友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

夫婦の日

2008年02月02日 18時54分31秒 | Weblog
 2月2日は「夫婦の日」というらしい。誰が考えたのか、日本人は言葉遊びが好きだ。確か、11月22日は「よい夫婦の日」だったような気がする。そんなことを思っていたら、今日の中日新聞の『中日春秋』に、私が思っていたことが書いてあった。その後半で「夫婦喧嘩は体にはいいようである」とあり、次のように述べていた。

 「米ミシガン大のチームが、ミシガン州内の192組の夫婦を17年間調査した結果、お互いに不当な文句を言われても反論せず我慢してしまう夫婦の死亡率は25%に達したのに、片方もしくは両方が反論して問題解決しようとする夫婦のそれは、12.3%にとどまったのだという。ストレスをためず、言いたいことを言い合う方が健康ということだが、肝要なのは、一緒に問題解決しようという姿勢だそうだ。」

 どのように調査をしたのかわからないので、いろいろ疑問もあるが、結論である「一緒に問題解決しようという姿勢」には納得できる。我が家は余り夫婦喧嘩はしない。しないというよりもできないといった方が当たっていると思う。私はカミさんにお願いすることはあっても文句を言うことはない。カミさんから「不当な(と私は感じるけれど、カミさんは正当と思っている)文句を言われても反論しない」のは、反論が決して問題解決にならないと思うからだ。

 ことの発端はカミさんのご機嫌を損ねるようなことをした私にあるのだから、反論などせずに我慢した方が問題の解決になるからだ。そんなことを書くとまた、カミさんから「家のことは書かないで」とお叱りを受けそうだが、私たち夫婦は他人から見ればうらやましいくらいに仲のよい夫婦であるし、私たち自身もごく普通に仲良くやっている。仲良くやっていても、すれ違いは起こるし、埋まらないところはある。夫婦は決して完璧ではないから、「一緒に問題解決しようという姿勢」が必要なのだろう。

 私たち夫婦は他の3家族と1ヶ月に1度は集まって会食するが、その1組の夫婦の「奥さん」は、「ダンナはかけがえの無い人。子どもは命。」と断言される。女の人というのはやはり自分が十月十日間お腹を痛めた子どもというのは特別な存在のようだ。確かに自分の分身という気持ちが強いのかもしれないが、そうなると男はなかなかそこまでの気持ちがもてないように思うのは私だけなのかな。「かけがえ」は代わりの意味だが、もともとは用心に備えておく同種のもののことだから、その時、茶々が入ったように、「男は生活費を運んでくるためには必要なもの」に過ぎないのだろうか。

 そんなことを言いながらも夫婦は、年を重ねていく毎に似通っていく。早く死のうが遅く死のうが、そんなことはどうでもいい。喧嘩してもしなくても、それも実はどうでもいい。夫婦は血のつながりの無い他人が一緒に暮らしているのだ。我慢と妥協となによりもいとおしい気持ちが必要だ。
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