友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

植物はいつも正直だ

2009年04月07日 23時40分26秒 | Weblog
 千葉県知事に当選した森田健作さんが問題になっている。ちょっと新聞を読んでいなかったので、詳しいことはわからないが、なんでも外国企業からの献金を禁じている公選法に違反していることに加えて、自民党の千葉県の中の支部長であるにもかかわらず「無所属をうたって選挙を行ったのは詐欺行為だ」というのだ。それを教えてくれた私の知人は「森田健作は知事を辞任せざるを得ないね」と話していた。けれども、今のところ新聞報道では辞任の記事はない。

 愛知県西尾市の中村市長は、贈収賄事件で拘留されているが、市議会の辞職勧告に対して拘置所から議会の解散を命じている。何度も選挙に立候補し、負けても志を変えず、既成政党に頼らず、とうとう市長の座を射止めたことで、私の知人は「会って来たらどうか」とまで評価していた。私自身はすでに立候補の意思がなく会うこともなかったけれど、こうなってみるとどんな人物なのか会って確かめてみたかった気がする。

 政治家は疑われたらそれで終りだ。だからこそ疑われるようなことをしてはならない。もし仮に、ハメられるような事態になったなら、こういうことは政治の世界ではよくあることだが、自分がどのように疑われていて、そして自分には何も罪がないことをきちんと説明すればよい。説明できないなら罰を受ける覚悟が要るだろう。ソクラテスではないが、「悪法もまた法なり」である。

 女流作家の田口ランディさんが自作の『蝿男』について、「腐った純愛であり、腐ってしまうほどの愛である」と紹介していたが、クソもみそも一緒にしたようなこの小説の方が現実の政治の世界よりも興味深い。森田健作さんのあの元気いっぱいの姿が私はどうも好きになれない。世の中にはあんな風に元気な人がいるけれど、どうしてそんなに元気でいられるのか私には理解できない。惨めにくよくよしていたなら叱り飛ばされそうだ。

 けれども人間はそんな風に、いつもいつも元気で頑張っていられるわけが無い。落ち込む時もあれば泣きたい時だってあるはずだ。いつも表通りばかり歩いている人には、人間の弱さや醜さや悲しさが理解できないのではないかと思ってしまう。森田健作さんが自分の非について理解が及ばないのは、あんな風に明るい自分しか見えていないからではないだろうか、そんなことをふと思ってしまう。

 桜が満開になった。満開の桜は次々と花びらを風に舞い散らしていく。やがて花に代わって緑の葉が枝を覆うことになる。桜は美しく咲き誇った昨日までのことを忘れないだろう。そして緑に包まれていくことに満足しているだろう。たとえその次に、葉は紅葉して枝から去っていくとしても。植物はいつも正直だ。己の役割を知り尽くしている。
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