友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

自分史?

2007年09月28日 23時41分49秒 | Weblog
 明日は、大和塾の第5回市民講座を開く。明日のテーマは「『自分史』を生きるパワーに」である。昨今の自分史ブームを受けてこのテーマを設定してみたが、「文章なんか書けん」とか「自分史なんて自分には関係ないから」と言う人が多い。どうやら明日の講座の参加者は少ないかもしれないと心配している。私は書くことに余り抵抗が無いが、多くの人が書くことには躊躇するようだ。

 絵もそうだが、うまく描こう、そういう気持ちが「自分はかけない」と言わせているように思う。誰でも人間は絵が描けるし、文章が書ける。けれども「うまく」という意識が強く働くと、途端に「できない」と言い出してしまう。私も文章は、書くことを仕事としてきたので比較的抵抗無くできるが、絵は自分が専門としてきただけに返って「うまく」描きたい気持ちが強くて、描けなくなってしまっている。

 文章の場合は、上手いとか下手とか、どういうわけか余り意識が無い。自分が見たものを見たようにわかりやすく書く、あるいは自分が思ったことを平易な言葉で伝える、それだけを課題にやってきたので、書くことにそれほどの抵抗が無いのかもれない。新聞を作っていた時、部下に明らかに「うまい」文章を書こうという意識が働いている人がいた。何度読み直してもそういう文章はおもしろくない。30から40字以内で、終わるような文にしなさい。60から80字で改行しなさい。そんなことを指導してきた。新聞ではわかりやすいことが一番大事だと思うからだ。

 明日、講師の平岡さんがどのように講演されるのかわからないが、その資料を読んでおもしろいなと思った。資料の中で、作家の色川大吉は「人は誰しも歴史をもっている」「その人なりの歴史、個人史は、当人にとってはかけがえのない“生きた証し”であり、無限の想い出を秘めた喜怒哀楽の足跡なのである」と述べている。「自分がどのように生きてきたのか、私たちは時々振り返ります。生きてきた過程を振り返ることで、今の自分を確認するのです。前向きに生きる作業です」と、私はこの講座へ参加を呼びかけるチラシに書いたが、なかなか的を射ているなと思った。

 「過去など振り返るな!」と言い切る中学高校の友人がいる。過去にこだわる必要は全くないけれど、過去をとらえ返すことは自分の足元を見つめることであるような気がする。皮肉屋の友人なら「足元を見つめてどうする?」と言うのだろうが、確かにそうではあるが、逆に先に進もうとするためにはただ身体を動かすだけでいいのか?と聞きたくなる。進むためには少なくとも方向を定めなくてはならないだろう。そんなことを考えていたなら、それも本当はどうでもよいことではないか、そんな気がしてきた。

 過ぎ去った時間を取り戻すことはできない。やってしまったことは書き直しできない。私たちに許されていることは、これからどうするか、明日は何をするか、それしかない。1秒先の時間、1分先、1日先のことは考えられるし、考えたことは実行もできる。それなのに人はどうして過去にこだわるのか、過去から抜け出せないのか。私がこうして毎日綴っているブログは、正しく自分史だ。いや、私だけでなく多くの人々が行っているブログは全て自分史と言ってよいだろう。ということは、人間は自分を語りそして人に伝えたい気持ちが強い生き物だといえるようだ。
私はそんな典型かもしれないし、それでよい気がしている。

 大和塾の第5回市民講座「『自分史』を生きるパワーに」は、9月27日、北名古屋市福祉センター・もえの丘で、午後2時より開催します。入場は無料。誰でも参加できます。
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