昨日と今日、家から一歩も出なかった。人に会うことがないと無精になり、ヒゲも剃らずにいた。無精ヒゲは貧相に見えるというけれど、鏡に映った自分を見ると全く生気がない。そうか、こうして自ら年寄りになっていくのかと思った。男がヒゲを剃り髪を整え、女が化粧をして紅を差す。ヨレヨレの服ではなく、綺麗な身だしなみに心配る。それをしなくなった時は人としてダメになる時だと聞いたことがある。
還暦を過ぎてから身近な人の消息をよく聞くようになった。胃ガンで入院したとか、肺ガンだったが手術は出来なかったとか、ガンの話は実に多い。朝、手の痺れが気になって病院に行ったら脳梗塞だったとか、趣味のコーラスの最中に脳血栓で倒れたとか、そういえばあの人も入院しているとか、あの人は亡くなったとか、そんな話ばかり聞く。
「いずれ死ぬのだから、先に逝くかどうかの違いなどたいしたことではない」と言えば、「誰が先に死ぬかではなくて、誰が最後まで生き抜くかでしょう」とカミさんにやられた。人には確実に死がやってくるけれど、人は死ぬために生きているわけではない。人は誰もが自分の人生を生き抜くために生きている。そう考えれば、生きていることは恥や苦痛もあるけれどそれ以上に楽しみである。そう、生きていなければ確かめることも味合うことも出来ないのだから。
NHKテレビの『ためしてガッテン』を見ていたら、介護者の負担にならない介護の仕方を取り上げていた。その中で90代の夫が同じく90代の妻を介護していた。何とか妻を車椅子に乗せて、「花の咲く時には花を、実のなる時には実を見せてやりたい」と夫は言う。けれども腰を痛めたら介護が出来なくなるから、車椅子に乗せてやることが出来ない。テレビはそんなケースでもこうすれば出来ると報じていた。
介護の仕方を見て、夫婦で実際にやってみたという話も友人から聞いた。そうした介護の方法をマスターすることは大事なことだ。私は「花を見せてやりたい」と言うおじいさんに感心した。一緒に暮らしてきたということはこういうことなのだろうと思った。何かを共有することに意義がある。それはどんなにささやかであろうとかまわない。誕生日に1個のりんごをむいて食べる、赤飯のおにぎりを分け合って食べる。他人からみれば馬鹿げたことでも、二人にとってみれば大事なことなのだ。
カミさんは娘たちのことを気遣って、「無理して来なくてもいいからね」と言う。仕事を休んだり、あるいは周囲に迷惑をかけてまでして「来なくてもいい」と言うのだけれど、言われた方には「来なくてもいい」という言葉が強く響くから、拒否されているのかと思ってしまう。「そんなに気を遣うことないよ。来るかどうかの判断は向こうに任せればいい。この日は家で食事会をするからおいで、くらいにしておいたら」と思うが、そんなことはどうでもいいかと思い直す。
還暦を過ぎてから身近な人の消息をよく聞くようになった。胃ガンで入院したとか、肺ガンだったが手術は出来なかったとか、ガンの話は実に多い。朝、手の痺れが気になって病院に行ったら脳梗塞だったとか、趣味のコーラスの最中に脳血栓で倒れたとか、そういえばあの人も入院しているとか、あの人は亡くなったとか、そんな話ばかり聞く。
「いずれ死ぬのだから、先に逝くかどうかの違いなどたいしたことではない」と言えば、「誰が先に死ぬかではなくて、誰が最後まで生き抜くかでしょう」とカミさんにやられた。人には確実に死がやってくるけれど、人は死ぬために生きているわけではない。人は誰もが自分の人生を生き抜くために生きている。そう考えれば、生きていることは恥や苦痛もあるけれどそれ以上に楽しみである。そう、生きていなければ確かめることも味合うことも出来ないのだから。
NHKテレビの『ためしてガッテン』を見ていたら、介護者の負担にならない介護の仕方を取り上げていた。その中で90代の夫が同じく90代の妻を介護していた。何とか妻を車椅子に乗せて、「花の咲く時には花を、実のなる時には実を見せてやりたい」と夫は言う。けれども腰を痛めたら介護が出来なくなるから、車椅子に乗せてやることが出来ない。テレビはそんなケースでもこうすれば出来ると報じていた。
介護の仕方を見て、夫婦で実際にやってみたという話も友人から聞いた。そうした介護の方法をマスターすることは大事なことだ。私は「花を見せてやりたい」と言うおじいさんに感心した。一緒に暮らしてきたということはこういうことなのだろうと思った。何かを共有することに意義がある。それはどんなにささやかであろうとかまわない。誕生日に1個のりんごをむいて食べる、赤飯のおにぎりを分け合って食べる。他人からみれば馬鹿げたことでも、二人にとってみれば大事なことなのだ。
カミさんは娘たちのことを気遣って、「無理して来なくてもいいからね」と言う。仕事を休んだり、あるいは周囲に迷惑をかけてまでして「来なくてもいい」と言うのだけれど、言われた方には「来なくてもいい」という言葉が強く響くから、拒否されているのかと思ってしまう。「そんなに気を遣うことないよ。来るかどうかの判断は向こうに任せればいい。この日は家で食事会をするからおいで、くらいにしておいたら」と思うが、そんなことはどうでもいいかと思い直す。