夏祭りの初日、雨で中止となった。午前9時過ぎに主となるメンバーが集まった。パソコンやテレビの天気予報とにらめっこだ。大学生はケイタイを使ってリアルタイムに天気の状態を見ながら、「もうすぐ雨ですよ」とか「あと少しすれば雨も上がりますよ」とか、教えてくれる。開催になるのかどうかわからないけれど、注文した品で引き取らなくてはならないものを受け取りに行く。冷凍食品だからといって、受け取ってきても保管する場所が無い。懇意にしているインド料理の店の冷凍庫を貸していただく。それでも入り切らない分は個人宅の冷凍庫で引き受けてもらった。
みんなでお昼を食べていると、またしても土砂降りの雨となった。これでは開催は無理だろう。先発隊はすでに現地に陣取り、鮎を解凍して焼き始めているというので、私たちも食事の後、現地へ移動する。鮎はすでに炭火の周りにキレイに並べられ、焼き手の二人はビールを飲みテンションが高くなっていた。午後1時過ぎ、祭りの役員たちが集まってくる。開催するか中止にするかを協議するためだ。結論はすぐに達したようで、「中止です」とふれて回ってきた。
中止に決めても、開催に決めても、どちらにしても批判は出る。こういう時の決断は難しいけれど、いずれにしてもどちらかに決めなくてはならない。決めたからには頑として貫き通さなければ事態は混乱する。祭りが始まる夕方からは曇り空で、なんとか雨にはならないようだ。しかし、だからといって、開催と決めて雨降りになればもっと大きな非難を受けることになる。舞台で踊る人たちや平和行事の人たちは、中止となっても実際的な面での損失はそんなに大きくない。けれども、屋台の出店を準備している私たちのようなグループは、開催か中止かでは天と地ほど違う。
何百食と用意した食品をどうするか、2日とも雨になれば全てがムダになる。1日でも開催されれば被害は半分で済む。保健所の営業許可は取っているので、祭りが中止になっても屋台は営業できるが、お客が来なければ売ることもできない。屋台を用意している人の中には、祭りが中止になっても店は開くと力んでいたが、お客が来なければくたびれもうけになるばかりだ。私たちも今日は、準備のために焼いてしまった鮎を、売るか食べてしまうか、何とかしなくてはならない。
「それじゃーここで、鮎を食べながら反省会にしよう」ということにした。仲間内だけの飲み会のようなものだから、他から文句を言われることも無いだろうと思った。けれども、役員さんのひとりが「こうやっていると、きっと『営業していた店があった』という非難がくる」と嘆く。確かにそんなことをいう人はいるだろうが、どういう姿勢でこの夏祭りを行なうかだと思う。市民が気軽に集えて楽しめる機会はどんどん縮小されてきている。舞台を中心とした行事は大事なイベントであるけれど、市民参加型のこの屋台がなければそんなに人は集まらないだろう。
屋台を担う人、舞台で踊る人、平和行事を行なう人、いろんな人々がいるから祭りは盛り上がる。盛り上がって何がいいのかといえば、市民としての一体感だろう。このまちで生活していることの歓びと言うか、安らぎとも言える平和な気持ちだろう。明日は晴れるのかな?
みんなでお昼を食べていると、またしても土砂降りの雨となった。これでは開催は無理だろう。先発隊はすでに現地に陣取り、鮎を解凍して焼き始めているというので、私たちも食事の後、現地へ移動する。鮎はすでに炭火の周りにキレイに並べられ、焼き手の二人はビールを飲みテンションが高くなっていた。午後1時過ぎ、祭りの役員たちが集まってくる。開催するか中止にするかを協議するためだ。結論はすぐに達したようで、「中止です」とふれて回ってきた。
中止に決めても、開催に決めても、どちらにしても批判は出る。こういう時の決断は難しいけれど、いずれにしてもどちらかに決めなくてはならない。決めたからには頑として貫き通さなければ事態は混乱する。祭りが始まる夕方からは曇り空で、なんとか雨にはならないようだ。しかし、だからといって、開催と決めて雨降りになればもっと大きな非難を受けることになる。舞台で踊る人たちや平和行事の人たちは、中止となっても実際的な面での損失はそんなに大きくない。けれども、屋台の出店を準備している私たちのようなグループは、開催か中止かでは天と地ほど違う。
何百食と用意した食品をどうするか、2日とも雨になれば全てがムダになる。1日でも開催されれば被害は半分で済む。保健所の営業許可は取っているので、祭りが中止になっても屋台は営業できるが、お客が来なければ売ることもできない。屋台を用意している人の中には、祭りが中止になっても店は開くと力んでいたが、お客が来なければくたびれもうけになるばかりだ。私たちも今日は、準備のために焼いてしまった鮎を、売るか食べてしまうか、何とかしなくてはならない。
「それじゃーここで、鮎を食べながら反省会にしよう」ということにした。仲間内だけの飲み会のようなものだから、他から文句を言われることも無いだろうと思った。けれども、役員さんのひとりが「こうやっていると、きっと『営業していた店があった』という非難がくる」と嘆く。確かにそんなことをいう人はいるだろうが、どういう姿勢でこの夏祭りを行なうかだと思う。市民が気軽に集えて楽しめる機会はどんどん縮小されてきている。舞台を中心とした行事は大事なイベントであるけれど、市民参加型のこの屋台がなければそんなに人は集まらないだろう。
屋台を担う人、舞台で踊る人、平和行事を行なう人、いろんな人々がいるから祭りは盛り上がる。盛り上がって何がいいのかといえば、市民としての一体感だろう。このまちで生活していることの歓びと言うか、安らぎとも言える平和な気持ちだろう。明日は晴れるのかな?