友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

目くそ鼻くそを嗤う

2009年04月18日 22時25分08秒 | Weblog
 昔の人は偉かったと思う。古代中国では「君子」論が盛んだった。君子とは人の上に建つ立派な人のことだ。国語か漢文かで習った君子の中に、「瓜田に履を入れず 李下に冠を正さず」という言葉がある。人から疑われるような行為はするなということである。80歳になる方がいつも送ってくださる『たより』を見ていったら、この言葉の前に「君子は事前に予防し、疑われやすい場所に身を置かない」とあることを知った。

 『たより』の主も民主党の小沢代表を頭において、「君子は未然に防ぎ 嫌疑の間に処らず」を掲載しているのだろう。誠にそのとおりだ。このところの新聞報道を見ると、自民党もダメだが、民主党も同じだといった記事が多い。障害者団体の郵便割引制度を悪用した事件も民主党議員が関与しているような報道だった。議員の公設秘書が団体の役員と一緒に郵政公社へ出かけている。議員の事務所は「一般的なことを聞いただけ」とマスコミに弁明しているが、私も国会議員の秘書を勤めていたからわかるけれど、相手方は「便宜」を図ろうとしてくれるものだ。

 君子が「この瓜はよくできているね」と声をかけただけで、かけられた相手方は瓜が欲しいということかと察知して、「どうぞ、お持ちください」と言う。君子ならば「いやいや瓜のできをほめたまでのこと」と辞退するものだが、このところの日本の政治家はこれに味を占め、平気で何度も繰り返してしまう。清廉潔白であることが政治家の条件であるはずなのに、「政治にはお金がかかる」と公言してはばからない。

 国会議員には政党助成金が支払われているし、様々な恩典もある。地方議員にも政務調査費が議員報酬とは別に「会派または議員」に支払われる。それでもお金が足りないのであれば、具体的にどのように遣っていて、どのように足りないのか、公開して論議すればいい。ただ漠然と「政治にはお金がかかる」は、不透明な言い方でしかない。政治家がいかに清廉潔白であるかを示したならば、もっと国民は政治家に理解を示すだろう。君子はどこにいるのか。

 『たより』の中に北朝鮮のミサイル打ち上げに対して、自衛隊の配備が新聞などで報道されていたことについて、「情報公開だと言われるかもしれないが、こんなにこちらの手の内(作戦配備)をオープンにしてしまっていいのか」とあった。政府の狙いとしては、北朝鮮の脅しには屈しないとの意思表とともに、防衛論議を作り出すことにあるだろう。現に、民主党の次期代表候補のひとりである前原議員が国会で「防衛力の不備?」を取り上げていたことを見逃してはならないだろう。

 「目くそ鼻くそを嗤う」などと言って、自民も民主も変わらないと笑ってばかりいたならば、民主党の前原議員のような人が政治の中心に座る時代になりかねない。前原議員の隣には一体誰がいるのだろう。安倍前首相や中川前財政相らが闊歩する時代にしてはならないと私は思っている。
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