夫婦にはいろんな形がある。特に還暦をすぎた夫婦は面白い。それまでは働いていたから一緒に生活していると言っても、相手ときちんと向き合っている時間はわずかである。土・日曜にどこかへ出かけたりしても、そこでは一面を垣間見るに過ぎない。もちろん恋愛結婚であろうと見合い結婚であろうと、相手を観察する期間はあったはずだが、結婚して、意外な面を見たあるいは見せられたとしても、こんなもんかと受け入れてきた。
ところが退職し、家の中に二人でいる時間が長くなると、意外な一面が嫌な一面に変わってくる。今の若い夫婦ならば当然である家事の分担も、私たちの年代ではすんなりといかない。妻の方は、これまでは夫の方の収入に頼って生活してきたけれど、今は年金生活だから家事も平等とは言わなくても、ある程度は分担してくれてもよいはずだと思っているのに、夫の方は未だに「おい、お茶!」「風呂沸いてるか」と変わらない。
家を建て直したけれど、夫は自分がいろいろやれる部屋があるのに、妻には篭ることの出来る部屋がない。「男女平等なんて言ってもまだまだ男尊女卑よ」と妻は憤る。台所も居間も寝室も「全てがカミさんが支配しているのに」と夫は言うけれど、妻からすれば「そんな共同生活の場ではなく、あなたのようにひとりで何でもできる部屋が欲しい」と言うのである。
定年後は同じ趣味を持っていれば楽しいだろうと、ゴルフも水彩画も同じ教室に通った夫婦がいる。けれども、今では別々のグループに分かれたし、水彩画ではなくパステル画に変えた。相手のことを評論したりしないためだ。一緒に行動しない夫婦もいる。夫はアウトドア派で、休みの日はゴルフだ釣りだと出かけていく。若い時は釣りにも「一緒に行くか」と誘ってくれたけれど、今ではどこへ行くとも言わない。
妻の方は映画や芝居や音楽や美術に関心が高いのに、夫の方は全く無関心という夫婦もいるし、その逆もある。妻たちが集まって夫の愚痴を話す時も、「ウチは愚痴を言うほど幸せではないのよ」と言う人もいれば、「尊敬できることが夫婦なのよ」とか「何でも知ろうとしないことが円満の秘訣ね」と言う。夫婦であっても時には他の異性に心を奪われるから、知らない振りをすることも大事だというわけだ。
夫たちからもいろいろ言い分はあるだろうが、男たちは「家庭的な面」を抜いていた時もあって、こういう話は分が悪い。「妻のことも相手のことも大事に思うなら、何も言わないことだ」と先輩たちは言う。妻たちが定年後の生活を重荷に感じるように、夫たちもまた快適とばかりに思っているわけでは決してない。求めすぎれば角が立つ。
経験からすると夫婦には妥協が肝心だろうけれど、妥協が先に立ってはいけないのではないか。いずれにしても本当のところはわからない。人生はそんなものなのだろうが、もう少し生きていけば答えはあるのかもしれない。
ところが退職し、家の中に二人でいる時間が長くなると、意外な一面が嫌な一面に変わってくる。今の若い夫婦ならば当然である家事の分担も、私たちの年代ではすんなりといかない。妻の方は、これまでは夫の方の収入に頼って生活してきたけれど、今は年金生活だから家事も平等とは言わなくても、ある程度は分担してくれてもよいはずだと思っているのに、夫の方は未だに「おい、お茶!」「風呂沸いてるか」と変わらない。
家を建て直したけれど、夫は自分がいろいろやれる部屋があるのに、妻には篭ることの出来る部屋がない。「男女平等なんて言ってもまだまだ男尊女卑よ」と妻は憤る。台所も居間も寝室も「全てがカミさんが支配しているのに」と夫は言うけれど、妻からすれば「そんな共同生活の場ではなく、あなたのようにひとりで何でもできる部屋が欲しい」と言うのである。
定年後は同じ趣味を持っていれば楽しいだろうと、ゴルフも水彩画も同じ教室に通った夫婦がいる。けれども、今では別々のグループに分かれたし、水彩画ではなくパステル画に変えた。相手のことを評論したりしないためだ。一緒に行動しない夫婦もいる。夫はアウトドア派で、休みの日はゴルフだ釣りだと出かけていく。若い時は釣りにも「一緒に行くか」と誘ってくれたけれど、今ではどこへ行くとも言わない。
妻の方は映画や芝居や音楽や美術に関心が高いのに、夫の方は全く無関心という夫婦もいるし、その逆もある。妻たちが集まって夫の愚痴を話す時も、「ウチは愚痴を言うほど幸せではないのよ」と言う人もいれば、「尊敬できることが夫婦なのよ」とか「何でも知ろうとしないことが円満の秘訣ね」と言う。夫婦であっても時には他の異性に心を奪われるから、知らない振りをすることも大事だというわけだ。
夫たちからもいろいろ言い分はあるだろうが、男たちは「家庭的な面」を抜いていた時もあって、こういう話は分が悪い。「妻のことも相手のことも大事に思うなら、何も言わないことだ」と先輩たちは言う。妻たちが定年後の生活を重荷に感じるように、夫たちもまた快適とばかりに思っているわけでは決してない。求めすぎれば角が立つ。
経験からすると夫婦には妥協が肝心だろうけれど、妥協が先に立ってはいけないのではないか。いずれにしても本当のところはわからない。人生はそんなものなのだろうが、もう少し生きていけば答えはあるのかもしれない。