだ。

 おかしなこととはそんなことではない。先週からだったかはっきりしないが、このところ身体の左半分が軽くしびれている。しびれは左手の指先と腰から下が強いような気がしている。しかし、我慢できないことではないし、仕事をしていたり人と話していたりすれば、すっかり忘れてしまっているから、たいしたことではない。朝、起きた時や、夜、寝る時に、気にかかるという程度だ。マッサージにでも出かければよいのだろうが、なんとなく行くことができずにいる。時間が解決するだろうと思っているからだ。

 まあ、歳をとったのだから仕方のないことだ。しびれは、脳の中の血管に血栓が詰まった時に起きるというが、小さなものがどこかで起きているのかもしれない。脳の右側ですごく痛い時があった。一時のことだったから、それで我慢して過ごしてしまったが、それが原因なら因果関係がはっきりしていてわかりやすい。人は老いていつかは死ぬものなのだから、これも時間が解決するだろうと思っている。

 心配なことは、たとえばカミさんが知らない女性と一緒にいて死を迎えるような事態になった時だ。どのように説明しようかということだが、残念ながら私はもうこの世にいないので、それができない。できないのだから、生きている人たちで解釈してもらう以外にない。

 死をもって応えた、西春町の上野町長や松岡農林水産大臣は、本当は自分で説明したかったのかもしれない。説明すれば納得するかといえばそうはならないし、さらに多くの非難を受けることになることだってある。そう思うと、すべてを闇の中に封じ込めてと考えたとしても無理はない。そういう切羽詰った秘密がない私のような凡人は、とにかく死ぬまでは生き続けなくてはならない。せっかく生きるならば、生きていることが楽しいと思える日々でありたい。

 中学1年生の孫娘は時々「もういや、夢も希望もない」と雄叫びを上げる。「へえ、そうなの。私なんか、明日が楽しみでしょうがないよ」と私は言ってやる。実際、私はいつもそう思っている。明日は素敵な女性に出会い、美術館へ出かけたり、一緒に食事をしたり、どんなにか胸の高鳴るようなことが起こらないとも限らない。たとえ、そんなことは起こらないとしても、それは最後の結果である。

 今日も一日中、孫娘と一緒だった。お昼に二人で食事に出かけた。今、彼女は国語の教科書で『竹取物語』を学んでいる。「昔々、あるところにね」というお話の元になったんだよと話す。「どうしてそんなことを知ってるの?」と言う。

 試験に出るようなことがらについては、あまり得意ではなかったが、雑学ではかなりよい成績が取れるはずだ。試験というものが雑学であったならと思っているが、それでは系統立ててものごとを考える力をつけることにはなっていかないし、雑学に秀でていても実際にはほとんど何も役立たないことも事実だ。政治家の秘書だった時も、高学歴の人であっても意外につまらない雑知識に欠けるんだと知った。なんだ、成績の悪かった私のほうが知識としては豊富じゃないかと。ところがつまらないことをどんなに知っていたとしても、試験では何も役立たない。その結果が、現在そのものというわけである。

 おかしなことの一つは、おかしなことだと気付かないことなのだろう。それでも、いいじゃーないか。ダメかな。
コメント
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