友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

デートDV

2008年02月26日 23時38分12秒 | Weblog
 今朝は雪だった。「雪はいいね。何もかも、全てを白く覆い尽す。おお、雪よ、一切の汚れを覆い尽せ」と、詩人になったつもりで孫娘に話したが、「そんなこと言う人いないよ」と軽く言い放す。そうか、若い人たちは雪に感動したり、嵐にドキドキしたり、瑠璃色の空を美しいと思ったりはしないのか。そんなことを話すと、「ウウン。雨は好き。雨が降ってくる前は雨の匂いがする」と言うから、彼女もいい感性を持っているかもしれない。

 NHKテレビの『クローズアップ現代』で、「デートDV」なるものを取り上げていた。結婚していない恋人同士でのDVのことだ。人を好きになれば、そして恋に落ちれば、相手を独占しておきたい気持ちになることはあるだろう。けれども、どうして好きになった相手、恋している相手を、殴ったり蹴ったり監禁したりできるのだろう。また、若い女性たちは「愛」は束縛があるもので、束縛に耐えることは「愛」の証だなどと考えてしまうのだろう。

 好きになった相手の過去のことに異常なまでにこだわったり、恋した相手が自分以外の異性と話したり、近頃ではケイタイがあるから、その受信暦や発信暦に目くじらを立てたりするのか。自分が、相手が好きで、可愛くてどうしようもないほど愛しているなら、相手がどんなに自由であっても、自分の「愛」は変らないのではないか。自分が本当に好きなら、心から愛しているなら、相手を疑ったりはしないものだ。疑りは自分に自信がない証拠だ。

 ゲストが「現代社会は保守化してきている。男女平等などといいながら、男社会に戻りつつある。若い男性は女性を自分の支配下に置こうとするし、若い女性は支配されることが愛されていると思っている」というようなことを発言していた。確かに、若い人の中には、異常なまでに相手を束縛する、つまり相手を支配する人が生まれてきたことは事実だ。私もそういう人を見聞きしたことがある。けれども、そこに本当に「愛」は在るのか、私には疑問だ。力ずくで、殴ったり蹴ったり脅したり、それで支配下に置くのは、自分が弱いからだと知るべきだ。自分よりも強い人間に立ち向かえない弱い人間は、もっと弱い人間を支配したがるものだから。

 これまで、男と女は性の差はあっても人としての差は存在しないとしてきたことはどうなってしまったのか。なぜ、子どもたちに、人として愛し合うことの尊さ、尊敬し合うことの喜び、求め合うことが生み出す安堵、こうした男であり女であることの性の違いの良さが受け継がれていかないのだろう。孫娘よ、つまらない男にだけは恋するな。
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