友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

これからの人とこれまでの人

2008年02月05日 22時26分12秒 | Weblog
 2月1日から、カミさんは頼まれて働き出した。1日目は顔合わせ程度だったと思うけれど、「こりゃー大変だわ」と言って帰ってきた。2日目の昨日は、夕食にビールを飲んで、そのまま眠り込んでしまった。3日目の今日はちょっと落ち着いたのは、昨夜と同じく一人でビールを飲んだが、今のところまだ起きていて、明日の仕事の準備をしている。

 カミさんが仕事をするようになって、家事は私の仕事となった。実は私が教員を辞めた時も、「主夫をやるから」としばらく家事にいそしんだことがある。家事労働をやってみてわかったことは、「報われない」ことだ。どんなに掃除をしてきれいにしても、どんなに美味しいものができても、家人にとっては当たり前のことだから、わざわざ「きれいにしたわね」とも「美味しいわね」とも言わない。家事労働は苦労の割には評価されない労働だと思った。

 家の中にいて、掃除や洗濯や料理や、そうしたことがいやだとは思わなかったし、午後の空いた時間に本が読めることや庭造りも楽しかった。けれども、そのうちに「何かが足りない」と痛切に感じるようになった。新聞やテレビを見ていて、社会の動きはわかるのに、自分は社会に存在していない。社会から切り離されて生きることはこんなにもつらいことなのか、そう思った。社会の中で、良いにしろ悪いにしろ、自分が評価されることは、自分が生きている証拠なのだとわかった。

 孫娘をプールに送り届け、家に戻り夕食の準備をする。孫娘と私たちの食事を用意して、孫娘の分を弁当に詰め、プールに迎えに行き、駐車場で弁当を食べさせて今度は学習塾に送る。それから家に戻って、夕食である。10時に孫娘を迎えに行かなくてはならないから、私はお酒を飲まない。「悪いわね」と言いながらも「飲んじゃおう」と、カミさんは一人でビールを飲む。遅れて帰ってきた長女は「今夜は夜勤で、すぐに出かけるから」とご飯は食べずにおかずだけを食べ、残りを夜食用に持っていく。

 孫娘は学力検定試験があるというので、昨夜は12時近くまで起きていたのに今朝は5時に起床して勉強していた。「睡眠不足だと大きくなれないよ」と言うと「大きくなれなくても、成績がいい方がいいもん」と答える。とても私が及ぶところではない。私はささやかであっても満ち足りたものが欲しい。これからの人とこれまでの人の違いは大きいなと思う。日常は容赦なく過ぎていく。
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