岐阜県中津川市から下呂へ向かう途中に付知がある。付知川の上流に付知峡があり、その奥には不動の滝がある。一度しか行ったことはないが、なかなか見事な滝だったと記憶している。その付知には熊谷守一記念館がある。以前は付知峡へ折れる反対側に個人的な記念館としてあったものを、アートピア付知プラザに移されたと聞いた。
私が知る熊谷守一さんは、デザイン画のような絵を描く人で、とても長生きした画家という程度だった。先日、松坂屋美術館で展覧会が開かれていた片岡球子さんも同じように長生きした画家だ。片岡さんは型破りな構成と大胆な色使いの作品が多いけれど、熊谷守一さんの作品は平面的で色使いもおとなしいが、二人ともちょっと変わった絵だ。
熊谷守一さんは1880年4月に岐阜市の初代市長、熊谷孫六郎の三男として生まれている。1900年に東京美術学校西洋学科選科に入学、同期生に青木繁さんや山下新太郎さんがいる。理由はわからないが1910年から付知などの裏木曾の山中で日傭生活を6年間もしている。才能を惜しむ友人らの勧めでやっと上京し、再び制作に向かったようだ。
結婚は遅く、42歳の時に24歳の秀子さんと結ばれている。それでも不思議なのは、記念館に掲げられている二人の写真を見るとほとんど歳の差を感じない。記念館には熊谷さんの晩年の作品が多い。作品とともに熊谷さんの言葉が掲げられていて、読むとなぜかほっとする。秀子さんと二人で自由にのびのびと生きている、そんな様子をうかがい知ることができる。
「へたも絵のうち 絵はそう難しく考へないで それ一番よくわかるんじゃないかと思います 九十六才 一九七五年」
「先生が一生懸命しゃべっていても、私は、窓の外ばかり眺めている。雲が流れて微妙に変化する様子だとか、木の葉がチラチラ落ちるのだとかを、あきもせずにじっと眺めているのです。実際、先生の話よりも、そちらのほうがよほど面白かった。先生は、しょっちゅう偉くなれ偉くなれと言っていました。しかし、私はその頃から、人を押しのけて前に出るのが嫌いでした。人と比べて、それよりも前のほうに出ようというのが嫌いなのです。偉くなれ偉くなれといっても、皆が偉くなってしまったらどうするんだ、と子供心に思ったものです」。
「私は、ズルいことが出来ないから辛い。ズルが出来れば少しは楽なんでしょうが、それが出来ない」。
「このごろは、私の昔の絵を持ってくる人が時々居ます。本当に私が描いたのかどうか確かめに来るのですが、貧乏していた頃の絵で、すっかり忘れてしまっていたのを見せられたこともあります。その絵を見ながら『貧乏しなければかけない絵だな』と自慢したら、妻のほうは『いい絵でも描かなければ、あんな貧乏した甲斐はないでしょう』と言っていました」。
熊谷さんは97歳で、片岡さんは103歳で永眠されたけれど、長生きした画家は言うことが違う、とても正直だと思った。
私が知る熊谷守一さんは、デザイン画のような絵を描く人で、とても長生きした画家という程度だった。先日、松坂屋美術館で展覧会が開かれていた片岡球子さんも同じように長生きした画家だ。片岡さんは型破りな構成と大胆な色使いの作品が多いけれど、熊谷守一さんの作品は平面的で色使いもおとなしいが、二人ともちょっと変わった絵だ。
熊谷守一さんは1880年4月に岐阜市の初代市長、熊谷孫六郎の三男として生まれている。1900年に東京美術学校西洋学科選科に入学、同期生に青木繁さんや山下新太郎さんがいる。理由はわからないが1910年から付知などの裏木曾の山中で日傭生活を6年間もしている。才能を惜しむ友人らの勧めでやっと上京し、再び制作に向かったようだ。
結婚は遅く、42歳の時に24歳の秀子さんと結ばれている。それでも不思議なのは、記念館に掲げられている二人の写真を見るとほとんど歳の差を感じない。記念館には熊谷さんの晩年の作品が多い。作品とともに熊谷さんの言葉が掲げられていて、読むとなぜかほっとする。秀子さんと二人で自由にのびのびと生きている、そんな様子をうかがい知ることができる。
「へたも絵のうち 絵はそう難しく考へないで それ一番よくわかるんじゃないかと思います 九十六才 一九七五年」
「先生が一生懸命しゃべっていても、私は、窓の外ばかり眺めている。雲が流れて微妙に変化する様子だとか、木の葉がチラチラ落ちるのだとかを、あきもせずにじっと眺めているのです。実際、先生の話よりも、そちらのほうがよほど面白かった。先生は、しょっちゅう偉くなれ偉くなれと言っていました。しかし、私はその頃から、人を押しのけて前に出るのが嫌いでした。人と比べて、それよりも前のほうに出ようというのが嫌いなのです。偉くなれ偉くなれといっても、皆が偉くなってしまったらどうするんだ、と子供心に思ったものです」。
「私は、ズルいことが出来ないから辛い。ズルが出来れば少しは楽なんでしょうが、それが出来ない」。
「このごろは、私の昔の絵を持ってくる人が時々居ます。本当に私が描いたのかどうか確かめに来るのですが、貧乏していた頃の絵で、すっかり忘れてしまっていたのを見せられたこともあります。その絵を見ながら『貧乏しなければかけない絵だな』と自慢したら、妻のほうは『いい絵でも描かなければ、あんな貧乏した甲斐はないでしょう』と言っていました」。
熊谷さんは97歳で、片岡さんは103歳で永眠されたけれど、長生きした画家は言うことが違う、とても正直だと思った。